第11.5話「バカボンとテストの結果」

 僕は山道を一気に駆け下り、街に出た。このCR-Xで公道を走るのは、随分久しぶりだ。まずは足のついてない車を手に入れて、ユキさんと連絡を取らねばならない。


「身の安全が確保されたら、必ず連絡をする」と手紙には書いていたが、スマホもパソコンも既に任意提出してしまった。一体、どうやって連絡を取ればよいのだろう?


「まあ、何とかなるさ」


 僕はそう呟き、少し車のスピードを上げた。なじみの車屋まではここから百キロぐらいの距離だ。高速なら一時間で着くが、もしナンバーが手配されてたら一発でお縄になってしまう。下道なら、Nシステムさえかわせば、まず問題ない。余計なリスクをとることはないなと僕は思い、そのまま下道を走った。


 僕はカーナビをNシステム表示モードに変え、空手バカボンのCDをかけた。空手バカボンとは、大槻モヨコ(ケンヂ)、内田雄一郎、ケラの三人組による伝説のインディーズ・バンドだ。自称、「最後のテクノバンド」である。


 彼らの楽曲を初めて聞いた時の衝撃は、今でも忘れられない。『日本の米』というその曲は、納豆の美味い食い方を叫びながら、いまわの際の爺さんから財産のありかを聞き出そうする息子の歌だった。爺さんの方も大概で、何を聞いても「コメは美味い」としか言わない。


 大槻と内田は、その後、筋肉少女帯を結成して活動は下火になるが、その筋少の原点は、間違いなく空手バカボンにあった。楽曲のレベルが恐ろしく低いだけで、大槻ケンヂの芸風は、十代の頃に既に確立されていたのだ。


 オープニングの前奏が終わり、今まで何百回と聞いたアケミ先生の声が、スピーカーから流れてくる。僕の通名である【伊集院アケミ】は、このバンドからあやかったものだった。この前説を聞くのも、ずいぶん久しぶりだなと僕は思い、お言葉をちゃんと聞こうと、少し車のスピードを落とした。


「そもそも、バカボン教の創始者バカボン様は、エチオピアでお生まれになり、諸国を放浪の末、死ね死ね団と戦ったのち、インドの菩提樹の下で涅槃を開き、『バリバリ全開、ぶっちぎりだぜ』という悟りを得られたわけですね。本日は皆様に、そのバカボン様のお創りになった、「なにくそ精神」をご紹介致しましょう。

 

 なにくそのなー、【投げ出さない】

 なにくそのにー、【逃げ出さない】

 なにくそのくー、【腐らない】

 なにくそのそー、【背かない】


 お判りになって頂けたでしょうか? バカボン様は、いつも貴方の心の中に、住んでおられます」


 お言葉を一緒に口ずさみながら、僕は車のスピードを徐々に上げていった。空手バカボンを聞くと、僕はいい意味で全てがどうでもよくなる。人生において理不尽な目に遭うたびに、僕は必ず空バカを聞き、なにくそ精神で苦境を乗り切ってきたのだ。


「ご機嫌ですね」

「そうかい? まあ、ここまでうまくいくのも久しぶりだしな」


 返事をしてから違和感に気づいた。僕に話しかけたのは一体誰だ?


「ここですよ、ここ」


 助手席の方に視線を移すと、椅子の下でガタガタ震えていたはずの全力さんが、僕の方を見てニヤッと笑っている。


「全力さん、何でしゃべってるの?」

「私は全力さんじゃないですよ。今は代わりに私がしゃべってます。分かりませんか?」


 その口調には、何となく覚えがある気がした。


「もしかして、君はユキさんかい?」

「そうです。私はずっと、この猫の目を通して貴方の事を見ていました。最終テストはこれで終了です」

「やっぱりそうか」

「やっぱりとは?」

「このタイミングでガサが入るのは、あまりにも出来過ぎだろ? 運び屋にしろ、手紙にしろ、ちょっと芝居がかってるし、きっと何か意図があるんだろうなと思った」

「なるほど」

「で、結果は?」

「勿論、合格ですよ。今日から貴方は、正式にあの箱の所有者です」

「そうか、ありがとう。ところで少し、質問していいかい?」

「どうぞ」

「本物の全力さんはどうなっちゃったの?」

「気絶してるだけだから、目覚めれば元に戻りますよ。私がこうしてしゃべれるのは、全力さんの意識がない時だけです」


 全力さんの安否は確認できた。じゃあ、次に確認すべきは、僕の決断が正しかったか否かだ。


「もう一つ質問していいかい?」

「どうぞ」

「もし、あの手紙の指示通りに、全力さんを置いて逃げてたら結果はどうだった?」

「勿論、不合格です。身内を捨てて、自分だけ助かろうという人間に、箱を持つ資格はありません」

「だよね。戻って良かったよ。まあ、全力さんに何かあったら、赤瀬川さんから半殺しにされるから、おいて逃げるっていう選択肢はもともとなかったんだけどね」

「赤瀬川さん?」

「僕をこの世界に引き込んだ、土佐波さんの本名だよ。堅気に戻ってからは、その名前を名乗るのは止めたんだ」

「土佐波さんって、元筋者だったんですね」

「ああ、話すと長くなるけどね。師匠とは義兄弟の盃を交わしてた。僕がお上に追われても態度を変えなかった唯一の人だ。今向かってる車屋も、赤瀬川さんの息がかかった店さ」

「逃げ慣れてるんですね」と言って、猫のユキさんは笑った


 赤瀬川さんは剣乃さんに協力し、組の金を増やしたことで、誰もが知るあの暴力団の若頭補佐まで上がったが、剣乃さんが死んでからすっぱりと足を洗い、故郷の仙台に帰った。経済ヤクザとして名を売った彼は、堅気に戻ってからも仙台の闇社会に相応の影響力を持ち、地元の人々から恐れられていた。国分町こくぶんちょうに店を持つ者で、彼の名を知らぬ者はいない。


 娑婆に戻った僕は、彼のシノギを手伝いながら、東京と仙台の二重生活をして暮らしていた。お上に身ぐるみはがれたにも関わらず、僕がもう一度立ち直ることが出来たのは、そういう訳だ。師匠を失った後の僕にとっては、親同然の人物である。


「まあ何にせよ、無事に脱出できて良かったです。もし捕まって箱を発見された場合、最悪、命を落とす可能性までありました」

「まさか……。流石に冗談でしょ?」

「冗談じゃないですよ。あの箱の中には、強力な爆弾が仕掛けられています。貴方が何かヘマをして、第三者に箱を奪われそうになった場合には、箱もろとも爆破する予定でした」


 あの箱が異常に重かったのはそのせいだったのか……。


「ところで一つ忠告ですが、今すぐ高速に乗るべきだと思いますよ。この車はただでさえ目立つ上に、排気音が凄いですから」

「排気音?」

「ええ。サイレンサーを元に戻してないですよね?」

「あっ!」


 いつもの僕なら、この車で公道を走るときは仮ナンバーとサイレンサーを絶対に付ける。でも、今日はそんな余裕がなかった。


「ナンバーを読み取られることを恐れてたんだけど、確かにその方が良いね。もし通報でもされたら、下道じゃ逃げ切れない」

「ガレージの場所を把握してなかった位ですから、あの二人もナンバーなんて覚えてないと思いますよ。まずはどこかに落ち着いて、箱の中の爆弾を処理しないと」

「そうだね」


 僕はそう答えると、一番最寄りのインターに向かった。


(続く)

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