新月にレクイエムを

東美桜

第1話 新月の夜の暗殺者

 ――銀色の光が喉を貫く。シュシュで二つ結びにした赤毛がなびく。私は男の喉元からナイフを引き抜くと、びゅうびゅうと音を立てて噴き出す血飛沫を軽く身を捻って回避した。筋骨隆々の身体がびくびくと痙攣し、血を吐きながら倒れ伏す。それを見届けると、私は次のターゲットに視線を移す。別の男が構えた拳銃をナイフ術で叩き落すと、正確無比な一撃で首を切り落とした。即座に身を翻し、腰のホルダーからスローイングナイフを取り出すと、背後をとろうとした男の心臓を狙って投擲する。バック転でその場を離脱すると、次の――最後のターゲットを視界に捉えた。腰を抜かして震えている幼い少年。縋るような眼をしているが、残念。助けを求めるべき相手などいない。

 そう、私に――『特課』の人間に慈悲はない。

 この光の差さない、新月の夜のように。

 聖母のような笑みを浮かべ、少年に駆け寄ると――恐怖に引き攣るその顔を、一撃で胴体から切り離した。一瞬で痛みに歪んだその顔に、私は視線を向けない。

 間もなくこの廃ビルには火が放たれるだろう。それより前に、離脱しなければ。



「お疲れ様です。優梨ゆうりさん」

「こちらこそ」

 派手なウェーブを描く黒髪が冷たい風に揺れる。指先で銀色のハサミが弧を描く。とうに落葉した街路樹にもたれかかっているのは、同業者の菜摘乃なつみのいつきだ。暗殺集団『プレアデス』の実質的リーダーを務める彼の言葉に、私は表情を変えないままに呟く。幼いころから受けてきた『教育』は、私たちから笑顔を奪った。しかし、それはきっと正しい。菜摘乃はそれに関しては何も言わず、私を見つめると、不意に破顔した。

「いやぁ、やっぱスゲェっすね、『特課』の人間は! あんだけの規模の組織をほとんど一人で全滅させるなんて。俺の助力なんて要らなかったんじゃないですか?」

「……どうかな」

 焦げ臭い匂いが漂い、煤けた窓の向こうに赤い光がちらつく。……どうやら、成功したようだ。だけど、私はあえて逆のことを口にする。

「失敗は誰にでもある。それが今じゃないという保証は、誰にもできない」

 その言葉に、菜摘乃は笑いながら首をかしげた。呆れたように、それでいて尊敬するように。

「やっぱ慎重ですねぇ、優梨さんは。だからこそ、ここまで上り詰めたんでしょうけど」

 彼は私の全身を眺めまわしながら、口を開く。


「――政府直属の極秘の暗殺機関『治安維持特務課』、通称『特課』の構成員。身寄りのない子供たちのうち、素質がある者だけを選別して引き取る暗殺者養成機関『新月寮』に育てられ、暗殺者となる」

 乾いてこびりついた血のような、深い紅色の髪。それを肩に垂らし、黒のシュシュでゆるく二つ結びにしている。

「『新月寮』でその才能が開花し、18歳で『特課』の正規構成員となる。その中でも特にエリートとされる暗殺部門に所属し、23歳になった現在に至るまで数々の戦果を挙げている」

 黒無地のノースリシャツに胸部プロテクター、二の腕から手首にかけてを覆うアームカバー。黒いショートパンツにレザーブーツ。腰にはナイフをはじめとした武器を仕舞うホルダー。

「『特課』といえば、俺たち一般の暗殺者からすれば正にエリートなわけですよ。幼少のころから訓練積んで、エリート街道歩んでるんですから。おまけに政府に認められた公式の暗殺者だから、警察サツの影に怯えることもない。羨ましいったらないですよ」

 無邪気にヘラヘラと語る菜摘乃に、私は軽く息を吐く。彼は『特課』の人間と会うたびに同じ話をする。憎めない人間ではあるが、飽きる。

「……そこまでいいものでもないさ」

 私は興味なさそうにつぶやき、再び建物に視線を移した。


 焦げ臭い匂い。パチパチと焚火のような音。赤い輝きが新月の夜を照らす。

 きっとこの廃ビルは、明日の朝には無残な姿になってしまうだろう。

 そして私は『特課』の人間。警察に話は通してある。『特課』の人間が起こした暗殺事件は表沙汰にはならない。報道にも規制がかけられ、このことはただの火事として処理される。

 ――このビルを根城にしていたのは海外から密航してきたテロ組織だという。しかし、日本を狙ったのは間違いだったな。日本には『特課』がいる。国家に仇なすものをすべて切って捨てるために生まれた、『特課』がいる。

 そして、『特課』に情けなどない。

 『新月寮』に引き取られたその瞬間から、『希望などない』と教え込まれたのだから。


 私は薄い唇を開き、旋律を紡いだ。焚火を、あるいは松明を思わせる音を伴奏に、私は誰にも届かない歌を歌う。

 神よ、永遠の安息を彼らに――。

 もっとも私は神など信じていない。そんな都合の良い存在がいるのなら、『特課』など不要だろう。それをわかっていて、私は死者を冒涜するように歌う。

 死者に情など不要。国に仇なすものは、すべて切って捨てろ。

 それが、『特課』の使命なのだから。


 一通りの旋律を歌い終わると、振り返る。菜摘乃と、廃ビルに火を放った少女。二人は何も言わず、廃ビルを眺めている。そんな二人に歩み寄り、私は口を開いた。

「――さぁ、いつまでもここにいたって仕方ない。明日の九時から『特課』拠点で報告をするから、間に合うように」

「わかってますよ。それじゃ、また明日」

「じゃあな」

 菜摘乃と、彼によく似た少女は身を翻し去っていく。それを眺め、私は空を見上げた。星が無数に瞬いている。けれど、そこに月はない。

 私はそんな星々からそっと目を背け、『特課』拠点へと歩を進めた。

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