第24話・不意の発熱

 私は静かに母の寝室に戻り、部屋に鍵をかけた。


 今日はなぜか、心身ともにとても疲れていた。昨夜十分に眠れなかったから?それとも今日余計なことを考えすぎたから?でもいくら頭の中が混乱していても、王家学術能力テストの受験問題はまだはっきりと頭に浮かべられた。


 もう2年も前の内容になるが、王家学術能力テストの内容が非常によかったので、テストを受けた後に何度も復習して、既に脳内に刻まれたものになっていた。


 明日のテストで身を引くこともできなければ、わざと低い点を取ることもできない。やはり全力で行こう!


 今日の状態では、さすがに復習はできそうにない。まるで、どうしようもない疲労感が私を夢の中へと引きずり込もうとしているようだ。


 ロキナに早めに風呂の用意をさせ、明日のテストを迎えるために早々にベッドに入るしかなかった。


 「お嬢様…お体の具合が優れないのでしょうか?」


 ロキナは心配しそうに聞いていた。


 「ううん、ただ疲れが溜まっているだけだと思うの。明日起きたら良くなるはずだから、心配しなくていいよ」


 実際熱は出てないと思うから、ただの心身疲弊かな…


 「かしこまりました…ではおやすみなさい、お嬢様」


 ロキナは灯りを消してから部屋を出た。部屋の中はすぐに暗闇に包まれて、重たい疲れと眠気が私に襲いかかって来たが、どうしても冷静にはなれなかった。


 既に閉ざされた瞼の裏側に、殿下の一瞬の不快な表情と、前世でカシリアがエリナといた時の暖かな微笑みが映し出された。いくらその表情をただの勘違いだと思いたくても、経験が自分をごまかすことを許さなかった。エリナと同じことを言ったはずなのに、正反対の評価を得たことが受け入れられなかった。


 いくら人生をやり直せたとしても、手に入れられないものがあるというの?


 悔しい…


 公爵令嬢として最上級の教育を受けてきた自分が、あの平民出身で我流で礼儀のない女と比べて、一体何が足りないというの!?


 答えを得られないことはわかっていても、この混乱した思考の塊を追い払うことができなかった。


 窓の外の朧月を眺めながら、私はなかなか眠りにつけなかった。明日が王家学術能力テストだというのに…


 どうしていつもこう…思い通りにならないの。


 「…リリス様、もうお時間ですよ」ロキナの声が私の耳元で響いた。


 いつの間にか眠っていた?よく覚えてないが、でも心と体の疲れは昨夜よりも更に増していて、まるで巨石を背負わされたかの様に重く感じていた。私はどうにかして手足を動かして、力を取り戻そうとした。


 「…ああ、今…行くわ」私は辛うじて言った。


 「…お嬢様?お体の方は大丈夫なのですか?かなりお疲れのように見えますが」


 ロキナは私を心配そうに見ていた。


 額を触ると、少し熱いような気がした。


 「多分…少し熱があるかも。今日は放課後に医者に診てもらうかもしれないから、予約しておいて」


 今日はテストなので、今すぐ医者に行く時間はない。


 「あのう、お嬢様、もしご体調が…あっ、申し訳ございません。」


 ロキナはテストのことを思い出し、最後まで言わなかった。


 「いいのよ、ひどい熱じゃないから、学校が終わったらすぐ戻るわ。」


 「…かしこまりました、お嬢様。どうか無理をなさらないで下さい。医者の予約を済ましてから、迎えの馬車に同行させて頂きます」


 ロキナは心配で青ざめていた。


 「ありがとう。ロキナがいてくれればもう何も心配することはないわ。」


 私はなんとかして笑顔を作った。


 いつもどおりにさっさと身支度を済ませたが、ロキナが用意してくれた好物だらけの朝食は美味しく感じられず、最終的には無理やり飲み込んだ。


 私は時間通りに馬車で学院についたが、混乱した頭脳と偏った方向感覚、重い手足が一歩一歩を苦しめていた。それでも他人に気づかれないように、いつものペースを守った。


 「リリス様、おはよう!」


 もうすぐ誕生日を迎えるファティーナ・カマンリ伯爵令嬢が正面からやって来た。いくら歩くことだけで精一杯だとしても、今は優しく笑ってみせないといけない。


 「おはよう、ファティーナ」


 「もうすぐテストね、本当に緊張しますわ!生徒会に入れるといいですね。そうしたら、リリス様と一緒にお仕事出来ますから!」


 「緊張することはないわ。ファティーナさんの学力なら、いつもどおりにできれば、生徒会に入ることは確実よ」


 ファティーナは出身をとても重んじる貴族令嬢。同じぐらいか自分より上の出身の人とは上手く付き合えるが、男爵や平民など身分の低い者が相手だと、あからさまに距離をとる。


 前世でのファティーナは生徒会の一員だったが、平民出身の書記ロタシが不満で口論が絶えず、最終的にはファティーナの辞任に終わった。


 本当に残念な結末としか言えないが、恐らく今回も同じ結末になるのだろう。


 「リリス様がそう言ってくださると心強いわ~」


 ファティーナは嬉しそうに笑った。


 「ええ、一緒に頑張りましょう!テストまで少し時間があるから、本でも読んだら如何かしら。」


 これ以上ファティーナと話すのは無理なので、私は適当に理由をつけて急いで会話を切り上げた。


 テストが始まろうとしていた。カンニング防止のため、受験者は其々の指定席でテストを受けることになり、私の席はちょうどカシリア殿下の隣になった。


 「…おはようございます、殿下」


 私は必死に自然な笑顔を作り、裾をもって殿下に礼をした。


 「おはよう、リリス」


 カシリアは僅かに顔をこちらに向けたが、まるで私の存在を全然気に止めていないように見えた。


 私はそんな細かいことに構う余裕もなく、ただゆっくりと腰を下ろし、テストの準備をしようとした。


 「…リリス、具合でも悪いのか?」


 殿下は突然私の方を向いた。


 「殿下…?」


 おかしい、気づかれるような行動を取っていないはずなのに、なぜ殿下はそんな質問をするの?


 「お気遣い頂きありがとうございます。恐らく受験勉強で疲れたせいだと思いますが、テストに支障が出るほどのものではありません」


 私は優しく微笑み、言い訳を作った。


 「そうか…お大事に」


 殿下は無表情にお世辞を返した。


 「…はい」


 殿下は一体何を考えてたの?なんで急にそんなこと言ってくるの?彼の無表情からは、今の会話の意味を何一つ見つけられなかった。


 そしてテストが始まり、教室内はすぐに緊張の空気で満たされ、筆を走らせる音ばかりが聞こえてきた。何も余計な雑音がなく、皆が皆より良い成績を取るために尽力していた。


 出題内容は2年前と全く同じで、私にとってこれはただの答え写し。いつものスピードなら、この1科目60分間のテストは20分あれば十分に満点を取れるでしょう。


 しかし、今日の頭の回転速度は明らかに遅く、意識を保つので精一杯、時折襲いかかってくるめまいに対し、私は手で額を支えていた。


 全科目満点か、それは前世でも達成出来なかったが、そんな成績をとれたら、父上はどれほど喜んでくれるのかしら?熱がなんだって言うの、ここが私の踏ん張りどころよ。


 午前中は3教科連続の試験、まるで時間が何百倍にも長くなったかのように、1分1分が拷問のようにだった。私には時間前提出をする習慣がない。そんなことをしたら、同じ教室で受験する人の気分を害することになるし、何よりカシリア殿下に対して失礼にもなる。だから私は問題を解答し終えてからは、何度もチェックを繰り返してテストの終わりを待った。1科目目でのたまに頭を支える状態から、2科目目では常に支える状態になり、そして3科目目になると、殆ど全身の力を使い切ってしまい、息切れさえしていた。


 「リリス様…大丈夫なのかい」


 試験監督の教授にまで、異常に気づかれ、体調を聞いてきた。


 「大丈夫です。ただの熱なので、このテストが終わったらすぐ医務室へ行きます。問題ありません」


 私は無理に声に出して答えた。


 「…」


 殿下より時々目線が送られてきた。どうやらかなり気になったらしい。


 私の不調が殿下の邪魔になったのなら、本当に申し訳ないことをした。


 ジリリリリリ。受験終了の鐘がなり、テストが終わった。


 「リリス様、大丈夫ですか!」


 四方から寄ってくる貴族少女達は、皆私の体調を心配してくれた。


 「すみません、少し熱があるみたいで、医務室まで付き添ってくれる?」


 一人ではまともに歩くことすらできないことに気付き、私は彼女らに頼むしかなかった。


 「勿論、是非ご同行させて下さい」


 …


 …


 そういうわけで、私は大勢の貴族たちと廊下を移動した。その真ん中でファティーナに支えられながら歩く姿はとても目立っていた。


 医務室に着くと、ちょうど医学教授、カロリン・ミセシル子爵がいた。


 「みなさんここまで付き合ってくれてありがとう。もう私1人でも大丈夫よ。午後もまだテストがあるので、みなさんは早めにお食事や午後の準備をして下さい」


 もともと彼女らが群れてくるのが好きなわけじゃないし、私のせいで彼女らの成績が下がると困る。


 「リリス様、私は残って看病したい」


 ファティーナは私を支えながら心配しそうにしていた。


 「でも…分かったわ、ありがとう」


 「リリス様、熱を出しているそうですね。では早速体温を測って見ましょうか?」


 私が何かを言う前に、カロリン子爵は優しく話しかけてきた。


 医務室のベッドで横になると、カロリン子爵は私の脇に水銀管を置いて体温を測り始めた。


 「38.4度、これはかなり高熱ですね。他にどこか具合悪いところはありますか」


 「えっと、今まで何度か発熱したことがあったんですが、今回は極度の疲労感があって、めまいがして胸が痛くって、息をするのも苦しくなりました。」


 「…この症状は…!?」


 カロリン子爵は頭を下げて少し考えた。


 「それでリリス様は最近…」


 カロリン子爵は何か言いたそうだが、結局何も言わずじまいだった。


 「カロリン子爵?」


 「…いや、そうですね、先ずは解熱薬をだしましょう。今学院内に特効薬がないので、一度王室薬局へ行かなくてはなりません。」


 「ありがとう、カロリン子爵。あのう、私の病気は複雑なのですか?」


 少し気になった。何かを隠しているそうで、私の病気とどういう関係なのかを知りたい。


 「…いいえ、そんなことはありませんよ。この病気の特効薬が王室にありますので、それさえ使えばすぐに元気になりますよ。ただしその薬を使う前に、体をよく休ませてください」


 そう言うと、先生は私に解熱薬を渡し、それを私が飲むのを見てから医務室を出ていった。


 この解熱薬の効果は素晴らしく、すぐに熱が下がるのを実感した。


 「長い時間付き合あってくれてありがとう、ファティーナ。私はもう大丈夫だから、あなたも早く食事に行って午後の試験の準備をしないとだめよ」


 「でもリリス様が…」


 「私ならもう平気、ほら触ってご覧、熱ならもう下がってきたから、早くいきなさい。私はここでひとまず休むわ。テストが始まる前に教えてきて貰うよ。」


 「わかりましたわ。ではごゆっくりして下さい。すぐ戻りますから」


 言い終わると、ファティーナはカーテンを閉めてくれた。これで誰からも私の弱った姿が見えなくなった。


 ファティーナが離れた後、私はずっと抑えてきた疲弊感に襲われ、あっという間に昏睡した。


 スススッ。 誰かが医務室にそっと入り、カーテンをそっと持ち上げ、リリスをまっすぐに見ていた。

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