第25話 復讐


 拳を持ち上げた巨人は、ゆっくりとしゃがみ込んだ。その途中で家屋が粉砕されたが、今更気にする者はいなかった。

 そして、前のめりになるように頭を下げると、ハーミスがそこから降りてきた。


「……ふう。ルビー、クレア、無事か?」


 コートをたなびかせ、広場を当たり前のように歩くハーミスに、ドラゴンのままとはいえ、ルビーは喜びと安心を堪えきれなかったようだ。


『ハーミス、ハーミス!』


 どしん、どしん、と音を立てながら駆け寄ってきたルビーは、たまらずハーミスに抱き着いた。微笑ましい光景には間違いないのだが、人間より遥かに大きい体と重さで圧し掛かられれば、流石のハーミスも耐えきれない。


「わぶっ! ちょ、落ち着け、落ち着けって! せめて人の姿に戻ってくれ!」


『あ、ごめんね、今戻るから待ってて……うん、ハーミスーっ!』


 彼はどくよう言うべきだった。ルビーが人の姿に戻っても――丸裸でも、結局抱き着かれれば、重さに身をゆだねるしかないのだ。既に抜けた剣の傷は癒えたようだった。

 観念した様子で地に仰向けになったハーミスを覗き込むのは、これまた一安心したクレアだった。彼女はこの巨人を、自分の財産で買ったと察しているのだ。


「これをあたしのへそくりで買ったわけ? どうやって持ち歩くのよ、こんなもん」


「いいや、持ち歩く必要はねえ。こいつは一度きりしか使えない……ほら、回収される」


 ハーミスがそう言うのと同時に、巨人は黒い穴にすっぽりと包まれて、だんだんその姿を消していった。炎の筒と同じように、一度使いきった商品はこうして回収されるのだ。ハーミスとしては、持ち歩く必要がないから、この方がありがたい。


「二百万ウルの価値はあったわけだ。俺達三人で、聖伐隊の幹部と百人以上の部下を倒したんだからな。まあ、でも……」


 ゆっくりとルビーを押し上げながら、ハーミスは巨大なクレーターを見ていた。

 巨人の一撃で作られた陥没穴。石で整備された広場が泥のように凹んでいるその様を見ているのではなく、彼はクレーターの中心の、とある生き物を捉えていた。

 裸のルビーをなるべく見ないようにして、彼は自分のコートを彼女にかけながら、クレアを含めた三人でクレーターに向かった。そして、中にいるそれを見た。


「かひゅー……こひゅー……」


 ユーゴーだ。

 完全に死んだものかと思われたが、まだ生きていた。


「両手足は粉々、虫の息ってとこだ。完全に潰したつもりだったんだがな、運がいいぜ」


 と言っても、近寄ったハーミスから見れば、死んだほうがましな有様だ。

 泥だらけで血塗れ、両手足は紙のようにペラペラで、鎧は砕けた飴のよう。顎はペシャンコ。体全体でいうならば、接地面が潰れているのか、地面と一体化したかのようだ。

 それでも生きている。死にたくない一心で、千切れた舌と砕けた顎を動かしている。


「……たしゅ、けて……はーみしゅ……」


 あれだけ見下した相手に、天より高い誇りを捨てて、命乞いをしている。


「しにたくなひ……おれ、たち……なかま……だったりょ……はーみしゅ……?」


 自らが捨てた仲間を、今一度仲間だと呼んでいる。あまりの醜悪さに、クレアが顔を顰め、ルビーの顔が憤怒で染まるのも当然だろう。

 ところが、ハーミスは違った。彼は、にっこりと笑った。


「はーみしゅ……!」


 希望を抱いたユーゴーに、ハーミスは最高の笑顔のまま、言った。


「悪りい。お前の仲間のハーミス・タナーなんだが、三年前に死んじまった。今、お前の目の前にいるのは、ハーミス・タナー・プライム。赤の他人だよ」


「……あぇ?」


 彼の希望は、ものの数秒で打ち砕かれた。

 それどころか、絶対に救われないという絶望感が脳に刻み込まれた。恐怖と悲壮をこれでもかと顔に浮かべるユーゴー自身になどまるで興味を示さず、ハーミスは彼に近寄ると、彼の右耳から何かをひったくった。


「よっと。それに、お前の生き死にを決めるのは俺じゃない。ルビー、任せるよ」


 代わりにやって来たのは、ルビーだ。

 赤い髪を怒りで揺らめかせ、歯ぎしりと共にこれでもかと目を見開く彼女の前にいるのは、母と恩人を殺した仇敵だ。指を鳴らし、腕を鳴らし、やめてと懇願する男を見据える。


「ま、まっで、まっで、はーみじゅ! やだ、やべで、やべでぐれ!」


「ママを、村長さんを虫けらみたいに殺したな。ルビーはお前を、虫けらみたいに殺さない。あっさり殺してなんてやるもんか――」


 ――二人がそう言った時、この男は聞いただろうか。


「――苦しませて殺してやるッ! ウガアアアアァァッ!」


 そう考えた時、ルビーはほぼ反射的に、ユーゴーに跨って拳を叩き込んでいた。


「ひんぎゃあああぼぐっおごごっえっがばばあああああ――ッ!」


 顔が凹んだ。窪みが抉れ、顔に存在する内側の、ありとあらゆる部位が悲鳴を上げた。

 ドラゴンの天性的な勘か、それとも偶然か。ユーゴーに命中する拳はいずれも、痛みを与えながら死に至らせない、絶妙な威力だった。きっと彼は、人間として死を選ぶ瞬間まで、絶望と激痛を味わい続けるだろう。

 何十発では済まない。何百発と叩き込まれる、ドラゴンの拳は、地獄の責め苦より痛い。

 えげつないが、当然の報いともいえる光景を見て、クレアは身震いする。


「ドラゴンの顔面パンチかー、あたしは絶対喰らいたくないわね……何してんの?」


 その隣で、ハーミスはユーゴーの通信装置、白い耳に付ける装置を見つめていた。


「ああ、ユーゴーが耳につけてたもんだ。俺の勘が正しけりゃあ……」


 もしも、これがずっと誰かと繋がっているのなら。可能性ではあるが、ユーゴーの性格を知っていたハーミスには、妙な確信があった。だからこそ、装置を耳に当て、言った。


「――聞こえてるんだろ、ローラ?」


 僅かな間を置いて、女性の声が返ってきた。


『……ハーミスね。まさか生きているなんて、驚きよ』


 ローラだ。質はやや大人びていて、顔は見えないが、この声は間違いなくローラだ。


「ユーゴーのことは気にも留めないんだな。恋人だってのに」


『彼は『選ばれし者達』の中でも最も愚かだったわ。恋人だって言っておけば勝手に動いてくれる、使い勝手のいい道具よ』


 やはり、とハーミスが勝手に同情していると、ローラが彼に告げた。


『ねえ、ハーミス? 私達の邪魔をしないでくれないかしら? 今ここで、二度と聖伐隊に関わらないと約束してくれれば、金輪際貴方達を狙わないわ。もし断れば――貴方と盗賊、ドラゴンを追うように聖伐隊に命令を下すわ』


 クレアのこともどこかで聞いていたのか、それとも最初からこうなると、ハーミス達一行の人数も把握していたのか。いずれにしても、答えなど決まっている。


「……ローラ、ついでに腰巾着のリオノーレとサンもいるんだろ? よく聞け」


 青い瞳を燃やし、歯の奥を擦り潰れるほど噛み、彼は最大の怒りを込めて言い放った。


「蘇った俺の目的は、お前らのくだらねえ野望を食い止めることだけだ。ついでに言うなら、お前らを地獄に叩き落としてやるのもな。だから――」


 全てを言い終えるより先に、ローラは動いた。つまり、ハーミス達を敵と認定したのだ。きっと、行く先で聖伐隊が自分を狙って来るだろう。


「……話は最後まで聞けっての」


 上等だ、とハーミスが笑うと、クレアが肩を叩いて、事の次第を聞いてきた。


「ハーミス、誰と話してたのよ?」


「ああ、ローラだよ。俺達三人を、聖伐隊に狙わせるんだと。指名手配だな、ははっ」


 自分も狙われる。ハーミスと一緒に、狂った宗教団体に。

 少しばかり沈黙して、物事を理解して。


「――えええええぇぇぇ――ッ!?」


「ごろじでえええええええッ!」


 クレアとユーゴー、二人の悲鳴が、ジュエイル村に響いた。

 ただ、ユーゴーの悲鳴は頭を潰される明朝まで、止むことはなかったのだが。

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