第16話 赤ん坊、狩りをする
「こないだ来て、あっちの方、野ウサギが多いと思ったんだけど」
「そう。そんな見当さね」
ディモと言い交わして、分かれ道の左側を兄は選択した。
しばらく進んで、
「いた」
ディモが囁く。その視線を追うと、わずかな窪地を挟んだ先、枯れ葉の積もる中に茶色の小動物がうずくまって見えた。
野ウサギだ。
きょときょと頭を上下して、慌てるようでもなくこちらを見ている。
ウサギと呼ばれるわりに耳の長さは少し目立つ程度、大きさはへたすると僕に匹敵するかもしれない。
「さっきみたいに人の近くに現れるときは腹立つくらいすばしこいし、あいつらこっちの弓の加減知っていて、射程の外だとあんなにのんびりして見せるさ。それでいて、もう少しでもこちらが近づいたら、あっという間に隠れちまう」
「本当に、腹立つさなあ」
父子が、囁き合っている。
「ゆみ、とどく?」と囁きかけると、兄は首を振った。
「俺の弓だと、距離を半分に縮めないと無理だ。ディモは?」
「俺だともっとだ。三分の一くらいじゃねえと」
「それ分かってて、あいつのんびりしてみせてるわけか」
二人の言い交わしに、アヒムが憤慨の声を加えている。
「あ」とディモがすぐ、小さな声を続けた。
「あっちにもいる」
指さす先は今の一羽より少し左、やっぱりこちらとは同じ程度の距離を置いて、黒ずんだ顔を揺らしている。
「その向こうにもいるな」
「ほんと腹立つさなあ」
目を凝らすと、最初の茶色の陰にもう一羽、あとの黒の陰に二羽程度見え隠れしているようだ。
父子が黒の方を睨みつけているのを確かめて、僕は囁いた。
「くぼち、はいれる?」
「入れそうだが、すぐあいつら、逃げちまうだろうな」
「あいじゅ、すぐはしって、ゆみ」
「え?」
茶色とその陰の白、位置を測り。
僕は手を差し伸ばした。
刹那、二羽が相次いで躍り上がり、
「いま!」
肩を叩くと、ためらいなく兄は駆け出した。
瞬く間に距離の半分を詰めて、枯れ葉の上に丸まった茶と白に、引き絞った弓から連射。
どちらも命中して、二羽は悶絶した。
「え?」
「え?」
「え?」
背後の父子はもちろん、実際弓を引いた当人も、呆然の声を漏らしている。
「当たったと?」
「ウォルフ様、すげえ!」
「あ、ああ」
続けざまの賛辞に、まだぼうっとした声を返し、二人とは距離ができているので安心して囁きを入れてくる。
「何だ、今の?」
「カゴの『ひかり』」
「え?」
「しぇちゅめい、あと」
「……ああ」
歩み寄っていくと、二羽の野ウサギは絶命していた。
両手に抱えて戻り、父子の手を借りて血抜きを行う。
「ほんとにすげえ、ウォルフ様、当たるなんて思わなかったさ」
「ウォルフ様、何やったんさ?」
「うん、その、『風』の加護の弓技だ。騎士の研修で鍛えた」
「へええ、すごいもんさねえ」
獲物はアヒムの背負子に収めて。
三人はまた、身を屈めて辺りを窺った。
しばらくすると、また複数の気配が感じられてきた。
「右に三羽、左……も三羽、かな」
「ディモは左、頼む」
「は」
父子が左に目を向けた、隙に、僕は右に手を差し向ける。
次々、三羽が躍り上がり。
すかさず兄が走り出し、連射。
丸まる三羽に、すべて命中。
「わあ、また、ウォルフ様すげえ!」
そんな猟を続けて、二刻程度で兄は二十羽近くの野ウサギを仕留めていた。
アヒムの背負子だけで足りず、三人が両手にぶら下げて、ほぼ限界の数だ。
「いやあ、脱帽ですわ。ウォルフ様、騎士の技、本当に素晴らしい」
「すげえ、ただただ尊敬さ」
父子の称賛に、兄はただ苦笑いになっていた。
「俺は二羽もらって帰るから、残りは村に配ってもらえるか?」
「おお、もったいねえ。いや、ありがてえ」
ディモはまるっきり拝むような格好になっている。
実際、村のみんなに獲物を配ると触れ回ると、拝むほどに喜ばれた。
年に何度あるかどうかの肉の配給なのだ。
「ありがてえ、ありがてえ」
「すごいよ、ウォルフ様」
口々に賛嘆されて、兄はすっかりくすぐったそうな顔を歪めている。
「雪が降る前にあと二三回は森に入れると思う。期待されすぎても困るが、この二三倍の量を冬の間保存して使えるように、みんなで算段してもらえるか?」
「分かりました」
「任せてくだせえ」
二百人以上の一冬分の量と考えるとほんの微々たるもののはずだが、村人たちはひれ伏さんばかりに感謝してくれていた。
屋敷に戻って二羽の獲物を見せると、料理人ランセルは踊り出さんばかりに感嘆し、執事のヘンリックまで日頃の冷静さを忘れた興奮を見せていたらしい。
僕を森に連れていったのではないかという疑惑を誰も気がつかないほど、それは驚嘆の出来事だったようだ。
野ウサギだけでなくクロアオソウも以前より楽に安定して収穫できるようになる、と兄が報告すると、母は泣き出しそうに感激していたという。
その日の惜しみなく肉と野菜を使った夕食では、「ウォルフの愛が籠もった味がする」と、いつもの小食さが嘘のような勢いで笑顔を見せていたそうだ。
使用人一同も相伴に預かって、ほとんどお祭り騒ぎの様相だったとか。
この辺の経緯が完全に伝聞になってしまったのには、わけがある。
僕は屋敷に着く前に兄の背で眠りに落ちて、その日の夜が更けるまで目を醒まさなかったのだ。
とろり目を開くと、ランプの灯が横から差していた。
見ると、机に向かった少年の座り姿。
僕が寝ているのは、どうも兄のベッドらしい。
「お、目、醒ましたか」
「……ん」
「心配したんだぞ。夕方からずっと眠りっ放しだったんだから。大丈夫か、どこか辛くないか?」
「ん」
「みんなは、初めての遠出で疲れたんだろうって思ってくれたみたいだし、俺もそう思いたいんだけどさ」ずいと身を乗り出して、兄は僕の額に手を当てた。「まさかお前、加護の使いすぎで気を失った、とかじゃないだろうな」
「……ふめい」
「……まあ、そうだよな。自分じゃ分からないか」
椅子をベッド脇に寄せてきて、はああ、と兄は大きく息を吐いた。
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