16.招待状

 グレイシアがイルミナージュに『留学』してから、早いもので一ヶ月が経った。


 公爵家の敷地内にある“穢れ”も大体祓えてきている。これは毎朝の日課になった。

 午後からは執事のリヒトに魔法について教えて貰ったり、イルミナージュの歴史を学んだりしているので、これも勉強といえるのかもしれない。『留学』しているのだからやはり学ばなくてはならないだろう。


 セレナの時間が空いている時は、剣の手合わせをしてくれる。アーベラインの守護団とは違う、騎士としての剣捌きはとても美しくて見惚れてしまう程だった。いつもの明るく朗らかな雰囲気とは違い、剣を持つセレナは凛々しく騎士としての誇りに輝いていた。



 リオレイルが白い上質な手触りの封筒をグレイシアに手渡したのは、そんなイルミナージュでの生活に慣れてきた頃だった。夕食後のサロンで、お茶を飲みながらゆっくり話をする事がいつしか二人の日課となっていた。


 誰からのものかと封筒をひっくり返すと、その封蝋には見覚えがある。初日に行った王城の至る所に刻まれていた狼の紋章。


「これは……イルミナージュの王宮から?」

「そうだ。二週間後に陛下主催の夜会がある。それの招待状だ」

「どうしてわたしに?」

「君はバイエベレンゼからの貴賓だからな、招待されるのも当然だろう」


 砕けた言葉でのやり取りはお互いの距離を詰めているような気がして、実のところグレイシアには気恥ずかしい。だけれども慣れとは不思議なもので、心地よくなってきているのも事実だった。


「それでは出席しないといけないわね。この夜会、リオレイル様はどうされるの?」

「出席する。君のエスコートをする為にね」


 リオレイルは紅茶のカップを口に寄せつつ、当然とばかりに言葉を紡ぐ。それに目を瞬いたのはグレイシアだけで、壁際に控えるリヒトとメイサは表情を変えなかった。

 リオレイルはこの若さで公爵家の当主であり、第一騎士団の団長でもある。加えてこの美貌。無表情なのを差し引いても魅力的なのは間違いなく、婚約者やお付き合いしている人がいても可笑しくはないとグレイシアは思っていた。


「リオレイル様がエスコートをして下さるの?」

「私以外に誰がいるんだ」

「リオレイル様は他に誰か、エスコートをするご令嬢……」


 リオレイルの鋭い視線に、言葉は途中で途切れてしまう。

 音も無くカップをソーサーに戻すと、リオレイルは肘掛に頬杖をつきながら優雅に足を組み替えた。その視線は未だグレイシアにしっかりと向けられたままで、口端が上がって笑っているはずなのに笑っているようには全く見えない。

 グレイシアは背筋が凍るというのはこの事かと実感した。


「……エスコート、宜しくお願いします……」


 不機嫌そうな様子に、それ以上他の令嬢の話など出来るわけもなく、グレイシアはエスコートを願うしかなかった。

 それに満足したのかリオレイルは表情を和らげると、控えているリヒトに目を向けた。


「グレイシアのドレスやアクセサリーの手配を。一式全て作らせてくれ」

「かしこまりました」

「いえ! 実家から持ってくるから大丈夫よ!」


 リオレイルの指示にリヒトが拒否をするわけがない。淀みなく受けるその姿に、慌てたように声を掛ける。


「君は私からの贈り物を受け取れないと?」

「もう、そういう言い方はやめてくださいな。そこまでして頂くのが申し訳ないんだって、分かっているでしょう?」


 困ったように睨んで見せるも、リオレイルが気を悪くした様子はない。むしろ楽しげに笑みを浮かべるばかりだ。


「私が君に贈りたいんだ。受け取ってくれるな?」

「……ありがたく」


 有難いといいながらもグレイシアは不満げだ。それでもそれ以上この議論を続けるつもりもない。


 グレイシアとて分かっているのだ。

 善意で贈られるものは、有難く頂戴するのが礼儀だと。嬉しそうにお礼を口にするべきだと。

 だがグレイシアはもう既に沢山のものをリオレイルから与えられていた。これは何をしてお返しすればいいのだろうか。

 可愛げのない自分にも溜息が出た。



 次の日の午後には、リヒトが手配したメゾンのマダムがお針子を二人従えて屋敷にやってきた。


「まぁまぁ! なんて美しいお嬢様!」

「お肌も白いし手足も長いわ。この髪色ならどんなドレスでも映えるでしょう」


 採寸しつつも、マダムやお針子がグレイシアを褒め称えてくれる。その気恥ずかしさを誤魔化すよう視線をメイサに向けると、彼女は全力で頷いていた。


 採寸が終わってドレスのデザインを決める時には、マダムとメイサが盛り上がっていた。二人に任せれば問題ないだろうと、お針子に手伝って貰って身支度を整えるとソファに腰掛け賑やかな室内を見回した。

 お針子もグレイシアに一礼すると、マダムのところでデザイン決めの輪に加わった。


(みんながわたしの為に、一生懸命になってくれている。これはやっぱり素直にお礼を伝えないといけないわね。それに……リオレイル様がエスコートして下さるのだから、特別綺麗にならなくては)


 あの美貌の隣に並ぶのだ。磨くだけ磨いて貰おう。

 メイサが用意してくれたミント水で喉を潤しながら、グレイシアはぼんやりと考えていた。



「ねぇ、メイサ」

「はい、なんでございましょう」


 マダム達が帰った後の室内は、先程の喧騒が嘘のように静かなものだった。

 メイサは未だ楽しそうで、今にも鼻歌でも歌いだしそうに機嫌よく、グレイシアの為にハーブティーとマカロンを用意してくれている。


「……リオレイル様は、他にエスコートをするご令嬢とかはいないの?」

「旦那様が夜会に出席される事は滅多にございません。国王陛下の夜会には出席されていますが、いつもお一人で参加されていますよ」

「……そう」

「参加されてもすぐにお戻りになってしまいますので、本当にお顔を見せるだけのようで……。ですが今回はグレイシア様とご一緒ですから、お楽しみになるのではないでしょうか」


 メイサの目元に浮かぶ笑みが深まるのを見て、気まずそうにグレイシアは目を逸らす。ソファと同柄のクッションを膝に抱えると、手持ち無沙汰にその模様を指でなぞった。


「グレイシア様のお美しさを、存分に見せ付けましょうね!」

「それは別として、リオレイル様の隣に立っても恥ずかしくないようにしたいわね」


 メイサは用意の出来たハーブティーをテーブルの上に置くと、意気込みも強く、ぐっと拳を握る。その様子が頼もしくて、グレイシアは声を上げて笑った。


 侯爵令嬢の端くれとして、バイエベレンゼでの夜会やお茶会に参加してきた。社交界の華と呼ばれた母にマナーは厳しく躾けられているし、父から習ったダンスにもそれなりに自信はある。

 折角だから楽しもう。自分はいつイルミナージュから去るか分からないし、そうすればもう彼とは会えないのだから。


 自分で思った事なのに、彼と会えなくなると考えるだけで、なんだかひどく寂しかった。

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