第11話 (休題)とある本屋でのトークイベントより抜粋 前編

新宿にある某有名な書店内にあるイベントホールにて、八月初旬に発売となった、出版社が主催の義一と武史の対談を纏めた書籍、『反グローバリズム論』の出版記念として、トークイベントが開催された。

日時は、義一が教えてくれた通り、お盆真っ只中の8月中旬は平日だ。

これを教えてもらった時は、仮にladies dayの面々が来なかったとしても、隠れて一人ででも参加したかったのだが、毎年恒例の、一週間と少しばかりかけて欧州を周遊する家族旅行へと出かけてしまったので、残念ながら私自身は予定通りに帰国してから、オーソドックスの公式ホームページに上げられていた動画を視聴した。

因みに、仮にと言ったばかりだが、同じ番組に出演している有希を始めとする、裕美やシカゴにいる美保子を除いたladies dayの面々は、このトークイベントを観覧したと後の集まりで教えてくれた。

…ふふ、今触れた様に、その中にはちゃっかり絵里も混じっている。それを早速私が茶化すと、

「私は別に行きたくなかったのに、先輩や百合子さんにしつこく誘われたものだから、仕方なく参加しただけだよ」

と渋い顔をしながら答えてくれた。

それに対して、「そうなんだぁー」とニヤニヤしながら返したのは言うまでもない。


さて、定員は当初は五十名だというので、書店内のイベントスペースで催す予定だったらしいが、イベントの告知時には既に、特に一般の、普段は哲学思想、政治社会経済に関心を持っていなかった若い男女を中心に、義一の知名度が跳ね上がっているのを示唆するかの様に、あまりにも応募が多かったというので急遽、同じ書店内にある、キャパシティが百人単位のホールにて開催される運びとなった…と、後日に武史が愉快げに教えてくれた。

ホールサイズになったというので、その壇上に義一と武史二人だけは見辛いだろうと、これまた急遽二人の後ろに大きなスクリーンを設置し、そこに二人の様子を大画面に映し出すという趣となっていた。


私が見た動画は、ホールの舞台上に設置された椅子に既に座って待機している義一と武史のアップから始まった。

このアップは動画最後まで同じだったので、正直ホールとは聞いていたが、しかし画面上からは客席も当然ながら映っていなかったのも含めて、その広さが全く感じられなかった。

だが、中々に感度の良いマイクを使っているらしく、終始会場が騒ついているのが聞こえて、たまに声を客席から掛けられて義一が照れ臭そうに苦笑交じりに手を振ると、画面のこちら側から黄色い歓声が聞こえるのが分かった。

んー…ふふ、これは絵里含むladies dayの面々が同じ感想を覚えた様で、さながら流行っているアイドルのイベント風な様相を呈していたと話してくれたが、それはただの動画上からも感じが伝わってくる様だった。

座る義一と武史の間には程よいサイズのテーブルが置かれており、その上にはグラスが二つと、ファミレスなどでよく見かける様な、結露している点からも中身がキンキンに冷えているのが伝わってくるウォーターポットが置かれており、準備が進められる流れで、義一が武史と自分の分のグラスに水を入れたりしていた。

その他はテーブル上には、これまた宝箱で見慣れた類の、分厚い書籍が所狭しと十冊近く置かれており、と同時に書類群もたんまりと置かれていたのが分かった。




さて、動画が開始して一分ほどの間に、今述べた様な画面の中に含まれている情報を、私の頭にインプットし終えたその頃に、義一と武史がおもむろにマイクを手に持ち電源を入れる仕草を見せたかと思うと、これといった前置きもなく義一が口火を切り始めた。


義一「えー…ふふ、こんにちは」


客席「こんにちはー!」


武史「…ふふ、中々この手のイベントでは珍しい、若い声が多くて、その元気の良さに慣れなくて戸惑ってしまうな?」


義一「あはは。まぁ僕らも皆さんと同じくらいの年齢だとは思うんだけれどね?」


武史「あはは」


義一「えー…私はオーソドックスという雑誌で編集長をしています、望月義一と言います」


武史「はい、私は京都の大学で准教授をしています、中山武史です。どうぞよろしくお願いします」


義一「お願いします」


会場拍手


二人「ふふ、ありがとうございます」


義一「本日はお集まり頂いてありがとうございます」


武史「んー…ふふ、こんなお盆のど真ん中で、しかもこの炎天下の中、冷房の効いた室内でお休みになられていた方が楽だったんでしょうが、わざわざお越し頂いてありがとうございます」


義一「ふふふ、そうですねぇ。えぇっと…今度というか、つい先週ですかね?二人で『反グローバリズム論』という本を二人で書きまして、その記念という事なんですが、それ以前にですね?もしかしたらご案内の方もおられるかも知れませんが、私で言えば今年の一月に、今尚ずっと世間を賑わしていますFTAについて、反対という立場から本を書きまして、自画自賛になってしまいますが、それなりに世間の皆さん方に手にとって頂いた様でですね?私のお陰とは全く思いませんし、なので言いませんが、今年に入ってから繰り返しになりますが、良い意味で国内で騒ぎになり始めたというので、これは良い兆候だと一応は思っています。

それでもですねぇ…いわゆるこの国のトップというか指導層とでも言いましょうか、マスメディアの論調から何からですね、それこそ”右陣営”から”左陣営”まで賛成する始末がずっと変わらずに続いていまして、為政者である政治家たち、国会の方でも前のめりにFTAを推し進めようとしているという、相変わらず全体の世の中の動きとしては全く変わらずに推移しているものですから、一月に出した後でも新たに分かった事もあったりしまして、それを補足したりした本が、今回のトークイベントのきっかけとなった書籍となります。

それに関連した話を、私と、えぇっと…ふふ、中山さんと話してみようかと思いますので、小難しい話題が続くかと思いますが、そこは我慢して最後までお付き合いして頂けると幸いです」


武史「そうですねぇ…。まぁ、それについて我々はこれから話すんですが、反グローバリズムと一応銘打ってあるとはいえ、結論から言うと…先進国の中では、日本だけは今の態度を見る限り、グローバリズムという思想から脱却しようという気配は、世間の空気感からして微塵も感じないという点から、まぁそうはならないだろうと思います」


…うん


義一「ふふふ」


武史「ふふ、世界的には、欧米諸国では反グローバリズム、もっと言えば”グローバリズム疲れ”というのが顕著になっていまして、どの国家でも選挙が行われると、確かに現段階では結果としてゴリゴリのグローバリストが勝っていますが、しかし反グローバリズムを標榜する候補者も、最後までどっちが勝つのか分からない良い勝負を見せています。

ですが…さて、では日本ではどうでしょう?既に今の総理がゴリゴリのグローバリストなのは言うまでもないですね?

『国境にこだわる時代は過ぎ去りました』だとか、わざわざアメリカのウォールストリートに行って、『皆さんのために我々日本は市場をオープンにしますので、どんどん買いに来て下さい』と、恥も外聞もなく、まさに宗主国にヘコヘコと頭を下げてご機嫌伺いをする植民地然とした態度を堂々とするのですから」


はぁ…まったく


義一「ふふ、そうですねぇ。そんなグローバリストである今の総理は、憲政史上最も長い政権運営をしている訳で、もちろん他に候補者がいないから仕方なく彼に総理を続けて貰っているんだと、国民側では言い訳をするのでしょうが、まぁ他に人材がいない時点で、もう既にこの国は詰んでいると言って過言では無いのでしょう」


客席「…」


…うん


武史「あはは、いきなり初っ端から暗い話になってしまいましたが、まぁそれでも今の望月さん、編集長の言葉に付け加えると、今主要メディアで言われているポスト総理候補の面々も、その全てがグローバリストにして、しかも財政均衡主義者なんですね」


義一「そうですねぇ…ふふ、ですからまぁ、私たち二人というか、私が編集長を務めている雑誌オーソドックスの立ち位置は、今簡単に触れた様に、もうどうしようもない手遅れに近い所に来ていると、今現在の日本をそう認識しているというのを説明した上で、しかしそうは言っても生き続けなくてはいけない私たちは、どう生きて行けば良いのか、少なからずそれについての一つの見方を、今回のトークセッションで話してみたいと思います」



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義一「またしても自己紹介をする様ですが、私はこう見えても言いますか、実はまだ三十五歳でして、武史も私よりも四つ上の三十九歳という、要は私たち二人というのは、こういった学問の世界においては若手も若手、ペーペーという立ち位置にあります。

でー…ふふ、どういう訳だかですね、この国では若手の学者として表舞台に出てくるコメンテーターと称する方々は、アニメやらネットやらを語る人が多い様なのですが、私自身で言えばそこはかなりの年寄り…ふふ、というよりも、今時の年寄り以上に年寄りでして、私の事なんかもネット界隈でかなり話題というか検索なりをして頂いている様なんですが、私なんかは殆どネットを見たりはしません。…ね?」


武史「…ふふ、ね?と言われても、私はお前…あ、いや、君よりかは思いっきり現代人らしくネットなりを屈指しているけれども」


客席「笑」


ふふ


義一「えぇ…ふふ、って、あ、まぁそんな堅物な二人がこれから固い話を一時間半ほどにわたって話す訳ですが…」


…ふふ、誰が堅物なのよ?普段はユーモア豊富なのに


義一「ここはちょうど本屋なので、それに関連した話をイントロダクションに使いたいと思います。

私と中山さんの共通点というのは…ふふ、彼がどう思うかは別にして、結構あるんですが」


武史「あははは」


ふふ


義一「そのうちで大きなものの一つに、本が好き…いや、もっと言えば”古典”が好きというのがあるんです」


うんうん


義一「例えば今から五十年前とか百年前…いや、三百年前、五百年前、もっと言えば古代ギリシャ・ローマの様な、紀元前に書かれた様な、カビの生えた様な古典を読んで、そこから現在に通じるインスピレーションを感じる、受け取って世の中を見るというのが、端的に言って好きなんですね」


うんうん


義一「でー…そういった見方の方が”確か”かなぁという風に思うものでですね。皆さんの中でも本がお好きという方なら実感があろうかと思われますが、特に古典がお好きな方なら、確かに昔の事を、歴史を知りたいという目的で古典を読まれる方もおられるのでしょうが、それでもすぐに気付くはずなんですね。

『なるほどなぁ…人間って何千年も時を経ても何も変わらないんだなぁ』と」


そうそう


武史「そうそう、というより昔に書かれた物の方が、何か今現代のことを書いている気がするんだよなぁ」


義一「そうそうそうそう!そうなんですよ」


ふふ、二人とも徐々にエンジンがかかってきたわね


義一「だからまぁ、我々がそういった話をすると、『うんうん、私たちも分かるわ』と頷いてくれるものだと信じて、これから話を始めしょうか」



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義一「ここに幾つかの本をどさっと、いわゆる古典、昔の本を持ってきているんですけれど、何でこんな風にテーブルの上に、これみよがしに置いているのかと言うと…威圧するためでして」

客席「あははは」


ふふふ


武史「あはは、これだけ勉強したんだぞっていうね」


義一「あはは、そうそうそうそう!『若いからってナメるなよ!』って、まぁ…ふふ、これは冗談ですが」


客席「笑」


義一「でもまぁ、もしも我々の話が退屈になってしまって、眠気に襲われる様でしたら、ここから一つ貸し出しますので、これを枕にして寝てください」


と義一が実際に一冊の分厚い本を取り出すと、それを枕に寝る仕草をして見せた。

そんな義一の行動に、客席からはまた笑い声が聞こえた。


義一「あはは、とまぁ…って、少し私ばかりが話しすぎちゃっているんで、ここから少し中山…って、もう良いですかね?なかなか普段言い慣れていないんで、ぎこちなく映ってしまっていると思いますから、ここからプライベートな感じで話しても、その…構いませんかね?」


と義一が客席と舞台袖に顔を向けると、

「大丈夫でーす」

「お願いしまーす」

といった何人もの声、それも何だか若い女性の声が動画から聞こえてきた。

そしてどうやら、舞台袖にいた主催者側からもすぐに許可が下りたらしく、義一は双方にお礼の言葉をかけてから武史に話を振った。


武史「あはは!いやぁ、ナイス判断だよ義一。これ以上一時間以上も、俺とお前の仲だというのに、他人行儀で下手くそな演技を続けなくちゃいけない、また見せられなくちゃいけないと思ったら、憂鬱で仕方が無かったんだけど」


義一「あはは、それはお互い様だよ」


客席「笑」


ふふふ


武史「あはは。で、えぇっと…あぁ、そうそう、ここにいる義一と一緒に出した『反グローバリズム論』というのは最近出たばかりですが、私も一ヶ月くらいだったかな?遅ればせながら今流行りのFTAに対してのアンチ本を出版しまして、こちらもそれなりに皆さんに手を取って貰った様でありがたい限りなんですが、さっき義一も言っていましたけど、それだけそれなりに反響があるのなら、何かしらの変化が起きるのかと思いきや、まぁ想像通りだったんですが、全く起きなかったんですね。むしろ、もう年単位どころか数ヶ月、もしくは一ヶ月単位で悪くなっていく一方なのが現状だと私は考えています。

こう言うとと言いますか、先ほどもチラッと二人で話した事を聞くと、変に過剰に悲観的に聞こえるかも知れませんが、人類の歴史では必ずその様な事態は起こる訳で、現実が事実として受け止めなくては何も始まらないんですね」


うんうん


武史「ですから、そういった悲観的なシナリオを意識して、どうやってこの国家、一億三千万人程の日本人が出来る限りダメージ少なく生き残るためには、どうしたら良いのか?それについて今からでも、手遅れ感は否めないまでも知恵を絞る必要があるんじゃないかと考えています」


義一「そうですねぇ…でも、この日本ではどういう訳だか、知恵を絞る段階だというのに、すぐに処方箋という議論が出てくるんですね」


武史「あー…」


あー…


と私も武史と同じ様に呆れ調の声を漏らした。

そう、これは番組オーソドックスの初回から三週にわたって、ゲストとして来た神谷さんと武史を交えて議論された時に出た話だった。


義一「で、すぐに『どうすれば良いんですか!?』って聞かれるので、僕も僅かな知恵を絞って、今回の様なFTA問題に首を突っ込んでしまったがために、恥ずかしながら皆さんの前でこうして話させて頂く機会が多かったりする訳ですが、勿論個別の事象については私なりに答えられる事もありますが、一般的にどうすれば良いんですかと聞かれましても、それは中々難しいよね」


武史「あはは、そうそう。私もよく聞かれるんで、最近は面倒だから答える事にしている言葉がありまして、…『黙って俺の言うことを聞いていれば良いんだ。黙って俺について来い!』」


客席「笑」


あはは


武史「あはは。まぁこんな事を言うと、ますます世間の大多数からは嫌われてしまうなぁ」


義一「あはは、二人揃ってね」


…ふふ


義一「まぁ何ですかねぇ…いや、逆に言えばというか、どうすれば良いのか、言うだけなら簡単なんですよ。『改革しましょう!』とかですね、『規制緩和です!』とかですね」


うんうん


義一「それはでも、昔のマルクス主義者と同じなんですよ。『革命しましょう!』と簡単に、ロクに考えないままに口走るのとですね。

で、革命が失敗すると、『いや、もっと断行すれば良かった』とかですね、『タイミングが悪かった』とかですね、もう幾らでも言い逃れが出来るんですよ」


武史「あはは!一発屋芸人みたいだわ。いつもネタが一緒」


あー…ふふふ


義一「ふふ。むしろですね、『どうすべきか?』というのは幾らでも言えるんですよ。ちょっと人生を生きていれば、その経験に合わせて処方箋は出すだけなら出せるんです。でもですよ?それが正しい保証なんか何処にも無いわけですよね?

んー…僕ら雑誌のグループでは、保守思想家だと見做している、カール・ポパーという人がいまして、マルクス主義者を指して『あいつらはズルい』とボヤいてたんですね。

『「革命はいつか起きる」と言っていた当人達が、その革命に失敗すると、「今はその時じゃなかった」と言い逃れするからだ』とね」


うんうん


と、義一が今話してくれたことは、以前にも詳しく聞かせて貰っていたので、この様にすぐさま頷けたのだった。


義一「その『どうすべきか?』という議論を安易に振り回すのは、それは結局”非科学的”だったり、非常に”無責任”だと言いたいんです。

この場合での”科学”というのは、広い意味でのというか、”Science”つまりは『科学』ですが、この原義は『知ること』という広義な意味があるわけでして、私が今述べた”科学”とは、この意味でなんです。研究室などの狭い世界だけではなく、広く世の中について幅を持って考えると」


うんうん


義一「『どうすべきか?』以前に、『これからどうなるんだろうか?』について予測したり、見通しを示すと、それらが大雑把でも見えて初めて『どうすべきか?』って議論が出てくるはずなんですね。

脱線しますが、この予測、見通しについて、例えばこれまた我々からすると偉大な保守思想家だと見做している、ドイツの哲学者にして、実存主義における代表的な論者の一人でもあったカール・ヤスパースは”Perspective”と言いました。つまりは『通して』という意味の”Per”と、『見る』という意味の”Spec”の組み合わさった単語なんですが、まさにその通りですよね?

ついでに、今回はFTA問題に関心があられる方が多いでしょうから、経済学に擬えて触れますと、『創造的破壊』”Creative destruction”で有名な、二十世期を代表する経済学者のヨーゼフ・アロイス・シュンペーターは”Vision”という言葉で表現していました。

さて、話を戻しまして、繰り返しになりますが、まず『これからどうなるんだろうか?』これから五年先、十年先、もしくはそれ以上先どうなっていくのか、どう世の中が推移していくのか、それを見通す力というのが現在特に大事になってきていると思うわけです」


うんうん


義一「えぇっと…ふふ、少し話しすぎていますが、こういったのが本来の意味での理性の働きだと思うんですね。動物は未来を予測する力というか、必要性を感じないからなのでしょうが持っていませんが、人間は少なくとも難しくても見通す努力する必要があると。

勿論人間だって全知全能の神様みたいな絶対的存在では無いので、完璧に見通すことは不可能なんですが、ただ腰を落ち着けて世の中をしっかりと見渡して考えれば、単純に経済学の〇〇定理とかですね、政治学の〇〇仮説みたいなのに飛びつかなくても、ある程度常識に基づいて世の中、社会を眺めれば曖昧にでも、ハッキリとはしなくても見通しくらいは立つだろう…というのが、”僕”や武史の様な考え方なんです」


うんうん…って、あ…ふふふ


武史「うんうん。だから、何で私たちが熱心に古典を読んでいるのかと言えば、『あぁー…歴史って繰り返してるなぁ』とか、『昔でも時代の流れに翻弄される中でも、こういった少数の幾ばくかの知恵者は、この様に見通しを持っていたんだなぁ』とまぁ、そういった事がわかるんですね。

大体ですね、結構古典の中で、今現在に至る様な事を”予言”している様な物が多く見られます。

私と義一が共通して好きな人で、近代保守思想の父と言われているエドマンド・バークという人がいますけど、あれはフランス革命が起こった時に、みんな革命騒ぎで盛り上がっている時に、『これは絶対に失敗する』と革命の最中で見事に見通していまして、

『いずれお祭り騒ぎから、血を見る様な殺し合いが始まり、最後は軍事独裁に至るだろう』

と喝破していました。

つまりはロペスピエールを始めとするジャコバン派による粛清に次ぐ粛清、そして勿論軍事独裁はナポレオンの登場まで予言していたんです」


客席「へぇー」


…ふふふ


武史「それを、フランス革命直後に見破るという、この先見の明にして、物凄い洞察力の持ち主でした」


義一「そうそう!あ、これは後で触れる事になる…というか、一応その予定なんですが、トクヴィルという十九世紀のフランスを生きた、これまた我々が偉大なる保守の大家と見做している大人物ですが、彼の有名な書物に、”De la démocratie en Amérique”『アメリカの民主政治』というのがあります。

これはトクヴィル自身が建国したばかりのアメリカを訪れまして、そこで見聞きしたり、またアメリカ人自身の性質を観察したのを描いていまして、これは今現在においても、これ以上の”アメリカ論”は無いってくらいの、凄まじい傑作ですけれども」


うんうん


義一「その本の第一部の後半で、正確な引用では無いですが、彼はこう言っているんですよ。

『恐らく十九世紀でヨーロッパの世紀は終わって、二十世紀にはアメリカとロシアが世界を二分する時代が来るだろう』と、1835年に出版した本に予言を書いているんですね」


客席「おぉー」「へぇー」


そうそう!


武史「うんうん」


義一「見事に当たってますよね?僕はなんか…うん、学問というのは、本当に極めると、僕如きが言うのはおこがましいんですが、物凄い”予測力”と言いますかね?神がかり的な”予見力”を発揮出来る様になると、その素晴らしい例が、今挙げたトクヴィルにしろ、さっき武史が挙げてくれたバークによって示されていると思うんです」


客席「あー…」


うんうん


義一「歴史というものの根本の何かを掴まえられたら、未来に対して大雑把ながら、方向性は間違えない様な、そういった意味で的確な見通しというものに辿り着けるんじゃないかという気がしていまして、微力ながら私や武史の様な若輩としては、少しでもそんな過去の偉大な予見力を持った彼らに近づける様に、日々学んでいるわけなんです」


武史「そうだなぁ…。うん、私と義一はよく会うたびに古典の話をしたりするんですが、我々が好きな古典の作者にも色んな人がいるんですが、その中で特に好きなのって、その人に予見力がある人が多い…よなぁ?」


義一「うんうん、そうそう」


うんうん、私もだわ


武史「後でトクヴィルと同様に触れますが、ケインズにしてもそうだし、さっき義一が触れてくれたシュンペーターにしてもそうだしな。

だから…古典を勉強するって、何か現在から離れた、好事家の趣味に過ぎないと思われがちなんだけれど、実はどんな学問よりも実践的で、少し俗に落として言ってもかなり実用的であると。今も書店に行くと、新書で様々な啓発本というか発売されていますけど、実はそんな薄っぺらい物よりも遥かに実用性の高いのが古典であると、まぁこれが我々の考えですね」



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義一「一つですね、予見力がある人が好きなのはそうなんですけれど、もう一つ加えれば、バークがそうなんですけれども、この予見力を付けるというのは、言うは易いが行うは難しというもので、我々だって中々出来ない訳です。

ですが、今まで触れてきたバークにしろトクヴィルにしろ、彼らほどに賢くなくても割と簡単に、これは…ふふ、厳密には予見力とは違うのでしょうが、それと似た様な効能が起きるやり方、訓練の方法が実はあるんです。

勿論、しつこく言っていますが、今回の重要なテーマでもあるので、今後も繰り返し述べる事を今のうちに謝罪しておきますが、古典を読むというのが一番のトレーニング方法なんですが、もっと簡単な方法で言いますと、予見力のある人の書いた本を読めば分かるんですが、大抵、当時の世の中が一斉に同じ方向に舵を切っている時に、その人はそっぽを向いて真反対を向いてるんですよ」


武史「あー…あはは」


あー…うん、ふふふ


義一「ふふ、”だから”予見出来るという面はあると思うんですね。先は読めないかも知れませんが、世の中が向いている方向と敢えて逆を向いてというか、逆側に立って反対側の、大勢が向かっている方向を冷静に眺めて、そこから仮説を立てて、それから頭の中で議論をしてみると、逆を向いた意見の方が結果としては正しかったりする事が、歴史を見る限り多いんですね」


うんうん


義一「大勢の大多数が動くから”流れ”になる訳ですから、どうしたって、この世間の流れに逆らって逆側から物を見ようという人は、全体の少数派なのは当たり前なんですが、まぁ特に日本はありがちですけれど、その少数派の人が一生懸命に何か言おうと、今の流れはおかしいと訴えてもですね、少数派の意見ってだけで、多数派はロクに取り合わずに馬鹿にするんですね」



義一「んー…ふふ、普通はですね、多数派に乗っかった方が勝ち馬に乗れるわけですよね?ですが、それを百も承知で、少数派なのも自覚した上で、それでも自分の立場を不利にしてでも訴えてるという事は、

『その言ってる当人にしか見えない”ナニカ”があるんじゃないか?』

と耳を傾けてみるというのが大事なはずで、私は…ふふ、しょっちゅう海外、特に欧州、つまりはヨーロッパの話をするので、僕は見ていませんが、アンチからは西洋かぶれと見られている様ですが、それはまぁどうでも良いとして、この点においてはですね、やはり日本人よりもヨーロッパ人の方が上だなぁと、僕は少しばかりイギリスとドイツでしたが住んでいた事がありまして、僕自身はこの二カ国人としか付き合いが無いので他の欧州は知りませんが、それでも触れると、彼らは少数派の意見を聞くと、

『自分の意見とは違うが、お前の意見は面白いな』

とかですね、もうちょっと他の意見に耳を傾ける風習が、特に伝統を重んじるのが特徴のヨーロッパ人にはあるわけですね。

『これを自由主義がいう自由なんだ』と、特に僕と付き合いのあるイギリス人なんかはそう言うんですね」


うんうん


と、モニター前で頷きながら私は、十八世紀に活躍した、イギリス経験論の父と称されるジョン・ロックと共に、啓蒙主義を代表する人物と見做されている、ヴォルテールの言葉を思い出していた。

『私はあなたの意見には反対だ。だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る』


…さて、ここで補足というか、チラッとさりげなく義一が不意に触れたが、そう、義一が以前にイギリスとドイツに住んでいた事があるという話は、私自身は既に聞かされていた。それも小学生時点でだ。

簡単に説明を受けただけなので、どんな状況で、どんな流れでだったかは忘れたが、取り敢えず英語とドイツ語、加えてフランス語やラテン語も少々と、本人は否定してくるが門外漢の一般人的な私の視点から見ると、この三カ国語に精通している様に、様々な話をしてくれる中で思っていたのもあり、それで『何でそんなに色んな言語に詳しいの?』と、”なんでちゃん”である私は聞いたのだろう。

それで義一は答えてくれたのだが、後にもしかしたら本編でも出てくるかも知れないと思いつつも、一応今この場を借りて前情報として簡単に触れると、義一は大学を卒業すると共に、神谷さんや神谷さんの実質一番弟子である佐々木さんの推薦で、この二人自身が若い頃に留学したイギリスとドイツへと、それぞれ二年弱ずつ住んでいたとの事だった。

大学名は具体的に言えば、初めに行ったドイツの方は、これがまた変な縁を感じてしまうが、私の師匠が現役時代に拠点として家を構えて暮らしていたライプツィヒ、次の二年間を過ごしたイギリスの方はケンブリッジのキングスカレッジだった様だ。一応この二大学を元にしてというか、それ以外にも他の大学に顔を出したりもしていたらしい。

しかし、とは言っても、話を聞く感じでは熱心に大学自体に通っていたというよりかは、各大学で研究している同じ志を持った学徒達と個別に議論や意見を交わし、またプライベートな付き合いも持ちながら過ごした様で、彼らとは今現在も深く繋がっているらしかった。

話を戻そう。


義一「でもですねぇ…繰り返しますが、近代以来の日本というのは、少数派の意見に対して『空気を読んでくれ』とかですね、いとも簡単に馬鹿にするんですねぇ」


武史「うーん」


うん…


義一「ところが、先ほどもチラッと触れましたが、これまでの人類史を見る限り、多数派が正しかった事は一度として無く、正しかったのは無視されてきた少数派だったというので、馬鹿にされるべきは多数派の方なんですが…」


そうそう


義一「まぁそれはおいといて、少数派の意見を聞いてみる、少数派の意見に耳を傾けてみる、新聞やテレビからの情報を取り敢えず全部裏から見てみるとかですね?」


武史「あはは」


義一「まぁ、そうする事によって、僕が言うのもなんですが、少数派を自覚している上で言わせて貰えれば、目利きの様なものが身に付いてくるんじゃないかなって思います。

で、そういった事が古典を読んでいますと、僕が好きな洞察力のある、こうなりたいなって思う偉大な歴史的人物って、これは蛇足ですが…ふふ、みんな大体不幸な結末に終わってるんですよ」


あ…うん…


武史「あはは…」


義一「僕の大好きな経済学者の一人で、ドイツ歴史学派の先駆者でもあったフリードリッヒ・リストは自殺していますし、これまた僕の大好きにして尊敬している、イギリスのジョン・アクトン、通称アクトン卿と呼ばれている彼に『バークを超える世界随一の天才』とまで言わしめた、アメリカ合衆国建国の父の一人にして、初代財務長官を務めた、これまた我々が保守だと見做しているアレクサンダー・ハミルトンは決闘して死んでいますしと、ロクな死に方をしていないんですが」


…ふふ、そんな話を、そんな愉快げに義一さんが話すから、動画からでも会場から苦笑いを浮かべているだろう雰囲気が伝わってくるわね。勿論…ふふ、会場にいるはずである絵里さんも


義一「でもまぁ、そんな人間じゃないと偉大にはなれないって事なんですね。洞察力を身に付けるにはリスクがあるわけですよ。どうしたって少数派にならざるを得ないんですからね。

で、さっきの『処方箋をすぐに出せ』ってよく言われると、その話題に結び付けたいなと今思ったんですが、実は処方箋を求めている人というのは、本当にどうすれば良いのかという解決策を求めているのでは無くて、自分が聞いて安心出来る単純な結論を求めているだけなんですよ」


武史「あー…」


客席「あー…」


あー…うんうん


義一「例えば今回のFTAに絡めて言いますと、

『じゃああなたは、処方箋は何が良いと思うんですか?』

と聞かれた時に

『それはもちろん、出来ればこのFTAに参加しない事です』

という、質問してきた彼、彼女が求めているのと違う答えを返すとですね、

『うーん…それじゃあ案にならない』

と言ってくるんですね」


武史「あはは、そうそう」


義一「ふふ、『あなたが案だと思っているのと違う事を言おうとしているので、何を当たり前の事を言ってるんだ?』って感じなんですが、相手はつまり何らかの確証が欲しい、それだけのために処方箋を求めているだけなんですね。

だから本当の、虱潰しの末に出来上がった本当の処方箋が、その人にとって不愉快なものだった場合は、聞かないんですよ」


武史「うーん…うん、そうだなぁ」


義一「これはとても厄介な問題です。つくづく思いますが、よく言われる事で、時代の大きな転換点、パラダイムシフトが大きく行われようとしている時期が今なわけですが、

『日本人は危機になれば目が覚める』

だとかですね、危機になれば新たな考え、考え方が生まれるだろうと、まぁそんな事がよく言われてきたわけです。

確かに、歴史で言えば1930年代、つまりは大戦に入りかけている時代なわけですが、大体優れた思想だとかのパラダイムシフトが、危機的な状況で起きるというのは事実でしたけれど、一般的には『危機になったら目覚める』のでは無いんですね。

『あぁ…そっか。今までの理論が間違っていたんだな』とはならなくてですね、大抵の場合は、まず危機が起きると『不確実性』が高まります。後で紹介するケインズが有名ですが、英語で”uncertainty”ってやつですね。

ただでさえ見通すのが難しい将来が一層見えなくなると、不安になって大抵は安心出来る、簡単にして単純な、耳慣れた聞き心地の良い言葉、スローガンなどに飛びつく物なんですよ」


武史「あー、そうだなぁ」


うん、そうねぇ…


義一「そもそもですね、新たな考えを持つそれ自体が、世の中を不確実にします。その新たな考えが正しいのか間違っているのか、それを検証するだけでも多大な時間と労力を要しますしね。

新たな考え、今まで自分が固執していた考えとは丸切り違う考え方を元に、発想の転換をするそれ自体が、世の中を不確実にするのと同時に、個々人も不確実なものにするために不安になるわけです。

世の中の不確実性が高まって、物事がグチャグチャになっている時にはですね、一度地面に足を付けて、腰を落ち着けて、今まで自分が何をしてきたのかを自省する様な真似はしないでですね、尚一層次から次へと湧いてくる新たな考えに飛びついて、それによってまた不確実性を増幅させて危機的な状況を促進させるという、そんな負のスパイラル、負の連鎖を引き起こしているのが今現代と言えなくも無いわけです」


うん


義一「なので、約十年前に起きました、百年に一度の大規模なバブル崩壊という金融面での危機があろうが、千年に一度という大震災が起きようが、当然言うまでもなく不確実性は高まるわけですが、出てくる処方箋というのは『規制緩和』とかですね、『小さな政府で財政緊縮、もしくは財政均衡』だとかですねぇ」


武史「規制緩和も長いなぁ」


うんー…


義一「ふふ、『これからはグローバルな時代なんだから、FTA、自由貿易協定にどんどん参加するべき』みたいなですね、後、これまた国会で議論が交わされている『消費税増税』についてもですねぇ…『先送りに出来ない課題!』と、何やら増税賛成派は勇しく鼻息荒く言うんですが、とにかく不安に駆られて、いつものみんなが普段から言ってた言葉に飛びつくもんなんですね。

だからまぁ結論としては、月並みですが…ふふ、『人間というのは単純だなぁ』と、ここ十年程度の短いスパンだけを取り出してみても、これ程に愚かしい右往左往っぷりが見て取れるわけです」




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武史「あはは、全くそうなんだよなぁ…。えぇーっと…私が大学に入った頃にはバブルが崩壊していたんですが、それから少しすると『規制緩和』だなんだと話が出てき始めて、それを聞いて私はすぐに疑問に思ったんですよ。

要は規制をどんどん緩和していかないと日本の経済は成長していかないって話ですよね?それが何だかいつの間にか既成事実かの様になっていき、終いには全国民と言って良いくらいの大勢で規制緩和の大合唱となったのが前世紀末から今世紀時初めにかけて起きた事なわけです。

これに反対する人は、我々みたいな極々少数以外を除くと誰もいないという状態が今なわけですが、でも日本の高度成長期というのは1950年代から60年代にかけてで、あの頃にSONYなり松下電器、今のパナソニックが創業されてるわけですが、あの頃ってそんなに規制が緩かったんですかね?むしろ当時の規制なんかは今とは比べ物にならないくらいにあったわけですよ。

ケンブリッジの韓国人である経済学者が分析していますが、当時の高度成長期真っ只中の日韓両国というのは、規制が厳しい時期にイノベーションがどんどん起こっていたんだと、沢山の実証例を上げて論文を書いていますが、その通りなんですね」


義一「そうそう」


武史「だからまぁ…ふふ、ロクに何も調べもしないで、疑問にも思わないで、何となくイメージで言ってるだけなんですね。規制が緩い方がイノベーションは起こるだろうという」


うんうん


武史「確かに90年代は、80年代の規制緩和を断行されていっていたアメリカを見て、そのアメリカが規制緩和で成功していたと思われていたわけですが、今や誰の目にも明らかな様に、当時のアメリカでイノベーションがひっきりなしに起こったのは、アメリカがバブルで、お金が余っていて、そのダブついたお金がリスクの高い所に投資として流れていったからだと、そういう事ですよね」


義一「うん」


武史「アメリカの場合では、様々なものが急速度で民営化していって、例をあげれば軍事産業なんかも民営化されて、スピンオフして、国家が散々基礎投資してきた物が、状況の変化で民間に流れていったから、後のIT、ネット社会へと繋がっていくわけですね。

要は思いっきり国家が関連しているわけですよ。こんな事は何て言うか…プロフェッショナル的に、専門的な知識なんぞ無くても、私たちみたいなアマチュアな目で見たってですね、分かるはずなんですよ。

んー…あ、そうそう、日本において経済について議論する時に嫌になっちゃうのが、妙にプロフェッショナルリズムとでも言うのか、専門主義に偏りすぎてるきらいがあって、それを振り回す人が多いよな?」


義一「ふふ、うん、そうだねぇ」


武史「アメリカ型の経済学教育を日本に導入していく中で生じた、一種の歪な歪みだと思うんですけど、まぁ経済学について長い間訓練を受けていない者が、経済について語るべからずみたいな、そんな風潮がある訳です。

で…ふふ、今年に入ってからこうして私や義一が活動し始めたわけですが、もうその直後くらいから、いわゆる経済学者からは叩かれたんですよ。

『あいつらは経済学の学位も無いくせに、偉そうに経済について口出ししやがって。しかも経済学を批判してくるとは、一体何様のつもりなんだ?』と」


義一「あははは!そうだったねぇ」


…ふふ、もーう、義一さんったら、またそんなに面白がっちゃって


武史「あはは。まぁ確かに経済学の学位なんぞは持っていませんが、それでもですよ?これは皆さんでも経験がお有りだと信じてますが、たまに新聞の経済欄なんかを眺めると、思わず首を傾げたくなる様な、そんな記事が出てたりしますよね?

…ふふ、私の位置からは、少数ながら頷いてくれている方がいらっしゃるのが見えたので、それだけでも勇気を貰って続けますと、そもそも常識、普段日常生活を営んでいる中で培った経験とは、明かに齟齬が見られる様な記事が、特に経済欄などで散見されるわけですよ。

しかし、これは新聞などのメディアに限りませんよ。この会場で、これまで触れてきた経済学者たちは例外中の例外で、大方の経済学者が書いた本なり教科書なりを読んでみますと、あまりにも現実とはかけ離れた想定を元に書かれていたりして、その度にツッコミを入れながら読み進めるために、中々すんなりと読んでいけないんですよ」


義一「あははは」


ふふふ


武史「だから、その…さっきも述べたプロフェッショナルリズム、ある一定の枠組みの中にある経済学の理論が危険だったりすると言う意味は、そういった訳があるんです。

でまぁ、私なんかは、その…ふふ、ここにいる編集長様である義一、望月義一先生なんかは、物心がついた頃から古典を、しかも深く読み込んでいらしていたので、それと比べると私なんかは、大学に入ってから古典を本格的に読み始めたくらいなんですが」


義一「ちょ、ちょっと武史…ふふ、勘弁してくれよ」


武史「あははは」


義一「いや、『あはは』じゃ無しに」


ふふふ


義一「まったく…ふふ、皆さん、この男の話は、僕に関する事だけは話半分に聞いて下さいね?」


客席「笑」


武史「あははは。酷いなぁ…って、あ、それで、まぁ大学生の頃に規制緩和の大合唱が日本を席巻し始めていた頃にですね、それについて違和感を覚えていた私は、これは私の師匠に当たるんですが、佐々木先生という方に古典を読む様に勧められまして、試しに読んでみたら、規制緩和だとか構造改革というのは、その淵源を尋ねると、近代経済学の創始者と称されるアダム・スミスにまで遡れる…と通説では言われていまして、これは今だに言われている事ですが、私自身もそう耳にしていたので『そうなんだぁ』と漠然と思っていたのに実際に勧められて読んでみると、そんな事は一言も書いてない訳ですよ」


義一「そうそう!」


うんうん!


武史「むしろ創始者であるアダム・スミスの書いた文章が一々腹に落ちるというか、今現在の主流派経済学者が言ってる理論とは違って、ごもっともだと納得がいく説明がなされているのに気付いたんです。

とまぁ、そういう経験があって、これはいわゆる社会科学の分野に限って言っても、今現在の新しい最新の経済学の教科書よりも、こういった古典の方が現在の実社会をしっかりと反映して議論がなされているのが圧倒的に多いというのが、率直な素直な印象なんですね」



——————————————————————



義一「あのー…一つ面白い例を挙げますと、今僕が手に持っているこの本は、読みにくい本ではあるんですが、先ほどもチラッと触れた、ジョン・メイナード・ケインズの書いた『雇用、利子および貨幣の一般理論』という、通称『一般理論』で知られている有名な本がありますが、1936年の本で、これによって経済学、経済思想が大きく変わっちゃったという大名著なんですが、しかし80年代くらいになると、『ケインズは死んだ』とか言われ始めて評判が悪くなり始めたんです。

ですが…ふふ、確かに大戦直後の1946年にケインズは死んでいますので、それに限って言えば正しいので間違っちゃいなんですが、そんな得意げに言うことかと」


武史「あははは」


客席「笑」


ふふふ


義一「あはは、死んだはずなのに生きてたら怖いじゃないかと。えぇっと、でまぁ…ふふ、ここに死んだケインズの書き著した一般理論がございましょ?でー…ここに書かれているのも知的に面白いんですよ。

例えば、その…ふふ、これは僕じゃなくて、ここにいる武史に説明して貰った方が良いと思うけれど、僕自身もというか、雑誌内で武史に書いて貰っているし、だから僕の元にも記者が来て質問をしてくるんだろうけど、今というかここ数年、大阪で市長なり知事が持て囃されていますよね?『維新だ』とか何とか言っちゃって、今では大阪府じゃなくて大阪都にしようと画策している訳ですよ。

これについて、ここにいる武史が、自分が関西、大阪のすぐ側である京都に住んでいるものだから、危機意識が僕よりも高くて、それでFTAだけではなく都構想にも反対の論陣を張っていて、そっち方面の急先鋒となっているんですが…何か喋る?

…ふふ、苦笑いで首を横に振られたんで、まぁ今はこの件に関してのテーマでは無いので軽くでは流してしましょう。

で、その知事なり市長なりは揃って

『維新だ!』

『改革だ!』

と息巻いて口にしてるんですが、そもそもですね、さっきの危機の話にも関連するんですが、『この国を新しく変える』とか大仰な事を言う割には、その口から述べられる政策というのが、そもそも新しく無いんですね。

過去二十年以上に亘って続けられてきた構造改革論の焼き直しな訳ですよ。耳にタコが出来るほどに聞かされてきたですね?

そんな聞き慣れた文言に、特に大阪市民の大多数は容易に飛びついているんですが、アレを見ると、日本それ自体も危機的状態なんですが、大阪単体で見てもかなり危機的なんだろうなと、関東にいながらもよく分かるんです」


武史「分かってくれるかぁ…ありがたや」


客席「笑」


義一「ふふ。とまぁ、少し脱線してしまいましたが、ついでなんで少しまだ延長すると、どこかの三流な経済学者が書き散らかした様な文章がツラツラと政策として書いてあるんですね。

で、ここからは本当に面白い所なんですが、これは急先鋒である武史もSNSで攻撃されたらしいですけど、大阪知事なり市長はそこで学者を批判するんですね。

『学者は机上の空論ばかりを言ってて役には立たない。責任取らなくて良い立場の人間は、好き勝手言ったり出来て良いご身分だよね』

といった感じでですね」


へぇ…って、それは酷い


と一人で苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべつつ呟いた私は、既に武史がそういった問題にも首を突っ込んでいた事実を、義一も触れた雑誌で読んでいたので、この時点で既に知っていた。


義一「確かに学者が空論ばっかり言ってるというのは、事実な面もある…と、これは学者である武史自身が雑誌内でも言っていた事なので、まぁそうだと僕も遠慮なく言えるんですが、しかしそう批判している当人が出している政策案というのがですね、さっきも述べましたが、経済学という三流学問をしている四流の学者が昔から言い続けてきた机上の空論を、そっくりそのまま取り入れているんですよ」


あはは。…って、ふふ、客席はまた良い具合に苦笑いで溢れていそうね。…あ、そういえば絵里さん達も客席にいるんだったわ。…ふふ、百合子さんや有希さんは愉快だと笑ってそうだけど、絵里さんだけは笑顔だろうけれど呆れ返ってそうね


武史「あははは!」


義一「ふふ。まさに綺麗なブーメランになっている訳ですが、ここでですね、何故ケインズの話をするのに今の話をしたのかと言いますと、ケインズというのは経済学を大きく変えた人物だとさっき紹介しましたが、実は彼自身は経済学の学位を持っていないんですね」


客席「へぇー」


義一「武史の言葉を借りれば、プロフェッショナルと言うよりかは、むしろ経済学についてはアマチュアだったんですよ」


武史「そうそう。パートタイム・エコノミストとか呼ばれて、一週間のうちで一日しか経済学について勉強しなかったんだよな」


義一「そうそう。元々ケインズは数学者になりたかった人間だったんですが、しかし駄目で、じゃあどうしようかという時に、仕方なく簡単そうだし経済学でもやるかと、まだ数学者になるという夢を捨てきれないまま、嫌々ながら一週間のうちで一日しか勉強しなかったんです。しかもそれをたったの八週間のみだったんですね」


客席「へぇー」


ふふ、そうそう


武史「あはは、だからハイエクという人が怒って、『アイツは経済学を全く知らない』と言ってたんだよな」


義一「ふふ、でもそのハイエク、まぁハイエクについての説明までしちゃうと時間が足りないですが、まぁ戦後世界を代表する自由主義のイデオローグであり、かのサッチャーが私淑した、尊敬して厭わなかった人物だと、まぁそれくらいの認識で皆さんには頭の片隅に置いてもらいまして、このハイエクとケインズの対立というのは、二十世紀の経済学において大きな、多大な影響を全体に与えたくらいに重要人物なんですが、そのハイエク自身も、彼の学位は経済学ではなくて法学と政治学なんですね」


客席「ほぉー」


義一「だからまぁ、経済学なんてものはその程度のものなんで、まぁそれで良いんですよ。

…って、ふふ、またしても話が逸れちゃいましたが、何故ケインズとさっきの話を絡めたのかと言いますと、ケインズ自身は学位を持たなかったくらいですから、自分が学者のつもりは無かったんですけれど、この一般理論という理論書でですね、有名な話なんですが、この本の最後の章でこう言ってるんですよ。

面白いんですけれどねぇ…今手元に原著がありますので、そのまま読んじゃいますね?

『経済学者や政治哲学者の思想は、それが正しい場合にも間違っている場合にも、一般に考えられているより遥かに強力である』」


うんうん


義一「つまり思想というのが重要だと言っているんですね。

『事実、世界を支配するものは、それ以外に無いのである。どの様な知的影響とも無縁であると自ら信じている実際家たちも、過去の”ある経済学者”の奴隷であるのが普通である』と」


うんうん、何度聞いても腑に落ちる言葉だなぁ


義一「ふふ、つまりさっきの大阪知事や市長の様に、『俺は政治家だ。現場だ』と言ってる奴だって、過去の経済学者の奴隷に過ぎないと喝破してくれているんですよ」


客席「あぁー…」


義一「だからですね?話が急に一気に戻る様ですけれど、こういった優れた古典を読んじゃうとですねぇ…今例に出した人間たちが持て囃されている様な、そんな世間の流れというか動きを見て、やってらんない気持ちになる訳ですよ」


あはは、地がますます出てきてるわね


武史「あはは、そうだなぁ」


義一「でも、ちゃんちゃら可笑しくて、やってらんないと捨て置くわけにもいかなくてですね、保守の立場らしく、これもまた歴史から紐解いて学ぶということにしますと、よくまぁ、特に左陣営のマスメディアなり政党なりが、今の政権が長いせいもあるのか、『強権的だ!』『ヒットラーみたいな独裁じゃないか!』と言ってたりするんですが、

ヒットラーが出て来た時というのは、彼はまぁ芸術家、画家にもなれなかった中途半端で軽薄な奴だと、もっと端的に言ってしまえば単なる馬鹿だと、恐ろしい考えなんか抱いていないんだから、大した事なんか起こさないだろうと、むしろ居酒屋で見せていた弁のたつ彼の人気を利用してやれと、当時の老練な政治家たちが思ったらしいんですね。

でまぁ、ああ言った元気な若いのがいた方が良いんじゃないかと、第一次世界大戦に敗れた後の当時のドイツは、一般的には『ベルサイユ会議』で知られているパリ講和会議にて、当時の経済指標の一つであるGNPの二十倍という破格の賠償金を要求されまして、国内は一気にハイパーインフレになるという激動な中を過ごしていましたので、閉塞感も生まれていたのもあり、それを打破するには丁度良いだろうと、まぁそんな浅はかな考えのもとでヒットラーを取り込んだってのが始まりの様なんですね。

因みに補足を入れますと、先ほど触れたパリ講和会議にはイギリス代表団の中にケインズも参加していましたが、有名なところでは彼一人だけが、いくら敗戦国、それも暴走した上での情状酌量の余地が無い敗戦国だとはいえ、GNPの二十倍もの賠償金を寄ってたかって求めるとは一体何様のつもりなんだと反対しまして、会議の途中だというのに抗議の意味でイギリスに帰国したというエピソードを添えときます」


武史「そうそう」


義一「えー…さて、そういった考えでヒットラーを祭り上げて、彼の人気を利用して上手いことしてるつもりでいたんですが、アレよアレよという間に結果はあの通りになっちゃったって結末なんですね。

要はですね、やってる連中が軽薄で馬鹿だとしても、それでもやはりナメてはいけなくてですね、やっぱり…ふふ、これは僕が言うとアレですが、もっと世の中というのは真面目に生きないとダメだなと思うんですよ。

でー…あ、そうそう。…ふふ、またしても僕一人が喋りすぎてるけれど…あ、良いの?じゃあお言葉に甘えて…ふふ、あ、コホン、さっきも我々の間で話題に出たトクヴィル、アレクシ・ド・トクヴィルという、もう少し説明しますと、元々地方貴族の出なんですが、例のフランス革命が起きた時に、同じく貴族だった親戚が大勢処刑されたというのをきっかけに、今風の新自由主義的な自由ではなく、古典的な、ハイエクまでと僕個人は言いたくなる本来の自由思想について研究をしたり、外交官として先ほど触れたアメリカを訪れて、帰国後に本を書いたり、その後は外務大臣まで務めた人物ですが、そのさっき触れた本、『アメリカの民主政治』ですね?その中でこれまた有名な件がありまして、それを紹介したいと思います。

まだ建国されてから五十年くらいしか経っていないというのに、そこで見た民主主義を見て驚くというか焦るんですね。人類の歴史上、本当に大変なヤバイ時代がこれから来るんじゃないかと焦るんです。

…あ、因みに私が大変好きで尊敬しているトクヴィルも、鬱病で悩んでいましたね」


…ふふ


武史「ふふ」


義一「あはは!本当に鬱病だったり、自殺したりと、僕が尊敬して好きな人はロクな死に方をしてない人ばかりなんですが、これはまぁさっき触れたのでこの辺りで終えて話を戻すと、彼はその恐ろしい民主主義について有名な言葉、『多数者の専制』と、短くも的確に表現していました」


うんうん

 

義一「つまり、一般には教科書的に言うと、独裁制と民主制というのは逆に見えるじゃないですか?一人が独裁してその他が言う事を聞くのと、みんなで話し合って決めるのとでは全然違うと。だから独裁はダメで民主制は良いと一般に言われているし思われているんですが、トクヴィルは民主制というのは結局のところ独裁と同じだと言っているんですね。

どういう事かと言いますと、独裁制と民主制には大きな共通点があると。独裁者の前では支配される側というのは皆平等であると、で、民主主義も皆が平等だという点では同じだと彼は言うんですね」


そうそう!


義一「で、彼はでは何が理想かと言うと、支配者と被支配者の間に階層がある、もしくは、これまた有名な概念ですけれど、”中間組織”、”中間団体”という、容易に一般大衆の意見が直接政治に反映しちゃうんじゃなくて、幾つかのフィルターを経て届くという、これが大事だというんですね。

アメリカの民主主義が辛うじて機能しているのは、今言った様な中間組織があるからだと彼は言っていました。つまり欧州には貴族制があって貴族という中間組織、もしくは教会も中間組織になりまして、またはギルドみたいなのも当然中間組織、中間団体になるんですが、アメリカには歴史が無いせいでその様な組織は無いんだけれども、今でも実はそうですけれども、アメリカって宗教に熱心ですよね?つまりまぁ教会って事なんですが、欧州とは少し違った形とはいえ、そこを中間組織として編成して存在しているので、繰り返しますがアメリカは辛うじてそれなりに正しく民主主義が働いていると、そうトクヴィルは判断していました。

ですが、そう言ってはいても、その上でも民主主義の危うさについて警戒心は解けるどころか深める一方だったんです。

彼が言ったのは、多数者が、多数派が何でも好き勝手に決めて少数派を弾圧するという、つまり、大勢の意見が国を支配してしまって、少数派が幾ら今の状態が危ないと警告を鳴らしても誰も聞かなくなる…これが一種の”専制”だと、多数者による専制政治だと、まぁそう喝破したんですね」


客席「あー…」


義一「ここで先ほどのトクヴィルの発言の真意がお分かり頂けたかと思いますが、要は独裁制と民主制が似ているのは、独裁制では一人が強権的に振る舞うんですが、”誤った形での”今の日本やその他の先進国の様な民主制でも、多数者が強権的に振る舞う点では同じだという意味なんですね」


うんうん


義一「で…話を戻しまして、この専制について、トクヴィルはまたこんな面白い事を言っていました。

昔の独裁者による専制というのは、反対派を黙らせるために火炙りにしたりと、暴力を行使して弾圧をしていたんですが、ところが民主主義における専制、多数者の専制というのは、武力だとか暴力は要らないと言うんですよ。

ではどうやって少数派を黙らせるかと言うと、…多数側が少数派を無視すれば良いんだと」



義一「みんなで無視して、幾ら少数派がワーワー言っていてもシカトし続ければ、そのうち少数派は自分の意見を言うのに疲れて、嫌になって勝手に黙る様になるだろうと」


うん…


客席「…」


義一「…って言ってたんですね。これが社会学に応用されていまして、『沈黙の螺旋』という仮説が生まれました。

因みに沈黙の螺旋というのは、同調を求める社会的圧力によって、少数派が沈黙を余儀なくされていく過程を示したものなんです。…ふふ、まさしく今僕が話した通りですよね?

これは具体例でいえば、さっきも引用したヒットラー率いるナチスドイツの時もそうでして、つまりはトクヴィルは、将来世界をアメリカとロシアで二分する未来を予言しただけではなく、ナチスの様な全体主義国家が生まれるのも、それも民主主義から生まれるであろう事も予言していたんですね。

ヒットラーはご存知の通り、何もクーデターやらして強行的に権力を握ったのではなく、当時尤も民主的だと言われていたワイマール憲法に則って、正式に選挙をして多数者からの絶大な支持を受けてナチスが政権を獲得した訳ですから、まさにトクヴィルの言う通りになった訳です。

ですから、トクヴィルの本には民主主義の危険性、あるいは、とは言っても現状皆が納得する政治体制が民主主義しか無いのだとしたら、どうしたら健全な民主制を運営することが出来るのか、そのヒントまで沢山詰まっているんですよ。

ですから、トクヴィルなんかを読んでしまうと、日本が近代にやって来たことが、ハッキリ言って多数派の専制に過ぎなかったんだと、少なくとも今現在においてもその方向へとどんどん向かっているのが具に分かる訳です。

例えば構造改革が典型ですが、トクヴィルは教会だとか階級、ギルドは今でいう労働組合と言い換えても良いでしょう、その様な中間組織が大事だと言ってたのは触れた通りですね?

で…トクヴィルは、バークと同じ様にフランス革命についても分析をしていまして、”Ancien Régime et la Révolution”『アンシァン・レジームと革命』という名の書物を出していまして、”le Roi Soleil”『太陽王』と呼ばれた、絶対王制のシンボル的存在と言って良いだろうルイ14世についても触れていました。

『絶対君主と言えど、実際は臣民がどう施政について感じているか、その心情に心を配らない訳にはいかなかった』

といった様な事を、正確な引用ではありませんが書いていまして、これは先に触れたバーグも

『導く者は、導かれる者によって方向付けられる』

と述べていた様に、内容としては二人ともに同じ様な分析と結論を出しているんですが、

…ふふ、少しだけ脱線しますが、この『アンシァン・レジームと革命』の冒頭で、トクヴィルは『これは別にフランス革命について細かい分析を書き記したもの、もしくはそれを主要な目的としたものでは無い』と断っているのですが、実際に読み進めていきますと、翻訳だと文庫サイズで合計四百ページもある大著なんですが、その中で延々とフランス革命だけでは無いにせよ、かなりの部分を割いて分析しきっていまして、そして最後の後書きの様な所に辿り着くと、こう締めているんですね。

『本当はフランス革命についてアレコレと書きたかったが、今回はページの都合上書けなかったのを許して欲しい』と」


ふふふ、そうそう


義一「これがまたですね…ふふ、この性格がひん曲がったというか、天の邪鬼っぷりが僕がトクヴィルを大好きな理由の一つなんです」


…ふふふ、私も義一さんから借りて読んだ時、その明らかな矛盾に戸惑ったけれど…ふふ、この如何にも一筋縄では行かなそうな、一癖も二癖もあるのがアリアリと分かる様な、そんな文章で、私も義一さんと一緒で、とても面白くて、また益々トクヴィルが好きになったのを思い出したわ


と、当時を思い出したあまりに笑みを私は溢していたのだが、これについてはあまり同調されなかったらしく、映像には写っていなかったが、動画から伝わってくる空気感からすると、どうやら客席は良くて苦笑い、普通にいってキョトン顔を浮かべている様だった。

そんな客席の様子は気にも止めずに、義一は愉快そうなのを保ちつつ話に戻った。


義一「…っと、話を戻しますと、フランス革命も元は民主革命のつもりでやったら、さっきも名前が出ましたロペスピエールだとかが現れて内ゲバを始めて、その後にはナポレオンが出て来ちゃったと。

今のフランスは世界で最も官僚主義的な、国家主義的な国となってしまっているんですが、それもトクヴィルは分析していまして、彼が言ったのは、フランス革命が典型ですが、国家と個人の間にある中間団体、中間組織をこの革命で壊したんだと。例えば再三触れている教会だとか貴族などの特権階級を全部破壊して、みんな味噌もクソも…って、ふふ、今更ながら言葉遣いが荒くて申し訳ないですが、それはともかく、皆平等にしましたが、その瞬間に、いきなり多数者の専制が成り立ってしまったと言っていました。

こんな今から二百年近く前もの議論ですが、しかし繰り返せば、ここ二十年ばかりの日本で行われてきた構造改革なり断行されてきましたけれど、つまり多数者の専制が行われやすい状況を作り出すために、中間団体を破壊してきた流れだったんですね。

例えば今世紀初めの郵政民営化などは、民営化と表向きは言いながら、過去から連綿と続けられてきたシステムを根本から崩すという意味で破壊行為だった訳ですが、あれだって中間組織だった訳ですよ。郵便局という地方のネットワーク、住民達の交流の中心という役割を担っている場合が、特に地方ではあった訳ですね。

私は今回のFTA騒ぎに、まぁ自ら首を突っ込んでいった訳ですが、それによって恐れ多いながらも地方に呼ばれて講演させていただく機会も増えまして、その中で現場の話を聞くとですね、大体小さな村に行くと、農協が一番大きな組織なんですよ。これまた中間団体ですね?

つまり地方では、郵便局と農協にコミュニティが出来上がっていまして、繰り返しますがこの二つが地域の中間団体である訳なんです。

これは…うん、我々から見ると健全な民主主義への破壊行為でしか無い訳ですが、どういう訳だか大多数の日本人は民主主義を履き違いしているみたいで、そういった中間組織を破壊する事が民主主義の必然なんだみたいな事を思い込み続けています。

ですが…あ、また分かりやすいだろう喩えを持ち出すと、政党だって中間団体ですし、派閥だってそうなんですよ。だけれども、これまた過去二十年の間に『派閥は良くない』と、どこまで分かってて大多数の日本人が賛成していたのか知りませんが、つまりそれら”既得権益”の集団があるせいで”民意”が反映されないんだと、だからそれらをぶっ壊せときて今日な訳です。

ですが、また繰り返しますが、トクヴィルが言っていたのは、中間団体というフィルターを通さない裸の民意が、そっくりそのまま政治に反映されてしまうと、多数派が少数派を無視する形で弾圧して、訳の分からない、その場の気分、思い付きでしかない意見で世の中を持って行ってしまうという全体主義になってしまうぞと、言っていましたし、今のドイツはヒットラーを経験した事によって身に染みて実感していまして、私の知るまともな今を生きるフランス人などは、フランス革命を後悔しているんですよ。

『まずい事をやっちゃったなぁ…』

てな具合でですね。

アメリカの場合は初めから急ごしらえの人造国家なので、建国当初からその悲しみがある訳ですよ。私が先ほど触れました、アレクサンダー・ハミルトンなり、ここでついでにもう少しハミルトン繋がりで、アメリカ人で私の大好きな政治家という括りで有名どころを述べれば、ワシントンの次に大統領になったジョン・アダムズ、その息子で大統領になったジョン・クィンシー・アダムズ、ハミルトンと共に”The Federalist Papers”『ザ・フェデラリスト』を執筆した事で有名な、これまた大統領も務めたジェームズ・マディソンなどがいますが、今述べた方々は、これまた我々というか、僕個人でもと言って良いんですが、保守だと見做してるという共通点がありまして、政治家に限らなければ実験国家にして歴史感覚が乏しいと言う意味で左翼国家であるアメリカにも、実はまだまだ優れた保守がいるんですが、キリがないので今はこの辺で終えときまして、話を戻します。

今触れた人物は、そんな自国の実情をしっかりと認識していて、繰り返しますがそれ故の悲しみを一身に引き受けて、必死に悩みに悩んで生きていた訳ですが、アメリカのインテリ階級というのは、実はトクヴィルが大好きなんですよ。アメリカに対して懐疑的だったトクヴィルのことがですね。

翻って日本を見てみますと、歴史がどの国よりも長い分、本来は中間団体、中間組織もたくさんあったんですが、それをぶっ壊しにぶっ壊しまくって今日な訳です。

僕も…ふふ、武史とそんなに歳が違わないものですから、僕も九十年代に大学生になりまして…ふふ、さっき武史が僕を揶揄うために言っていましたが、僕は確かに大学に入るその大分以前より、古典が好きで読んでいたもので、『これから構造改革を断行して世の中を良くしていくんだ』

という言説を耳にした瞬間に、すぐに当時既に読んでいたトクヴィルの言葉通りの事が行われようとしていると、悪い方向へと突き進んでいく様をですね、ずっと目の当たりにしてきた訳です。

ですから…FTAなり何なりと、どうしてもこの様な事に、センシティブにならざるを得ないのはですね、トクヴィルが頭を抱えたくなる様な事を、平気で自爆テロの如く、国家国民全員で自殺願望があるんじゃないかと疑いたくなるくらいに、やり続けているからなんですね」

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