34.真っ暗窓の草壁邸

 その家は街を見下ろすことのできる丘陵の上、急な坂を上り詰めた先にあった。

 門前からその家を眺めた時は少しこぢんまりとして見えるくらいだったのだけど、車をガレージに入れてきた鞍馬さんに玄関前に案内されてさすがに驚く。

 こういうのはデザイナーズハウスというのだろうか。モダンで計算され尽くしたアシンメトリー。私の細々とした原稿料じゃ、この先二十年分丸々使っても建てられそうにない建物だ。庭だって、シンプルにまとめられてはいたが、今見えている前庭の広さだけでも優に私の入居しているアパートの全敷地と同じくらいはありそうだ。

 これがこぢんまりしているように見えるなんて、先ほどまでマリアさんのお屋敷にいたから感覚が麻痺しているのだろうか。さすがにマリアさんのお屋敷とは比較にならないけど、それでもここも十分に豪邸と言えるだろう。

「ここが、鞍馬さんのご自宅……なんですか?」

 思わず私が訊ねると、鞍馬さんはポケットからおもむろに玄関の鍵を取り出しながら何でもないことのように返答してみせる。

「ああ」

 その答えを受けて、私はもう一度その家を見上げてみた。

 まるでドラマのセレブ一家でも住んでいそうな家。でも。

「……窓、真っ暗ですね」

 それがこの豪奢な家の第一印象だった。

 大きく沢山取られた窓。しかしそのどれからも光は漏れていない。本来なら家庭の温かみを演出するのだろう大きな窓は、光が灯っていないと逆に寂寥感せきりょうかんすらかもしている気がする。

「ご家族はもうお休みになられているんでしょうか?」

 その暗い窓を見て、特に深い考えもなしに呟いた私。だけど鞍馬さんはその問いに、不思議そうに首を傾げて告げた。

「……? ここには俺しか住んでないぞ?」

「えっ!」

 私はぎょっとして鞍馬さんを見上げながら、その場で立ち止まってしまった。

 そうしてしまってから、私はしまったと思う。

 鞍馬さんは若いとはいっても、大人の男性だ。当然一人暮らしの可能性もあるとは思っていた。だけど、この大きな家を見てここに一人で住んでいる訳はないと思い込んでしまったのだ。だから、ここで一人で暮らしていると聞いて驚いた。それだけだ。

 だけど、私の反応を客観的に見ると、男性の一人暮らしの家に入るのを躊躇している。そんな風にも受け取れないだろうか。

 勿論、それは一般的な男女の間では常識的な判断なのだろうけれど、ことは私と鞍馬さんの間のことだ。鞍馬さんが私のことを異性として意識している、なんてあり得ないだろうし、逆に私が鞍馬さんのことを異性として意識するなんて、おこがましいにも程が有るではないか。

 それに、私たちは目的があってここにいるのだし、決してそんな浮ついた意識を持っているわけでは……。

 ぐるぐるとそんなことを考えながら、それでも身体を強張らせて固まる私。それを見下ろして、鞍馬さんはしばらく不思議そうな顔をしていたけれど、すぐに何か思い当たったのだろう。唇の端を上げて意地悪そうな笑顔を作って見せた。

「先生、今更一人暮らしの男の家には上がれないとかカマトトぶるなよ?」

「~~ッ!! わ、私は、その……」

 私は反射的に頬が熱くなるのを感じながら、なんとか弁明しようとして失敗する。何を言っても言い訳にしかならないような気がしたのだ。

 どうしようもなくなった私には、深いため息をつき不満を示すために唇を少しだけ尖らせて鞍馬さんを見上げることしか出来ない。

 鞍馬さんはなんだかずるい。優しくなったり意地悪になったり、私を振り回す。

 その自覚は彼にもあったのだろうか。彼は気付いたようにバツの悪そうな顔になり、私から逃げるようにこちらに背を向けると、小さく謝罪してくる。

「悪い、軽口たたいてる場合じゃないよな。俺も緊張してるんだ」

 小さな声でそう言う鞍馬さん。私はその彼に何かを言わなくてはいけないような気がしたのだけれど、その前に彼は何も言わずに玄関の鍵を開けてしまった。

「……あ」

 私は微かに声を上げただけで、置いて行かれないように彼の後ろ姿に走り寄り、彼が扉を開けたまま保持してくれている間に怖ず怖ずと体を玄関の中に滑り込ませる。

 それを確認すると、鞍馬さんもまた玄関内に足を踏み入れて、ゆっくりと扉を閉めた。

 扉が、音を立てずに静かに閉まった。

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