第7話「呑まれた金を取り戻せ!」(後編)

 僕が事務所の中に入ると、社長が自ら応対してくれた。僕には、「担当者が辞めてしまって状況が分からない」とか言っていたが、本当に他に社員がいるのか、疑問に思うくらいの小さなオフィスだった。


「お前、一体何者だよ。剣乃さんを担ぎ出すなんざぁ……」


 応接机の向かい側のソファーにどっかりと腰掛けながら、中野さんはそう言った。僕の返金請求をのらりくらりと交わし続けてきた、あのニッパチ屋の社長である。


「聞いたでしょ? 剣乃さんの上客の息子ですよ」

「嘘つけ。剣乃さんの身内が、ニッパチ屋なんか使うかよ。最初から、俺を嵌めるつもりだったのか?」

「さあ、どうでしょうね。確かなことは、『誠意』の分も含めて僕にお金を渡さないと、剣乃さんが貴方の敵に回るってことだけです」


 少し意地悪してやろうと思って、僕はそう答えた。


「ほらよ。これで文句ないんだろ?」


 大帯の一千万と僕の百五十万、そして一通の封書が、応接机の上に置かれた。


「端数はこの封筒の中だ。計算書も一緒に入ってる。確認したら、この受取にサインをしてくれ」

「拝見します」


 僕は封書を開け、計算書を改めた。過去の売買報告書は、既に何度も確認してある。計算自体は全く問題なかった。問題は、「実際には売買してない」事だけだ。ざっくりと計算書に目を通し、明らかにおかしい部分がないことを確認してから、僕は言った。


「足りませんね」

「何っ? そんな訳がない。後で難癖付けられたらたまらないから、検算もちゃんとしたんだ」

「いや、数字自体はあってます。利息分を返してくださいってことです」

「利息?」

「本当は全部呑んでたんでしょ? だったら、利息を取られる筋合いはないじゃないですか?」

「じゃあ、利益分も返せよ」

「売買しなかったのはそちらの勝手です。僕はちゃんと発注したんだから、利益分は頂きます。FAXで証拠も残ってますしね」

「ふざけるな!」と、中野さんが怒鳴った。


「ふざけてないですよ。剣乃さんの目もありますし、これからもこの商売を続けたいなら、ここで揉めない方が良いと思いますが」

「あまり調子に乗るなよ、小僧」

「今さら凄んだって駄目ですよ。もし僕が一時間以内に金を持って帰らなかったら、土佐波さんがここに人を連れてくることになってます。どんな人たちが来るか、中野さんには想像がつきますよね?」

「……」


 僕は一つブラフを入れた。効果はてきめんだった。


「剣乃さんが後ろにいるからって、いい気になりやがって。お前、あの人がどういう人なのか、本当に分かってんのか?」

「どういう人なんです?」


 あまり追い込み過ぎるのも良くないので、僕はつとめて軽い感じでそう答えた。


「どういうって……。お前、本当に何も知らないのか?」

「ええ、土佐波さんとは古い付き合いですが、剣乃さんにお会いしたのは、今日が初めてです」

「初対面なのに、何でお前みたいな若造に、剣乃さんが肩入れするんだよ!」

「さあ……。死んだ息子に似てるとか、そんなんじゃないですかね?」


 僕はスッとぼけてそう答えた。


「……ったく。あの人が、そんなのに流されるタマかよ。あの小沢を裏で操ってると、噂されてる男だぞ」

「小沢? あの新生党党首の小沢一郎ですか?」

「そうだ。角栄さんの懐刀だった時代から、剣乃さんは宮澤の事が大嫌いだったからな。『奴の政権を続けさせるくらいなら、党を割らせた方がマシだ』と言って、小沢を焚きつけたとの、もっぱらの噂だ」

「……」


 余りにも荒唐無稽すぎる話だ。でも微妙に、筋が通っている話でもあった。田中は博打うちの父を持ち、進学したくともその金すらなく、たまたま彼の事を気に入った、理研所長の大河内おおこうち 正敏の庇護の元、現場からの叩き上げで首相になった男である。


 政治家の家に生まれ、東大法学部を主席で卒業し、エリート官僚から政治家に転じて、とんとん拍子に出世街道を歩んできた宮澤とじゃ、そりが合わないに決まっている。剣乃さんが田中派だというのなら、宮澤には絶対につかないだろう。


 小沢の話はあくまでも『噂』だ。だが小沢は、かつて角栄から息子のように溺愛された男でもある。それに中野さんは、『角栄の懐刀』という部分については全く言葉を濁さなかった。つまり、この二人の繋がりについては、何か具体的なネタがあるってことだ。


 おそらくそれは、角栄が作った裏金の運用だろう。少なくともこの界隈の人間は、剣乃さんの事を【そういう人間】だと見なしている。


「だからって、自民党を割るメリットなんて、株をやる人間には全くないんじゃないですか?」


 僕はとりあえず、そう答えた。


「普通に株をやるだけならな。だが、政権内部の権力争いが裏にあるなら、話は違ってくる」

「権力争い?」

「ああ。せっかく過半数を割らせたのに、自民党に連立政権を作られちゃ意味がない。細川 護熙もりひろを一本釣りするための金も、剣乃さんが全部出したらしいよ」

「そんなバカな! 細川内閣はクリーンさがウリですよ」

「本当さ。細川は七日会田中派の結成メンバーの一人だ。あの政権の実態は、一度は黄泉に沈んだ田中派の復権だよ」


 小沢の陰に剣乃さんがいるという話が本当なら、あり得る話だと僕は思った。もし自民中心の連立政権が発足した場合、与党第一党から首相を出すのが憲政の常道だ。つまり、総選挙で敗北したにも関わらず、総裁である宮澤再選の目が出てくる。彼の復権を阻止するためには、自民党を無理やりにでも野党に引きずり下ろすしかない。


 政治家としての宮澤の命運は、非自民・非共産の連立政権が成立した時点で尽きた。政治改革の旗印の下に野党をまとめ、発足したばかりの日本新党から細川首相を抜擢したことは、【剛腕・小沢】の仕事として世間一般には認知されているが、その陰には剣乃さんの尽力と、身内に裏切られた角栄の怨念があったのかもしれない。


「そもそもなんで、剣乃さんが小沢と繋がってるんですか?」

「そりゃあ剣乃さんが、田中派の金庫番と通じてたからに決まってるだろ? 解散の噂が出る度に、クソ株が吹き上がる。その動きの大半に、あの人は絡んでる。いつも見る光景だ」

「選挙資金をねん出してるのが、剣乃さんってことですか?」

「そうだ。選挙に勝つには大量の金が要る。おまけに解散は、いつあるか分からない。この国で手っ取り早く、合法的に金を増やそうと思ったら仕手株に張るのが一番だ。もっとも、その舵を取る人間がボンクラじゃひどい目にあうがね」


 そう言って中野さんは、煙草に一本火をつけた。僕はその一本が終わるのを静かに待ち、頃合いを見計らってこう尋ねた。


「でも、中野さん。政権与党の、しかも主流派の人たちが、裏社会の人間なんかと付き合うなんて、僕には思えませんよ」

「剣乃さんは別にヤクザじゃないよ。前科だってない。もっとも、相場を作るのにヤクザの金はしこたま使ってるがね」と、中野さんは笑いながら答えた。


「過去に何度も相場操縦や脱税の嫌疑で上げられそうになったが、全部角栄が揉みつぶした。もっとも、周りの政治家もそれで何も言わない。あの人の名簿が世に出たら、首が飛ぶのは自分たちも同じだからな」

「蛇の道は蛇ってことですか」

「その通りだ」

「でも、金の受け渡しはどうやってやるんです? いくら株で儲けたって、金が渡せなきゃ意味ないでしょう?」

「おいおい。そんなモノ、一度、市場を通せばいいだけだろ? 元が裏金だろうと、それで全部綺麗な金になる。株で儲けた分の税金はちゃんと払うんだからな」


 そういって、中野さんは再びタバコに火をつけた。しばらく煙をくゆらせた後に、彼はこう続けた。


「剣乃さんは勿論のこと、政治家もヤクザも、俺らみたいな末端の業界人すら、誰も損しない。損をするのは売り方と、借金で仕手株を買うボンクラだけさ。下っ端も、そいつらの追い込みで潤うしね」

「それって結局、『仕掛けの情報』のみを共有するってことですよね?」

「そうだ。剣乃さんが絵図を書き、政治家やヤクザが資金を投入して、実際に株価は上がる。上がってる限り誰も損しない。何も知らない売り屋以外はね」


 そういって、中野さんはニヤリと笑った。既にホールドアップしてしまった彼が、嘘を言っているようには僕には思えなかった。


「なるほど。その後、マスコミや、中野さんみたいなニッパチ屋を使って、高値で素人に嵌め込むと……」

「オイオイ、嵌め込みというのは聞き捨てならないな。実際に、奴らの資金は入って株価は上がってるんだ。何も嘘は言っちゃいない」

「そりゃあ、まあそうですけど……」

「俺たちが嵌め屋だというなら、空売りでも何でもすればいいのさ。まあ剣乃さんは、それを踏ませて、相場を【仕上げる】んだけどね。あの人の作る相場は芸術品だよ。俺たちは、それに魅せられちまったんだ」

「芸術品……」


 僕には全くピンと来ない話だったが、彼のその言葉には、何故だか真実味が感じられた。


「まあ俺たちは、株を買いたいって奴に情報を流し、金を貸すだけさ。最も最近は、殆ど呑んじまうがね」


 中野さんはそういって、自嘲気味に笑った。僕は、ほんの一時間まで憎たらしくて仕方なかったこの男に、好意を感じている自分に気づいた。どんな人間でも、出来ることなら良い事をして生きていきたいと思ってる。だが、環境とか才覚とかが、それを許さない。それだけの話だ。


 もう少し彼の話を聞きたいと思ったが、早く帰らなきゃ、僕自身の信用にも関わる。ここらでそろそろ切り上げよう。


「ところで、中野さん。土佐波さんがここに人を連れてくるまで、あと四五分しかありません。帰りは歩きですから、二十分はかかる。急いだ方が良いと思いますよ」

「返すのは金利だけでいいんだな?」


 中野さんは、急に現実的な顔に戻った。それでいい。彼にシンパシーを感じすぎるのは、多分良くないことだ。


「手数料は、どこに頼んでも一緒ですからね。そこは負けときます。そこまで踏み倒すほど、僕はアコギじゃないです」

「計算書を一回こっちによこせ!」


 中野さんはプンプンしながら、計算書を持って、事務所の奥へと消えていった。そして一分もしないうちに、もう一通の封書を抱えて戻ってくる。


「ほらよ、金利分だ。金を持ってさっさと帰れ!」

「あれ? 一千万以上の大金なのに、受取書にサインしなくて構わないんですか? 剣乃さんなら、『俺は貰ってねえ!』とか言いだしかねませんよ」

「あっ……」

「まあ、中野さんが帰れって言うなら帰ろうかなー」


 そういって、僕は笑った。お金さえ返してもらえれば、喧嘩を続ける理由は僕の方にはない。


「お……俺が悪かった。待って、ちょっと待って!」


 僕は意に介さずに出口の方に向かった。勿論、本気で帰るつもりはないが、これくらいの復讐はさせてもらってもバチは当たらないだろう。


(続く)

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