11.甘いジュース、苦いコーヒー

 その不躾ぶしつけな視線にも、彼は特に気分を害した様子はない。かわりに少し困ったように眉間みけんしわを寄せた。

「えっと、俺、何か変なこと言いました、か……?」

「い、いえ! そんなことは……っ!」

 不安そうな彼の言葉を裏返りそうな震える声で否定して、また視線を自分の揃えた膝まで落とした私。でも時間が経つにつれ、ちゃんと本心を伝えた方がいい気がしてくる。タイミングは逃したけれども、私は呟くように声を出した。

「ええと……。確かに、ガムシロップとその量には少し驚きましたけど……。でも、その……オレンジジュースでもコーヒーでも、それは個人の嗜好しこうの話なので、格好悪いとかではないと思います……はい」

 視線も下を向けたままだったし、何しろ小さな声だったから、伝わらないかもしれないと思いもした。だけど私の言葉はちゃんと草壁氏の耳に届いたらしい。

「そう……ですか?」

 いぶかしげに口を開いた草壁氏。その声の響きを聞く限り、彼は私の言っている言葉の感覚がよく掴めていない様子だった。けれども私は少々食い気味に大きく頷いてみせる。

「そうですよ! だって黒野さんだって何も言わなかったじゃないで、す……か……」

 勢い込んでたたみかけようとした言葉の末尾まつびは、しかし力なくしぼんでいってしまう。こんな時も黒野さんを引き合いに出さないと何も言えない自分が、なんとなく恥ずかしくなったのだった。

「はは、御陵先生はよっぽどあいつのことを信頼してるんですね」

 苦笑しながら言う草壁氏に、私はかあっと赤くなってしまう。

 だって、黒野さんは私を拾い上げてくれた恩人で、今までだってたくさんお世話になっていて。信頼しているなんて言葉だけでは全然表しきれなくて。でも私なんて黒野さんにとってはまだまだ子供みたいなもので、そもそも私なんかでは全然相手になんかならないと思うけれど……。

「そ、そうですね……。お世話になってますし、それに……」

 舞い上がってそこまで返事をしてしまってから、私は草壁氏の変化に気付く。彼はまだ微笑んでいた。だけど、その瞳には先ほどの肌にちくりと刺さる程度の嫉妬とは比べものにならない程の強い苛立ちが宿っている……気がする。

 私は気圧けおされて、口をつぐんだ。彼の表情自体はさっきからさほど変わっているように見えないのに、瞳だけで私に黙れと言っている気がした。

「………………」

 私が押し黙るのを見て、草壁氏は先ほどまでの好青年ぶりが嘘のようにじっとりとした悪意を込めて微笑んだ。こちらをあなどる意図のこもった意地悪な笑顔だった。

「御陵先生は本当に素直な方なんですね」

 つまり彼は黒野さんに憧れる私のことを盲目もうもく的で愚鈍ぐどんだと言いたいのだろうか。私はどうしてもその言葉に反撃したくて、言葉を探す。だがその私の喉元にナイフを突きつけるように、今までとは違うぶっきらぼうな口調で呟かれた草壁氏の言葉が襲いかかった。

「あいつには気をつけた方がいいぜ?」

 ……気をつける? あいつ、とは黒野さんのこと? どうして?

 浮かんだ疑問はすぐに口をついて出そうになる。

 だがその瞬間、三人分の飲み物をトレイに乗せた黒野さんが戻ってきた。

「お待たせ!」

 そう爽やかに言って、私の前に黒々としたブラックコーヒーを、草壁氏の前にオレンジジュースとガムシロップを三つ置いた黒野さんは、最後に草壁氏の隣に自分の分のカフェオレを置いてその席に座る。

 私はその黒野さんをじっと見つめていた。変わった所もなく、いつもの優しそうな黒野さんだ。

 その視線に気付いたのだろう。黒野さんはどこか戸惑ったように私を見て、「どうしたんだい?」と声を掛けてきた。私ははっとして視線を横にすべらせ草壁氏を見遣る。彼は何事も無かったように穏やかな表情でオレンジジュースにどばどばとガムシロップを投入していた。

「御陵先生?」

 再度、声をかけられる。私は反射的に黒野さんに視線を戻すと、ぎゅっとくちびるを噛み締めて首を緩く横に振った。

「いえ、なんでも……ないです……」

 そう言ってから、私も黒野さんが淹れてきてくれたコーヒーに口をつけた。それはいつも飲んでいるコーヒーよりも少しだけ、苦く感じた。

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