第252話 GOODBYE
きょとんとしたローラの巨大な顔は、間抜けにも見えた。
だが、こんな顔をするのも無理はないだろう。既に顔の三割ほどが光の粒になりかかっている彼女は、自分に何が起きているのか忘れたかのように、ハーミスに問う。
『……壁……?』
「そうだ、外神の世界全てを作り替える力は俺にはなかった。だから、お前達が侵略してこられないよう、干渉できないように壁を張り巡らせた」
はったりではないのは、背に感じるとてつもない力で、ローラも理解していた。間違いなく、ハーミスは外神の世界を作り替えた。どれだけの力を使っても、どれだけの時間をかけても、外神の侵略など許さないように。
「俺が死んでも、何百年、何千年、何万年経っても、この壁は消えない。外神の力もこちらの世界では存在しないことになる……じきに、怪物達も皆消える。ローラ、お前の願いは永遠に叶わない」
ローラの野望は、願いは、斯くして永久に潰えた。
何十年とかけてきた、世界を滅ぼす願いは、たった一人の復讐者によってとこしえの闇に葬り去られてしまった。
聖伐隊を創り上げ、国を支配し、何もかもを支配したはずなのに。どこから狂ってしまったのか、どこから計画にずれが生じ始めたのか。
『…………嫌よ』
彼女は分かっている。幼いあの日に、ハーミスを殺した日からだ。
つまり、計画を練り始めたあの日からだ。
そんなことがあってたまるか。惨めに消え去ってたまるか。崩壊と消失の美しさも知らない、自分が殺されたというだけの男に、ここまでされてなるものか――。
『私はこの為に生きてきたのよ! 世界が、未来が滅ぶさまを見る為だけに全てを捧げて、全てが上手く運んでいたのに、どうしてこんな結果になるの!? どうしてこんなことをするの、ハーミス!?』
ローラは叫んだ。
初めて彼女は、怒りを伴って声を発した。自分がこんな目に遭うのが到底理解できないし、ハーミス如きに全てを瓦解させられてしまうのはもっと納得できなかった。消えゆく巨大な顔だけとなった彼女は、子供のように叫び喚いた。
尤も、何を言おうと、ハーミスの返事は決まっていた。
「決まってるだろ――それが俺の、復讐だからだよ」
ローラはこの瞬間を、心の底から呪い、憎み、怖れた。
ならば、この瞬間の為に、ハーミスは生きてきた。
これまでの復讐のように、ハーミスは笑ってはいなかった。感情の何もかもを、あちらの白い世界に置いてきてしまったかのように、ただ静かに、ハーミスは言った。
「じゃあな、ローラ」
彼が当たり前のように告げた時には、ローラの顔も門も、暗黒空間も、殆どが淡い光となって消えかけていた。ただ無情に、黒い世界の果ての中で消えゆく定めを、ローラだけが認めようとはしなかった。
『ハーミスッ! 復讐なんてくだらないちっぽけな考えで! よくも、よくも私の計画を、世界の滅びという素晴らしい未来をおおおぉぉぉ――……』
しかし、運命は変わらない。
聖伐隊として魔物を滅ぼそうとして、人の運命を壊し、国と数多の人々の命を失わせた聖女だけが、死の定めから逃れられるはずがない。いや、彼女の場合は死よりも恐ろしい、永遠の虚無へと連れ去られるのだ。
無意味な絶叫、最期の轟きを闇の果てに響かせながら、ローラと外神、そして二つの世界を繋ぐ門は、完全に消え去った。侵略者の脅威は、この世界のどこにもない。きっと、地上の従僕達もじきに消滅するだろう。
「……さて、と」
一仕事終えた顔のハーミスは、くるりと振り返り、地上を見つめた。
「ローラ、ありったけの力ってのは嘘だ。あと一つだけ、やることがあるんだよ」
そう呟いた彼は、爪先からちょっとずつ、虹色の粒子となっていた。
時が来たのだ。ほんの僅かに与えられた、この世にいられる時間の限界が。
小さな光はゆっくりとハーミスの体を掻き消し、虹が地上を包んでゆく。彼の最期の願いが果たされてゆくのにつれて、ハーミスは世界から失われてる。
彼の望みは、ただ一つ。
「この世界を創り直すのは無理だけど、俺のことを知っている人を……レギンリオルの内外で俺を知っている人から、俺の記憶を消すことはできる」
世界中の誰もが、自分の為に、自分の存在を忘れることだ。
独りよがりな願いを、ハーミスはこちらに戻って来る時からずっと抱いていた。生きたまま皆のところには帰れないと知っていたし、奇跡など起きないとも察していた。
「いやあ、寂しいんだよ。クレアや仲間が俺のこと覚えてて、俺がどこ行ったのかとかさ、もしかしたら帰ってこなくて死んだのかとかさ。そんなことで悩んだり、探そうとしたりしてたらさ……」
だからこそ、悲しみを彼は選ばなかった。自分がどこに行ったのかを誰も探さないよう、誰も自分がいなくなったのに気付かないよう――世界の一部を、作り替えたのだ。
「自信過剰だったらそれでもいいんだけどな、ははっ――」
そんな奴がいなければいい。自分など、皆が忘れていればいい。
そんなはずはない。皆が覚えていてくれる。誰もがかけがえのない仲間だと知っているからこそ、ハーミスは世界を虹で包んだ。
肉体が光となり、七色に染まる最中、彼は最期に残せる言葉を選んだ。
「――じゃあな、皆」
別れの挨拶。ただ、それだけ。
切なる想い、ただ一つを胸に秘め、ハーミスは光となった。
後には何も残らなかった。宙を舞う
地上からは何も見えない。何が起きたのかも知らないが、ただ金色の輪が消え去り、地を埋め尽くす怪物達が、たちまち泥のように溶けてしまったのは事実だ。
誰も彼もが疲弊した地獄の戦場に、一筋の光明が射しこんだ。ボロボロになったエルフの一人が、墜落した戦闘機の傍で斃れるベルフィの前で、思わず叫んだ。
「ベルフィ様、怪物が消えてゆきます!」
左目から血を流し、体中傷だらけの姫は、何が起きたのかを悟った。
「……ええ、我々の、勝利です」
つまり、敵が退き、戦争が終わったのだと。
「「おおおぉぉ――ッ!」」
亜人、魔物、ゾンビ、ギャング。同盟を組み、生き残った者は誰もが武器を掲げ、喜びの声を解き放った。たった数十人、数匹程度しか残らなかったが、確かな勝利であった。
「ようやく、ようやく終わったようじゃのう……」
獣人のギャングはカタナを地面に突き刺し、寝転んで空を仰いだ。
「オットーよ、終わったぞ、わらわ達が勝ったのじゃ!」
ゾンビは抱かれて動かなくなった従者に、勝ち取った勝利を伝えた。
「やったよ、やったんだ! ルビー達が怪物をやっつけたんだ、やったーっ!」
「……どうにか、なんとか、終わったみたいですね……」
長く旅を続けてきた三人は、歓声の中で、満身創痍の体を休ませるように座り込んだ。クレアもまた、エルとルビーの近くに来て、勝利に安堵したようだった。
「エルの言う通り、どうにかこうにかって感じよ。これも全部あいつのおかげ――」
クレアは傷だらけの頬を擦り、当たり前のように話そうとして、留まった。
「――『あいつ』って、誰?」
誰もが、彼の望み通り、彼を忘れていた。
人のいなくなった国――レギンリオルと世界に、彼の痕跡はなかった。
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