第1話 最速のハッピーエンド(反則負け)

「で、この動画は一体なんなんですか?」


 貞彦は聞いた。


 大きなため息を吐きつつ部室に現れた水無川は、有無を言わさずに相談支援部の三人に動画を見せた。


 まるで漫才のようなやり取りは面白かったが、水無川の表情は面白くなさそうだった。


 ギャグでもなんでもなく、自然と生まれた会話だったようだ。だからこそ、水無川は疲れ切っているように見えた。


「見ての通り、刃渡という二年生の生徒との会話だ」


 水無川は机の上に伏せていた。


 疲労が限界に達しているのか、教師としての威厳はまるでない。


 刃渡じゃなくても、今の水無川はとても小さく見える。


 確かに水無川先生というよりは、ミクロちゃんだった。


「はい、水無川先生。大したものではないですが、こちらを飲んで元気を出してください」


 澄香はカフェオレを水無川に振る舞った。


 疲労回復を意図したのか、ミルクと砂糖を多めに入れていた。こういった気遣いはさすがであると貞彦は思う。


 水無川はカフェオレを飲む。


「そういえばさー。人の動画を勝手にわたしたちに見せても大丈夫なのかな? ほらコングラチュレーション的に」


「祝ってどうするんだよ」


 貞彦は素直にツッコんだ。


 素直は時々、わけのわからないことを言う。


 おそらくニュアンスで話をしてるのだろうと思う。


 澄香は笑いをかみ殺していた。


「おそらく、コンプライアンス的に、と言いたのでしょうね」


「そう! それ!」


 水無川は一気にカフェオレを飲み切った。


「その点は心配ない。刃渡本人から許可はとってある」


「ちなみに、刃渡さんはなんとおっしゃっていたのですか?」


「『人に見せるんですか!? どうしよう……今日は寝癖を直してないのに』と言っていた」


「許可ではないじゃん」


「あははは」


 貞彦が再びツッコむと、澄香はついに声を上げて笑い出した。


「それにしても、随分と興味深い方ですね」


「最大限に前向きな評価だな。実際に会話をすると堪忍袋の数が足りなくなるぞ」


「まるで人をからかうような言動。そして、過剰なほどに言葉の意味をそのまま受け取る傾向ですか」


「……まあなんというか、別に根が悪い奴、というわけではないんだが」


 水無川はフォローするように言った。


 しかし、と貞彦は思う。


 根が悪い奴じゃないという風に表現をする時は、大体厄介な奴なのだ。


「それでさ。先生はなんのためにわたしたちに動画を見せたのかな?」


 素直が聞いたことで、話がようやく本題に入りそうだった。


「この動画を撮った日付が、約二週間前なんだ」


「じゃあもう友達を作るレポートの期限なんだね」


「ああ……その結果が、ご覧のありさまだ!」


 水無川は一枚のルーズリーフを机の上に叩きつけた。


 見てみると、中心には一行だけ大きな文字が書かれていた。


『がんばったけど無理でした。てへっ』


 カクカクとした字だが、線ははっきりしており、一生懸命書かれたであろう文章。


 しかし内容はとてもダメだった。


「なんとかしてやってくれ!」


 水無川は頭を抱えてしまった。


 時に暴力的ではあるが、それも生徒たちが出来る限り良い方向に行って欲しいという、願い故であった。


 体は小さくとも思いは大きい。水無川は生徒思いな教師である。


 そのため、どう言っても人間関係がうまくいかない刃渡に対し、本気で頭を悩ましているらしい。


 一生徒でしかない相談支援部員に、弱々しい姿を見せてしまうほどに。


「水無川先生。そんなに思い悩まないでください」


「白須美……」


「水無川先生が、私たちを含めてみんなのことを考えてくださっていることは、とても理解できます。水無川先生がいてくれるおかげで、学校生活が鮮やかに彩られていると感じます」


 水無川の表情が、みるみるうちに崩れていく。


 心の氷が溶けていくイメージを持った。


「私たちがこうしていられるのも、水無川先生のご尽力が一役買っていると思います。いつも――ありがとうございます」


「白須美! お前ってやつはなんていい奴なんだ!」


 水無川は涙ぐんだ。


 普段から、よっぽどストレスを抱えているのだろう。


 澄香先輩はもう、宗教か何かでも作ればいいと思う。


 そうしたら自分がサポート役にでも収まり、がっぽり儲けよう。


 下卑たことを貞彦は考えた。


「とはいえ、刃渡さんに対して、私たちが何をできるかは、まだわかりませんね」


「やっぱり一度本人に会ってみなくちゃね!」


 澄香と素直が言う。


 他人への理解から支援を決定する相談支援部の方針としては、そうするしかないと思える。


「わかった。呼ぼう」


 水無川はそう言って、スマホをいじりだした。


 どうやらメールか何かで、刃渡を呼び出しているようだ。


「教師が生徒の個人的な連絡先を知っているものなんですね」


 教師としてはどうなんだろうと貞彦は思ったが、水無川は首を振って否定した。


「そういうわけじゃない。ツイッターにリツイートしただけだ」


「刃渡先輩はツイッターをやってるんだね」


「ああ。フォロワーは五人だ」


 貞彦はツイッターをやっていないが、とても少ないということだけはわかった。


 なんだか悲しい気持ちになった。


 ほどなくして、相談支援部室の扉は勢いよく開いた。


「特製チョコクロワッサンをください!」


 可愛い動物に囲まれている時のような、満面の笑みを浮かべた男が現れた。


 全体的にシャープな印象を受ける。ギザギザとした直毛は、名前の通りカミソリのような鋭利さを感じる。


 動画で見た通りの、刃渡瑛理だった。


「あれ? どうしてミクロちゃんがここに? ここで一〇名様限定で特製チョコクロワッサンの試食会をやっているって『暗黒魔女MINA✩ちゃん』から教えてもらったんだけど」


 貞彦は『暗黒魔女MINA✩ちゃん』を見た。


 気まずそうに目を逸らされた。


 澄香は一歩前に出た。


「初めまして刃渡さん。ここは相談支援部の部室です。私は相談支援部部長で、三年の白須美澄香と言います」


 澄香は丁寧にお辞儀をして、満面の笑みを返していた。


「うおー美人さんだ。下心は少ししかないので、握手してくれませんか?」


「ごめんなさい。直接的な接触は、苦手なものでして」


「残念だ。それなら、妄想でなら握手してもいいですか?」


「いや気持ち悪いだろ!」


 貞彦がツッコみを入れるが、澄香は相変わらずニコニコしていた。


「それなら構わないですよ」


「いいのか!?」


「やったー」


 刃渡は目をつむって、何やら手をわきわきとしだした。


 妄想の中とはいえ、明らかに握手以上のことをしている様子だった。


 澄香が許可した以上何も言えないのだが、なんだか胸がもやもやした。


「ありがとう白須美先輩。これで元気がでたよ」


「ふふふ。それは良かったです」


 澄香はまるで動じた様子はなく、涼し気な顔をしていた。


「お礼にというのも変ですが、あなたのことを聞かせていただいてもよろしいですか? 刃渡瑛理さん?」


 優し気な口調の中に、弾むよう何かが潜んでいる。


 澄香は刃渡に対し、並々ならぬ興味を抱いているように、貞彦は感じた。


 刃渡は驚きで表情をこわばらせていた。


 初対面の相手に名前を知られていることに驚きを感じているようだった。


「久しぶりに名前で呼ばれた! いっつも『オイ』とか呼ばれているから新鮮だ!」


 そっちかよ、と貞彦は悲しくなりながらも思った。






 貞彦たちは、刃渡が友達を作ろうと悪戦苦闘した日々について聞いた。


 いきなり廊下で話しかけたり、おもむろに肩を組んでみたり、目の前で倒れたフリをしてみたり、一生懸命にがんばっていたようだ。


 貞彦は理解した。


 このままでは、一生コイツに友達はできないということを。


「なあ素直、刃渡をどうすればいいと思う?」


 貞彦は解決方法が思いつかず、素直に意見を求めた。


 澄香が刃渡の話を聞いているため、邪魔しないようにひそひそした声を心掛けた。


「どうもしなくていいんじゃないかな?」


 投げやりな様子ではなく、とても自然体な返答だった。


「えー……。こう言っちゃなんだが、言動も行動も、けっこうヤバいと思う」


「まあ普通な感じではないよね。でも刃渡先輩はとってもおもしろいと思うんだよ」


 母親が子供を褒めるような口調だった。


 言動も行動もエキセントリックだが、素直にとっては面白く写っているらしい。


 確かに、予測のつかない捉え方をしたり、突拍子もない行動をしたりするところは、面白いと思わなくはない。


 けれど、水無川の願いは、おそらく刃渡には真っ当な人間になって欲しいというものだ。


 友達も出来ずに、今の状態で生きていくこと。


 現在を肯定してしまったら、将来的にはとても苦労を強いられるような気がしてならない。


 社会に出た時に、一人だけ排斥されるかもしれない。どこにも溶け込めず、社会の片隅でひっそりと生きることしかできなくなるかもしれない。


 刃渡をこのまま放置しておくことに、貞彦は肯定的にはなれなかった。


「友達を作る、ということに関してでしたら、とてもいい方法がありますよ」


 澄香の言葉で、貞彦の思考は現実に戻される。


 どうやら、友達を作るという話題となっていたようだ。


「貞彦さん。ちょっと失礼しますね」


 澄香はそう言って、貞彦の右手首を握った。


 そして、瑛理の右手に無理やり重ね合わせた。


「はい。これで貞彦さんと刃渡さんはお友達です。これで――課題はクリアできましたね」


 女神ですら嫉妬しそうな、魅力的な笑みを澄香は浮かべた。


 良かった良かったと、誰もが物語のハッピーエンドを予感した。


 今回の依頼については、最速で解決できたのだった。


「これはさすがに反則だろ!」


 そんなわけがなかった。


 けれども、当の瑛理も嬉しそうに顔をほころばせていた。


「課題クリアだ! やったー!」


「お前は喜ぶな!」

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