番外編 草間仁の場合2 アンハッピーバレンタイン
俺じゃ駄目ですか。
そう告げたのは二カ月前のことだった。
「駄目だろバカ、教員が教え子に手を出してどうすんだ。
それに俺は女が好きだ」
「勝手にさわっても駄目なんですか」
食い下がる俺に清川先生は首を振った。
「俺の許容範囲を超えたら蹴り倒す」
美術科で成績優秀、爽やかで眉目秀麗と言われる(ようである)僕が、
清川先生の前では途端にみじめな青二才になる。
季節は冬。暦では二月も中盤に差し掛かろうとしている。
ため息をつく。吐く息は白い。
清川先生を抱きしめていたら暖かかっただろうか。
俺はすっかり暗くなった美術部室を出た。
明日はバレンタインデーだ。
僕にとっては憂鬱な日。
本命には決して貰えない。
帰り道、イヤフォンを耳に挿しこむと原田真二の「てぃーんずぶるーす」が流れ込んできた。母の趣味から入れた懐メロだったが、僕の気分と妙に合ったような感慨がしてずっとその思春期特有の良い意味でいじけたような歌詞を聴いていた。
僕が清川先生にチョコを渡しても「キモい」としか言われないだろう。
そんな小手先より、もっと良い案はないだろうか。
次の部長はなんと言おうと僕に決定している。
そう考えても根が単純である自分は清川先生の隙を見つけるのは、
途方もない無理難題に思えた。
翌朝、僕を校門前で待っていたのは綺麗な女の子だった。
同じ美術部の後輩、1年生のサーシャ。ロシア人と日本人のハーフ。
僕に(本命と思われる大きなハートの)チョコを差し出すサーシャの白い頬は真っ赤だ。
画材としては最高なんだろうな。
よく部員たちのモデルをつとめる色素の薄いサーシャを見てぼんやりとそう思い、口を開く。
「君って、ムキムキマッチョが好きなんじゃなかったっけ」
「……草間先輩はソフトマッチョっていうか、許容範囲です」
そう言ってのけるサーシャのチョコレートを受け取れなかった。
僕は何も言えずにその場を立ち去った。
これは最低なんじゃないだろうか。次期美術部部長としても。人間としても。
でも僕は誰からであっても、女の子からチョコレートを受け取ることが出来ない。
何故だろう。
僕はイライラしている。
僕がサーシャのように美しい女の子で先生にチョコレートを渡したらどうだっただろう。
サーシャみたいに好きな相手にチョコレートを渡せる女の子に僕は嫉妬している。
自分の中に「怒り」の感情があるのが新鮮だった。
物心ついて以来、僕はこんな余裕なく怒ったことがあっただろうか。
僕がサーシャにした仕打ちは部内でちょっとした話題になった。
数名の美術部員が目撃していたらしい。
サーシャは当然、怒って僕へは愛しさが憎しみに変わったようだったが、ことさら波風を立てる行為には出なかった。そんなサーシャに気をつかってか、噂話もすぐに立ち消えた。
やがて、ホワイトデーも終わる季節になり、僕は進級の年を迎えた。
三年生になる。
咲が丘高校美術部部長として、僕は高校生活の最終年を迎えた。
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