第90話:夢幻のダンジョン5
闇が消え去って視界に光が戻ってくると、空と岩が見える。
この風景には見覚えがある。
「な……」
フレイリッグのいる山だ。
そうだと気づいて、一気に血の気が引いて行く。
「皆……いる?」
振り返って周囲を見るが見当たらない。
「いない……のか?」
皆どこへ。という思いもあれど、いなことにもほっとする。
狼狽えていると上空から声がする。
「また来たか。脆弱な人間よ」
空からフレイリッグが下りてきて、俺の目の前に着地する。
「どうなっている」
喉が急激に乾いていって、声が掠れる。
俺の言葉にフレイリッグが笑う。
「答えは自分で見つけることだ」
そう言うと、フレイリッグの下に魔法陣が現れる。
「イージス!」
スキルを発動した後に、視界が赤で覆われる。辺り一帯を焼き尽くすような高威力の魔法攻撃だ。
が、違和感がある。
空気が軽いように感じる。そういえば以前フレイリッグは笑っただけで、ものすごい熱気を発したが、今のこれには熱さも感じなかった。
フレイリッグの頭上を見上げると、名前もHPも見当たらない。
「本物じゃない……?」
無敵が解けると同時にフレイリッグに向かって走りだして剣で斬りつけると、キンッと音が鳴って硬い感触が返ってくる。
竜の鱗なら、もしかしたらこんな音がするかもしれないが、なんだか違う気がして何回か斬りつけると、パリンという音がしてフレイリッグが消える。
それと同時に周囲の風景も変わり、一か所だけ扉のある黒い四角い部屋になって、目の前には砕けた黒い石の破片が落ちている。
「幻か……」
安堵しつつ、扉を開く。
皆を探さなければ。
部屋から出ると、部屋と同じく黒い光沢のある石でできた長い廊下が続いている。廊下は広く、天井は高く、それを支える円柱の柱が規則正しく並んでいて、廊下の両脇にはたくさんの部屋が見える。
部屋を出て右手側は少し行くと行き止まりで、その行き止まりの壁には大きな薔薇窓があって、そこから薄ぼんやりとした光が差している。
廊下に誰もいないということは、どこかの部屋の中にいるのだろう。ひとまず、行き止まりになっているところの部屋から中を見て行く。
扉は空いていて、中には人影はない。
廊下に戻って、皆の名前を呼んでみるが自分の声が反響するだけで返事はない。
「順番に見て行くしかないか……」
しばらく歩いていると、たくさんある部屋の内の一つからシオンが飛び出してくる。
「あっ、お兄ちゃん!」
「ユカリちゃん、大丈夫だった?」
「なんかねー。歯医者さんのウィーンってしてくるやつのモンスターが出てきたけど、槍で攻撃したら消えたよー」
「そ、そう……。歯医者さんは嫌い?」
「うん、怖いし痛いし嫌いだなぁ……」
少々不機嫌そうな顔でシオンが言う。
「そっか……。それで、他の二人を探さないといけないんだけど、ここからあっちの方に向かって右側の部屋を順番に見ていってくれないかな。俺は左側から見て行くから」
「うん!」
もしかして、ここの仕掛けは、潜在的に怖いと思っているものを表示させるような類なのだろうか。
他の二人もシオンのようなものであれば、問題はないのだが……。しかし、モカならそれでも攻撃できないかもしれない。セーレならシオンと同じようにあっさり突破してくる可能性もあるが、外に姿は見えない。
廊下を走りながら探していると、微かに泣き声が聞こえてくる。
「そーちゃんの声! こっちー」
シオンが声の方向に走って行く。
黒い扉を開けると、部屋の真ん中に黒い水晶玉が浮かんでいて、モカは座り込んで大声で泣いている。
「お化けやだぁあああっ」
「お化け……?」
シオンがキョロキョロとしている。
「ソウタくん、大丈夫?」
駆け寄ると、モカが真っ赤に泣き腫らした目で見上げてくる。
「レオさ……お化け、助けてぇええっ」
「ああ。ちょっと待ってて」
おそらくあの水晶玉を壊せばモカが見ているお化けは消えるだろう。
そう思って水晶玉に剣を振り下ろすが、触れる前に目に見えない障壁で跳ね返されて当たらない。
「あれ……。ユカリちゃん、この玉壊せる?」
「んーっと」
シオンが槍で攻撃してみるが、見えない壁に跳ね返されたようで当たっていない。
「ううーん? ダメみたい」
そう言いつつ、シオンはさらに槍を振っているが、やはり玉に当たることはない。
「となると……。ソウタくん、お化けは攻撃したら消えるから、攻撃してみて」
「やだぁ、怖い」
杖を握りしめたまま、モカは動かない。
「ちょっと杖で殴るだけでいいから……」
「やだぁぁああ」
モカが大声でわんわんと泣き始めるので、俺もどうしていいかわからずに泣きたくなってくる。
「そ、そうだ。魔法で退治しよう」
「魔法?」
魔法という単語に少し興味を持ったのか、モカはぐずりつつも顔を上げる。
「お化けに向かって、ライトって言ってみて」
「ら、らいと……」
モカの杖から白い光が飛んでいって水晶玉に当たる。そして、少しヒビが入る。
「もう一回」
「らいと」
「うん、効いてる。何回かやってみて」
モカが何度か魔法を使うと、水晶玉がパリンと砕ける。
「あっ……消えた」
「よくやった。えらいえらい」
モカの頭を撫でてから部屋を出る。
「あとは、セー……ユウちゃんを探さないと。ソウタくんもユカリちゃんと一緒に、ユウちゃん探してくれるかな?」
「うん」
まだぐずつきながら、モカが答える。
走りながらセーレを探すが時間ばかり過ぎて行く。
これはやばい予感がする。
やがて、前方から子どもの声が微かに聞こえてくる。
シオンたちを待たずに、その方向に駆け付ける。
「ユウちゃん!」
部屋を開けるが、セーレはこちらに気付かずに、部屋の隅で祈るように両手を組んで、ぎこちない笑みを浮かべ見えない何かに謝り続けている。
「申し訳ございません……次は……ご期待に沿えるよう……」
セーレの顔は顔面蒼白で、声は震えている。
「いえ……あの……、これ以上、何を……。もう、わ、私、生まれてこなければ……よかったのですか?」
上ずって、最後の方は悲鳴じみた声色が混ざった声で言ったあとに、ふと気付いたようにセーレは背中の大剣に手を伸ばす。
「ああ……そっか……これで……」
「ユウちゃん! 待って!」
大剣を手に取ったかと思えば、自らの首にその刃を向けるセーレの手を取り押さえる。
「あ……レオさん? どうして、こちらに……」
「お願い。それはダメ」
「いえ……これで楽になれるなら……」
セーレが虚ろな表情で言う。
目いっぱい力を込めてセーレを止めているつもりだが、刃はゆるゆるとセーレの首に向かって行く。小さく細い子どもの手だが、それは外見だけのようで相当な力だ。
背後で足音がする。シオンとモカだろう。
「頼む。今、見えてるのは幻だから……! 夢のようなものだから、耳を貸さないで!」
「幻……。そう……でも、私は……」
「ユウちゃんだめー!」
瞬時に状況を理解したのかシオンが俺に加勢して、セーレの剣を握って引き離そうとする。さすがに、二人分の力にはセーレも勝てずに、握っていた大剣から手を離して、大剣がガシャンと床に落ちる。
「……邪魔しないでください」
「ダメ! 邪魔する!」
「ユウちゃん……、お、お化けは、やっつけたら消えるから……」
モカもおろおろと近寄ってくる。
「やっつける……? ああ、そう……殺せば……よかったの……」
その言葉に、背筋がゾクリとする。
幻覚とは言え、こんな子どもにそれをさせていいのだろうか。セーレが見ているのは恐らく家族の幻覚だ。
今のセーレは冷静ではない。もし、大人に戻った後でセーレがこのことを覚えていたら、どう思うだろうか。
「ユカリちゃんとソウタくん、先に外出ていてくれるかな」
「う、うん……」
「ユウちゃんも、ここから出よう」
「なぜ? 殺せばいいのでしょう?」
「ダメ」
そう言って、セーレを抱きかかえる。セーレは、抵抗はしないが目に剣呑な光が浮かんでいる。
セーレを連れて通路に出ようとすると、見えない壁に阻まれる。
本人がこの部屋をどうにかしないと出られないということか。
どうすればいい。
セーレを抱きしめて考える。
どうにか誤魔化して本人に攻撃させるか……。いや、聡い子だからそれでは気づかれるだろう。
考え込んでいると、ふと床に落ちているセーレの大剣レーヴァテインが目に留まる。
「目閉じてて」
セーレを床に下ろしてそう言えば、セーレは素直に従う。セーレの大剣を拾い上げて、念のためセーレの目の上から俺の左手で視界を覆う。俺のレベルに見合わないセーレの大剣はずしりと重く、片手ではまともに振るうことすらままならない。
それでも、なんとか大剣を持ち上げて、水晶玉に狙いを定める。本人の持ち物であれば、ダメージを与えられるのではないかと、淡い期待を込めて振り下ろせばヒビが入る。
ダメージを与えられたことに、ほっとして息を吐く。
それから数回攻撃すれば、水晶玉は割れて床に落ちる。
「もう大丈夫……だと思う」
左手をセーレの顔から外してそう言うと、セーレが恐る恐る目を開く。
「消えた?」
「は……はい……」
セーレはそう言いながら、ぺたんと床に崩れ落ちる。
「頑張ったね」
屈んでセーレの頭を撫でたところで、ぐにゃりと視界が歪む。
足元の床が消えて、うねうねとした黒い空間に落ちていく。
何事か確認しようと思う間もなく、意識は途切れた。
目を開くと、幼い頃に見た風景が広がっている。
夢なのか記憶なのか、これは確か保育園の時。ずっと待っていても母親が迎えに来なくて一人でぽつんと夕焼けの空を眺めていた。他の子どもは皆帰って、敷地はがらんとしていて、日暮れの空がだんだんと不気味な色になっていく。寂しい、もしかしたらもう迎えに来てくれないのではないか。
そう思っていると、視界がぐにゃりと歪む。小学校で先生から怒鳴られていた。やってもいない悪戯で、叱られていた。本当の犯人は俺が犯人だと先生に行って、影で笑っていた。胸糞の悪い。
それから少しすると、また違う場面になる。
中学の時、雪の日に自転車に乗っていたら、滑って転倒して指を骨折した。触れれば痛いし、リハビリに通わないといけないし、日常生活が不便だった。
高校の時、災害で父方の祖父母が亡くなった。二人が住んでいる家に遊びに行けば優しくて、毎回たくさん料理を作ってもてなしてくれた人たちだ。たまに会う孫が可愛いのか存分に甘やかしてくれて、俺も二人のことが好きだった。
なんだ、この記憶は。
嫌な記憶ばかり。
しかも、たった今体験したような痛みや気持ち悪さが胸に広がっていく。程度の差はあれ、不快なできごとが次から次へと思い出されてくる。
大学の時、可愛がっていた飼い犬が死んだ。死んだと理解していても、部屋に入る度に犬の姿を目で探してしまっていた。
社会人になると、職場でげんなりとすることが増えた。嫌なことが地味に重なっていく。企画書を上司に持って行ったら、それではダメだと言われるだけで、具体的にどこがダメなのか言われるわけでも改善策を提示されるわけでもなく、機嫌が悪ければそのまま一時間くらい説教された。上司がミスした時は、責任を押し付けられて徹夜して、客先に謝りに行かされて散々だった。
ある時、学生の頃から親しくしていた友人が事故で亡くなった。唐突な別れをなかなか受け入れられないでいた。来週飲みに行く約束をしていたのに。
なぜ。どうして。
まだ若いのに。
これから、もっとたくさん一緒に色々なことができたはずなのに。
一緒にプレイしていたゲームの最終ログインの日付を見る度に虚しくなった。
場面がその友人の葬儀の場所に切り替わる。
手に取った花を一輪、柩の中に入れようとした瞬間、横たわっていた友人の目が開いたかと思えば、供えられていた花を巻き散らして柩の中から友人が起き上がる。
「なっ……」
死んだなんて嘘で、柩の中から生き返ってくれたら……と、葬儀の時に思いはした。
しかし、生気のない顔色で死装束を纏った友人が、こちらに向かって歩いてくる光景は恐ろしくて、俺は一歩下がる。
周囲の景色は、俺とその友人だけを残して闇に飲まれていく。
「なぁ、ハルト」
記憶の中と同じ声で、友人が俺の名前を呼ぶ。
「俺もこの世界だったら、死なずに、お前と楽しく遊んでられたのにな」
俺が声も出せずに佇んでいると、友人の身体は端から花びらへと姿を変えて、風に流れて消えていった。
「あ、待って……」
すがるように伸ばした手は、何もつかめずに虚しく宙を掻いた。
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