81話 僕なんかよりもずっと……
美羽と別れて、僕は自宅に帰ってきた。リビングには、寧がカップを片手に座っている。僕に気づくとカップを置き、優しげな瞳を向けてきた。
「そう……」
僕の様子から何かを察したのか、寧は納得したような声を漏らす。僕はそんな寧の様子に、胸が締め付けられる痛みを感じながら、口を開いた。
「寧、話があるんだ。……どうしたいのか、僕の答えが決まったよ」
僕の言葉に反応せず、寧は黙ったまま先を促してくる。口の中が急速に乾いてくるけど、もう決断したんだ。この一言に、迷いはない。
「ごめん、寧。僕は寧と未来を歩けない」
言い切った。寧は目を閉じて黙ったままで、静かなリビングにうるさい心臓の音が胸を叩く。
「……そう、寧は振られたのね」
寧が悲しげな表情を浮かべ呟く。胸の痛みが激しさを増す。反射的にこの場においてふさわしくない言葉が漏れそうになる。
「そんな悲しい顔しないの、お兄様。確かに残念なことだけど、覚悟はしていたことだしね。何より、お兄様がちゃんと男らしく決断してくれたことが、寧はとても嬉しいわ」
寧は笑う。それが自然の笑みなのか、僕を気遣った笑みなのかはわからない。確かなのは、どっちの笑みでも胸の痛みは消えてくれないということだった。
「僕には、他に好きな子がいる。だから、寧の気持ちには答えられないんだ」
僕にとって好きな子は最初から一人しかいなかった。寧のことは好きだけど、それは家族としての好きであって、異性としての好きではなかった。
昨日、寧から話を聞き、寧の数え切れない想いを知り、僕はそれを寧に対する好きと履き違えていた。寧がこんなにも僕を想って色々してきてくれたんだから、その想いに答えたいっていう、これもただの同情だ。そこに、寧に対する本気の好きは含まれていない。
寧には確かに感謝している。何か恩返しをしたいとも思う。けど、それは偽りの好きを伝えることじゃない。そんなことしても、寧が悲しむだけだ。
「……わかってるわ。その言葉が、お兄様の本音だってね」
寧は僕の内面を見透かしているかのように言葉を紡ぐ。
「本当に、今までありがとう。数え切れないくらいの想いを僕にくれて」
「ふふ、永遠の別れみたいに言わないでちょうだい。お兄様が他の子と付き合っても、寧のお兄様の幸せを想う気持ちは変わらないわ」
……本当、最高の妹だよ。ありがとう、寧。
家を出た僕は、メールを一通送った後学校に向かった。電車を乗り継ぎ、いつもの通学路を歩いて行く。やがて校門が見えてきて、そのすぐ傍に目的の人物がいた。
「さっきメールを送ったばかりなのに、今回もましろの方が早かったね」
僕は校門に背をつけるましろの元に近づいていく。ましろは僕に気づくと、いつもと変わらない笑みを向けてくる。
「フフ、そうね。……結局、先生が私より先に来ることはできなかったわね」
ましろが伏せ目がちに言ってくる。何を話すとも伝えていないにも関わらず、僕の様子から何かを察したことが窺える。相変わらず、僕はポーカーフェイスが苦手なようだ。
「昨日、友達と会ったのよね。どうだったかしら?」
「皆、変わらず元気だったよ。ちょっと一人、ニートになってるやつもいて不安だったけどね。そういえば、安芸が実は僕の秘密を知っていて、その秘密をうっかり皆の前で漏らすものだから、僕のこと皆にばれちゃったよ」
僕は昨日のことを思い返しながら、笑って見せる。
「それは災難だったわね。でも、皆と久しぶりに会えたっていう割には、いつもみたいな元気がないわね、先生」
ましろが遠慮なく痛いところを突いてくる。
「色々、あってね。寧から僕自身について色々聞かされたんだ。僕が見ないフリをしていたことも含めてね。……それで、考える必要が出てきたんだ。これからの僕がどうするかについてね」
僕は一度間を置き、その先を続ける。
「自分に突き付けられた真実と向き合って、どうするか本当に悩んだ。悩んで、悩んで、でも、答えはもう自分の中で出ていて……後は、決断するだけだった」
ましろはここまで黙ったまま僕の話を聞いてくれる。また、胸の痛みが激しさを増していく。けど、ましろは逃げずに僕の言葉を待ってくれている。なら、この痛みを受け入れて言うんだ。僕にはその責任がある。
「ごめん、ましろ。僕はましろとは付き合えない」
寧と、そしてましろの想いを断り、心臓が悲鳴を上げる。けど、辛くて苦しいのは、ましろも一緒だ。いや、僕なんかと比べるのもおこがましい。
ましろは顔を伏せ、口を閉ざしたままわずかな沈黙が続いた。けど、それもいつまでも続かない。やがてましろは顔を上げ、その目尻には涙が浮かんでいた。
「何となくそうだろうとは思っていたけど、涙って思いの外堪えるのが難しいわね……っ」
ましろは目を擦り、笑みを作って見せる。ましろの悲痛な思いに耐えきれず、僕は歯を食いしばり視線を足元に向けてしまう。
「ねえ、これだけは聞かせて。蓮が好きなのって、美柑?」
震える声で、ましろは僕に聞いてくる。僕はましろをもう一度真っ直ぐ見て頷いた。
「うん。僕が好きなのは美柑だ」
「フフ、そう……」
ましろは後ろを向き、眼鏡をとって袖で涙を拭う。そんなましろに、僕が声を掛けれるわけもない。
「…………ふう、もう大丈夫よ」
ましろは振り返り笑って見せる。その目元は、もう十分に赤かった。
「ましろ……」
「そんな顔しないでよ、先生。私なら大丈夫よ。さすがに家に帰ってからは泣くでしょうけど、この場ではもう泣かないわ。それより、先生、私と約束をしてくれるかしら?」
「約束……?」
「そう、約束よ。先生が美柑と付き合うなら、絶対に美柑を幸せにしてよ。もし私の友人にひどいことでもしたら、いくら先生でも容赦しないから」
ましろがじジッと僕の目を見つめてくる。僕はその視線から逸らさず、ましろの目を見つめて言った。
「当然だよ。絶対、幸せにする! 約束するよ!」
「フフ、言質は取ったわよ、先生。美柑のこと、よろしくね」
ましろは僕の胸を軽く叩き、背を向けてその場を去っていく。僕も背を向け、歩き出した。ましろと約束した、幸せにすると誓った美柑の元に。
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