七話
「一対一で闘うのは初めてかしら」
マザーは余裕たっぷりに微笑った。僕は眉ひとつ動かさず、獲物を狙うオオカミのようにマザーを見つめていた。
「私に勝てる?」
マザーはくるりとレイピアを手の中で回す。
「さあ。魔術を使うつもりはないし」
「そうなの? じゃあ私も人間としての能力しか使わないことにしましょうかしら」
「手加減なんていらないよ。本気できてもらわなきゃ困る」
「フフ……そうね、貴方は復讐のつもりなのよね」
「そうだよ」
僕は手を広げ、ニヤリと笑ってみせた。
「ねえ、言葉も時間も人格も吹っ飛ぶくらいの痛みでのたうち回って、気がおかしくなって醜く命ごいしてみてよ? そうじゃないと気が済まないんだ。誰かのためじゃなくて自分のための復讐だからさあ、ただ殺すだけじゃあ終わらないんだよ」
マザーは僕から少し後ずさった。しかし次にはにっこりと笑っていた。
「私の想像以上に、貴方は残忍で凶暴ね。まさに私の理想の子……龍神に取られたのは本当に惜しかったわ」
僕は表情をひきつらせてしまった。マザーはそんな僕の反応を見て急に笑みを消した。
「どちらが勝つにせよ、最期の闘いになるでしょうから言っておくわ。私は別に貴方に嫌がらせがしたくて王宮を離れたわけじゃないのよ。龍神が貴方を〈龍神の使〉に選びさえしなければ、私は貴方を放棄するようなことはしなかった」
「……? どういう……」
マザーは動揺する僕の目を覗き込んできた。あの写真の中と同じ、優しい目だった。背中がぞわりと粟立った。
「二十三年前、龍神は、妊娠している私に会いに来たの。そして貴方を〈龍神の使〉にした。この私でもあいつには抵抗できなかった。〈悪魔の子〉である私でもよ。そして龍神は言ったの。『邪魔をすればお前を殺す、協力すればお前は生かす』と……」
予想外の真実に眩暈がしたが、なんとかマザーからは目を離さずに済んだ。マザーは無表情だが妙に優しい目のまま、僕を見つめていた。
まさかマザーが龍神のことを知っているとは思わなかったが、よく考えればそんなにおかしなことでもない。なんとか平静を取り戻し、斧を持ち直した。
「今さら言い訳なんて反吐が出るよ。僕が〈龍神の使〉じゃなかったとしても、マザーの子どもとして産まれた時点でろくでもない人生を送る運命だったんだ」
「そんなこと言わないで頂戴。私は必死で王を説得して、〈黒龍の日〉を避けようと努力したのよ。貴方に苦しい運命を負わせないために。でも王はあの通り、頑として私の話を聞いてくれなかった。それから私は王宮を離れて、諦めたふりをして、色々試してみた。けれど結局、努力は実らないまま、あの日が来てしまった」
マザーは悲壮感を漂わせる。無性に腹が立って、僕は怒りで震えながら言った
「そんなこと訊いてない! どうせ僕を手に入れたらこの前みたいに痛め付けるんだろ。僕が〈龍神の使〉であろうとなかろうと」
マザーは再び微笑んだ。肯定、だ。我慢ならなくなって、斧を振り下ろしながら飛びかかると、マザーは最小限の動きでかわした。
「短気ねぇ。お父さんにそっくり」
「うるさい!!」
水平に回した斧はまたしても空を切る。マザーは向かってくる気色を見せない。微笑を浮かべながらただ僕の攻撃を避けている。斧を振り下ろすふりをしながら蹴りを放ってみたが、それすらも読まれてしまった。
「殺すなら私を騙さないと。貴方は分かりやすいわ。親だからかしら」
わざとイラつかせようとしているだけだ、とわかっていても、身体の動きの端々に苛立ちが現れてしまう。元々斧に繊細な動きは向いていないけれど、それでも力任せに振り回す癖がありありと出てしまう。いったんマザーから離れて攻撃の流れをリセットする。
「小休止?」
「黙れ……」
僕は三段跳びをするように駆けて腕を伸ばし、斧を振るった勢いでマザーの後ろへ回り込み、その首に手をかけた。しかしマザーは素早く身を翻すと、僕の腕を掴んでくいっと軽く引っ張った。僕はいとも簡単にバランスを崩してふらりと傾いた。
「あ」
と呟く隙もなく、マザーは僕を押し倒した。まるで後ろから抱かれるような格好になる。マザーは僕の斧を蹴った。斧は手から離れて、届かないところまで滑って行った。
「勢いは良いけど、隙が大きいわ。こういう風に力を利用されるのがオチよ」
マザーは倒れた僕の頬に触れた。
「貴方の人生のようにね」
「……ぅあァあああああ!!」
僕は吠えるように叫びながら、斧を拾って立ち上がっていた。
一瞬意識が飛んだことに気づく。マザーが向こうで床に片手を付き、レイピアを床に突き刺して支えにしている。僕が突き飛ばしたのだろうか。ともかく怒りで我を忘れている場合じゃない、となんとか自分に言い聞かせて息を整える。
「……フフ、そう、やっぱりフーマは怒り狂って獣のように暴れている方が素敵」
頭の奥がずきりと痛む。さっきマザーが頬に触れたときの生ぬるい体温が残っている。それを振り払うように何回か腕で顔をごしごし拭った。
冷静にならないとだめだ、と自分に言い聞かせる。そうでないとマザーは倒せない。怒りに目が霞むと、それこそ感覚と自分の力頼みの闘い方しかできない。考えながら闘うのだ。
マザーはさっきから僕をじっと見守っているだけだった。僕が何もしなければ動かない。何を考えているのかわからない。でも、今はその空白の時間を使わせてもらおう、と思った。
幸いまだ奥の手はある。
「私を殺さないの? お友達を殺したのは私よ?」
マザーは挑発する。
その言葉は、記憶が激流のように呼び起こした。
「俺がいなくても、もう大丈夫だよな」
いつも優しかったあの人は、最期にそう言った。
「お友達」なんかじゃない。あの人は、そんな、ありふれた言葉で表せるような人じゃない。
あの人は、僕にとって唯一の「希望」だった。ひとりぼっちだった僕に、全てを失ってぼろぼろの僕に、手を差しのべてくれた人だ。
あの人がくれた希望だけは、絶望に変わることはなかった。
そう、冷静になんか、なれるわけがなかったのだ。
「僕……全然大丈夫じゃないよ……」
なんだか笑いが込み上げてきた。ああ、馬鹿だなぁ、僕。怒りをこらえるなんて、一番苦手なことなのに。
マザーが何か言おうとした。僕はその瞬間、斧を手離した。マザーが驚いて目を丸くする。斧は重い音を立てて、床に落ちた。マザーの目が、一瞬だけ、僕から離れた。
次の瞬間にはもう、僕は出刃包丁を両手に握ってマザーの目の前にいた。
「……っ!?」
マザーは咄嗟に腕で防御する。包丁の刃はその腕に切り傷を数本刻んだ。
僕は姿勢を低くして連続で包丁を突き出す。一度だけ脇腹に切り込めた。
マザーは距離を取ったが、僕は休む暇を与えず詰め寄ってさらに傷を加える。
「な……ぜっ」
マザーはレイピアで包丁を受けとめたが、僕の力には敵わない。ゴリ押しの一撃はマザーの手を深く抉った。
「僕さ、本当は……」
マザーはレイピアを突き出すが、僕は素早く身体をひねってそれを避け、そのついでにマザーの首を狙った。
「こういう短い刃物のほうが得意なんだ」
マザーは目を見開く。僕の牙が──包丁がその首を捉える寸前、マザーは倒れこむようにそれを避けた。僕はすぐに包丁を手の中で持ち直して跳び、追撃を叩き込む。マザーの肩からどっと血が溢れ出した。マザーは苦しげに息をしながら蛇で僕の包丁を奪い取ろうとした。僕はその蛇を切り捨て、蹴りを入れた。マザーはそれを避け、レイピアを突き出した。服が少し裂けた。僕はぐるっと身体を回し、床を蹴った。さっき抉った肩の方に包丁を突きだすと、マザーはレイピアでそれをいなして僕の懐に飛び込んできた。
マザーと僕の視線がぶつかった。その一瞬が、とてつもなく長く感じられた。
お互い同じ目をしていた。歪んだ目だ。
マザーのレイピアが僕の脇腹を切りかかってくる。僕は包丁でそれを受け止めた。すると、蛇が空いている手の包丁を奪い取ってしまい、僕は思わずマザーから目を離した。その隙にマザーが僕の首に手をかけようとしていた。空いている手で防ごうとしたが間に合わない。勝ちを確信したのか、マザーの目が冷酷に輝いた。
僕は笑った。自分を嘲笑うように、醜く。
「笑っても貴方の負けよ」
首を掴まれた。手の力がふっと抜けて、包丁を手離してしまった。気道がぐっと狭まって、息が苦しくなる。けれども僕は、笑みを消さなかった。
マザーが怪訝そうな顔をした。僕はかっと目を見開くと、マザーの手首を右手で掴み、その場で宙返りをするように地を蹴り、尻尾を振り上げた。尻尾の先に握った包丁が、マザーの腹を縦に切り裂いた。
「う、ぐっ……」
マザーはよろめいて腹を押さえた。解放された僕は大きく息を吸って右足を浮かせた。
「……やっぱり破壊力が足りないな、包丁とかナイフって」
独りごちて僕はマザーに蹴りを入れた。マザーは呻きながら床に倒れた。血が飛び散って、なんとなくずっと考えていたことを思い出した。
「そういえば訊きたかったんだけどさ」
僕はすたすたと歩いていって、飛んでいった斧を拾い上げて包丁を捨てた。
「なんで僕を殺そうとしたの? ウルフさんを殺そうとしたのを邪魔したからってだけじゃないよね」
マザーはこちらを睨んでいた。僕は目を見開いて見つめ返した。
「ウルフさんが僕を庇うのをわかってて狙った?」
マザーの表情が明らかに変わった。やはりそうだったらしい。
「……よく……わかったわね……」
「言ったでしょ。全部知ってるって」
「おどけて言っただけのセリフじゃなかったのね……いや、知ってるというより……勘が鋭いのかしら……」
マザーはごぼごぼと咳をした。マザーのもとへ再び近づくと、視界の端で何かが素早く動いたのが見え、僕は斧を即座に振り下ろした。がつんと床に斧が当たった。
「何やってももう終わりだよ」
マザーの手首を斧が両断していた。マザーは苦痛に顔を歪め、低く唸った。僕は腰のベルトを探った。
「これ、形見として片方貰ったんだ」
僕は二丁銃の片割れをマザーに見せた。マザーが目を見開く。誰のものかわかったようだ。銃口を向けると、マザーは目を細めた。
「銃は下手なんだよね」
僕はそう言いながら、引き金にかけた人差し指に力を入れた。
鼓膜が割れるような衝撃と共に血飛沫が舞う。反動に耐えきれず銃を落としてしまったが、すぐに拾い上げてポケットにしまった。
銃弾は背中を斜めに貫いていた。マザーはついに吐血し、顔を床に伏せた。僕は斧を引っこ抜いて持ち直し、しゃがんで囁いた。
「お父さんと同じようにしてあげるよ、お母さん」
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