第三節 はじめての油絵
何の花をどう描くか。
風に揺れる花を表現することは決まったが、何の花を描いたらいいかまるで決まらない。秋も終わりの頃である。秋と言えば、コスモスくらいしか澪には思い浮かばない。そのコスモスも中庭ではもう咲き終わりを迎えていた。
冬になると花をつける植物はもっと少なくなる。ネットで写真は見られるものの、実際に見て描くことがますます難しい状況だ。
春か夏なら沢山咲くのになぁ……。
澪がため息をつく。しかし、他の部員たちもそれが悩みのタネだったらしい。
受験生の三年生はそうそうにコンペ辞退を申し出る人が多数出た。
それは実質、部活卒業の退部といって変わりなかった。
清川先生はその件でまた機嫌を損ねていたし、澪は四冊目のスケッチブックを持って行ってから例の先生への恐怖で関わらないようにしている。
それでも、コンペ辞退は嫌だと澪は強く思った。
完全な出遅れとはいえ、美術部に入部した以上、精一杯頑張りたい。
澪はコンペ作品を油絵でいくと決めた。
そのために画材に慣れなくてはいけない。
澪は他の部員の見ようみまねで黒炭を手に、キャンバスで下描きをした。
まずはスケッチで練習した千夏の姿を大体の線で描く。
黒炭は持った感じが鉛筆より頼りなく、なかなか綺麗に線が引けない。
それでも大まかな形さえわかれば大丈夫なんだ、と澪は下描きを終えて、次は油絵具に取り掛かった。
有華が油絵具の説明をしてくれる。
当然だが絵の具は水で溶かすのではなく、油を加えて描く。
下の塗りの段階では自由な色を乗せてもいいと有華は言った。
澪は戸惑いながら、とりあえず千夏のイメージカラーのようなオレンジとレモンイエローで色を付けていった。
いつの間にか横で見ていたらしい、サーシャが「ほう……うまいね!」と声をあげる。
「まだ、形しかとってないよ」
澪が焦って言うが、サーシャの歓声に他の部員も澪の絵に注目しに来た。
「これ振りかぶった瞬間だよね」
「連写でもこんなの見えるか?」
部員たちは澪の絵をみながら、口々に意見し合う。
あの、入部前の一方的な批判ではなく、ちゃんとした評価が入っていることに澪はホッとした。様々な意見を聞きながらも澪は絵に集中していった。
油絵は何度でもやり直しがきく。
その特性に物怖じせず、色をどんどん乗せていく。
「すごい」
様々な声がやがて賞賛に変わるのに一時間もかからなかった。
澪が描いた千夏のテニス中の姿は暖色から、引き締まった寒色中心の色合いに変わっていた。躍動感がありながら凛とした表情にブルーを基調とした色がよく似合った。ボールをあてた瞬間を切り取ったアスリートの表情。ブルーの中にきらめくように散った黄色の飛沫は汗の表現だがまるで絵の中の彼女を取り巻く星のようだった。
「え?油絵、初めて?マジで?」
絵が一段落ついて筆を置く澪に同級生の田代が驚きの声をあげた。
しかし、澪の実力は日に日に躍進していた。
それは、本人も気づかないような恐るべきスピードだった。
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