第7話 おれではダメですか?
散々な一日になった。彼女は、田口に手を振ってホテルから姿を消した。協力する筋合いはないが、わざわざ邪魔をする理由もない。どっちにしろ怒られるなら、彼女の言う通りにしよう。田口はそう思い、与えられた時間いっぱい引き延ばしてから、物産館の玄関口に向かった。
事情を話すと、母親は顔色を悪くして、声を荒上げた。田口が悪いことをしたわけではないが、結果的には止められなかった責任がある。怒られるのは当然だ、と黙って聞くしかない。
「すみませんでした。止められませんでした……」
田口は義一郎に頭を下げる。母親のことはどうでもいいのだが。義一郎が連れてきた女性だ。彼に対しては謝罪しなければなるまい。しかし、腹を立ててまくし立てている母親とは違い、彼は「それはすまなかったね」と田口に頭を下げた。
田口は義一郎を見返した。彼はこうなることを、予測でもしていたかのように静かに言った。
「すまなかった。これはおれの責任だ。あの子に好きな人がいるということはみんなが薄々知っていた。優愛の父親がすごく心配してな。ちゃんとした人との縁談進めれば、なんとかなるんじゃないかって。そう思っていたようだった。こういう行動を起こすきっかけを作ってしまったのは、おれたちの責任だ。まあ、行先は知っているから。心配しなくていい。むしろ、銀太を巻き込んでしまって悪がったな」
「おじさん。行先知っているんですか」
「彼氏の住所は知っている」
なんだかほっとした。これで本当に行方知れずだったら困る。
「咲良ちゃん、すまながったな」
義一郎は田口の母親にも頭を下げた。
「いや。家はその……別にいいですけど。義一郎さんのところで、わかっていることならば」
「銀太も、仕事まで休ませて悪かったな」
「いいえ。おれは。構いません」
「ちとあいつの父親に連絡してくるわ」
義一郎はそう言うと公衆電話に向かって歩き出す。それを見送ってから母親はため息を吐いた。
「なんだか。私ら踊らされてるみたいね。意味わからないわ」
さすがの彼女も疲れたようだ。両手いっぱいのお土産品を持っていれば、それは疲れるだろうな。そんなことを考えながら田口も苦笑いだ。
「母さん。結婚とか、交際とか。人のことに首突っ込むとろくなことにならないんだから。おれはおれで考えてっから。こういうのは勘弁して」
「あんだ。本当に考えてるの?」
「……考えてるって。紹介できるかどうかは約束できないけど、きっと……いつか、おれの大切な人。紹介すっから」
「そんな冗談言って……」と言いかけて、母親は言葉を切った。田口の顔を見て、嘘でもないと理解してくれたのだろう。彼女は微笑みを見せた。
「あんだ。いい顔するようになったよ」
「そう?」
「うん。いつまでも子供じゃないよね。わかってはいるんだけど。……楽しみに待ってるね」
「うん」
田口は頷いてから鉛色の空を見上げた。
***
結局、母親たちを新幹線に乗せて見送り、自宅に帰ってきたのは夕方の18時を回っていた。玄関を開けると誰もいない。
——保住さんは残業?
そんなことを考えていると、後ろでに玄関が開く音がした。
「お帰りなさい、保住さん」
「ただいま」
彼は浮かない顔をしている。仕事、大変だったのだろうか? それとも、お見合いのことを心配してくれていたのだろうか?
どちらかもわからないので、とりあえずはお見合いの結果を報告することにした。
「大丈夫でした」
「大丈夫とは。うまく断ったということか? それとも……」
上手くいくわけがないのに、「それとも」という言葉に笑ってしまった。
「断ったというか。おれなんて眼中になかったです」
田口は床に座り今日の一連の出来事を説明した。ネクタイを緩めてソファに座っていた保住は、ふと笑みを浮かべた。
「おれって、いつもこういうことになるんですよね」
「自分で言っているのでは始末が悪いな」
保住は笑う。
「何故だろうか。お前が関わると、なんだかこういう結末が多い」
「そうですね。結局、おれが貧乏くじを引いて終了ってことですよね」
「貧乏くじか」
彼は首を横に振った。
「貧乏くじではない。お前のキャラがそうするのだろう」
「どんなキャラですか。おれは、結構、真面目に真剣に生きているんですけど」
「それは理解している。だからだ。お前の持って生まれたものだ。みんなに好かれて大切にされる」
「今まではどっちかといえば、嫌われるほうだったんですけどね」
「おかしいな。嫌う奴らは見る目がないのだろう」
「そうでしょうか」
保住と出会ってからだ。きっと——。
彼と出会ってから。
色々なことが動き出して、転がり出して。
自分の人生は広がっている。
自分を支えてくれる人たちに出会えて。
じーっと彼を見据えると保住もまた、田口を見返した。
「なんだ?」
「ぎゅっとしていいですか?」
田口はそっと保住を抱き寄せた。保住のからだは骨ばっていて、優愛の丸みを帯びたからだつきとは異なる。ひんやりとした保住の肌。彼の匂いに包まれると、田口の心は安らぎを得る。
——愛おしいって、こういう気持ち。
「やっぱり、保住さんがいいです」
「……何度も言うようだけど……。本当におれでいいのだろうか」
田口には彼しかいない。他の人間となど、絶対にないのだ。だがしかし。保住はいつも田口に問う。「おれでいいのか」と。そんなことは、無意味な質問なのに。
——不安にさせているのだろうか。
田口は、そっと保住に問い返した。
「保住さんは、おれではダメですか?」
「質問に質問で返すなと、いつも言っているだろうが。おれが聞いているのだぞ?」
保住はむっとしたように眉間にしわを寄せた。しかし。ふと瞳の色を緩めたかと思うと「バカか」と笑い出した。
「へ? すみません。おれ、バカで……」
「違う。お前ではない」
保住は自嘲気味に笑うと、田口の襟ぐりを捕まえて引き寄せた。
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