第32話 赤ん坊、その後を聞く
悶々と考えている間に、部屋の明るさは増してきたようだ。
兄の腕をひしと抱き、妹に肩をしゃぶられ。
気がつくと、目の前で身じろぎがあった。
「どうしたルート、震えているぞ」
そっと手が動き、僕の頭を撫でてきた。
「無理ないな。怖い思い、したんだものな」
そっと、そっと、頭が撫でられる。
泣きたい思いを堪えて、僕はさらにきつく兄の腕を抱きしめる。
抱きしめる感触の中で、実際自分が震えているのが分かった。
「怖いなら、何も考えるな。何も心配はいらない」
撫でられ、撫でられ。
胸の奥から、安堵が湧いてくる。
しかし、思う。
このまま、現実から逃げたままではいられない。
「……にい、ちゃ」
「ん、どうした?」
「きかせて、きのうのこと」
「……そうか」
ごそごそと、兄は布団の中で仰向けの姿勢をとり直した。
改めて、僕の頭を撫でながら続ける。
「辛かったら、言えよ」
「ん」
「ここは承知しているだろうけどな。あの賊たち二人、馬二頭の足を斬って、ベティーナを蹴り倒して、お前たちを抱えて馬で逃げた。俺たちが追いかけようとしたときには、もうずっと先に見えなくなりそうになっていたほどの素速さだった」
「ん」
「護衛二人が慌てて馬車の馬二頭を外して、それに乗って追跡を始めた。俺とヘルフリートはベティーナを介抱して、あの荷車の三人を問い詰めた。あの連中近所の農民で、賊の二人に金をもらって芝居するように頼まれたらしい。ただし、商売をうまくやるためのちょっとした芝居だ、と言われただけで、あんな貴族の子どもを攫う話だなどとは思っていなかった、と震え上がっていた。
とりあえず怪我した馬の替わりを一頭用意できると言うんでそれを頼んで、ベティーナを馬車の中に入れて休ませた。申し訳ないが、ザムがいることを思い出したのはそのときになってからだった。それで、賊の馬の匂いを追わせた」
「ん」
「馬車の見張りとベティーナの介抱を農民に命じて、ヘルフリートと俺で一頭の馬に乗って、追いかけた。二人乗りで速度は出なかったのだが、それが逆に幸いして、お前たちがザムに乗って街道に出てくるのをちょうど見つけることができたわけだ」
その経緯で間に合ったのなら、僕がミリッツァを背負って階段を登るのに果てしなく時間がかかった気がしたが、それほどでもなかったということらしい。
「お前とミリッツァの具合を確かめている間に、護衛二人も引き返してきたのでな。馬車まで戻って、まず近くの町まで急行した。そこに駐在する王都警備隊の隊員がいたので事態を説明して、ヘルフリートが案内して調査に向かった。残った俺たちは、お前も傷がひどいわけではないからとにかく王都へ運ぼうと、出発した。王都に着いたのは夕方だった。この屋敷にお前を運び込んで、それから医者を呼んで、というわけだ」
「ん」
「夜遅くなって、ヘルフリートが到着した。お前たちを見つけた付近の林の奥に、小屋を発見したと。お前たち、そこに連れ込まれたということでまちがいないんだな?」
「ん」
「調べたところ、地下室に二人の男の死体が倒れていた。階段と床に小さなものが這いずったような跡があった。ルートがミリッツァを背負って這って出てきた、ということなんだろうな」
「ん」
「そこまでは想像がついたし、ヘルフリートが見て二人の死体は例の賊でまちがいない。それはいいんだが、不思議なことがあった。二人の死因が分からない」
「え」
「警備隊隊員が調べても、外傷は見つからないっていうんだな。病気や毒で死んだというような顔色とか症状のようなものも、明らかなものがない。結局分からないまま、王都に運んで調べることにしたらしい」
つまり『光』が貫いた痕は、小さ過ぎて見つからなかったらしい。もし目に留まっても、小さいちょっとした傷程度で、死因とは思われない、ということか。
「何も痕跡が見つからないなら、心臓が麻痺したせいかということにでも結論づけるしかなさそうだ、という話だ。二人一緒に、ということではとうてい信じられない話だが、他に考えようもない。赤ん坊二人が何かできたとも思われないしな。つまりあいつら、お前たちの目の前で突然倒れた、ということになるのか?」
「……ん」
肯定しても、まあ完全に嘘をついたということにもならない。
目の前で突然倒れた、という現象だけは、事実だ。
「それは衝撃だったろうな。それからミリッツァを背負って、階段を登って脱出したわけか。前からお前がそんな練習をしているのは見ていたけど、四つん這いで何歩も進まないうちに潰れていたじゃないか。よくそんな、階段を一階分登るなんてこと、できたもんだ。感心するよ」
「ん」
「ああ、あと重大なことがあった。あの賊の一人、ヘルフリートがよく見たら、知った顔だったという。口髭を剃っていたのですぐには気がつかなかったが、例のディミタル男爵の懐刀と言われていて逃亡していた、デスティンという男だったと」
「そうなの?」
「それともう一人の方は、持ち物などからダンスクの人間じゃないかと判断されている。想像できるところでは、一度ダンスクに逃亡したデスティンがそこでもう一人を仲間にして連れてきて、こっちで何かを企んだのではないか、ということだな」
「あいつ、ぼくを、おとうとだからひとじちにする、いってた」
「弟だから?」
「ん。がきをおびきだす、ひとじちって」
「つまりお前を人質にして、俺を誘き出す、もしかすると俺の命を狙ったかもしれない……」
「かも」
「うーーん……」
もし兄の命を狙う目的があったのだとすると、こちらは今後もそれを想定して警護などを考える必要がある。
今回の実行犯二名が死亡したとは言え、他に仲間がいなかったかどうかは分からないのだ。
しかも、ダンスクの人間がどの程度これに関与しているかも、まったく不明だ。
もし力を持った貴族や、最悪国家単位で関係しているとしたら、そのつもりで対策を考えなければならない。
国家単位など大げさに過ぎるように聞こえるが、エルツベルガー侯爵から示唆を受けたように、兄と僕がこれまでしてきたことがそのままダンスク政府に伝わったとしたら、国家利益のためにその排除に乗り出すこともまんざらあり得ないとも思えないのだ。
しかし、問題は。今の僕の証言を兄以外に伝えることができない点だ。
他の点も合わせて今回の事件では、実行犯二名が死亡して、その詳細を知る者が物言えない赤ん坊二人だけになってしまっている。
「そうだとしても、これは俺だけで承知しておくしかない。他の人には何らかの形で、可能性だけ伝えていくしかないだろうなあ」
「う……ん」
いいのだろうか。
真剣に考察しようとしていると、それを遮るものがあった。
「ふあ……むう……」
背中の方から小さな掌が伸びてきて、僕の頬を撫でる。
その手を掴んで振り返ると、しょぼしょぼしていた妹の目が一瞬で丸くなった。
「るーた」
「……はよ、みりっちゃ」
「るーた! るーた!」
穏やかに朝の挨拶をしようとしたのだが。
いきなりミリッツァは僕の顎下に頭をぶつけて、両手で抱きついてきた。
「るーた! るーた!」
「みりっちゃ?」
当惑して、兄を振り返る。
兄も困ったような、微笑ましいような、複雑な顔になっていた。
「昨日から、お前の傍を片時も離れようとしないんだ。いつものくっつき具合とはまた別に、お前が目を覚まさないのを心配して、としか思えない様子でさ」
「みりっちゃ……」
「るーた、るーた……」
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