26.ゆめうつつ

「おっまたせ~!マリア特製のローズヒップティーよ!」

「!」

 私のそんな思考は、はしゃいだようなマリアさんの声に儚くかき消された。間髪を入れず、ティーテーブルにふんわりと湯気を上げる真っ赤なお茶の入ったティーカップが一つずつ置かれていく。続いてミルクや砂糖、最後にとろりとした黄金色こがねいろの蜜――蜂蜜だろうか――が入ったポットが置かれれば、ティータイムの準備が整った。

 でも……。

「ローズヒップティー……」

「あまり馴染みはないかしら?」

 恐る恐るティーカップを覗き込んだのがバレてしまったらしい。私はびくりとして身体を小さく縮こめると、マリアさんに向かって小さく頭を下げた。

「すみません。聞いたことはあるんですけれど、飲むのは初めてです……」

「あら、謝らなくてもいいのよ。誰でも初めてはあるもの」

 恐縮しきりの私に、マリアさんは優しく快活にそう言ってからローズヒップティーのことを詳しく教えてくれた。

「ローズヒップティーは、薔薇ばらの実を使ったお茶よ。味は酸っぱくて飲みにくいっていう人もいるけど、美容にいいとされていて美肌効果や便秘の改善、免疫力の強化なんかが期待できるわ。薔薇の香りがすると勘違いする人もいるけど、薔薇の実にはほぼ匂いはないわね。アタシはいつも少しだけ蜂蜜を入れるのだけど、ミルクや砂糖を入れても飲みやすくなるわよ。ただ、飲み過ぎは却って良くないわ。一日に一杯から二杯を目安にね」

 そのよどみない説明を聞いて、私はぱちぱちと目を瞬きさせてマリアさんを尊敬の眼差しで見上げてしまう。

「すごい、マリアさん、お詳しいんですね」

 いつも飲んでいるものだとしても、私ではこうはいかない。私はコーヒーや紅茶が好きだけれど、産地や種類は勿論、味や香りなどにこだわるといったこともしないのだから。

 マリアさんは私の尊敬の眼差しにちょっとだけ苦笑してから、自分のローズヒップティーにポットから蜂蜜を少し落とすとティースプーンで軽くかき混ぜた。

「まあ、美容に関することは一通り、ね」

「美容、ですか」

 確かにマリアさんは美容には気を遣っていそうだった。

 それに比べて、私は美容なんてほとんど気にしたことがない。それは空想の世界に浸る時間を優先した結果であり、自分がそんなことに気を遣ってもかえって痛々しくなるだけな気がしていたからだ。勿論、私も綺麗な人に憧れはあったし、もしも自分が人並みだったらそれも少しは違ったのかもしれないけど。

 ちょっとだけ情けないような気分になりながらも納得していた私に、マリアさんはこう続けた。

「ええ、一応それが生業なりわいですもの」

「生業? もしかして、マリアさんは美容師さんなんですか?」

 マリアさんが美容師さん……。似合っていなくはないけれど、なんとなくピンと来ない。

 私が首をひねっていると、鞍馬さんがシュガーポットから大量の砂糖をかき集めてローズヒップティーに投入しながら助け船を出すように呟いた。

「……『ゆめうつつ』って企業、知ってるか?」

「え、はい。美容院やエステなんかの経営からコスメの開発販売に至るまで、美容に関するものなら何でも手がける大企業……でしたよね。色んなところでCMを見かけるので、私でも知ってますよ」

「こいつが、ゆめうつつの社長だよ」

「………………えっ!?」

 鞍馬さんの言葉を私の頭が正常に受け入れるまで、たっぷり十秒以上かかった。

「あっ、鞍馬くん! あなた、またそんなに砂糖入れて! まだ若いからってそんな飲み方してたら将来困るわよ!」

 その間にマリアさんが鞍馬さんの行動をとがめて声を上げ、鞍馬さんは子供のようにあかんべえをしてから大量に砂糖の投入されたローズヒップティーをあおるように一気に飲み干してしまう。

「ほ、本当ですか?」

 驚きに目を白黒していた私がようやくそう訊ねられるようになると、鞍馬さんからティーカップを取り上げてその底に溜まった溶け残りの砂糖の量にため息をついていたマリアさんは私の反応にまた苦笑いをした。

「そうね、アタシがゆめうつつの社長にして美容の魔女、夢現むげんマリアよ」

「ビジネスネームだけどな。本名は八百やお万次郎まんじろう……」

「鞍馬くん、余計なお喋りは紳士的じゃないわね?」

 本名の話を出されたからだろうか、マリアさんは鞍馬さんに地を這うような低い声で釘を刺す。とはいっても、本気で怒っているというよりは親しげにじゃれ合うような会話だったのだけれど。

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