第11話 素直の優しさ カナミの憂鬱

「貞彦先輩。なにやってるの?」


 昼休み。


 瑛理とカナミについてどうしたもんかと、サヤと相談をしていた最中。


 非難するような表情の素直に捕まった。


 貞彦が相談支援部に行かなくなって、もう一週間が経過していた。


 一度行かなくなったことで、貞彦はますます行きづらくなっていた。


 当たり前の居場所が、日常から離れていく。


 そんなことは貞彦にもわかっていた。


 けれど、踏ん切りがつかない。


 澄香とどんな顔をして会えばいいのか、まだわからない。


「いや、俺なりに刃渡の件について動いていてさ」


「刃渡先輩の件? 何か進展はあったのかな?」


「どうすればいいかはわかんないけどさ、刃渡を知る重要な人物とは知り合ったぞ」


「ふーん。誰のこと?」


「聞いて驚け。刃渡の妹である、刃渡サヤだ」


 貞彦は隣を指さして言った。


「誰もいないよ?」


 素直に指摘されて、貞彦は隣に目をやる。


 先ほどまで会話をしていたはずの、サヤがいなくなっていた。


 立ち去る時の足音や気配は感じなかった。


 まるで霧が飛び散ってしまったような、静かな退出。


「あれ?」


「貞彦先輩……わたしたちに会わなかった寂しさでついにおかしくなってしまったんだね」


「やめろ。そんな深刻そうな表情をするな」


 素直は本気で悲しそうな顔をしていた。


「それでいつになったら部活動にくるのかな?」


 素直は真剣な声色で言った。


 素直がわざわざ声をかけに来た理由なんて、考える間でもなかった。


 貞彦がなかなか部活動に顔を出さないことで、気になっていたのだろう。


「正直、わからない」


 素直が真剣に言っている様子だったので、貞彦は正直に答えた。


 変にごまかしたり、都合のいい言葉を使うより、わからないことはわからないと、はっきりと言うべきだと考えた。


「もし適当なことを言ったりしたら本気で怒っちゃうところだった」


 素直は少しだけ、表情を緩めた。


「貞彦先輩は自分の好きなようにすればいいと思う。けれどわたしはちょっと寂しいなとも思う」


「素直」


「いろいろと納得はいかないけど待っててあげる。貞彦先輩に踏ん切りがついたらいつでも戻っておいでよ」


 笑顔にしては微妙に崩れていて、不器用な表情だった。


 言いたいことは山ほどありそうだ。結ばれた口元も握られた拳も、素直の我慢が濃縮されている。


 それでも、貞彦の好きなようにさせようという、素直の気持ちはしっかりと伝わった。


「ありがとな。素直」


「お礼を言うのはまだ早いよ。きちんと澄香先輩と仲直りしてよね」


 仲直りという素直の表現が引っかかった。


 貞彦は澄香と喧嘩をしているわけじゃない。


 心が近づいた分、違った部分が見えてしまっただけだ。


 重なる寸前まで近づいた結果、通り過ぎてすれ違った。


 全てを受け入れることを望むけれど、受け止めきれないようにも感じた。


 戸惑い、驚き、脆さ、迷い。


 わからなかったことの先に、もっとわからないことを知る。途方もなさに直面して、途方に暮れる。


 澄香と以前のような仲の良さで接することができるのか、貞彦は相変わらず自信を持てなかった。


 ふと思う。


 関係が変わってしまったということであれば、仲という度合いも変わってしまっているように思う。


 仲直りという言葉は、何も喧嘩した後にだけ使う言葉でもないのかもしれない。


「言いたいことはそれだけ。そろそろ行くね」


 素直は踵を返した。


 余計な雑談をほとんど交えない様子が、普段の素直とは違って見えた。


「素直が急いでいるなんて珍しいな。何かあったのか?」


 素直は顔だけで振り返った。


「ちょっとね。この前遊園地であったミミちゃんっていたでしょ」


「ああ」


 遊園地どころか素直に逃げられた後も会っているのだが、今は関係ないと思い話さなかった。


「なんだか元気がないみたいだから少しでも一緒にいてあげようと思って」


「なんでなんだ?」


 愛想を振りまいている姿は、もはや彼女の生き様のように思える。


 冗談やおふざけ半分ではなく、本気でやっているように感じた。


 他人から好かれたいと思っているカナミに元気がないという理由を、貞彦は聞きたいと思った。


「よくわかんないんだけどさ。いきなり『友達か……』って意味ありげに言い出したんだよ。何があったのかな」


 貞彦には心当たりがあった。


 つい最近、瑛理はカナミに友達になって欲しいと懇願、いや上から目線で言い放っていた。


 カナミが断る気持ちはとてもよくわかる。


 けれど、もしかしたらカナミ自身は気にしているのかもしれない。


 サヤが言うように、二人は案外仲が良いのかどうかは貞彦にはわからない。


 けれど、二人にとっては歪でありながらも、特別な関係性であるようには思えるのだ。


 それに、もちろん心配な気持ちもあった。


 貞彦は、カナミが今何を感じているのか、確かめたくなった。


「こんなことを言うのは変かもしれないけど、俺も会いに行っていいか?」


 素直は犬が人の言葉を話した時のように驚いていた。


「貞彦先輩が自分から人に会いに行こうとするなんて!? もしかしてわたしは前みたいに夢の世界にいるんじゃないかな!?」


 素直は驚きのあまり、貞彦の頬をつねった。


「いひゃい」


「夢じゃなかった」


「せめて自分の頬をつねれよ!」


 貞彦は素直の手を振り払った。


 素直は夢から覚めたような顔をしていた。


「別にいいけどさ。ふ――――――ん」


 素直はジロジロと貞彦を見まわした。


「なんだよ?」


「べっつにー。わたしたちには会いにこなかったのにミミちゃんには会いに行くんだなーって」


 素直は口を尖らせていた。おもしろくなさそうな顔をしている。


 素直がそんな顔をする理由について、この場では考えないことにした。


「とにかく、行くぞ」


「はーい」






 素直に連れられてカナミに会いに行ったが、カナミはいつも通り愛らしさを振りまいていた。


 突然、普段通りの様子に戻ったことで、素直は怪しんでいた。


 疑問は解消されないかと諦めかけた時、カナミから何かを握らされた。


 こっそり確認すると、ノートの切れ端だった。


『放課後、例のベンチにきてくださいね』と可愛らしい文字で書いてあった。


 下駄箱にでも入っていたら、勘違いを招いてしまいそうな文章だった。


 色っぽい話にはならないだろうと、貞彦は予感していた。


 友達の素直にはバレないように、貞彦にだけメッセージを送ったというところに、重要な意味が含まれているように思った。


 色々なことを考えて、上の空のまま放課後になった。


 貞彦は一人で、倉庫裏のベンチに座った。


 時間が指定されていなかったので、ただ待ち続けるしかなかった。


 木々の隙間からわずかに見える空を眺めながら、カナミを待ち続けた。


「さだひこ先輩。きてくれたんですね」


 カナミにいつものような愛らしさはなかった。


 演技のようなポーズも、わざとらしいリアクションもなかった。


「かわいい後輩に呼びだされるなんて、ドキドキしちゃいましたか?」


「そんなにだな」


「さだひこ先輩は枯れてますね」


「そういう話じゃないと思ったからな。わざわざこんなところにまで呼び出したってことは、カナミは知っているんだろ。俺たちがここを覗いていたことをさ」


 カナミは頷いた。


 カナミはベンチに座る。瑛理に対してした仕打ちとは違って、きちんと貞彦の隣に座っていた。


「なんでカナミに会いに来てくれたんですか? カナミのことを好きになってくれましたか?」


 いたずらっぽくカナミは笑うが、どこか陰がある。


「好きでも嫌いでもない。判断できるほど、俺はカナミのことを知らない」


「さだひこ先輩ってめんどくさいんですね。瑛理先輩とは違っためんどくささです」


「あいつと比べられるなんて……落ち込むわ」


 貞彦は肩を落とすと、カナミは心底おもしろそうに笑った。


 普段の作り笑いのような顔よりも、ずっと可愛らしく見える。


「こころがせまい、さだひこ先輩。素直ちゃんにきいた通りだ」


「あいつはカナミに対しても言ってるのかよ!」


 きちんと全てが解決したら、まずは素直にお仕置きをしようと貞彦は誓った。


「なんだかいい気分になりました。ちょびっとだけですけど」


「そうかよ。少しだけでも、元気になれたなら良かったよ」


 カナミの表情が揺らぐ。


 カナミは何かに気づいたようだった。


「さだひこ先輩がどうして会いにきてくれたのか、わかっちゃいました。冗談じゃなくて、本当に心配してくれていたんですね」


「心配していたのは本当だけど、目的はそれだけじゃないんだ」


「カナミと瑛理先輩のことですか?」


「そうだ。もう知っているとは思うけど、俺とサヤは、カナミと瑛理の様子を見ていた。ごめん」


「あーあ。知られちゃいましたか」


 カナミは怒っているというより、がっかりしている様子だった。


 親に内緒の秘密を、知られてしまったかのようだ。


「二人の様子は、なんだか俺にはよくわからなかったんだ。当人同士はどう思っているのかが気になってさ」


「カナミが瑛理先輩のことをどうおもっているのか、ですか?」


「そうだ。俺はそのことが気になっているんだ」


「たしか、瑛理先輩には課題がだされてるんでしたよね。そのためですか?」


 カナミの表情が冷えていくように感じる。


 瑛理のために利用されていると、感じているのかもしれない。


「それもある。けれど、俺はカナミのことも、瑛理のことも知りたいって思う」


「へー。カナミたちのことが、知りたいんですか?」


 挑戦的な瞳。


 もし覗き込んだら、後悔するとでも言いたげだった。


 かつて澄香にも、同じようなことを聞かれた。


 人一人に関わるということの大変さ。貞彦は嫌でも思い知っていた。


 知らないことを知らないままで済ませる。楽に生きるのであれば、それが一番だと思う。


 非常に疲れるし、自分も振り回される。無駄に悩みが増えてしまう。


 人と関わることは、とてつもなくめんどくさい。


 ただ、どれだけ悩みが増えようとも、後悔を感じたことはなかった。


「ああ。知りたい。カナミのことも、瑛理のことも」


 貞彦は真摯に言った。


 何かができるかもしれないとか、何かしてあげようなんて言えるほど、自分が立派だとは思えない。


 澄香みたいに解決の方法を導くことも、素直みたいにガツンと思いをぶつけることを、貞彦はできないと思った。


 できることは、ただ話を聞くだけ。一緒に同じ時間を過ごすだけ。


 何の目的もなく寄り添う。それだけのことならできるし、したいと思った。


「さだひこ先輩も本当に変な人ですね」


 カナミは諦めたように肩をすくめた。


 口元には笑みが浮かぶ。


「でも、嫌いじゃないですよ。これはいつわりじゃないです」


 カナミは瞳を閉じた。


 何を考えているのかはわからない。


 貞彦はひたすら待った。


 ついに、カナミは口を開く。


「カナミ、実は瑛理先輩のことが――すっごく嫌いなんです!」


 カナミは言い切ったことですっきりとした表情をしていた。


 今まで我慢してきた秘密を打ち明けたことで、心が晴れたのかもしれない。


 しかし、貞彦は思った。


 えー。なんか思ってたのと違う。

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