第14話 赤ん坊、常識を知る 2

 この国の名は、グートハイル王国。

 元首たる現国王は、シュヴァルツコップ三世。当年三十七歳。

 国土は東西に長い大陸の中央付近にあり、南は海に面している。

 国の中央部に王都と王領が集中し、その他は爵領となっている。

 爵位は高位から順に、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵。

 すでに知っているように、我が家の名は、ベルシュマン男爵。爵位の中では最下位だ。予想してたけど。

 ただ、数ある男爵の中には領地を持たず王宮などで仕えるだけのものもいるので、それよりは上位ということになるのか。

 なお厳密な意味で貴族と呼ばれる階級はこれらの爵位を持つものだが、貴族の子弟出身で騎士団員や貴族の使用人などの職に就いている者も多い。ヘンリックやベッセル先生がこれに当たる。

 ベルシュマン男爵領は、国土の中ではただ一つ北に突出した、北西の端。

 北と西はずっと先が隣国ということになるが、その間に大規模な山脈が貫いていて、ほぼ人間の通行は不可能。国境から攻められるなどの心配もないが、交易などの利点もない。

 南東は大きな森を挟んでディミタル男爵領と接している。

 南は大きな湖の間を縫ってロルツィング侯爵領を経た後、王都に通じている。

 領としては、かなり小さい。正方形が少し丸みを帯びたような形で、南北、東西、それぞれ人が歩いて二刻(一時間)ほどの距離だ。

 人口は二百人あまり。

 主産業は農業。わずかに、林業や猟師と兼業。

 主要農産物、白小麦、黒小麦、クロアオソウ、ゴロイモ。


 これくらいが、公式な情報。

 あとは、言わばぶっちゃけ話、ということになる。

 ベルシュマン男爵領、人口二百人あまり、主産業は農業。

 ぶっちゃけ、税の上がりだけで運営できるはずもない。

 主要農産物、白小麦、黒小麦、クロアオソウ、ゴロイモ。

 このうちまともに他で売り物になるのは、白小麦のみ。これだけを作り続けることができればまだいいのだが、連作ができないので毎年農地の三分の一ほどで栽培し、残りを他の作物に当て、年ごとに回しているらしい。

 収穫の現実と関係なく農地面積で国税が課せられているので、毎年の白小麦全量を税としてぎりぎりという現状。

 ふつう、爵領での領主の役割は、領民から徴収した税を国に上げる分と自分の取り分に分けることだが。うちの場合は結果的に、収穫した白小麦をそのまますべて国庫に納める、ということになっている。この過程で、領主の取り分ゼロ。

 残ったほぼ売り物にならない作物から領税として納めてもらうが、領民の食糧事情を考えてのこととなるので、ほとんど慰め程度の量としかなっていない。

 では男爵家の生活費などはどうなっているかというと、男爵本人が王宮で就いている仕事の、言わばサラリーがすべてだ。


――貴族家だと思っていた家の実体がサラリーマン家庭だったという、この衝撃!


 兄もその辺くわしくないようだが、王宮ではナントカ公爵たる宰相の下で、事務担当のようなことをしている模様。

 人後に落ちない愛妻家の父としては好きで領地を離れたくはないのだが、背に腹は代えられない。

 泣く泣く、月に一度帰ってこられるかどうかの単身赴任に甘んじている現状だという。


 閑話休題それはさておき

 それに加えて、ここのところ三年ほど不作が続いている。

 最初の年は、それでも国が状況を考慮して税率軽減してくれたため、ぎりぎり収穫した白小麦全量で何とか足りた。

 しかし昨年と今年は、税率軽減されても白小麦だけでは不足。

 国税は現金か白小麦かしか認められていない。領内の他の収穫物は、ほぼ売り物にならない。

 ということで、税の不足分は領主たる男爵が別途用意した現金で納める、という結果になった。別途用意した現金――つまりは借金だ。

 三年連続の不作は、領主の経営能力不足、という評価にもなっている。

 有り体に言って、「もっと冷害に強い作物や売り物になる作物を作らせればいいじゃないか」ということだ。

 しかしこれが、無理筋なのだ。

 この世界、先に挙げたうちの主要農産物以上に寒冷地向けの作物など存在しないのだ。いや、本当にないのかどうかは不明だが、男爵が血眼になっていろいろな資料を調べても、未だ見つからない。そもそも自領以上の寒冷地は他にないのだから、他に研究者がいることはほとんど望めない。

 だいたい、黒小麦やゴロイモなど、農家が作りたくて作っているものではない。これ以外作るものがないというのと、作る気がなくてもその土地に生えてきてしまう、というものだそうだ。

 白小麦は全国的な主産物だが、北へ行くほど収穫率は悪化する。それとともに、何故かいつの間にか別種の小麦が紛れ込む率が高くなる。それが、黒小麦だ。

 主食となる白小麦は、固く焼いたパン、麺類、汁物に入れる団子、などとして使われる。

 黒小麦でも、同じ使い方はできる。しかし、不味い。パンは白小麦のものよりさらに固くなるし、麺や団子では感触ぼそぼそ、さらに独特の匂いが残る。そういうものだから、他領や王都ではまず売り物にならない。

 しかしそれでも、食べること自体はできる。というより、うちの領の農民にとって、他に食べるものがないのだから、食べる。

 秋に収穫して冬を越した頃になると、ますます固さも風味の悪さも増大する。それでも、食べるしかないのだから、食べる。それがうちの領の実態だ。

 ちなみに、僕が初めてキッチンで見た、黒ずんで固く見えるパン、それがこの黒小麦製のものだ。当然ながら、領主邸でもこれしか食べるものがないのだ。まだ乳離れしていない僕は、今のところこれを口にする栄誉に浴していないわけだけど。


 兄の説明を聞くうち、僕はだんだん自分の視線が落ちていくのを自覚した。

 最終的には、自分の両膝に肘をついて頭を抱えるという、愛らしい赤子としてあるまじき姿勢に固まっていた。


「……まじ、しゅか」

「マジだ」


 まあ、先に『領民が餓死寸前』という情報を得ていたわけだから、それを上回る衝撃、というほどではない。

 しかしある意味、問題の深みは増している、とも言える。

 この冬を越えたらすべて問題解決、というわけじゃないのだ。


「しゃっきん?」

「父上は正確なところを教えてくれないんだがな。並大抵の額ではないと思う。ここ数年の税不足の穴埋めに加えて、かなり前から領内の公共整備のようなものはすべて、男爵家の持ち出しで行っているみたいなんだから」

「わ……」

「たとえば今年の春には、野ウサギの害を防ぐために森の前に防護柵を作っている。これも全額我が家の負担だ」

「わ……お」

「しかもさらにそれ、この秋にはますますの野ウサギの増加と進化か何かのせいらしく、たびたび柵を越える固体も見られるようになっている」

「はあ……」


 ますます、頭を抱えるしかない。


「でかせぎ……」

「うん? ああ、うちの領民が雇ってもらえないってやつか。それが?」

「げんいん」

「うん」

「けんと、ちゅかない?」

「ああ……」


 何か渋いものでも食べたような顔で、兄は首を振った。


「父上は何も教えてくれないんだけど、騎士合宿で聞いた噂レベルでな」

「ん」

「父上が借金している相手の一人が、どうも、ディミタル男爵らしい」

「えと……きのうの?」

「うん、東の森の向こうが領地だな。その相手に父上は、かなり厳しい条件をつけられているっていうんだ」

「ん」

「来年秋までにある程度返済できなければ、利息代わりに、東の森全体を含む土地と、領地の徴税権の一部を譲らなくちゃならないらしい」

「え……」

「とんでもないだろう?」

「ん。……れも、ちょうぜいけん?」

「ああ。まあうちの場合実質領税はとれていないんだから、何のうまみがあるかって話だけどな。だけどもしもそうなったら、領主の面目丸つぶれだ」

「だろ、ね」

「で、そのディミタル男爵、父上よりかなり社交上うまく立ち回るって評判で」

「あ……」

「うちの領民の出稼ぎ先あたりにも、けっこう顔が利くらしい」

「う……」

「……とか、いろいろ想像はできてしまうんだけど、何も証拠のないことだからなあ」

「だ、ね」

「しかし昨日の態度を見たところじゃ、あの男爵、もうすっかりうちの領地をもらったつもりになっているんじゃないかって感じだな。来年になっても返済は無理だろうってことを、堂々と確かめに来たんじゃないのか」

「うう……」

「あんな無礼な真似されて、悔しい思いしかないんだが。勝手なことできないしな。その借金絡みで、父上も強いこと言えないのかもしれないし」

「ん……」

「悔しいが、とりあえずこっちで打つ手はなさそうだ」


 そっちは考えてもしかたないのか、と思いながら、頭に描いた地図は、東の方を向いている。

 どう考えても、東の森と野ウサギについては、避けられない問題だ。


「もり……」

「東の森か?」

「なに、いる?」

「何って、動物か?」

「ん」

「野ウサギの他に野ネズミ、危険のあるところじゃオオカミ、見たことはないけどクマもいるそうだ」

「オオカミ……」

「それがどうした?」

「たべりゅ? ウサギ」

「あ? ああ、オオカミはウサギを食べるだろうな」

「ウサギ、なぜ、ふえた?」

「それは、分からない」

「オオカミ、へった?」

「それは知らな……ああ、そういうことか」

「ん」

「ウサギを食べるオオカミが減ったら、ウサギは増える。そういう理屈だな」

「ん」

「確かに、森にいる動物でいちばん野ウサギを食べそうなのは、オオカミだものな。調べてみる必要はありそうだ」


 うーん、と兄は腕組みで唸る。

「もう昼近いか」と呟いて、立ち上がり、窓に寄って木の板を開いた。

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