夢の中の魔法少女 17
悪夢に飲まれるとどうなる?
べつに死ぬっちゅーわけでは無いわな。
じゃあ何が問題になる?
ちょいと変化が生じるわな。
心が変わってしまうの?
ある意味そうや。
今までの自分ではなくなるの?
ある意味そうやな。
それじゃあ、今の自分が死ぬのと同じでは?
なんちゅーか、そこまでではない。とも言えるわ。
何故?
宙を飛び交う波動が、暗黒の濃淡を僅かに生み出し、そこが無でないことを辛うじて認識できる。が、言葉、思考、思念という概念さえも曖昧となり、ただエネルギーの一形態と化す空間の、その溜まりに流れ落ちていく。
当人が変化に気づかん程度に変えてきよるからや、大事な所をな。
気づかないうちに、今の自分が知らない自分になってしまうの?
そうとも言えるし、そこまでではない、とも言えるな。
理解できない。
これまで気になっとったことが、それほど気にならんくなる、ちゅう程度のことかもしれん。ゆーなればな。
なら、悪夢なんて、大したことでは──、
せやけどな、人の一生っちゅうんは、そこが大事なとこや。長ーい目ぇで見てな。せやろ?
なら、やっぱり、今の僕は死んでしまうんだ。僕の心は。
君がそう感じるんやったらぁ、そうかもしれんわな。考えようによってはな。
そんなの、嫌だ──、
世の中の事象をやな、ソレなんかちゃうやろゆーところを、そうでもないかと思えるようになるとか、平気でいられんと思うことが、平気でいられるようになるとか、そんなもんかと納得するとか、そんな感じや、人間にとってはな、たぶんな。
そんなの、きっと、もう僕じゃない。
そうかもしれん。せやけどな、これが奴らのやり方や。悪夢に飲まれて落っこちても、表面的にはただ目ぇ覚まして普通の日常に戻っとる。一見なんも変わらん。死ぬわけやない。そんで人格が豹変するとかでもない。ただすこーし気になっとったことが、気にならんくなる、ただそれだけ。人によってはあくびしておしまいや。当たり前の一日が、当たり前の繰り返しの日々がまた始まりよる。せやけど長い人生な、軌道が少しでもズレるとや、進むにつれてたどり着く所は大きく変わるやろ? その実は大きな変化やでぇ。悪夢を仕掛ける側はな、誰にも気づかれんように、ほんま小さく些細な作用で、そういった方向性へ誘導するんや。奴らの思惑が介在しよる方向へとな。
具体的にはどうなってしまうの?
世の中をよぉーく見渡せば、わけの分からん、理解不能な事件とか、呪いのような救いようない悪意とか、たまにおきよるやろ? つまりや、操られとるんや、目に見えん、どこから来るのかも分からん、せやけど抗う事のできん不穏な力にな。
そっ、そんなの、僕は嫌だっ!
少年の放つひと際大きな波動が、暗黒の空間に響いて揺れた。
そこはもはや悪夢世界の景色、校舎の片鱗もなく、暗黒の宙にただ思念の波動が響き合うだけだった。或いは人の姿、一匹の姿さえ朧に揺れているのかも知れない。一層濃い深海の、奈落のごとき闇の溜まりに、全てが引きずられ落ちていく。
「僕は、僕の心を、想いを変えたくない」
その少年の波動(言葉)に、ネコは少し思う所があるのか片目を瞑った。そしてフォレストがいると思しき方向へ顔を向ける。彼の悪夢を拒絶する気持ちはネコにも痛いほど分かっている。が、すでに打つ手は限られてもいた。
「絶対に!!」
暗黒の宙に飛び交う波動(思念)のやり取り。
特異点への収束が進み、その存在は水面に滴り落ちて生じた波紋のように揺らいでいた。
「最後の手段は、ワシが特異点で悪夢の核と対消滅することや。そうなったら、とりあえずワシの存在は消失する、フォレストとの契約(リンク)は切れて、彼女は強制的にこの空間から離脱するやろ。悪夢に取り込まれることは無い。しかしや、少年、君を救えるかどうかは確約できんわ。悪夢の核を完全に破壊出来ればええけど、すでに収束しとるワシやし、完全に破壊しきれんかったら、飲まれてまう。でもさっきも言ったように、死ぬわけではないでぇ」
「そ、そんなの──」
この時、少年でさえネコの波動が弱弱しく感じられた。勿論その響きはフォレストにも届いているであろう。
刹那、それは流星のように、或いは稲妻のように貫き、瞬きながら現れた。
「ハッァアアアーッ!」
バトルアックスがまるで風車のように回転し、暗黒を駆る。フォレストは校舎を木っ端みじんに粉砕し、天と地と闇、悪夢の空間を貫き、鬼神の如く現れた。
暗黒の宙にバトルアックスのひと薙ぎ、その青白い閃光の軌跡が煌めく。
「ネコっ! お役御免はまだよ。私との約束は果たしていない、まだ私の戦いは終わっていない!」
「フォレスト、しかしや──」
ネコと少年の存在は朧に揺れていたが、青白い光に包まれたフォレストは、毅然とした姿を保っていた。
「私が全霊力でコア(核)に切り込む。波動を誘導して! 絶対に破壊する! ここで私の戦いを終わらさせるわけにはいかない、彼を飲ませるわけにもいかない!」
「せやけど、破壊できんかったら、フォレストおまえはんまで飲まれてしまう──」
「そうはさせないっ! 彼も私も。全霊力を私へ流して! あんたが消滅してでも全霊力をぶち込んで!」
フォレストは雄叫びを上げながらバトルアックスを振るう。奈落のように沈み込む空間の、その波打つ歪みを切り裂き、少年とネコを庇った。収束する空間の歪に巻き込まれれば、時空間の迷路に入り込み、存在を救い出すのは困難となる。
「しかしや、ワシはすでに収束しとるんや、霊力不足で破壊しきれんかったら──」
「弱音を吐く前にコンダクター(導体)としての仕事を全うして。特異点のコアは無限に縮小した一点、それをピンポイントで切り裂けば必ず壊せる。無限の一点を切り裂くのが困難でも、彼が特異点に到達する前に私が先にたどり着ければ、まだ実体のあるコアならば、全霊力でぶん殴るまでよ。破壊しきれなかった場合はネコ、あんたが最後の最後で対消滅して」
「しかし、特異点まで落ちた夢使いがどうなるか、知っとるやろが! ワシが対消滅しても完全に破壊できるかどうかも分からん。ほんまに手遅れに──」
「少なくとも、私とあんたが先行してコアにたどり着けば、彼が飲まれるのだけは防げるはずよ! どうあれ、後悔だけはしたくない」
「フォレスト、おまえはん──」
「失敗することだけは考えるな、成功だけを考えろ。最初の頃、あんたが私に嫌というほど言った言葉よ。私は先行する、ネコはできるだけ彼を安全圏にとどめて、全霊力をサポートして!」
そう言ってフォレストは闇の空間の更に深い漆黒の奈落へと突き進んだ。まるで滝つぼに身を投げるように。
「フォレストはん──、ワシの油断のせいでこんな賭けに挑む事になってしもてぇ。ワシが悪いんや、ワシが不甲斐ないんやぁ、現実世界に生還できたら、リアルで魔法使い放題にさせたるさかい、どうかワシの存在にかけてこの局面を乗り越えさせてくれぇ、上位次元の理よぉ」
ネコはひっそりと心の波動を震わせ祈った。そのつもりだったが、今の少年はそれを読み取ることが出来ていた。
「ネコさん、もう僕にも分かるよ。僕の存在、この心、つまりエネルギーなんでしょ? 戦うための霊力。だったら、僕の魂の全部を、戦うための霊力に変えてくれ! それが出来るんでしょ?」
「なっ、少年、なんでそうやと分かる!? 確かに、出来るけど──」
「なら僕のこの存在も精神も魂も、悪夢を見る意識全部、彼女の力に変えてくれ! 彼女の霊力に変えてくれ! それを送れるんでしょ?」
「おまえはんの魂全部をバトルアックスの霊力にしろっゆーうんかっ!?」
「彼女の力になりたいんだ!」
「んな無茶苦茶なっ、己がどうなってまうのか分かっとんのかっ?!」
「僕自身がエネルギーになれば、きっと悪夢のコアの中心点だってピンポイントで分かる。そこを切り裂くことも。何故なら、この悪夢を見ているのは僕自身だし、夢を見る当人はなんだって出来るはずでしょ?! 彼女のサポートだって──」
「いやいやっ、しかしや! 意識も深層心理も、魂も全部波動のエネルギーに変換してもうたら、それこそリセットと同じや、全部白紙になってもうて、精神破壊の恐れもあるっ!」
「でも、彼女も僕もそしてネコさんも、全員が助かる可能性はこれしかないと僕は感じるんだ。僕の全エネルギーを使えばきっと悪夢は壊せる。だってそれを見ているのは僕だし、斧を振るう彼女の霊力の源が僕自身なら、必ず出来るはずだ!」
「しかしやっ! 破壊出来て悪夢から目覚めたとしてもや、悪夢はおろか、現実世界の記憶もなんもかも、すべてが白紙になってまうかもしれん、重度の記憶喪失になってもええんかっ!!」
「だって、今の僕は明晰夢なんでしょ?!」
「そんなレベルの問題やないでぇ、少年!」
ネコはやや説教のように語気を強めた。フォレストだけでなく少年までもが、自分の油断のせいで、あえて犠牲になろうと覚悟を決めているのが歯がゆい、或いは自責の念、己の不甲斐なさにまるで自身が悪夢を見ているようだった。
「大丈夫、僕は絶対に忘れないよ。忘れないようにするんだ。僕も、そして彼女も」
少年は真面目に、そして落ち着いた様子で言った。その波動は、この悪夢空間の収束の流れを、一瞬止めたのかと錯覚するほどの静けさで響いた。
その静まり返った思念を読み取って、ネコは目を見開いた。
「よっしゃぁっ! 分かった、思春期男子の一大決心! ワシ、この悪夢の収束のさなか、しかと受け取ったでぇっ! やったろうやないけぇっ! もう自棄糞じゃぁっ! 少年、おまんはんの魂全部、霊力に変換してバトルアックスに流したろうやないけぇ、フォレストちゃんにぶち込んだろうやないけぇっ!」
「うん! お願いしますっ! ネコさん!」
そう言って少年は目を閉じ、身を任せた。
「よぉおおおおおしゃあああっ! ワシの全霊力でもって、変換&送信やでぇ、超ド級の霊力の波動通信や! ワシの存在にかけて少年、おまんはんの想いフォレストに送ったるでぇっ!!」
ネコがそう言うと、少年とネコは対になって楕円軌道でスピンし始め、徐々に速度を増し、ついには強烈な回転となって、光となった。まるで宇宙空間に一つの星が誕生したような、一縷に瞬く光となった。
「フォレストぉーっ! 受け取れぇーっ! これが全霊力やぁっ!!」
ネコの波動が空間を突っ切る。と同時に、フォレストは暗黒の溜まりの中心付近、鈍く輝く光の帯を縁取った不気味な暗黒の一点を目の前にして、バトルアックスを振りかざした。
「ハァアアアアアッー!」
一回転二回転三回転とプロペラの軸にでもなったかのようにスピンし、横一線バトルアックスを振るう!
斧刃が、無限の極小、悪夢の核(コア)に突き刺さるその刹那、霊力の波動がフォレストとバトルアックスを包み、青白い光が激しく燃え上がるように爆発し、強烈な閃光と共に一転、深紅の炎のように赤く燃え上がらせた!
「! ネコ、これは──」
この霊力はネコのサポートだけではない! そう思うが早いか、フォレストは直感した、この波動は、きっと──、
大きく目を見開き、フォレストはこの世の理を全て断ち切るが如き気迫で、戦斧を振りぬいた!
深淵の一点に閃光が走り、貫く。
戦斧の軌道の後を追うように、光の輪が闇を広がり、全てを両断した。
闇が裂け、そこから眩い瞬きがあふれ出し、光の濁流となって空間を満たしていく。そして、次第に全てが光に包まれていった。
フォレストは目を見張り、何も見逃さないとすべてを見つめていた。
その瞳から溢れ流れて、頬をつたうのを彼女は感じた。
破壊出来た?! でも、ネコは? 彼は!? 私だけ?! 自分さえも助かったのかも分からない──、
「そんな、こんなことって──」
そう心に不安がよぎったその刹那、想いの波動が余韻のように届いたのだった。
「大丈夫だよ」
「僕は君のことが好きなんだ。君のことが大好きなんだ。きっと忘れない。そして絶対に忘れないで、好きだ! 大好きだ! 忘れないで! 僕は君のことが好きだぁっ!!」
光の中を漂い、フォレストは少年の波動を感じた。
「馬鹿! ありがとう──」
目から溢れて、もう見開いてもいられなかったが、目を閉じても、フォレストは温かな光を感じたのだった。
追記
一方、光の空間の果ての隅っこで、ネコとおぼしき波動の淀みは、誰にも気づかれないようにと、殊にお邪魔虫にならないようにと、
「ほんま、思春期ってぇ、恐ろしなぁ。恐れ入ったでぇ、マジで」
と、波動を押し殺すようにつぶやいていた。
この微かな波動を受け取った者がいるかどうかは定かではない。
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