魔女と呼ばれるクラスのぼっちが、本当に魔法少女だった
目鏡
夢の中の魔法少女 1
そこには昼も無く、夜も無い。光はあれど、おぼろに揺れる。一つ確かなことは、なにかが居るということ。はるかに遠く、事象の境界面が、世界の終わりのように、すべてを遮る。
四つ足の生き物が、ひたひたと歩いている。そこはごてごてとした岩場。微かな波の音。海、遠くには幻のような水平線が見える。海面は波打つというよりは、黒黒としたものが蠢いて見えて、明け方なのか夕暮れなのかも分からない。歩みを止めた四つ足は、大きな岩の上に腰を下ろし空を見上げた。空は、それが雲なのか或いはひょっとして地面なのか? 判別できない程どんよりと沈んでいた。
天地がひっくり返っているのか、或いは己がひっくり返っているのか。
その四つ足の生き物は、そう大きくはない。小型犬か野良猫ほどの大きさで、どちらかというと、猫である。灰色の毛、青い目、大きなあくびをした。
四つ足の傍らに、ふと人影が現れる。フード付きの黒い外套、足元まで隠れている。まるで黒い影が立ち上がったようで、フードの中は窺い知れない。身の丈は、大人よりは小さく、子供よりは大きいか。
その人影が、おもむろにフードを後ろに下げた。ふわっと、襟首辺りで切りそろえられた短めの黒髪が揺れる。闇が引くような白い肌、夜を照らす満月のよう。僅かに紅潮した頬、前髪で顔の右半分が隠れているが、左目の鋭い眼光、その三白眼の大きな瞳が、ある一方を見つめていた。固く閉じられた唇から、緊張感と、意思の強さを感じさせる。
風貌から、少女と呼ぶに相応な年齢であろう。だが、少女と呼ぶには分不相応なものを背負っていた。大きな戦斧。身の丈を越すほどの大きな得物が、ギラギラと異様な存在感を放ち、彼女と一体をなしている。
少女が目を向ける方角には、大きな建造物があった。石造り、或いはコンクリートの無機質な外観。学校の校舎のようである。
「あれやな」
四つ足が、人語を話した。
「そうね」
と少女が返す。
「あれ、お前んとこの中学校やろ? たぶん。今度の標的は、その生徒の中の誰かに繋がったってぇわけやなぁ」
「そうね」
「まあ、あれや、いつもとやることは同じやけどな、私情は禁物や。危なくなったら、手段選んでられへんでぇ、ええかぁー」
「そうね」
少女の素っ気ない返事にやや退屈したのか、四つ足は後ろ脚で首のあたりをカサカサと掻きながら、足元から少女を見上げるというよりは、寧ろ見下すような目つきで言った。
「ふふふっ、いらん心配か? お前はん、友達一人もおらんもんなぁ」
その猫のような顔をしかめて、呻くように鳴いた。だが、猫のような愛らしさは無い。笑ったのだろう。
「……」
うるさい。と言わんばかりに、少女は黙った。そして、フードを被りなおす。
「うそや、うそや、冗談やってぇ。まあ、一応念のためにゆうただけやん。フォレスト、お前はんはなーんも悪うないんやでぇ。悪いんは学校の生徒どもやろ? あん、教師もか、まあええわ。せやけどな、兎に角やることはきっちりやらんとな。お前はんなら、ちゃんとやれるやろてぇ」
そう言って、四つ足は彼女の足元をくるりと一周して、座りなおした。
「そんなのいいから。で、状況はどうなの?」
少女はフードの中から言う。その語り口は、終始淡々としている。
「まあ、とりあえずや、校舎に接近しながら、話そうかぁ。まだ悪夢はそんなヤバい深度に達してないしやな。当の本人も、それほど意識してへんやろて」
そう言ってから四つ足と少女は、サッと岩場から飛び降り、駆け出した。まるで獣か、鳥のように素早く。
景色といえば、草木の一本も生えておらず、荒涼とした土地に忽然とその建造物はあった。人影も見当たらず人気すらもない。が、二階の窓際に、一人の少年の姿が見えた。ただ一人、教室の中できっちりと着席し、目を見開いて黒板を向いている。困惑した表情、ある種異様な、或いは己の死に際を垣間見たような顔、とでも言うのか。四つ足と少女は、その少年を建物の手前で見据えた。一間の後、少年はハッと我に返った。辺りをキョロキョロと見回し、立ち上がり、突然に走り出す。おそらく廊下に出たのであろう。足音が、建物中に響き渡っているのが分かる。
「ほら始まったでぇ。あれや、俗に言う何かに追われる悪夢やなぁ。あの少年には何に追われてるかも分からへんねんけどな、とにかく恐怖心が襲ってくるんや。ほんで、たまらずこの校舎から出ようとする。けど、出られへん。どうやっても出口を見つけられへんのや。そのタイプやな」
そう言って四つ足は歩き出した。それに少女もついていく。
「悪夢の正体は、まだ姿を現してないの?」
「せやな。今んとこは、まあ、たぶん黒い物体やろうな。真っ黒な靄というか霧というか、妙な物体やな」
「どの道、それが実体となるのでしょ。ならぶった切ればいいわ」
少女は慣れた手つきで、背中の巨大な戦斧の柄に手をかける。しかも片手である。外套の袖口から伸びる、どちらかというと華奢な白い腕と、同じくらい太い戦斧の柄、背負っているのもすでに違和感だが、本当にその巨大な得物を持ち上げ、手に出来るのかと疑ってしまう。が、その一挙手一投足をひとたび疑い出せば、切りがない。
「そう焦んなって、フォレスト。靄に向かって斧振り下ろしてもやな、なんも切れんやろて。姿現すまでな、ギリギリまで待つしかあらへんのや。まあ、あの少年には悪いけどなぁ、この場合はやな、おそらくすんでのところで姿現しよる。悪夢に飲み込まれるすんでのところまで、彼に悪夢見続けてもらってや、逃げ回ってもらわなあかんのや」
そうして四つ足と少女は、建造物の中に踏み込んだ。その中も、薄暗いおぼろな景色であることに変わりはない。
ここは、光と闇が混在する世界。その中に一人いる少年の、おぼろな意識下、彼の見る、悪夢の世界。
「飲み込まれる瞬間に、本当の姿を現す? でも、もし仮に闇に飲み込まれてしまったら──」
「まあ、そんときゃ、しゃーないわ。ワシらの負けや。いつものことやけど、少年の自由な魂は失われて、奴等の信徒として、言うなれば洗脳状態や」
走り回る足音を頼りに、四つ足と少女は少年の足取りを追う。建物の四方八方から彼の足音と、呻き声、息遣いが聞こえる。まさに悪夢にうなされるそれであり、まるで体内に入って聞いているような、不気味な圧迫感がある。しかし四つ足はともかく、少女も意に介さない。そして四つ足には、少年の心の波長が、手に取るように分かるのだ。その歩みに迷いは無かった。
「自分じゃ気づかんうちにやな、あたかもそれが本来の自分であると錯覚してや、ま、せやさかい、洗脳みたいなもんやっちゅーんやけどな。そーやって生きて行くしかないわなぁ、そーなってしもたらなぁ、怖いなぁー」
「……」
「あ! お前はん、もしかして!? あれか? まだ洗脳状態やない人間があの中学校におったんかっ! って、そっちの方、驚いてるやろ?」
四つ足は歩みを止め少女を振り返った。しかし少女は足を止めず、それを無視して、四つ足の横を通り過ぎ先に進んだ。
「なにを言ってるの」
その言葉には、些か呆れた様子が伺えた。が、四つ足はかまわず続けた。
「お前はん、いくらチョー殺伐とした中学校やからってぇ、さすがに全生徒はないやろぉ。もしそうやったとしたら、ワシ等劣勢すぎひん? そんな訳ないやん、世の中、まだ勝敗は決まってないんやでぇ。ま、現実問題やや劣勢やけどな。もし九割九分そうやったら、もっとこの世界狂っとるでぇ。てか、そもそもな、人間に干渉すること自体反則行為や、場外乱闘みたいなもんやでぇ。宇宙の摂理に反しとるわ。奴等が悪すぎるんやでぇ、マジで」
と言いながら少女を小走りで追いかける、その刹那、少女も四つ足も同時に、足を止めた。少年の気配が近いのだろうか。少女は少し身をかがめ、辺りを探るように沈黙した。
一間の後、少女は小声で返答した。
「私にはどうでもいいわ、そんなこと」
四つ足も小声でもごもごと返す。
「世界のことなんか、どうでもええってか?」
「そうじゃない」
「フォレスト、お前はん、同じ学校の鬱陶しい生徒の一人やからってぇ、夢魔退治のどさくさに、当人の魂もろともガツンと喝いれたろか、なーんてぇー考えてぇないやろなぁ。ぶふふっ」
少し厭味ったらしい口調で、顔を歪め鼻を鳴らしながら呻き、つまりほくそ笑んでいるのだろう、顎を突き出しそろりとフードの中を覗きこむ四つ足だが、途端に真顔にもどった。
「……」
少女は無言で戦斧を手に取った。軽々と片手で背から引き揚げ、肩にかける。ギラリと光る鋭い刃先。斧腹、斧頭、柄に施された流麗な装飾が、その力の強さを物語っている。
「うっ、うそうそ、嘘やてぇ、冗談やてぇ、怒らんといてやぁ。緊張ほぐしたろおもてやな、渾身のジョークやてからにぃ。ワシはフォレストの味方やでぇ、ホンマやでぇ、どこまで行ってもお前はんを助けたるんやさかい──」
「ネコ!」
フォレストと呼ばれる少女は、再びフードを後ろに下げ顔を現した。その冷ややかな三白眼を、ネコと呼んだ四つ足に一瞥だけ向け、スッと軽く息を吐いた。
「私が今の私である以上、ネコ、あんたを信用するしかないのは分かっているわ」
フォレスト、少女の呼び名である。
夢の中、人の心と宇宙とを繋ぐ、狭間の世界。この悪夢の中の、彼女の名。
「せ、せやねぇ。ワシもフォレストをめっさ信用しとるんやでぇ。ほんでな、その強力なバトルアックスの霊力、こっちに見せつけてくるのやめようねぇ、いくらワシでも、たまらんからねぇ、ソレ」
「……」
四つ足と少女、ネコとフォレストは、ちょうど廊下から階段にさしかかる踊り場のすぐ手前にいた。二人とも息を潜め、しばし沈黙する。
刹那──、
「うわああああああーっ」
という叫び声と共に、突然少年が階段口から飛び出し目前に現れた。
がしかし、一人と一匹の姿が目に入らないのか、彼はなんの躊躇も無く、その真横を駆け抜け通り過ぎて行った。まるで肉食獣に追われる獲物のような勢いで。それをやや唖然と見送る一人と一匹。ネコは動じることなく、或いは動じていないフリなのか、すぐさま口を開いた。
「ほらっ! ものすっごい勢いやろ。あれやったら、そう簡単に悪夢にやられんでぇ。それにや、彼を追ってるはずの黒い靄も、視認できとらんやろ、これやったら現時点でどうしょーもないわなぁ」
「……」
「つまりやな、おそらくや、彼もなかなかの力を心に持っとる。そんで、色んな矛盾を感じとるんやろ。葛藤しとるんやろなぁ、現実世界にや。せやから、奴等に夢魔をぶち込まれるんや」
それを聞いて、フォレストは肩にかけていた巨大な戦斧を逆さにして、ドスンと床に打ち付けた。気を緩めたというよりは、鼓舞し引き締めたととる方が正解だろう。その音の響きから、相当な重量を推測できる。が、顔色一つ変えず、彼女はその得物を操る。
「今回は様子見でおしまいやな。彼を追いかけとる夢魔の実体も、まるで見えんやろ? 魔力も空間全体に散逸しとるし、まだ個体として検知できんわ。あの少年、ある程度追い回されたら、そのうち目、覚ますやろて。それで今夜は終わる。彼自身の精神力やな。悪夢に取りつかれながらも、ある程度、自力で抵抗する力はあるんや。なかなか追い詰められよれへん。まあ、そこそこは大したもんや。ただ、このタイプはなぁ、じわじわプレッシャーかけてきよるから、いずれその正体を現すやろて」
そう言って、少女に「ネコ」と呼ばれたその四つ足は、飼い猫の仕草をまねるように、彼女の足元にすり寄り、外套の裾の隙間から伸びる彼女の膝下に、その頭を擦りつけるのだった。がしかし、飼い猫のように可愛くはない。
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