翠雨

AKIRA

 あいつの好きなことって何だったか。

 いつも笑っている印象しかないから、特別思い浮かばない。

 始業式の後に、教師が連絡事項とついでに一年の目標だの、それが好きなことでもなんでもいんだなんてという話している時にカズのことを考えていた。

 思えば、昔からなりたいものはなかったけど、あの頃は何故か楽しかった。そう。あいつがそばにいて、一緒にいるだけで十分だった。それが空気みたいに当たり前すぎて、それで将来のことを考えることなんてすっかり忘れていたようだ。そしてあの明るさに憧れ、嫉妬、色々な感情をフルコース料理のように味わらせてもらったことに今更気づいた。

 ごめんな。死ぬ勇気も今に立ち向かう気力も俺にはないよ。

 とりあえず静かに惰性で生きたい。

 前の席から白い紙が回ってきた。これに目標を書けということだった。

『今年の目標。誰ともかかわらず、1人で生きていくこと』

 消えないように鉛筆ではなくボールペンでしかも大きな文字で真ん中に書いた。どこかの本かテレビで、自分の願いを文字にすると実現しやすくなると言っていた気がする。いざ書くと本当に実現しそうで安堵してくると同時に灰色の何かが腹の奥から沸いてくる感覚がした。

そうだ。俺の好きなものはカズお前だよ。お前だったよ。男が男を好きなんて気持ち悪! なんてあいつなら言いそうだけど、本当に今そう思ったんだ。

 ベルが鳴り、休み時間になる。今日は午前中で学校は終了らしく、あと一時間ほどで帰れるそうだ。

「あのさ、ここの高校って悪い人いっぱいいるらしいよ」

「何? 怖い。悪い人って?」

 高校入学初日から仲良くなったのか、女子たちが3人で大声で話をしている。聞きたくはなかったが、無理やりその会話耳に入ってくる。

「だからさ、こう、嫌がらせしたり、酷いとリンチしたり?」

「嘘!? マジ!? そんなの聞いていないよ」

 ノリがいいのか、リアクションがオーバーな女子を見て、厄介ごとは関わりたくないな。俺は思わずため息をつく。ただの噂話であることを願いたい。

 あいつのこと、あいつの匂いのする場所から離れたくて、わざわざこんな地方に一人暮らしをして有名じゃないこの高校に通うことを選んだ。偏差値もさほど高くない。かと言って部活動に力を入れているわけでもない。ただ、周りを山に囲まれ自然豊かで平凡で平和そうな高校だという理由で進学を決めた。

 別に、野球部に入って青春の汗とやらをかいて充実した日々を過ごしたいとか、有名大学に入って偉そうな人間になりたいと言うんじゃない。そこにいるけど、石ころみたいに相手にされないような高校生活を送りたいたいだけなんだ。まあきっと大丈夫だろう。神様がいるならば、そのくらいの願い事なら叶えてくれるだろう。

 ゆっくりと席を立ち、ふらっと教室を出てゆく当てもなく次のベルが鳴るまで校内を徘徊することにした。

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