五話

 山は比較的気温が低い。

 「わああ、やったー! 雪だよ、みんな!」

 玄関から隊長のはしゃいだ声がする。俺はリビングから覗いた。本当だ。地面が一面真っ白になっている。

「雪なんて珍しかねぇだろ。しょっちゅう積もってんじゃねぇか」

 黒狐が冷めたことを言う。その足元ではロスが尻尾を振っていた。

「ひゃっほー!」

 隊長が雪に飛び込んだ。ボフッと音をたてて、雪がその体を受け止めた。雪に埋まったまま隊長が笑っている。

 ここまで雪が積もったのを、実際に見るのは初めてだった。この国は比較的南にあるので、中央区に住んでいた俺にとって、こんなに雪が積もっているのは珍しい光景である。雪遊びなんてしたことがない。

「あなたも隊長と遊んできたら?」

 間近で涼子の声がして肩が跳ねた。

「べ、別に……」

「あらー? 本当はウズウズしてるんじゃないの? 意地張らなくていいのよ? フフ……」

 涼子が悪戯っぽく微笑んだ。まるで子ども扱いだ。渋っているとロスが俺の横をすり抜けて、外に飛び出して行った。

「イツキくん、あそぼー! 早くしないと溶けちゃうよー」

 雪まみれの隊長が誘う。俺は一回、深く息をした。そして靴を履いて、床を蹴った。

「ナイスジャンプー!」

 腹の下でギュッと雪が潰れた。冷たくて、柔らかい雪が俺を包み込む。

「ふおお……!」

 雪って、こんなに柔らかいのか。と感動に浸っていると、何かがドサッとのしかかってきた。呻いてもがきながらゴロゴロと転がり、起き上がると、ロスが俺に体当たりをかましてきた。再び倒れて、ばたばたと雪を散らした。淡い青色の空が目に眩しい。

 ロスと戯れていると、ウルフが車庫から出てきた。それに気づいた隊長が、雪玉を投げつけた。べちょっとウルフの顔に雪が貼り付く。

「雪合戦!」

 隊長はせっせと雪玉を作り始めた。ウルフは犬みたいにぶるぶると頭を振って、雪を飛ばし、ちょっと隊長を睨んだ。隊長はけらけらと笑う。俺はサッと雪玉を作った。もう一度ウルフに雪を飛ばそうとする隊長を目掛け、それを投げつけた。完全に隙を突かれた隊長は「ぎゃっ」と短く悲鳴を上げて倒れた。

「何するの!」

「遊ぼうって言ったのお前だろ」

 俺は隊長が作った雪玉を拾って、臨戦態勢をとった。

「そんなこと言う? イツキくん、遊びたそうにしてたから誘ったのに」

 隊長がむくれる。その顔に雪玉を投げつけようとすると、隊長は飛びあがり驚異的な速さで逃げた。

「当てられるものなら当ててみろー」

 ガキみたいに舌を出して俺を煽ってくる。そっとウルフが家に入っていくのが見えた。

「えいっ」

 隊長が即席で作った小さな雪玉が飛んできた。間一髪でかわす。

「っぶねぇ!」

「よそ見してるのが悪いんだー」

 俺たちは雪をぶつけ合った。ときおりロスが二人のどちらかに体当たりをしたり、作りおいた雪玉を壊したりして邪魔をする。避けようとして転んだり、まともに雪に当たったりして、気が付くと二人は雪まみれになっていた。

「ロス、ちょっと来てくれー」

 黒狐がロスを呼び出したとき、すでに俺は疲れて座り込んでいた。

「僕の勝ち?」

 隊長がニヤニヤ笑いながら俺の横に座った。

「この雪合戦、勝ち負けなんかあったのかよ」

「だって戦いだよ?」

「まあ、そうだけど……」

 隊長が寝転がって、そのままごろごろと転がっていく。まだきれいに残っていた雪に、その跡がついていく。

「……何やってんの」

「楽しいよ」

 離れたところから隊長が手招きする。

「イツキくんも来なよ。そのまま転がって」

「なんでだよ。別にやりたいと思ってねぇよ」

「え~」

 がっかりした風に、隊長は頬を膨らませる。しかしすぐに「あ」と口を開いた。

「ねぇ、変なこときいていい?」

「何?」

「イツキくんって、なんでホームレスやってたの?」

 俺は反射的に隊長と目を合わせる。

「今さら……聞いても面白くねぇぞ」

「訊こうと思って忘れてたの。ホームレスやってる理由が面白いわけないのはわかってるよ」

 隊長は体を起こし、再び俺の隣に座った。

「別に言いたくなかったらそれでいいけど」

 俺は口を開いて、また閉じる。何から言うべきか迷っていた。

「言いたくない?」

 黙る俺を見て勘違いしたのか、隊長が訊いてくる。俺は首を横に振った。

「昔、俺はカンドン……中央区に住んでいた。ちゃんと家族もいたし、家もあったんだ」

 隊長はうんうんと頷いた。

「知らないと思うけど、というか本当は部外者に言ったらダメなんだけど、龍王家の人間はみんな、武道を身に付ける。俺のじいちゃんは、龍王家の人間に剣術を教えていた」

「……そうなんだ。じゃあ、有名な剣士だったの?」

「そう。じいちゃんは世界大会で優勝するほどの実力があったらしい……。親父はそうでもなかったけどな。それで、龍王に頼まれて、一族の龍人を鍛えてた」

 龍人と竹刀を交えるじいちゃんの姿が思い浮かんだ。誰と組んでも、じいちゃんは絶対に負けなかった。

「俺もそうなりたくて……龍人に混じって練習していた。勉強面では馬鹿だったから、代わりに本気で剣道の道に進んで、将来はじいちゃんのあとを継ぐつもりでいた。大会にも出たんだ。一回だけだけど、全国大会で優勝したこともあるんだ!」

「全国? よくわかんないけどすごいんだねぇ」

 俺は自分が自然に笑っていることに気がついて、ちょっと表情を引き締めた。

「そこまでは良かったんだ。王家の龍人とも友達だった。学校ではあんまり友達いなかったけど、別に良かった。それで……俺が十八歳のときの冬、今度は南大陸の国がみんな参加する大会に出ることになった。進路を決める時期だったし、その大会で三位以内に入ったら、大学は本気で剣道ができるところに行くことにしたんだ。だけど、俺は大会に行けなかった……」

 俺は足元の雪を見つめた。

「どうして?」

「事件が起きた。『龍王家連続殺害事件』。隊長も知ってると思うけど。王家の龍人の大半が殺されて、俺は友達を全員失った。最悪なのは……ちょうど王宮に出向いてたじいちゃんが、そいつと戦って、負けて大怪我して、病院に入院した」

 隊長は黙って聞いていた。俺はふつふつと今も煮えたぎる怒りを抑えていた。

「そのままじいちゃんは病気になった。怪我が原因だった。もちろん大会どころじゃないし、そもそも剣道の練習なんてできなくなった。王家の道場には誰も来なくなって、じいちゃんが王家からもらっていたお金も無くなった。運悪く、ちょうど事件の前に、親父が事業を始めたところだったから、借金も積もった。じいちゃんの入院代も払わないといけないしな。そのとき、俺が知らないうちに、親父が変なところからお金を借りていたんだ」

 黒スーツの怪しい男と取引する親父。あれはきっと、ヤクザとかの裏組織の者だったんだろう。

「でも、そんなので返せるようなものじゃなかった。俺は少しでも足しになるよう、バイトを掛け持ちしてたけど、やっぱり足りなかった。そのうち家に男が押し掛けて来たりして、おかんは参っていた。そして、とうとうじいちゃんが死んでしまった。それと同時に、親父が帰ってこなくなった……。逃げたんだ、俺とおかんを置いて」

 隊長は無表情だった。しかしどこか悲しげであった。

「親父が逃げても状況は変わらない。借金とりが追いかけてくるようになって、俺も本当に危ない目にあった。それで、耐えきれなくなったんだと思う。ある時、バイトから帰ってきたら、おかんは首を吊って死んでいた」

 暗いリビング。倒れた椅子。紙。

 そのあと俺は何をしたんだろう。

「俺は……一人になった」

 家を売った日を思い出す。古い家だから安かった。売るのはそんなに難しくなかった。簡単に思い出も家族も消えた。

 虚無感。

 たった一瞬で、全てが壊れた。

「あの事件が無ければ……俺は剣士になって、有名にもなっていたかもしれなくて……悔しくてたまらないし、何より、事件の犯人はまるで誰かわからなくて、捕まる気配もない。俺は泣き寝入りするしかなくて、もしそいつが現れたら……必ず……絶対に、許さない」

 俺はいつのまにか、血が滲みそうなほどに拳を握りしめていた。はっとして、ゆっくり開けてみる。

 隊長はしばらく黙ったままだった。

「それで、あんなところにいたんだね……」

 呟くように言った。

「……僕もあのとき、カンドンでふらふらしていたからよく知ってるよ。王国はそこから堕ちていったもんね」

 微妙になった空気を晴らすように、隊長はうなずきながら喋る。ただ声はかすれていた。

「僕はそのあたりに、成り行きで〈秋桜〉に加入したな……。五年前か」

 俺は首を縦に振った。

「ふらふらって、隊長もホームレスとか?」

 隊長が過去を話してくれるかと期待しつつ、軽いノリで訊いてみた。

「一時的に? いや、イツキ君に比べたら全然大したことじゃないよ。すぐにこの家使わせてもらったし」

 そう答えて、家を見上げる。

「あ、そうだ。もうすぐ〈秋桜〉の本部に行くことになると思うの。任務依頼が来たよ。初任務だねぇ」

 隊長はニッと笑った。あんまり隊長が語ってくれなかったのでがっかりした。

「任務って、何すんの」

「襲撃かなぁ。暗殺じゃないと思うんだよねー」

 そして彼はばっと立ち上がった。

「そのために! 鍛えないと、イツキ君!」

「……へ?」

 隊長は雪に手を突っこみ、「えい」と俺に雪玉を投げてきた。

「てめえ! 汚ねえぞ!」

「戦いのときにそんな油断してたら死んじゃうよ!」

 俺はさっきの隊長みたいに、ごろごろ転がりながら襲撃を避けた。再び始まる雪合戦。

「ま、待ってくれ、痛っ」

 とびきり固いのが直撃。隊長はげらげら笑っている。

「絶対許さねぇ!」

 昼になり、雪がおおかた溶けてくるまで、二人の闘いは続いた。

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