ゲーム雑記

涼格朱銀

私のゲーム歴

 この雑記では、主に最近プレイしたゲームについて雑感を書いているが、ここでは私のゲーム歴についてざっくり紹介しておこうと思う。



 記憶している限り、私が初めてゲームをプレイしたのは2歳くらいのとき。プレイしていたのはぴゅう太の『四人麻雀』。

 当然ルールなどわからないので、何がどうなっているか、さっぱりわからなかった。


 ぴゅう太は父親が、私のためという名目で購入したものだったらしい。自分が欲しかっただけというのが家族の中での定説である。確かに、1歳だかの子供のためにゲーム機を買う、というのは苦しい言い訳である。


 当時ぴゅう太で出ていたソフトはひととおりあった。『デビルワールド』、『モンスターイン』、『ボンブマン』、『スクランブル』、『ザウルスランド』など。

 当時はどうすれば長生きできるかとか、スコアを稼げるかなどは全然考えていなかった。ただプレイしていただけだが、それでもわりと楽しかったような気がする。


 世間では任天堂からファミリーコンピューターが発売され、ほとんどの家庭にはファミコンがあった。しかし、私の家にはなかった。そりゃあそうだろう。ぴゅう太は定価59800円。しかも多くのソフトを揃えていたのだから、父親がぴゅう太に投資した額は相当なものだったはずである。この上ファミコンを買うなどという贅沢が許されるはずがなかった。

 ただ、私はそんな家庭の事情は知らなかったし、そもそもぴゅう太で満ち足りていた。ファミコンは友達の家でプレイしたが、そんなに心惹かれなかった。



 ファミコンが我が家にやってきたのはずっと後のこと。はっきりとは覚えていないが、おそらく『ドラゴンクエストIII』が発売する前後くらいだったと思う。引っ越し祝いとして祖父母が買ってくれた。

 ただ、これも、誰に向けて「買ってくれた」のかは今考えるとよくわからない。私は一度もファミコンを欲しいと思ったことはなかったからである。もしかすると祖父母は、もっぱら父親のために買ったのかもしれない。


 いずれにせよ、父親はだんだんゲームをやらなくなった。父親は、かつては『スペースインベーダー』をゲーセンでプレイしていたりしたらしいが、だんだんと複雑化するゲームについていけなくなり、興味が失せたようである。


 ファミコンが我が家に来てしばらくは、私はたまに父母がパチンコ屋に行って景品として取ってくるゲームをプレイするだけだった。『バイナリィランド』などの子供にはムズすぎるゲームや、『トランスフォーマー コンボイの謎』や『シャーロックホームズ 伯爵令嬢誘拐事件』、『ミシシッピー殺人事件』、『ゴーストバスターズ』など、伝説のクソゲーが目白押しだった。


 特に『ミシシッピー殺人事件』は強く印象に残っている。船室を歩いていたら、突然ナイフが飛んできて死ぬのである。これはトラウマとして長く私の精神を蝕んだ。空室に入ると、突然どこからかナイフが飛んできたり、落とし穴に落ちたりするんじゃないかという謎の恐怖が頭から離れなかったのである。



 当時は、ファミコンそのものよりも、私が心惹かれたのは攻略本だった。攻略本を読んでゲームを攻略することは全くなかったが、ただ読んでいるだけでなぜか楽しいのである。

 そのうち私は、持っていないゲームの攻略本を買ってもらうようになった。ただ、買ってもらうのはなかなか大変ではあった。親には、なぜ持っていないゲームの攻略本が必要なのか理解できなかったからである。持っていないからこそ欲しいのだが。


 私が特にお気に入りだった攻略本は、『マニアックマンション』と『ふぁみこんむかし話 新・鬼ヶ島』だった。私はこれらの本を、ホラー小説のような感じで読んでいた。おそらく『マニアックマンション』は、当時本当にプレイしていたら、謎解きができないのと怖いのとで、最後までクリアできなかったと思う。しかし、攻略本ならプレイせずに先の展開がわかる。

 あとは『ヴォルガードII』。これはソフトも持っていたが、攻略の役には全く立っていなかった。いくら読んでもちっともうまくならない。しかし、攻略本を読むのは楽しかった。今から考えたら何が楽しいんだかわからない。延々似たようなステージの写真が貼ってあるだけである。あとは、BGMの歌詞が載っていたりした。「レーザー つよいぞ レーザー」とか。

 ついでに言うと、私が初めて購読した小説は『ドラゴンクエスト アイテム物語』である。私の読書歴は攻略本で始まったと言ってもいい。



 私が初めて自分で「欲しい」と思って買ってもらったソフトは『ガチャポン戦士2 カプセル戦記』。誕生日のプレゼントとして指定した。

 私は当時、SDガンダムのアニメをレンタルして観ていた(原作である『ガンダム』シリーズは観ていなかった。観るのはずっと後になってから)ので、その影響もあるが、『ファミコン通信』でこのゲームのことを知ったとき、直感的に面白そうと思ったのである。

 実際、このゲームは当たりだった。私の友達の多くはこういうゲームを好まなかったので、もっぱらCPUと対戦していたが、まあプレイしまくったもんである。

 これ以降、私はソフトを自分の小遣いで買うようになる。ただし、子供の小遣いでソフトがそうそう買えるわけもなく、中古屋を利用するようになった。



 ただ、私とファミコンとの付き合いは、わりと短く終わってしまう。ファミコンが家にやってきて1年か2年経った頃、ゲームボーイが登場した。私はクリスマスプレゼントだったか誕生日プレゼントだったかでゲームボーイを買ってもらい、それから長らく、ゲームボーイが私のメインハードとなる。



 ゲームボーイの発売から1年後、スーパーファミコンが登場した。私は『シムシティ』がやりたくて、スーパーファミコンが欲しかった。しかし、私の家ではスーパーファミコン禁止令が発令された。もうゲームは卒業して勉強しろというお達しである。

 しかし、よく考えてみて欲しい。1歳だか2歳のころからゲームの英才教育をしてきたくせに、いまさらそれはないだろう。

 この理不尽な方針に私は納得がいかなかったが、しょうがないからゲームボーイで遊ぶことにした。


 世間がFFだ、ドラクエだと騒いでいた頃、私は『魔界塔士Sa・Ga』や『聖剣伝説』、『女神転生外伝 ラストバイブル』あとは『ゴッドメディスン』などといったRPGで遊んでいた。そして「何がスーファミだ、FFとドラクエしかないくせに。ゲームボーイの方がよっぽどRPG天国だぜ」と思っていた。


 実際、私がスーファミでプレイしたかったゲームは『シムシティ』しかなかった。ただ、『デザエモン』が出たときはスーファミがないことを心底恨めしいと思ったが。

 FFやドラクエにはさほど興味がなかった。先にも言ったように、ゲームボーイには良作RPGが多く、FFやドラクエをうらやましがる必要もなかったのである。



 そんな私に転機が訪れたのは、1992年のこと。当時、『ファミコン通信』のいつだかの号で、PCエンジンの『銀河お嬢様伝説ユナ』が紹介されていた。

 この記事は私にカルチャーショックを与えた。ゲームでアニメーションを動かせたり、音声が出せたりするらしいのである。マジかよ。なに、その未来技術。

 この衝撃は、『2001年宇宙の旅』をリアルタイムで観た人がテレビ電話のシーンを見たときと同じくらいのものだったと思う。しかし、『2001年』は所詮作り話だが、PCエンジンは現実である。


 もともと私はPCエンジンには興味があった。『ネクタリス』がプレイしたかったのである。ただ、それだけのためにPCエンジンを買うのもなあと思っていた。

 しかし、未来技術が体験できるとなると話は別である。私は決意した。今から金を貯めて、クリスマスと正月小遣いを使ってPCエンジンを買おうと。

 家ではスーパーファミコンは禁止されていたが、PCエンジンは禁止されていなかった。とはいえ、親に見つかったら何を言われるかわからんので、当然、隠密行動である。


 というわけで、私はせっせと金を貯めつつ、『PCエンジンFAN』を購読してPCエンジンについての情報を得ながら、未来技術との遭遇に夢を馳せた。

 そして1993年の正月、私はゲーム屋に行き、中古のコアグラIIとスーパーCD-ROM2、あとは『ネクタリス』と『ユナ』を購入した。


 なぜDUOじゃなくてコアグラII+SCDにしたかというと、PCエンジンのバリエーションは複雑すぎて、当時の私にはわけがわからなかったからである。DUOはスーパーCD-ROM2しか使えないんじゃないかと思っていた。それで、確実にHuカードもCDも使えるハード構成にした、というわけである。

 結局のところ、この構成はとてもいい選択だった。というのは、DUOはコネクタ部や電源コードの品質などに脆弱性があり、すぐ壊れるのである。コアグラII+SCDの方が丈夫だったりする。


 なお、初めて『ユナ』で主題歌付きのオープニングシーンを見聞きしたときの驚きは確かに印象に残っているが、私が真にPCエンジンで衝撃を受けたのは『ラングリッサー』のBGMだった。たかだかゲームのBGMで、生ギターの演奏が入っているのである。しかも、カセットテープとは比べものにならないほどの超クリアな音質で。さらに衝撃だったのは『イースIV』のBGMだったわけだが、ともかく、私がPCエンジンで最も感動したのは、アニメーションではなくBGMだったわけである。

 この傾向は今でもある。私はグラフィックが粗くても気にならないが、BGMがしょぼかったり場違いだったり変な音を鳴らしていたりすると我慢ならない。



 PCエンジンは、私にとっては超当たりハードだった。『ネクタリス』や『ラングリッサー』などの戦術シミュレーション、『イースIV』や『エメラルドドラゴン』などのRPG、『グラディウス』や『R-TYPE』などのシューティングなど、良質なタイトルが豊富にあった。後には『A列車で行こうIII』もプレイできるようになった。


 なにより素晴らしかったのは、先にも言ったようにBGM。PCエンジンはCD-DAを使用してCD音質でBGMが再生できたのだが、そのためか、PCエンジンでゲームを作るメーカーはBGMに異様な力を入れていた。なにしろ、ゲームデータの何倍もの容量を使ってBGMを鳴らしていたのである。

『イースIV』や『エメラルドドラゴン』のBGMは、今聞いてもそのクオリティの高さに驚く。『グラディウスII』や『ダライアス』も感動モノ。この2タイトルはPCエンジンminiにも収録されているが、圧縮して収録していると思われる。実機で聞いたときほどの感動は得られなかった。


 メガCDでも同じことはできたし、CD-DAを利用してBGMを再生しているゲームはもちろんあったが、メガドライブは内蔵音源の音質の良さがウリだったため、そっちの方に力を入れるメーカーの方が多かったように思う。そもそもPCエンジンCD-ROM2の音へのこだわりは異常である。どれだけ金と手間をかけてるんだというくらいすさまじい。


 私が音楽に興味を抱くようになったきっかけはPCエンジンだった。はじめて買ったCDは『ラングリッサー』のサントラだった。それまで音楽には興味がなく、買ってまで聞くような曲はなかった。



 プレイステーションが出る頃、PCエンジンにはHuビデオという謎の技術が導入され、画像は粗いものの、ムービーが再生できるようになった。

 私は本気で、これならPCエンジンはプレイステーションと対抗できるんじゃないかと思った。ポリゴンを使った3Dゲームは無理だが、従来のタイプのゲームなら負けないくらいの性能があるように思えたのである。


 しかし、NECとハドソンはPCエンジンを裏切った。次世代機としてPC-FXを出しながら、ろくにソフトも出さずに撤退し、ハドソンはサターンやプレイステーションにゲームをリリースするようになった。

 こうして、PCエンジンは終焉を迎えることになる。

 このときの私の気持ちは、ヒトラーとそっくりだったかもしれない。ドイツはまだ戦えるのに、腰抜け共産主義者とユダヤ人が勝手に降伏しやがったのだと。


 冷静に考えれば、ポリゴン技術を軽視したPCエンジンが生き残る見込みは、もうなかったのかもしれない。しかし、ポリゴンゲームだけが全てではないのだから、PCエンジンはPCエンジンとして存続するやり方もあったのではないかとも思う。問題は、コア構想を捨ててPC-FXを作ったことにあるのではないか。

 メガドライブでは失敗作とされるスーパー32Xは、PCエンジンにこそ必要だったのではないかと私は思う。PCエンジンがスーパー32X的なものを作れば、コア構想とも合致するし、結構な延命措置になった気がする。



 NECとハドソンに裏切られた私は、しばらくメインハードを持たない流浪の民となった。その間、サターンを借りて『ラングリッサーIV』をプレイしたり、プレイステーションを買った友達から「もういらない」からとスーパーファミコンをもらったりした。

 私はさっそく『シムシティ』と『デザエモン』、それから『RPGツクール』と『音楽ツクール かなでーる』を買って、もっぱら楽曲制作への興味が湧いてきたりすることになる。



 その後、プレイステーションの供給が安定したあたりで、プレイステーションを買った。

 当時のゲーマーなら、プレイステーション、プレイステーション2は持っていて当然のハードだった。思い入れがあって所有しているのではなく、なきゃ話にならないから持っていただけである。なので、これらハードについてことさら言うことはない。


 PCエンジンを持っていた私にとって、プレイステーションはそこまで驚くハードではなかった。CD-DAを使ったBGM、音声再生、ムービーなんかは、すでに数年前に体験したものである。また、ポリゴン技術は当時はまだ粗かったし、ポリゴンを使っていることに意味のあるゲームも少なかったから、そんなに驚くほどのものでもなかった。



 私はこれまでゲームセンターでゲームをすることは滅多になかった。ゲーセンは不良の行くところだったし、ゲーセンで金を使っていたらゲームソフトは買えない。

 その事情が変わったのが"Dance Dance Revolution"のPS版の登場だった。


 これは友達が買い、友達の家で一緒にコントローラーでプレイしていた。当時の私達には、足を使ってプレイするという常識は存在しなかった。当然のようにコントローラーでプレイしており、そのことに何の疑いも持っていなかった。


 このゲームには、セーブデータの入ったメモリーカードをアーケードのDDRに挿して一部の曲をクリアすると、楽曲が追加されるという機能があった。たしか"BOYS"と"I believe in miracles"だった覚えがある。

 それで、私がこっそりゲーセンに行ってクリアしてくることになった。


 コントローラーではそこそこプレイできていたから楽勝だと思い、さっくりと"BOYS"を選んでプレイすると……足がもつれてまともに動けやしなかった。数秒で閉店。

 私は心を入れ替えて、一番簡単な曲で練習することにした。当時大学生だったので、人のいない時間帯に人のいないゲーセンを選んでコソ練した。


 その甲斐あって、しばらくすると"I believe in miracles"もクリアして解禁できるようになったが、このころになると、このゲームはコントローラーでやるゲームじゃないなと悟るようになった。足でやってこそのゲームなのである。


 こうして、ゲーセンでDDRをプレイするようになった頃に登場したのが『キーボードマニア』だった。ヤマハの24鍵キーボードを使い、降ってきたノーツに合わせて楽曲を演奏する、わりとガチな音ゲーである。

 今で言う『ノスタルジア』だが、『キーマニ』は鍵盤に対応した音が全部ちゃんと鳴るので、べちゃ押しするととんでもない不協和音が鳴り響くことになる。逆に言うと、自分で音を足すこともできた。ゲームでは省略されているコードをちゃんと弾いて音を出すことも可能だったわけである。


 ただし、このゲームの難度はとんでもなく高かった。プレイ方法が鍵盤演奏と同じだからというのもあるが、クリアゲージ判定が『ギタドラ』+『IIDX』なのである。ゲージが0になったら即閉店な上、終了時に規定のパーセンテージ以上ゲージが残ってないとやっぱりゲームオーバー。そもそも本格的すぎて難度の高いゲームを、なぜさらにムズくするのか。

 鍵盤経験者有利かというと、必ずしもそうではなく、24鍵では収まらない曲の場合、ところどころキーがシフトしたりする。それが鍵盤経験者を混乱させる。明らかに間違っている鍵を弾かなければならない。


 私は子供の頃、ちょっとだけエレクトーンをやっていたので、少しだけ鍵盤楽器は演奏できた。それもあって、このゲームには相当嵌まった。そして、このゲームのおかげでロックの世界に足を踏み入れることになる。


 このゲームには"Henry Henry"という曲がある。小川文明が作った曲だが、これが明らかにリック・ウェイクマンの『ヘンリー8世と6人の妻』なフレーズを使いまくっている楽曲だった。もちろん意図的なもので、サントラのライナーノーツでも堂々とそうだと書いている。

 他にも小川文明は、明らかにディープ・パープルな"Burnin'"、明らかにEL&Pな"ARMAJIRO"("Tarkus"のジャケ絵がアルマジロ戦車だから)といった素敵な楽曲を提供している。今から考えると版権的に大丈夫だったのかと思うが、この当時は今ほど著作権についてやかましく言う時代ではなかったようである。


 ともかく、私はこれがきっかけで、CD屋で海外から取り寄せてまで『ヘンリー8世と6人の妻』を入手し、プログレに嵌まった。その後、ドリーム・シアター経由でメタルを聴くようになる。


 当時はAmazonなどという便利なものは存在しなかったので、CD屋にはずいぶん無茶な注文をしまくった。そのCD屋は後に潰れてしまったが、潰れたのは私が入手困難なCDばかり注文しまくったせいなのではないかと本気で思ったくらいだった。

 その店で最後に注文していたのは忘れもしない、ETHOSの"ARDOUR"だった。後にインターネットとかいう便利なモノが登場したことで知ったが、実は注文したときにはすでに絶盤して久しかったので、そもそも取り寄せ不可能だったのだが、担当の人は店が倒産する直前まで、根気よく探し続けてくれていた。

 結局、このCDが手に入ったのは2009年。伊藤政則コレクションとして国内盤が販売され、一瞬だけ欲しい人は誰でも普通に買えた。今となってはそれも入手困難となっている。



『キーボードマニア』は3rdMIXで大進化を遂げ、ギタドラとセッション出来るようになった。ギター、ベース、ドラム、キーボードでセッションできる神ゲーとなったのである。

 しかし、喜んだのも束の間、あまりにガチ過ぎたゲーム性が祟ったのか、キーマニはその3rdMIXで早々にシリーズ終了してしまうことになる。まあ、そういえば、私以外に誰もやってないなと思ってはいた。


 その頃には私の"DDR"熱も冷めていた。結局どの曲でもやることは似たようなパターンばかりのように感じて、飽き始めていたのである。

 それで、しょうがなく『ギターフリークス』をプレイするようになった。私にとって『ギターフリークス』は『キーボードマニア』の繋ぎみたいなものでしかなかったが、『キーボードマニア』は復活しなかったので、今ではギターがメインみたいになってしまっている。



 PS、PS2の時代は、私が珍しくメジャーハードを所有していた時期だった。

 その後、PS3が発売されるが、私はこれを買わなかった。高額なハードを買ってまでプレイしたいゲームがなかったためである。

 私が次世代ハードを買う条件は、『アーマードコア』の新作と『エースコンバット』の新作が両方プレイできること、だった。

 その条件を先に満たしたのはXbox360だった。そのため、私は360ユーザーとなった。


 360は、海外ではメジャーだったが、日本ではマイナーハードだった。しかし、この頃になると日本のメーカーよりも海外のメーカーの方が元気が良くなっていたため、さほど不自由はなかった。

 そもそも、大きなタイトルはPS3と360、両方でリリースされることが多かった。どちらを所有していても大差なかったのである。



 そして、さらに時代が進むと、PCでのゲームプレイ環境が良くなってくる。 まず、所有しているパソコンの性能が飛躍的に向上した。i7-3770搭載のパソコンを購入したことで、ビデオカードさえその都度買い換えれば、たいがいのゲームは問題なく走る環境が手に入った。

 さらにSteamの誕生をきっかけに、たいがいのタイトルはPCでプレイできるようになった。そして、たいがいのゲームはPCの方がプレイしやすかった。PS3や360ではフレームレートが30fpsまでしか出ないタイトルでも、PC版なら60fps出せたりする。

 こうして私はパソコンでゲームをするようになり、今にいたる。

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