recipe 2 あったか洋食
【from第四部】サーモンとほうれん草のクリームシチュー、温野菜サラダ(前編)
「――ねえ麗子さん、ホンマにお兄ちゃんでいいの? 考え直すなら今のうちよ。麗子さんなら、どんなイケメンだって選び放題だと思うし」
さっきから純子がうるさい。一人座っている後部座席で、腕を組んだりシートにもたれたりしながら、その度にため息をついてこのセリフ。いくら身内とは言え、失礼だろ。
「純子ちゃん、あたし全然モテないわよ」
助手席の麗子が困ったように笑って言った。
「あー、美男美女は大概そう言うよね。ご謙遜」
純子は人差し指を立ててチッチっと左右に動かした。
「ホントだって……」
麗子はため息をついて俺を見た。運転している俺は、前を見たまま肩をすくめた。
春まだ浅い三月、日曜の昼下がり。ウェディングドレスの試着のためにドレスサロンを訪れたあと、付き添いで来てくれた純子を
先月、神戸の教会と披露宴会場を見学に行き、気に入ったのでそこに決めた。日取りは十月十五日。麗子の誕生日だ。
日程と式場が決まれば次はウェディングドレス選びだとプランナーの女性に言われ、ドレスサロンを紹介された。オーダーメイドにするかレンタルにするかの選択も提示されたが、麗子はレンタルを即決した。ま、なんせ婚約指輪も要らないと言う
ところが、どんなウェディングドレスがいいかなんて、俺はもちろん、麗子にだってさっぱり分からない。そこで、先に結婚していて、麗子とは姉妹のように仲のいい彼女の従姉に付き添いを頼んでいたのだが、婚家先の親戚に不幸があってこられなくなったため、急遽俺の妹の純子に代役を頼んだのだ。純子は大喜びでついてきた。そしてドレスサロンでもAラインだのプリンセスだのマーメイドだの、なんでおまえがはしゃいでんのと突っ込みたくなるくらいウキウキして次々とドレスを選び、麗子に試着させ、いちいち写真を撮った(あとで確認するために必要らしい)。
そのあと、急な代役のお礼に食事でもと誘ったが、旦那が家で待っているから今日は帰るというので駅まで送ることになった。で、その道中ずっとこうしてディスられている。もう、なんだよ。
だが純子はまだ言い足りないようだ。
「試着だけであんなに綺麗なのに、挙式当日はどんなやろうと思うと――ため息しか出ぇへんわ」
と、言葉の通りため息をつき、そして俺の後ろに身を乗り出してきた。「お兄ちゃん、ホンマに自覚してる? アナタ相当ラッキーな人なんやからね。確実に、ここで一生の運使ってるよ?」
「……分かってるよ」
「もういいわよ純子ちゃん。お兄さん可哀想よ」
「まぁ、今さら言ってもしょうがないけどねぇ」
「なんやねんそれっ。散々言うといて」
「麗子さん、他にもサポートが必要なときはいつでも言うてね。お兄ちゃんはあてにならへんから、私で代わりになることなら、何でも相談に乗るよ。一応、結婚のセンパイだし」
「ありがとう。心強いわ」
麗子は苦笑気味に微笑んだ。
純子を駅前で降ろし、麗子の家に向かう。が、その前に夕食の買い出しだ。
「晩メシ、何がいい?」
「うーん、今日は少し寒いから――シチューがいいかな。ホワイト系の」
「具は? 肉系、魚介系どっち?」
「魚介系。サーモンとか」
「了解」
とりあえずは、と食材を冷蔵庫にしまっていると、自室で着替えを済ませた麗子が降りてきた。
「ケーキ、食べる?」
買ってきたケーキの入った箱を麗子に見せた。
「うん。紅茶を淹れるわ」
麗子はダイニングにあるアンティーク調のカップボードからティーカップのセットを取り出し、テーブルに置いた。そしてキッチンに入ってくると、ケトルに水を入れて火にかけた。
「ねえ」
「うん」
「さっき、純子ちゃんが話してたことだけど――」
「俺は気にしてへんからな」即答した。
「えっ――」
「おまえが相当な美人やってことは、紛れもない事実なんやから。俺やなくて誰が相手でも、どうせ何かしら嫌味は言われる」冷蔵庫を閉めて振り返った。「もう慣れたよ」
「……つまり最初は、嫌だったってことね」
「まぁな。けどそもそも、付き合う前からそういうことはちょくちょくあったし。覚悟してたから」
麗子は小刻みに頷き、それから大きなため息をついた。「……なんだかなぁ」
「気にすんなって。純子かてマジで言うてるわけやない」
「……うん。それは分かってる」
麗子は言うと、キッチンボードから紅茶の缶とティーサーバーを出して作業台に置いた。
「――それでもね」
「ん?」
「気になっちゃうのよね。どうしても」麗子は振り向いた。「付き合う前に似たような経験してるって言っても、実際、彼氏としていろいろ言われたら、やっぱり面白くないんじゃないかって」
「……まぁ、楽しくはないけど、面白くないってこともない」ケーキを皿に置く手を止めて麗子を見た。「うるさいなあとは思うけど」
「こんなはずじゃなかった、とは思わない?」
「何それ」
「あるんじゃないの? 誰だって。付き合ってみないと分からないことって。特にあたしたちは友達期間が長かったから、分かってるつもりでいたことって多いんじゃないかしら。だけどそれってあくまで友達としてよね」
あー、まためんどくさいこと言い出した。これだから学者は。(偏見?)
「おまえはあるん?」
「……論点の差し替えね。ズルいわよ」麗子は眉間に皺を寄せた。「そうね。ないこともないわ」
「え、なになに」
「言ーわない」麗子は作業台に向き直り、スプーンで茶葉を
「ええ、知りたいなぁ」
麗子のそばに立つと、彼女の腰に手を回した。
「ほら。そういうとこ」麗子はふふっと笑った。
「どういうとこ?」
「意外にイチャイチャするの、好きよね」
あ、バレてたか。だったら遠慮なく。バックハグをして、麗子の耳の後ろにキスをする。
「他には?」
「……キスが上手い。びっくり」
「ふん。恐れ入ったか」
「レモン、あったっけ――」
麗子は俺から離れて、冷蔵庫の前に立つと扉を開けた。「じゃああたしは? 意外なことってある?」
レモンを手に振り返った麗子に覆いかぶさるようにして冷蔵庫のドアに手をつき、言った。
「……意外にも壁ドンに憧れてる」
麗子は目を見開いて息を呑んだ。頬が紅潮してくる。「……冷蔵庫ドンよ」
「派生バージョンやな」
そして額を近付け、麗子が顎を上げるのに合わせてキスをした。湯の沸いたケトルがピューピュー鳴って、早く紅茶を淹れろと急かす。
仕方なく離れて、麗子は紅茶、俺はケーキを分ける作業に戻った。
ケーキを乗せた皿を持ち、ダイニングテーブルに運んだ。麗子もティーサーバーを持って席に着いた。
「どっち?」ケーキを指差して訊いた。
「うーん」麗子はケーキを眺め、それから視線を上げた。「どっちがいいか、二人同時に言わない?」
オーケー、と頷いて、せーの、と合図する。
「無花果」(俺)
「ピスタチオ」(麗子)
「……やっぱり」と笑った。「好きやもんな」
「なぁに、じゃあ勝也は遠慮したの?」
「別に。俺はどっちでもええんや」
「半分あげる」
「じゃこっちも」
「言うと思った」
「言わされた」
ナイフを持った手を手前に振り、麗子にケーキ皿をこちらに寄せるように促す。麗子はにっこり笑って、ケーキ皿を差し出した。
――イチャイチャするの、好きですよ。だってほら、こんなに愉しいやんか。
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