14.裏返しの名刺

「ところで、今回の作品のモチーフにするものは決まっていますか?」

「……え?」

 今までのやり取りで草壁氏に対する好感度こうかんどがぐんと下がっていたこともあり、最初、私は彼の言葉をあしらうように聞き流しそうになって、はたと思い直して考えた。

 そうだ。私はホラー小説を書かなくてはならない。そこには当然なんらかの「恐ろしい存在」を登場させなければならないだろう。ホラー小説に慣れた作者ならば、一から創作してもいいかも知れないが、私は初めてホラー小説を書く初心者だ。まずは何かをモチーフにして書くのがいいのだろう。

 でも、私は何も考えていなかった。

 今度は慌てることすら忘れて、呆然とするしかなかった。

 草壁氏はそんな私の様子を見て微笑むと、小さく頷いて見せる。

「大丈夫。じゃあ、こういうのはどうでしょう?」

 そう言って、彼はジャンパーの内ポケットから取り出した名刺めいしケースから一枚だけ名刺を引き出すと机に裏返しに置く。彼の名刺はシンプルで、裏は真っ白だった。

 私がその行動を不思議に思って見ていると、彼の手は近くにあったペン立てからボールペンを取る。そしてその真っ白な名刺の裏に、とても丁寧に、でもかなりくせのある字で何かを書き付けてから私に差し出した。

 受け取った私はそこに書かれている文字を指で追いながら言葉にする。

「しょう……けら……?」

「知っていますか?」

 訊ねられて、私は正直に首を横に振った。

「なら丁度いい。これは俺から先生へのお題です。先生はこれから『しょうけら』について調べて、それをモチーフに小説を書いてみて下さい」

 草壁氏がにっこりと笑って告げたその言葉に、私はどういう顔をしていいのか解らず手元の名刺に再度目を落とす。

 その私の迷いをさも理解しているかのように、彼は繰り返しうなずいた。

「勿論、それを寄稿用の小説に採用するかは先生の判断でかまいません。こちらの世界に興味きょうみを持って貰うためのちょっとした切っ掛け。そう思ってくれればいいんです」

「は、はあ……」

 私はしどろもどろに頷いて、表情はにこやかなくせにどうしても笑っているようには感じられない彼の刺すような視線から逃れるように隣の黒野さんに目を移す。黒野さんは少し考え込むように手を口にえていたけれども、私の視線を感じたのかすぐにこちらに目を向けて微笑んでくれた。

「いいんじゃないかな。モチーフが決まっていればおのずと物語の方向性も決まってくるだろうしね」

「……はい」

 実を言えばまだ不安ではあった。草壁氏の絵以外からもきちんと恐怖を感じられるのかどうかも、その感じた恐怖を文章に昇華しょうか出来るのかどうかもまだ解らないのだから。とりあえずこの草壁氏から出されたお題は、それを試すためのたただいにするしかなさそうだ。

「じゃあこれで決まりですね」

 ほがらかにそう言って満足そうにその長い足を組み替えた草壁氏を後目しりめに、私はやれやれと思いながら小さくため息をついた。テーブルの上に散らばっていた自分の分の資料を揃えて簡単なクリアファイルに入れ、いつものトートバッグに仕舞しまう。

 そろそろブースを使用できる時間が終わろうとしていたからだ。

「ああ、もうこんな時間か」

 黒野さんも私の仕草で気付いたようで、慌てて私にならう。草壁氏だけがマイペースを崩さずに、ゆっくりとオレンジジュースを飲み干した。

「じゃあ準備も出来たし、私はそろそろ――……」

「あ」

 おいとましますね。そう言おうとした私の声に被せるように黒野さんが口を開く。それは私にではなく、草壁氏に向けたものだったのだけれど、続けられた内容に私はぎょっとしてしまう。

「俺はここの片付けがあるから、鞍馬、お前が先生を駅まで送ってあげなさい」

「えっ!?」

 黒野さんの声に真っ先に反応したのは無意識の私だった。しかも、思った以上に嫌そうな声が出てしまった。その焦りと気まずさに私はちらりと草壁氏を振り返る。

 その私を気にすることもなく、彼はいっそ優雅なくらいにゆっくりとオレンジジュースのコップを置いて、にこやかにうなずき立ち上がった。

「了解。じゃあ先生、参りますか」

 彼はそう言って私に手を差し出してくる。エスコートでもする気なのだろうか。

 だけど私はその手を取ることなんか出来やしない。

「あの、私……。け、結構ですっ! 失礼します!」

 私は吐くようにそれだけの言葉を絞り出すと、ぺこぺこと頭を何度も下げてから、ダッシュでブースを後にした。あまりに焦っていたので、出入り口でパーテーションにしたたかに肩をぶつけてしまったけれど、痛がっているひまもなく、私はぶつけた肩に手を当てただけで小走りにその場を辞したのだった。

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