魔王光臨③

 城門扉へ向かうと、タヅサがリザードマン車を引き連れていた。


 リザードマンの知能はそれほど高いというわけではないが、一応人の言葉を理解して話すことができると最近知った。


 加えて書物には感情を持たないと書いてあったが、飼えば亀にも表情や機嫌の良し悪しがあるような気がしたので、この点に関しては疑わしかった。


 ひょっとしたら低級魔族に感情があると知れば、兵士の剣が鈍くなるとか、王政の検閲けんえつが入ったのかも知れなかった。


「驚きました。まさかあの勇者ムカイ様と同じ世界の出身で、しかもお知り合いだったなんて」


 リザードマン車が発車してから程なくして、タヅサはいった。


「知り合いといっても、向こうからしてみれば三十年前の友達ですけどね。こっちの世界で、夢海はそんなに有名なんですか?」


「先の大戦で唯一生き残った勇者様であると聞き及んでいます」


 俺たちの前に召喚された勇者と魔族の戦争が熾烈しれつを極めたというのは座学で教わっていたが、内容までは深く掘り下げなかった。


 勇者の生き残りが居るだろうとは思っていたが、それがまさか夢海だとは夢にも思わなかったからだ。


「唯一……、そういうことか」


 俺とは違い、夢海なら周囲と上手くやっていただろう。


 唯一ということは、出会いがありその全てと死に別れたということだ。


 その悲しみは計り知れなかった。


 久し振りに友達と再会してもどこかぎこちなかったのは、失うかも知れないという恐怖が、人と接することに壁を作っていたからだ。


 こういった心の傷は時間が解決してくれる問題であるが、戦争が終わらないことには、時計の針は肉体の老化と同じように、いつまでも止まったままだろう。


 家に帰ると、俺とタヅサは昼食も食べずに慌ただしく荷造りを始めた。


「何かごめんなさいね、俺のせいで色々と忙しくなってしまいまして」


「いえいえ、お気になさらないでください。テンコウ様と共に生活するようになってから、毎日がとても充実していて楽しいですよ」


 タヅサは本当に楽しそうにいった。


 リーンホープにダンボールのような便利な物はなかったので、荷物は基本的に木箱に詰めることになった。


 荷物の大部分が調理器具や食器、衣類だった。衣食住の衣食の部分である。


 椅子や机は元々備え付けのものだし、新しい部屋にも用意されているので、動かす必要はないそうだ。


 となると、俺の仕事はほとんどなかった。


 家事全般をタヅサに任せている関係で、どうしても俺の荷物の方が少なかったからだ。


 木箱に詰めるだけなら訳ないが、調理器具や掃除道具を無闇に仕舞い込んで不便を被るのはタヅサなので、下手に手伝うことはできなかったからだ。


「ん? これは何だ」


 先に自分の荷造りを終えて部屋に戻ると、黒い布切れが落ちていた。


 広げてみると、それは黒のパンティだった。


 この二ヶ月間、注意を払っていたつもりだが、部屋は仕切りも何もないワンルームだったので、タヅサの下着姿というのも何度か目にしていた。


 そこでの彼女は、白か薄黄色か時折ときおり桃色のものを着用していた記憶があった。断じて黒い下着ではなかった。


「あの、テンコウ様、それ、返してもらえませんか……」


 黒のパンティを広げたまま立ち尽くしていた俺に、タヅサは赤面しながらいった。


「ああ、これはですね、そこに落ちていまして。決してこれを履いているタヅサさんのことを想像していたわけではなくてですね」


 俺は忙しなくそう弁解べんかいした。


「はい、わかっています。これは……、一時いっときの気の迷いだったのです」


 タヅサは俺の手から黒のパンティを奪い去ると、そそくさと部屋を飛び出していった。


 ちょっとした事件を挟みつつも、どうにか夕暮れ前には荷造り作業は終わった。


 そのまま休む間もなく王城へと戻った。


「ここが新しい部屋ですか。一人で使うには広いですね」


 部屋はライブハウスほどの広さがあり、大きめな窓が六つ、日当たりは良好だった。


 何だかんだ二ヶ月もの間、タヅサと同じ屋根の下で生活を続けてきたわけだが、それがいきなり終わると思うと名残惜なごりおしい気持ちになった。


「この部屋は元々二部屋だったものを一部屋に改築したそうです。それと、私も先程聞いたのですが、現在使用人部屋の空きがないようで、当面の間はご一緒させてもらいます」


「あ、そうなんですか」


 予想外の展開に、俺の声は上擦うわずってしまった。


「不束者ですが、これからもテンコウ様の支えとなれるよう一層励みますので、よろしくお願いします」


「もう十分助けられていますよ」


「そういっていただけると嬉しいです」


タヅサは目を細めた。


「ところで、同僚からこのような物を頂き、テンコウ様に渡すようにいわれたのですけれど」


 渡されたのは黒い金属製の輪っかだった。


 大きさは親指と人差し指で作った円くらいで、薄い半透明の膜が張っていた。


 指先で膜を押し込むと、ぴたりと貼り付き、驚くほどの伸縮性があった。


 俺の知っているアレとは少し形状が違うけれど、用途は同じだろう。


 恐らく性知識のとぼしいタヅサに対する悪質な悪戯か、もしくは要らぬお節介せっかいといったところか。


「これは何に使う道具でしょうか」


 タヅサは興味津々といった様子で尋ねてきた。


「さあ、何でしょう。渡した人に聞いてみてください」


 俺はそうとぼけて、黒い金属の輪っかをタヅサに返却した。

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