片隅に生きる人々

伊集院アケミ

第一章「人生を変える箱」編

第1話「師匠」

 彼の第一印象は、正直あまりよくなかった。

「コイツが、早稲田まで入って、ニッパチ屋に騙されてるボンクラかい?」みたいな雰囲気で、最初から接してきたからだ。


「坊主、名前は?」

「佐々井です。よろしくお願いします」

「歳は?」

「十九歳です」

「その歳で相場を張るたあ、なかなか感心な坊主じゃねえか。だが、俺がお前の歳の頃には、既に仕手の片棒を担いでたよ。自分で相場を作りだしたのは、二十一の時だ。坊主、仕手って分かるか?」


 目の前の怪しげな男はそう言った。年のころは四十代の後半くらいだろうか? 本職ヤクザかどうかは分からないが、その目は妙にギラギラしていて、明らかに堅気ではない雰囲気を醸し出していた。


「わかります。そういう人たちが動かす株を買ったことはないですけど……」

「おいおい、仕手こそが相場の華だぜ? 株買って、誰かが買い上げてくれるの待ってて、何が楽しいんだよ」と言いながら、男は胸元からタバコを取り出し、一服し始めた。


「楽しいとか、そういうのはよく分かりません。僕は自分の人生を変えたくて、株を始めました。勉強なら、多分得意なので……」

「それで、ニッパチ屋に嵌ってりゃ世話ないな」といって、男は僕の方に煙を吐き出す。僕は、「その通りです」と答え、それ以上彼の顔を見ることが出来ずに、うなだれてしまった。


 自分がみじめで仕方なかった。悪徳業者ノミ屋に命銭を全部預けちゃったんだから、バカにされるのは仕方ないが、この人は本当に僕の力になってくれるんだろうか?


剣乃けんのさん。若いのをいじるのはそれくらいにして、少し話を聞いてあげちゃくれませんか? これでなかなか、将来有望な奴だと思ってるんです」


 仲介者の土佐波さんがそう言った。僕みたいに若いのが場末の証券会社に出入りするのはとても珍しいらしく、僕は時々、彼から昼飯をご馳走になったりしていた。それでダメ元で、今回のニッパチ屋の件を、彼にも相談していたのだ。


「俺は別にいじめてる訳じゃねえよ、土佐波。お勉強しかできない若造に、少し世間ってものを教えてやってるだけさ」といって、剣乃と呼ばれた男は不敵に笑った。


 土佐波さんは、ほとんど毎日といっていい位に、僕の出入りしている証券会社の店頭にいた。株価ボードの前に設置されたソファーにどっしりと腰かけ、いつも誰かの電話を待っていた。今にして思えば、それが剣乃さんだったのだろう。


 そんなに相場が上手い感じでもなかったが、確かに彼は、相当な金を証券会社に預けているようだった。時折、携帯で電話を受けると、場に出てる売り注文をすべて担当者に調べさせ、「〇〇〇円まで、全部さらえ!」と発注するのが常だった。受ける方も手慣れたもので、発注書を書くのはすべて注文が終わってからだ。僕は彼のその姿に、ほんの少しだけ憧れていた。


 普段の彼は、株価をチェックしに情報端末クイックを時々叩くものの、売買をすることはほとんどない。自分で銘柄を決めているのではなく、後ろに誰か指示をしている人間がいて、その人の代わりに株を集めてる。そんな感じの印象だった。


「第一、話すも何も、この坊主の金をニッパチ屋から取り返しゃいいんだろ?」

「それは、剣乃さんのお心次第です。でも俺は、彼が店頭に来なくなっちまうと、ちょっと寂しいんでね」

「ふうん……」


 彼は特に関心もなさげに、そう答えた。このまま黙っていても、状況はきっと良くならない。「力になってもらえますか?」と、僕はうつむいたまま彼に尋ねた。多分、物凄く情けない顔になってると思ったからだ。


「事と次第によってはな……」と剣乃さんは答え、こう続けた。

「おい、坊主。いつまでも、うなだれてないで顔をあげな。この世界じゃ、一度弱気を見せたら、とことん付け込まれるぜ」


 僕は仕方なく顔を上げて、涙をぬぐった。そして、僕の泣き顔を見た彼は、本職ヤクザも顔負けな恐ろしい声でこういったのだ。


「笑え」

「えっ?」

「笑うんだよ。俺は辛気臭い奴には絶対に手は貸さねえ。心の底から笑えたら、力を貸してやる」

「わかりました」


 僕は無理やり、口角を釣り上げた。大人にバカにされているみじめさと、もしかしたら、奪われた金が戻ってくるかもしれないという嬉しさが入り混じった、何とも形容しがたい気持ちだった。あんな思いをしたのは、後にも先にも、あれ一度きりだ。


「そうだ。どんな辛い時でも、顔上げて笑ってろ。そしたら運も向いてくる。なんだ、よく見りゃ良いツラしてるじゃねえか? 萩原健一ショーケンの若い頃にちょっと似てるな」

「そうですか?」と、僕は答えた。もはや涙は気にしてなかった。

「ああ。地頭は悪くなさそうだし、女にもモテそうだ。これであそこがデカけりゃ、色んな【使いで】がある」

「……」

「おい、ショーケン。ここで俺がお前の金を取り返したら、お前は俺に何をしてくれる?」


 そういって、彼はこの日初めて、僕の目をまっすぐに見つめた。これが後に僕の師匠となる。剣乃さんとの最初の出会いだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る