18.琥珀

 招待状を受け取ってから、二週間などあっという間に過ぎ去って夜会の当日を迎えた。


 グレイシアは午後から部屋に篭り、メイサを始めとする侍女たちに頭から足の爪先まで磨かれてから夜会の支度を始めていた。頭から爪先というのは比喩ではなく、百合の香油が落とされた風呂からグレイシアが上がる頃にはぐったりと疲れ果てていた程だった。

 いつもは一人で入る風呂にも侍女がつき、全身のマッサージをしながら髪を洗ってくれる。長靴下や靴で隠れるのに、足の爪にも色が乗せられた。


 グレイシアの為に仕上がってきたドレスはスレンダーラインの瑠璃色のものだった。背と肩が大きく開き、顕になった白い肌が光を集め、胸元は黒い繊細なレースで彩られている。グレイシアの体にぴったりと沿う布地は滑らかで、そのスタイルの良さを際立たせ、胸下から優雅なドレープを描いている。

 シャンデリアの光を受けるよう、胸下の切り替えと裾周りには小さな宝石が数多に縫い付けられていた。


 アクセサリーはリオレイルが選んだと聞いた。

 大きなアンバーとダイヤモンドで彩られた華やかなネックレスと、揃いのイヤリング。それはリオレイルの瞳の色と同じ深い色をしていて、グレイシアは目を見張った。そして段々と顔に熱が集う事を自覚する。


(イルミナージュとバイエベレンゼでは、意味が違うのよ)


 瞳の色の宝石を贈るのは、『自分のもの』だと独占欲を示すのだと、バイエベレンゼでは言われていた。男性の瞳の色をしたアクセサリーを着けることは、とても幸せなのだと、紫色の指輪を撫でながら母は笑っていたものだ。


 メイサは化粧も髪結いも、とても上手だった。

 肌は煌き、頬は桜色に色付いて、目元は深い色合いで仄かな色気を醸し出している。控えめながらも紅を引かれると唇も印象づくよう艶めいた。

 髪は顔周りの一筋だけ残し、編み込まれながら複雑に結い上げられた。細くて白い首が顕になるが、その分アクセサリーが映える。絶妙な位置に金の髪飾りを載せて完成のようだ。

 ドレスと揃いのヒールを履き、黒と瑠璃色のレースで作られた美しい肘までの手袋をする。

 扇を受け取ると、グレイシアはにっこりと微笑んでみせた。


「どうかしら?」

「とってもお綺麗です!」


 メイサは胸の前で両手を合わせ、出来栄えに満足したようにうんうんと頷きながら目を輝かせている。支度を手伝ってくれた侍女達も同じ様子で、室内はなんともいえない充足感に満たされていた。流石に皆、疲れているようだが、それ以上に楽しそうだ。


「ありがとう、リオレイル様にも喜んで頂けるといいんだけれど」

「大丈夫です、心配いりませんよ。そろそろお時間ですので向かいましょうか」



 メイサに先導されてホールに向かう。

 そこには既にリオレイルが待っていて、書類を手にしたリヒトと何やら話をしている。彼は本当に忙しいのだ。


「グレイシア様のお支度が整いました」


 メイサのどこか誇らしげな声に、二人の意識がグレイシアに向けられる。


 リオレイルは黒いジャケットにスラックス、ベストは薄いグレーだった。余計な飾りはついていなくてシンプルだけれど、上質だと一目で分かる。彼の長い足や、細身だけれど程よい厚みのある体を魅力的に見せる装いだった。

 何よりもグレイシアの目を引いたのは、白シャツに良く似合う紫紺色のチーフタイとそれを留める銀のリング。

 それはグレイシアの色彩と同じ。気付いてしまうと抑えようとしても胸が高鳴ってしまう。

 しかし笑顔の仮面にそれを隠し、ゆったりとした足取りでホールの階段を降りるとリオレイルの傍へ歩み寄った。


「いかがでしょうか」


 グレイシアはドレスの裾をつまみ、膝を折って淑女の礼を見せる。幼い頃から何度も繰り返した所作は優雅に身に付いている。しかしリオレイルは反応しない。

 姿勢を正しつつリオレイルを伺うと、目を見開いたまま固まってしまっていた。


「リオレイル様?」


 珍しい光景にリヒトもメイサも唖然としている。

 それを横目に、グレイシアは怪訝そうに名を呼ぶと、彼の前で軽く手を振って見せた。それに促されるようリオレイルは目を瞬くと、顔の前にあるグレイシアの手を取った。


「……失礼。予想以上に美しかったものだから、言葉を失ってしまった」

「お上手ね。素敵な贈り物をありがとうございます」


 賛辞の言葉が胸に響く。

 気恥ずかしさを誤魔化すよう、扇を持つ手の指先でネックレスに触れながらお礼を口にした。


「贈った甲斐があるな。他にも着飾らせたくなる」

「もう充分ですよ」


 グレイシアは扇を開き、口元を隠してくすくす笑う。そんな仕草まで洗練されていた。

 リオレイルはふ、と口元に笑みを乗せると、グレイシアの髪に手を伸ばす。結わずに残した一房に指を通すと満足そうに笑みを深めた。


「さて、参ろうか」

「よろしくお願いします」


 リオレイルが手にしたままのグレイシアの手を自分の腕に掛けさせると、それを合図としたように大きく扉が開かれた。

 今宵は満月。蒼く輝く光が空を照らす。


「行ってらっしゃいませ。旦那様、グレイシア様」


 リヒトとメイサを始めとする使用人たちが、美しい角度で腰を折り見送ってくれる。それを肩越しに振り返ると、二人は表情も柔らかく、公爵家の馬車へと乗り込んだ。

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