第8話 了安

 囲炉裏に架けられた鍋が、ふつふつと音をたてている。

 独特な臭いのそれは、了安が薬を煎じているのだ。

 茶色っぽいその液体を、初音は、じっと見つめる。

「あまり、美味しそうではありませんね」

「左様ですな」

 つい、口に出てしまった言葉に、了安は苦笑した。

「美味しい薬など、ありませぬ。そもそも、薬は毒でもありますから」

 パラパラと別の葉を加え、了安は作業を続ける。

 引き戸が開く音がして、雷蔵が家の中に入ってきた。

 初音が治療をしている間に身を清めて着替えたのであろう。こざっぱりとした格好になっていた。

「雷蔵さま、そろそろ薬ができますから」

「ああ」

 雷蔵は、囲炉裏の傍に座った。

「すまんな。ここに来るつもりではあったのだが、ここまで迷惑をかけるつもりではなかった」

「いえ。まだ、私がお役に立てることがあって良かったです」

 ふっと了安が笑む。その笑みはどこか寂しいものに見えた。

「了安さまは、医学の心得がお有りのようですが、なぜこのような地におられるのです?」

 初音の治療の手際からみても、了安はかなりの腕を持つ医者のように思える。

「……さあて。まあ、事情はいろいろございますが」

 了安は、囲炉裏から鍋を下すと、煮立った液体を、ふきんで漉した。

「了安は、かつて、この国の御典医だった」

「御典医さま?」

 思ってもみない雷蔵の言葉に、初音は目を丸くした。

「昔の話です」

 了安は湯飲みに薬湯を注ぐ。あまり話したくはない、そんな雰囲気があった。

「それほど昔でもない。なにしろ、五年前の話だ」

 雷蔵は、話をやめる気はないようだった。

「五年前、お館さまが、病に倒れた。その時のことが原因で、了安はご城下を追放されたのだ」

「追放?」

 びっくりする初音に、了安は湯飲みを差し出しながら、軽く首を振った。

「私が申し上げたことで、お怒りを買いましてな。ああ、でも、命があっただけでもありがたいお話で、恨みつらみはございませんよ」

「……おだやかではありませんね」

 初音は眉根を寄せた。

「この年になっても、医学の道はわからぬことだらけ。私は、お館さまの病を治すことがかなわなかった。それだけなんですよ。ただ、私のことはともかく、雷蔵さまを巻き込んでしまったことは、本当に申し訳ないと、今でも思っております」

「俺のことは、気にすることはない」

 雷蔵は湯飲みの薬湯の湯気を顎に当てた。何か雷蔵にも事情があるようだ。

「……了安が治せないと言った病を、ふらりとあらわれた、計都けいとという僧が完治させたのだ」

「誰が治そうと、治ればよいのではありませんか? 罷免についてはともかく、追放は行き過ぎでは?」

「そのあたりは、いろいろ複雑な事情がある」

 雷蔵の表情が苦いのは、薬湯のせいか。それとも事情のせいなのだろうか。

「私は、お館さまに、隠居するように進言したのです。それゆえに、お怒りを買ってしまった」

 了安がそっと肩をすくめる。

「お館さまには、子がおりません。もちろん、後任の候補はおられますが、家中に勢力争いが起こるのは必定。私の進言でいらぬ騒動が起こるところでした」

「それは……そうかもしれませんが」

 それでも、隠居を進言しただけで、罷免だけでなく城下から追放というのは、やりすぎではないのか。

「正直に申し上げれば、ここでのわび住まいは、性に合っております。誰に気兼ねすることもなく、好きな時に起き、好きな時に寝る。ご城下にいた時には考えられぬ生活です」

 にこり、と了安は笑んだ。

「医者など、町医者であっても、昼夜問わずに仕事が入るもの。こちらのほうが、よほど人間らしい生活が出来ておりますよ」

 了安の言葉は、嘘ではないだろう。医者こそ、規則正しい生活をいつもできる訳ではないのだ。

 初音は、差し出された薬湯に口をつけた。

 苦い。

 苦みを、こらえて、飲み込むものの、湯飲みにはたっぷり残っていて、辟易した気分になる。

「あれほどの痛みを耐えられる方なのに、薬湯を飲むのは苦手のようですね」

 初音の様子を了安はおもしろそうに見ている。

「平気です」

 強がって、初音は残りを飲み干したが、あまりの苦さに、顔が歪んでしまう。

「俺は、平気じゃないがな」

 自分は既に薬湯を飲み終えた雷蔵は、立ち上がり、かめに汲み置きされた水をすくって飲んだ。

「水を飲むか?」

「……お願いします」

 雷蔵に問われ、素直に頷く。

 こんな所で意地を張っても仕方がない。

 差し出された水を飲むと、ようやく口の中の苦みが消えていった。

「それにしても、狩場から離れた場所に、窮奇が現れるとは」

 雷蔵は大きくため息をついた。

「狩場?」

「かの地がご禁足になっているのは、正確には、領主が狩りをするための山という意味だけではない」

「雷蔵さま」

 了安が首を振る。話すな、と言っているのだろうか。

「窮奇に襲われてしまった初音どのは、知る権利がある」

「しかし……」

 了安の表情は険しい。

「この国には、大きな秘密がある」

 雷蔵は、話し始めた。

「この国の領主となった者が、年に一度、封じなければいけない場所があるのだ」

 禁足地となっている場所の中に、星暗寺せいあんじという寺があり、その寺の奥に地下へ続く岩窟がある。その昔、この地を蹂躙した闇王を封じたものとされている岩窟だ。

 この地を開いた塩田しおた一族が、代々、その封印を守ってきた。初音も闇王のことは聞いた事がある。しかし、おとぎ話のように思っていた。

「とはいえ。封印は領主の精力を奪うもの。一つの封印で完全を期すると、命数を削ってしまうーーゆえに、封印は二重にして、負担を減らしているのだ」

 二つ目の封印は、星暗寺を管理する僧などが行っているらしい。

「封印は、毎年、年の初めに行われる狩り初めの時にしている。ゆえに、この時期は、封印が弱まってくることがあるため、狩場に窮奇のような闇の眷属が現れることが、まれにはあったのだが……」

「そのための、禁足地だったのですか」

 初音は納得した。

 幸い、山が険しいため、山に入って生計を立てる者もあまり入らない。特に今まで、問題は、起こらなかったようだ。

「お館さまは、狩りを好んでいて、実際に狩りをあの山でしている。それは嘘ではない」

 雷蔵は言葉を切った。

「先ほど、俺達が襲われた場所は、本来結界の外。あのような場所で、窮奇と遭遇してはならないはずなのだが……」

「父のことと、関係ありましょうか?」

 左門が起こした何かで、大切な結界が壊れるようなことがあったのだろうか。

「ああ、了安。おぬし、左門の行先に心当たりはないか? 事件を追っていて行方不明なのだ」

「左門さま? 四谷左門さまですか?」

 了安は驚いたようだった。

「父は謀反の疑いで追われていて、行方不明なのです」

「ああ、お嬢さまは左門さまのご息女でしたか。言われてみれば、似ておりますなあ」

 初音の顔を見て、了安は頷く。

「行く先ですか。数か月前は、この辺りを調査しておられましたね。特に、お館さまが狩りをされたかどうかを聞いていかれました」

「狩りは、年の初めだけではないか? 今年は招集はかかっていないぞ」

 雷蔵の顔は意外そうだ。

 領主の狩りというのは、城をあげての行事であって、横目奉行の雷蔵が知らないということはない。警備の面からも、ただの『お遊び』で山に入るというわけにはいかないのだ。

「私も、ここに来るまではそう思っておりましたが。時折、狩りをなさっているようです。火縄の音などが聞こえてくることもありましたし」

「火縄の?」

 領主以外の立ち入りは禁止されているため、猟師が入り込む可能性は低い。とはいえ、獣の数が多いこともあって、全く入らないとはいえないが。

「お忍びで来られているのではないでしょうか。もともと、狩りの好きな方でしたから」

 了安は肩をすくめる。

「今、お館さまのまわりで、苦言を呈するような人間は、四谷さまくらいでしょうから」

「まあな。しかも、剣術指南役の左門では、止められるものでもないか」

 ふうっと雷蔵がため息をついた。

「父は、人さらいの調査をしていたのですよね?」

 初音の中で、情報が消化できない。

 闇王の話、封印の話。そして、領主である塩田玄治が、お忍びで狩りに来る話、その全てが、まったく人さらいの話とつながらない。

「実際に何をどうしたかは、わからぬが、ここならば、人の目が少ない。人さらいが何かするにはもってこい、そう考えたのかもしれない」

「このようなところで、人身売買の受け渡しとかをしたということですか?」

「人身売買なら、まだましかもな」

 雷蔵は眉根をよせた。

「了安、お館さまが狩りに来られるのは、どれくらいの頻度なんだ?」

「さあて」

 了安は首を傾げた。

「私も全てを把握しているわけではございません。たまたま銃声を聞いたりすれば、そうかな、とは思いますけど。ここは狩場からは、離れておりますので」

 そう前置いて。

「ここ最近は、ふた月、いや、一月に一度くらいかもしれませんねえ。今年に入ってから頻繁になったと思います。ここに住んで五年になりますが、以前は、季節の変わり目ぐらいだっと記憶しておりますが」

「人さらいが起こり始めたのは、ここ一年くらいの話だ。ただ、その前に全く、そのような事件がなかったわけではない」

「え? それは、どういう?」

 雷蔵は、黙り込んだ。

「了安、お館さまの病、今なら何かわかるか?」

「さて。どうなんでございましょう。私には、先代さまと同じ、渇きの病にしかみえなかったのです」

 了安は頭を振った。

「この潮の国のご領主は、封印の力が衰えると、渇きの病にかかってきました。そうなったときは、領主の座を降りる。封印の役目を外れれば、病は癒えるので、ゆっくりと余生を生きる。代々、そのように受け継がれたと聞いております」

「渇きの病?」

「全身の水分が抜けていく病です。放置すれば、死はまぬがれず、治す手段はない、私はそう聞いておりましたが、計都どのは、たちまちに病を癒された」

 了安は囲炉裏の炭を補充する。

 くべられていた炭は、すっかり白くなっていた。

「計都どのは刃で己の指を切り、その血を飲ませたというような、呪術めいた治療であったという噂が流れましたが、方法はともかく、治癒したことにまちがいはございません」

 了安は、目を伏せた。

「その……計都というひとは、どういう人なのですか?」

 事態が理解できないまでも、了安が全く治せない病を癒したという僧のことが、初音は気になった。

「今は、ご典医をしている。経歴その他はよくわからない。思うに、あの男は、医者ではなく、呪術者なのではないかと思う」

「雷蔵さま、それは言い過ぎでは?」

 了安が眉をあげる。

「そうか? もともと渇きの病自体が、呪術的な病ではないか。了安が全く治せぬものがたちどころに治ったのであれば、それは呪術であったとしても不思議はない」

 雷蔵はそれだけ言うと、大きく息を吐いた。

「呪術だから悪いという意味ではない。治したのは実績であり、功績だ。ただ……少し気になる」

「雷蔵さま」

「ご城下に戻る。多分、左門が探っていたものがわかったと思う」

 パシンと、雷蔵は自分の太ももを手で打つ。

「では……飯の支度をいたしましょう。ここから船でなく歩いてご城下に出るのは、時間がかかりましょうから」

 了安はゆっくりと腰を上げた。

「初音どのは、ここに残ってもいいんだが……ついてくるという顔をしているな」

「もちろんです」

 初音は迷いなく雷蔵に頷く。

 真実はまだ、少しも見えないけれど、左門が探っていた謎がそこにある、そんな確信が初音の胸に生まれていた。

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