第9話 アンビバレントな世界
「でもさ、昨日のカナミの様子を見ると、刃渡のことを明らかに無視しているように感じたぞ」
刃渡と話をし始めてから、カナミは突然他人行儀な反応を見せた。
変化があった際には、特別な何かがある。
猫之音が挨拶に頷いてくれたことも、なんらかの変化の兆しだった。
しかし、この出来事を率直に考えるなら、ただ単に刃渡が怪しくて距離を取ったのではないかと、思えてしまうのだ。
「その見解は正しい。天美カナミは、刃渡瑛理とは話さない。ただし、二人きりの時以外の話だけどね」
「そうなのか?」
「うん」
貞彦は、二人の関係というものに、少しだけ興味が湧いてきた。
人の数だけ関係性があり、関わり方は変わっていく。
他者がいる場合といない場合でも、もたらされる思考や行動には変化が生じる。
三人だと仲良く話せるのに、二人きりになるとうまく話ができない時がある。逆もまたしかりだ。
三人でいる関係性と、二人きりの関係性では、その場での意味合いが変わるからだと、貞彦は考えている。
「他人がいる時に、カナミが刃渡と話をしないことには、どんな理由があるんだ?」
「それは、彼女の人間性について想像をしてみれば、わかるかもしれないよ」
サヤは謎かけをするように言った。
貞彦は考える。わずかな時間とはいえ、天美カナミと関わったことの印象について。
誰とでも仲良くなろうとする行動については、素直やまりあと共通しているように感じる。
しかし、その意味合いはまったく違うものだ。
素直は誰に対しても気兼ねなく話しに行くけれど、彼女自身の好き嫌いもはっきりしている。
性格が合わない奴や、人間性が好ましくない奴については、進んで仲良くなろうとはしない。
素直は決して平等ではなく、どこまでも素直な奴だと考えられる。
平等という意味では、まりあの接し方の方が誰に対しても平等だ。
関りの深い人や浅い人に関わらず、彼女なりの愛を示す。
愛を与えることが彼女の見つけたやり方であり、それをひとえに実践している。
時にウザくて、時に暑苦しいけれど、まりあが天使だと言われることの意味は理解できる。
それでは、天美カナミという人物はどうだろうか?
「カナミはなんていうか、他人から良く思われたいって思いが強いように感じるな」
好きになって欲しい、ファンになって欲しいと、カナミは言っていた。
かわいらしい印象を与える甘えるような声色。強烈な印象を与えるわざとらしい動作、ポーズ。
他人からの好意を受けたいという願いを感じる。
「僕もそう思うよ。天美カナミは出来るだけ多くの他人から好かれたい」
貞彦は、いきなりカナミが近づいてきた理由について知った。
素直から話を聞いていたということも、理由の一つではあるのだろう。
けれど本当の理由は、多くの友達を作って、より大勢に好かれたいのだ。
「逆に言うならば、他人から嫌われるような行為を出来る限り避けているんじゃないかと思うんだ」
「ってことは、瑛理といるところを他人に見られたくないって考えられるのか」
「変人の瑛理と仲良くしてしまうと、天美カナミまで変な目で見られるかもしれない。だから彼女は人前では瑛理のことを無視する。なんだか言ってて悲しくなるけどね」
サヤは頬杖をついた。
妹にまでボロカスに言われる瑛理のことを思うと、少しだけいたたまれない。
「それがカナミの生き方なのかもな」
澄香に教えてもらった、利己的な遺伝子の話を思い出した。
自身の遺伝子を最大限広げるために、人は戦略を繰り広げる。
遺伝子にとって、個人の人生には価値がない。だとしても、おそらく生き方には反映される。生き抜いて、次世代に遺伝子を残す為に、戦略としての生き方が選択される。
カナミにとっては、人に好かれることが生き抜いていく術なんだろう。
ふと、瑛理について考えた。
この世界で生きていくということは、自分以外の他者と生きていく必要がある。
他者と生きて行かなければいけないから、人の心情を理解しようと努める。誰かに合わせて、自分自身の一部を譲る。共感して協調して、排除されないように集団に溶け込もうとする。
刃渡瑛理は、それができない。
他人の気持ちがわからないだろうし、他人に合わせることができない。
世界という人の集団の中で、真っ暗な光で孤独に輝き続ける。
どんな人間でも存在してもいいと、綺麗ごとで
綺麗な顔をした裏では、適応できないと排除されてしまう現実が待っている。
どこまでも複雑で入り混じった、アンビバレントな世界。
瑛理はきっと、どこまでも生きづらいように思う。
「どうしたんだい貞彦くん。複雑な顔をして」
「刃渡のことを考えていたんだ。あいつにとって、世界はどう見えているんだろうなって」
サヤの瞳に優し気な感情が浮かぶ。
子供でも見るように慈しみに満ちた瞳は、妹というよりも姉のように見える。
「瑛理もね、昔はあんな感じじゃなかったんだ」
「そうなのか?」
「うん。もっと酷かった」
「マイナス方面だった!」
「すぐ感情的になるし、人の言うことに反論ばかりして、よく
「そりゃ目立っちまうよな」
貞彦も自分の過去を思い出した。
確か一人くらい、瑛理と似たような行動をする奴がいたように思う。
あの時はよくわからなくて、怖いので仲良くしたりはしなかった。
名前も覚えていないクラスメイトが、今どうしているんだろうか。
刃渡みたいな生きづらさを、感じているのだろうか。
サヤは話を続ける。
「小学生の頃は、クラスメイトの
「名前から悪意のありそうな奴だな」
「名は体を表すね。よく『持ち物かくれんぼ』とか、『五対一綱引き』とかをして、遊んでいたよ」
「それはいじめって言うんじゃないのか!?」
「まあそうとも言うね。やられたことに関して瑛理はよく怒っていたし、たまに過剰に反撃しすぎちゃって、よく叱られていたもんだよ」
「それはまあ、そうなるよな」
「それでね、最近久しぶりに瑛理とこの話をしたんだけど、瑛理はなんて言ったと思う?」
いじめ自体を擁護はできないが、昔から瑛理は空気が読めずに、集団には溶け込めなかったのだろう。
変人で偏っている瑛理が嘲りの対象になっていたことは、想像に難くない。
ただ、そのことについて今の刃渡はどう思っているのかはわからなかった。
「わからん」
「瑛理ったらある意味酷くてね『俺っていじめられてたの!?』って驚いていたよ」
「気づいてなかったのかよ!」
貞彦がツッコむと、サヤは感心したように拍手を送った。
「貞彦くんには、ぜひとも瑛理のツッコミ役として、これからも側にいて欲しいね。僕もようやく、ツッコミから解放されるかもしれない」
「ツッコミ役が必要なのは芸人だけだ」
「そうとは限らないさ。ただ、不思議だと思わないかい?」
「何が?」
「幼い頃の瑛理は、もっと感情的で、理不尽な目に合うと、人並み以上に怒りをぶつけていた。けど、今はいじめられていたことに気づいてすらいないんだ」
言われてみると、不思議なことだと思える。
過剰に反撃をしてしまうくらい、怒りに囚われていたという。
怒りの感情を抱くということは、自分が不当に扱われているということに、気づいているはずだ。
それでも、今の瑛理はそのことに気づいていない。
ただ単に忘れてしまったと、処理してしまってもいいのだろうか。
貞彦が葛藤していると、サヤは重苦しい声色で続きを話す。
「どんな理由であれ、認識をしないことで幸せかもしれない。けれど、それはきっと不自然だと僕は思う。ありのままの瑛理に、いずれ戻ってくれることを望むよ」
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