3.美少女と保健室



 心地よい陽光が窓から注ぎ込む。最近は暑苦しいほど主張していた太陽も本日は遠慮しているようで、ぽかぽかと温められた空気と、僅かに開けられた窓から注ぎ込むそよ風は、最高の昼寝環境を作り上げていた。

 こんな中で、眠らない方がどうかしている。特に昨日のことで疲れているのもあってか、俺は睡魔に意識を持っていかれる。


 微睡みの中でそんなことを考えていた俺は、しかしハッと目を覚ました。


 ちょっと待て! 今の時間は……?


 俺は恐る恐る時計を確認する。


「げっ、もう昼休みじゃん!!」


 既に昼休みに入って二分が経過していた。どうやら俺は授業中に居眠りして、そのまま授業が終わるまで眠りこけていたらしい。約束があるから絶対に眠らないつもりだったのに、いつ寝てしまったんだ?

 でもまだ許容範囲だ。今から走って屋上に向かえば、問題ないだろう。


 慌てて俺は席を立って、屋上へ向かう。廊下を走るのは禁止だが、紅葉に怒られるよりマシだ。


 しかしやはり走るべきではなかったのだ。

 人気のない廊下に差し掛かった時、さらに勢い付けて走ったのも間違いだった。


 角を曲がった瞬間、トンッと何か柔らかいものとぶつかった。


「きゃっ」


 俺と衝突したその女の子は、勢いよく廊下に倒れこむ。


 ……やっちまった。


 「いてて」とその女の子は足首を抑えながら、顔をしかめていた。


 罪悪感に苛まれる中、俺はあることに気付く。

 その女の子は、なんとあの転校生の相河さんだった。

 そういえば起きた時、隣の席に彼女はいなかった。


「ホントにごめん、大丈夫?」


「は、はい……、ありがとうございます。……あ、あなたは……」


 伸ばして俺の手につかまりながら、何かに気付いたように俺の顔を見る彼女。隣の席の男子だと気付いたのだろう。


「立てるか?」


「えぇ、だいじょうぶ……――っつぅ」


 捻ったらしい足首を廊下に付けた瞬間、崩れ落ちる相河さん。


「あぶなっ」


 倒れるギリギリのところで俺は彼女を支えた。


「すみません……大丈夫じゃないみたいです」


「……ごめん、俺が悪かった」


「い、いえ、そんな。私も前を見ていなかったですし。えーと、すみません。お名前は、」


「あぁ、俺は河合実樹。好きに呼んでくれていいよ」


「じゃあ、お――、……えっと、実樹みつきさんとお呼びしてもいいですか?」


 相河さんは何かをいいかけた後口を閉じ、もう一度口を開いてそう言った。

 俺は驚く。

 まさかいきなり名前を呼んでくるとは思わなかった。しかし好きに呼んでいいと言った手間、訂正はできない。


 俺が頷くと、彼女は少し嬉しそうになった。

 倒れそうな彼女を支えたままの体勢のため、とても彼女との距離が近かった。ふわりと女の子のにおいがする。知っているにおいのような気がしたが、絶対に気のせいである。

 こうして近くで見ると、相河さんは本当にかわいい。かわいすぎて逆に現実味がないせいか、こんな美少女と接近しているのに俺はそこそこ冷静だった。

 

 ここが人気のない廊下でよかった。こんなところを誰かに、主に男子に見られたら大変なことになりそうだ。


「すみません実樹さん、できれば保健室に行きたいので、そこまで私を支えてもらえませんか?」





「あれ、保健室の先生は……いないみたいだな」


 運良く誰にも見られることなく保健室にたどり着いた俺と相河さんだったが、保健室には誰もいなかった。


「困ったな、どうしよう」


 俺はポリポリと頭を掻きながら、ベッドに腰掛けて「ふぅ」と息を吐き出している相河さんを見た。

 その足は腫れていて、見るからに痛そうだった。早く処置した方がいいのは明らかだった。


 仕方ない。俺がやるか。


 俺は保健室にある冷蔵庫から氷を取り出して、手近にあったビニール袋にそれを入れて、水道を使って水も一緒に入れる。

 それを薄いタオルで巻いてから、次に包帯を用意した。


「あの、実樹さん、そういうものを勝手に触ってもいいんですか?」


「しょうがないよ。相河さんの処置の方が大事だし、こんなことで怒られることはないと思う」


「え、でも……」


「安心して、こういうの得意だから」


 保健体育の授業で、捻挫等の処置の練習をした時、俺は先生にかなり上手いと褒められた。だから大丈夫……のはず。


「ごめん、靴下もとるよ」


「は、はい」


 痛みを与えないよう、俺は慎重に星月さんの靴下を脱がす。


 近くで見ると、彼女の肌の白さときめ細かさが際立って映る。宝石を眺めているような、そんな錯覚に陥るほどだ。


 慎重に、丁寧に、患部を固定するため包帯を巻いていく。

 

「よし、終わった」


 緊張が解けて、ふぅと息を吐き出した。


「お上手ですね、実樹さん。すごいです」


 相河さんは感心したように微笑む。

 

「じゃあ相河さん、ベッドに寝転んでくれる?」


「こうですか?」


 俺に言われたように、彼女は普通に寝る時のようにベッドに寝転がる。


 俺は手元にあったタオルケットを丸めると、氷と水が入った袋を上に乗せ、彼女の足元に置いた。


「それでここに足を置いて、捻ったところが氷に当たるようにして」


「はい」


 言われた通り、素直に足を上げて丸めたタオルケットの上に置いてくれる。

 その時、スカートがめくれて中身が見えそうになった。ていうか見えたな。白だった。


「あ、すみません」


 相河さんがそう謝って、スカートの裾を直す。


「……」


 謎の違和感があった。

 保健室に二人きり、こんな美少女の下着を見ても全く動揺していない自分に、そしてクラスメイトに下着を見られても全く動揺していない相河さんに。

 もしや相河さん……、結構手馴れているのか?


 そう考えると吐きそうになった。ショックすぎる……。

 頭が真っ白になりそうだったので、言葉を重ねて気持ちを抑える。


「こういう時は、なるべく心臓より高い位置に患部を置いた方がいいんだ」


「へぇ。そうなんですか、知りませんでしたっ。実樹さんって物知りなんですねっ」


「い、いや、そこまででも……」


 そこで俺はひっかかりを覚えた。なにかを忘れているような気がする……。


 …………。


 ……。


「…………あ!」


 やっべぇ、約束のこと忘れてた。

 時間を確認すると、既に昼休みが始まってから10分以上が経過していた。


 嫌な汗が俺の背中を伝っていく。


「あの、そういえば実樹さん。随分と急いでいた様子でしたけど、何か他に用事があったんじゃないですか?」


「あぁ……うん、相河さんに怪我までさせて置いて本当に申し訳ないんだけど、行かなきゃいけない所があって……」


「そういうことでしたら、私のことは気になさらず。こちらこそ本当に申し訳ありませんでした……」


 いたたまれないような顔で、相河さんがそう言った。


「助かる……。その足だと歩くのもちょっと堪えるだろうから、また昼休みの終わりに来るよ」


 相河さんにそう断って、今度は細心の注意を払いながら俺は全速力で屋上の紅葉の所へ向かった。




 しかし、屋上に行っても紅葉の姿はなかった。何人か固まって屋上で昼食を取っている生徒は居るものの、紅葉の姿は見当たらない。


 大体10分と少しの遅刻。痺れを切らしてどこかに行ってしまったか……。


 スマホで紅葉に謝りつつ連絡を入れてみたが、返信がない。


 ……これは完全に怒らせたかもしれない。

 いや俺が悪いんだけれども……。


 その後、校内の紅葉が居そうな所を探してみたが結局見つからず、昼休みの残り時間がギリギリになった所で俺は仕方なく保健室に戻ることにした。相河さんは俺のせいで怪我したんだから放っておけない。

 

「あ、実樹さん、用事の方は大丈夫でしたか?」


 保健室に戻って来た俺を見てそう言った相河さんに、俺は「あぁ、うん大丈夫」と笑顔を作ってそう言って誤魔化した。


「相河さんも、怪我は大丈夫?」


「大丈夫です、痛みはほとんど引きましたから。実樹さんのおかげです」


「教室に戻れるかな。何ならここで休んでても良いと思うけど」


「いえ、転校初日から休むわけにはいかないので。」


「そっか、それじゃ肩貸そうか?」


「あ、いえ、それは、……悪いので大丈夫です」


「いや? 別に俺は気にしないけど、ていうか俺が怪我させちゃったんだし」


「いえ、全然大丈夫ですので」


 相河さんはかたくなにそう断って、一人で歩いて教室に戻った。

 まだ少し片足をかばっていたので、何度か肩を貸そうかと声をかけたが「悪いので」と、断わられてしまった。

 俺に触れるのが嫌なのだろうか……と思って、かなり落ち込んだのは内緒である。


「実樹さんは……好きな方とかは、いるんですか?」


 教室に到着する間近、相河さんに突然そんなことを言われて俺の心臓はドクンと跳ねた。


「い、いや、別にいないけど?」


 少し声が上ずったような気もするが、俺はそう誤魔化した。

 その時俺の頭に思い浮かんだのは、紅葉とさくら、その二人の少女の顔だった。


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