第3話:男の思惑、女の策略

――01――


春風吹き抜ける、盆地の田園地帯。対面通行の舗装路を、深緑の古めかしい2ドアクーペ、ボルボ・P1800Eが駆け抜ける。ヘッドからテールまで直線を描き、流線形のキャビンを上部に突き出させたボディを、排気量2000cc・4気筒OHVエンジンが、排気の白煙を噴いて加速させる。その姿は陸を走るクルーザーのようであった。

運転席に座るのはボサボサ頭で無精髭、冴えない中年面をサングラスで隠した男、不破定フワ・サダム。今日の装いは、青いポロシャツにクリーム色の長ズボン。今の不破はどこからどう見ても、休日のドライブを優雅に満喫する独身貴族だった。

しかし、彼の職業はフリーランスの殺し屋。助手席の革シートに無造作に転がる、ゴラの茶色いトートバッグには、消音機サイレンサーを装着したスフィンクス・SDP拳銃が2挺、隠れ潜んでいた。常に武器を携行するのは言わば、殺し屋の性と言えた。




道路は空いている。山越え谷越え上下左右にのたうち続く、鄙びた片田舎を不破は一人、時代遅れのスポーツカーのコクピットに座って走り続けた。

日は高い。山道を抜ければ、右手に断崖が反り立ち、左手に荒々しい磯場が広がる海辺の道。もう少し走れば、磯は砂浜へと姿を変えるだろう。この一帯は釣り人やサーファーなど、海のレジャーを楽しむ人々が好んで集う場所だ。

海辺のストレートラインに車首を据え、不破はフロアシフトの4速MTギヤをもう1段上げた。アクセルを踏み込めば、ボルボのエンジンは喜んだように唸り声を高めて車体を加速させる。サーファーの駐車する列も、その向こうで混雑する物産館も、軽やかに追い越し駆け過ぎて、長い上り坂へと至る。

1971年製の4気筒エンジンは、法定速度で走る分には馬力の不足を感じさせないが、現代の車のように速くはない。速さを求める者はそもそも古いボルボに乗らない。

それはパワーステアリングもABSも持たない、ほんの数年前の世代までキャブレターだったエンジンを、燃料噴射装置インジェクション化しただけの古い車。

不破は口角を上げ、シフトダウンしてアクセルを踏んだ。手回しハンドルで窓を閉じてライトを点すと、行く手に大口を開けるトンネルへ突っ込んだ。




海沿いの道を抜け、トンネルを抜け、下り坂の向こうは突き当り。国道に合流する丁字路を左折し、ドライブの終点である目的地を目指してP1800Eが走る。

河口に架かる橋、海辺の森に佇む神社、朽ちかけたビルを過ぎて、田舎町をのんびり走る。この辺で左の脇道を港に降りれば、魚料理の旨い店がある。不破は今度また食べに行こうと思いつつ、歩道橋の交差点を左折した。

直進路に枝の生えたY字路を真っ直ぐ、その先の2車線道路を一旦左に曲がり、中央分離帯の切れ目で対向車線に転回すれば、喫茶店『Zingaliジンガリ』は直ぐそこだ。

通りに広がる大きなガラス窓、軒先を這うツタ植物、ステレオタイプなまでに古い面影を残した姿は、というよりというのが相応しい。

店の正面は駐車スペースで、大窓の前に斜めの白線が数台分引かれていた。不破は後方を確認し、店前の道路で車首を中央分離帯に向け、バックギヤに入れようとして、駐車場に停まっている珍しい車に目を惹きつけられた。

クリーム色の車体、VWフォルクスワーゲンのバッジ。一見するとタイプ1・ビートルのようだが、よく見ればCピラーが屋根から後方へとなだらかに落ちる、クーペ風の背中だ。

不破は鼻を鳴らし、クリーム色のVWの左横へとボルボを滑り込ませた。


――02――


不破はボルボの運転席から、VWの運転席を見た。VWの運転席に座った男も視線に気づき、不破に目を向けた。ボルボは右ハンドルで、VWは左ハンドルだったから、互いの運転席の窓ガラス越しに運転手同士が顔を見合わせられた。

VWの運転手も不破と同様に中年男。俺より少し年上だな、と不破は思った。短髪を撫でつけ、髭は剃っている。身綺麗だが特徴のねえ顔だな、と不破は心中呟いた。……

不破は助手席のバッグを手に、ボルボの運転席を降りて、VWの運転席の窓ガラスをノックした。運転手は僅かに眉根を上げた。警戒の表情に不破が余所行きの笑みを返し、VWの窓をもう一度窓を叩くと、運転手は観念したように窓を下ろした。

「何か御用ですか」

「いやぁ、悪いね突然。珍しい車に乗ってんなァ、って思ってさ」

「貴方のボルボほどじゃあありませんがね」

中年男が不破の車を見て言うと、不破は余所行きでない本物の笑顔を浮かべた。

「ワカル!? 嬉しいねぇ。旧車って、同好の士を探すのも一苦労じゃない」

中年男は梟のように訝しげな眼を瞬かせた。不破の本性を見定めるように。

彼の名は山田一人ヤマダ・カズヒト。職業は企業の殺し屋。




不破はすっかり気分が良くなり、VWの屋根に片手を突いて微笑みかけた。

「で、旦那の車は何だ? ワーゲンだが、見たとこビートルじゃねえよな」

「タイプ3のファストバックですよ。正確な名前はVW・1600TLE」

「タイプ3! 聞いたことねー名前だな……ああいや、他意はねえんだが」

「構いませんよ。VWらしいですから」

「これ、何年製? つかキャブ? やっぱ水平対向ボクサーエンジンなの?」

「ええ勿論。1969年製の燃料噴射装置インジェクション仕様、おなじみの空冷水平対向4気筒。当然、エンジンはRRリヤ配置。まあ基本構造はタイプ1やタイプ2と一緒ですね」

「ハッ、物好きだねぇ! 俺も人のこたぁ言えねぇけど。1969年製つったら、俺のP1800Eが1971年製だから、ほぼ同世代だな。そうだ、旦那の世代だったらATオートマ仕様あったでしょ? 何だろ、あのいう車も使ってた……」

ですか、詳しいですね。AT仕様は、多分のことを仰ってるんでしょうが、私の車はご覧の通り、4速MTマニュアルです。スポルトマチックって自動クラッチのセミATなんですよね。原付のカブみたいに、ギヤは自分で動かす。それに3速ATなんて言ってますけど、実質的には超低速エクストラローギヤの上に1速2速がある、なんちゃって3速ですからねぇ。MTより遅くて使い辛いんじゃないかな」

「ヘッ、旦那も詳しいじゃない。あの時代のATオートマが遅いのはその通りだと思うが、正直MTマニュアルでも……そんなに早くないんじゃねえの?」

「貴方もハッキリ言いますね、確かに遅いですけど。何せ排気量1600ccに拡大して燃料噴射装置インジェクション化までしたエンジンで、MAX 65馬力しか出ませんからね」

「65馬力! 軽自動車並みだ。俺の車は2000ccで130馬力、半分の力しかねえな!」

「貴方のはスポーツカーでしょう。スポーツカーで遅いのは流石にマズい。当時のVWはとにかくRRで空冷の国民車だったから、速さは二の次だったんですよ」




山田の弁舌も熱を帯びてきた頃、水を差すように電話の着信音が響いた。

「ちょっと失礼」

右手を立てて会釈する、山田の双眸が一瞬でスッと冷徹さを取り戻した様を不破の目は見逃さなかった。何か普通でない印象が、不破の脳裏に閃いた。

そして、山田が懐から取り出したブラックベリーに不破は目を惹かれた。

「ハイ山田。ハイ、ハイ……戻るまで1時間半ってとこですね、ハイ……」

国道の丁字路を突っ切って、市内に降りるコースかな。不破は盗み聞きした会話の時間から、大体の目的地と道筋を逆算して脳裏に思い浮かべ、いかんいかんと頭を振った。他人のことをあれこれ詮索するのは職業病だ。

山田が電話を切ると、不破は相好を崩して一歩下がり、頭をかいた。

「イヤァ、仕事の電話だったかな? 悪ぃ、熱くなって喋くっちまって」

「構いませんよ。旧車の同好の士を探すのも、一筋縄じゃいきませんから」

「それに、使ってるケータイのメーカーまで同じ! 気が合いますなあ!」

不破が懐からブラックベリーを出すと、山田が肩を竦めた。不破の機種は山田より旧型で、まだ独自OSを使っていた、3G通信までしかできない時代の物だった。

「ここで会ったのも何かの縁ですね。また顔を合わせる機会があれば、車のお話はその時にゆっくりと。今度は貴方のボルボの話を聞かせてください」

「いや、ハイ! そりゃもう喜んで! お仕事頑張ってくださいね!」

「どうも。ではまた」

山田は不破に微笑み、車のエンジンを始動してギヤを繋ぐ。空冷エンジンの騒がしい駆動音を撒き散らしながら、VWが走り去るのを不破は見送った。


――03――


数日後。市内中心部から少し離れた埋立地。堤防沿いの工場街の片隅に建つ、個人経営の自動車工場『鬼塚オートモビール』。

山田がクリーム色のVW・1600TLEで走り来ると、店先の一際目立つ場所で黒塗りの大排気量車マッスルカー、オールズモビル・442が妖しく煌めいていた。

工場の中には、整備を終えたばかりの辛子色のカルマンギヤ。ツナギ姿で袖を捲った老店主・鬼塚オニヅカが、いかにも頑固親父といった風貌で、分厚い眼鏡を通して辛子色のボディを睨み、ウェスを握りしめた太い腕を動かし、車を丹念に磨いていた。

鬼塚の足元で眠る一頭のボストンテリアが、工場に近づく空冷エンジンの排気音を聞いて飛び起きると、工場を飛び出して来客を出迎えに走った。山田は店先に車を停めて運転席を降り、足元で見上げるテリア犬・チコの頭を撫でた。




「どうも! 鬼塚さん」

「おう、来たか! ちょっと待ってろ!」

鬼塚は皺深い双眸で辛子色のボディを見据えたまま、低く鋭い声を放つ。

「カルマンギヤですか。何とまあこれは、見事な物ですね」

「ヘッ、『見事』の半分は、俺の働きのおかげだがな!」

「残りの半分は?」

「この車が元から持ってた『美しさ』さ。ここに来たばかりの時なんか、埃塗れで自走すら出来ず、そりゃ酷い状態だったぜ。お前さんに想像できまい」

「そのまま廃車にならなくて良かったですね」

「この車の元々の持ち主が、もう死んだ爺さんでな。その大学生の孫が、親兄弟も興味ねえこのオンボロ車、貯金全額突っ込んでも構わねぇからどうしても乗りたい、っちゅうんで俺がこうして整備してるって寸法よ」

「素敵な話ですね。でも話を聞く限りというよりは、限りなくに近い作業だったでしょうね。高くついたでしょう」

「当たり前だ。俺の店にゃ学生割引なんてモンはねぇ。代わりに金さえ払えりゃ、20歳そこそこの世間で言うでも、サービスは他の客と全く同じだ」

鬼塚はボディーを拭き上げると、自信に満ちた顔で山田に頷きかけた。

「どうだ。ショウケースに置いても、恥ずかしくねえ仕上がりだろう!」




工場の軒先で、1600TLEの後部ボンネットを鬼塚が開き、運転席に合図した。

「よーし、回してみろ!」

運転席で山田が点火装置イグニッションを捻ると、車体後部のパンケーキエンジンが頼りない音を立て、エンジンが始動しかけてストンと停止する。

鬼塚がリヤエンジンを睨み、数回目のセルで辛うじて始動したのを見ると、何事か頷いて運転席に手を振り、声を上げてエンジンを止めさせた。

「どうです」

山田が運転席を降りて歩み寄ると、鬼塚がツナギの胸ポケットからウィンストンのソフトパックを取り出し、紙巻を咥えて火を点け、低く唸って問うた。

「これ、バッテリーはどうよ?」

「半年前に替えたばかりで、最近は家でもちょくちょく充電してます」

山田も懐からシガレットケースを取って、ジョージ・カレリア・アンド・サンズのチュービングタバコを抜き出しつつ、鬼塚の問いに答えた。

「そうか、じゃあスターターが駄目だな。この年式じゃよくある症状だ」

鬼塚があっさり導いた結論に、山田はタバコに火を点けつつ頷いた。

「やっぱりセルですか。部品、出ますかね?」

「心配無用、最近は良いのがあるぜぇ。ボッシュ製の新品でよ、互換性も完璧だ」

「じゃあそれ、一個頼んどきましょうかね」

車の横合いに立ち、山田と鬼塚は二筋の紫煙を棚引かせて話した。

「車はどうする。このまま連れて帰っても、そのうち動かなくなっちまうぞ」

「ええまあ、預けて帰りたいのは山々ですが……ちょっと失礼」

山田は電話の着信音に、懐からブラックベリーを取り出して画面を見た。

「丁度いいタイミングで、から電話です」


――04――


市内の中心部。路面電車に沿って伸びる片側三車線道路を、銀色のスポーツセダン、スバル・WRX STIが走り行く。運転席には、角刈り頭にガーゴイルのサングラスをかけた、風紀課の不良警官・溝口彪ミゾグチ・アキラが座っていた。

「ったく。いつもいつも、人をタクシー代わりに使いやがって」

「車のセルモーターが調子悪くてな。まぁ飯奢ってやるから、そう腐るな」

「だからオンボロ車なんか止めて、国産車に乗れって言ってるんだ」

「WRX、EJ20エンジンは製造中止らしいじゃないか。次は何に乗るんだ?」

山田は助手席から車窓を眺め、からかうように言うと、溝口が頭を振った。

「ハァ……さぁな。壊れるまで乗り潰して、後のことはそれから考えるさ。しかし今ンところ、俺の車は絶好調なんだ。お前のオンボロと違ってな」

繁華街の膝元、空港リムジンバスが停まる左車線、歩道を越えた先は露天駐車場。溝口が歩道から駐車場に、行き交う人々を避けつつ車を動かし、発券機の駐車券を引き出すと、発券機の液晶表示が『満車』に変わった。

溝口はヒュウと口笛を鳴らすと、車の犇めく駐車場へとWRXを進ませた。




繁華街の裏路地の奥深く、隠れ家のようにこじんまりと建つレストラン。

「ロシア料理『ダーチャ』。いつもいつも、珍しい店を良く見つけるな」

「ヘッ、迎えの駄賃だ。一番高ェコース料理を奢ってもらうからな」

溝口が厭味ったらしく笑うと、木製のドアを潜って店内へと歩み入る。

「いらっしゃいませ」

「よっ、どうも。今日は2人だ」

「かしこまりました。こちらの席にどう……」

黒髪を頭の後ろでまとめた、ウェイターの美青年が女性と見紛う顔で溝口に笑い、溝口の後ろから現れた山田の姿に目を見開き、真顔で言葉を失った。

「……何だ。お前ら、知り合いか?」

「いや。私は、

山田はウェイターと正面から向き合い、言った。確か名前はマコトだった。山田が、山奥の診療所で居候をしていたの青年だった。

「だよな」

溝口は不思議そうに首を捻り、山田を伴ってテーブル席の一角へと座る。




数十分後。ウェイターの美青年が、山田と溝口のテーブルへとコース料理を次々に運ぶ。前菜の盛り合わせ・ザクースカを手始めに、ロシア風揚げパン・ピロシキ、野菜と肉を煮込んだ赤いスープ・ボルシチ、きのこの壺焼き・グリバーミと続いて、仕上げに肉料理。山田の皿はロシア風の牛肉の串焼き・シャシリクで、溝口の皿は牛フィレ肉のステーキだった。

溝口のステーキコースは、山田のシャシリクコースより1,000円高かった。

「ごゆっくりどうぞ」

青年は何か言いたげに山田を横目に見つつ、一礼してテーブルを去る。

「ヘッへ。こうしてお前さんと食卓を囲むのも久しぶりだ……な!」

子供のように目を輝かせ、切り分けたステーキに齧りつく溝口に山田は苦笑した。溝口の懐は、人目を忍んで山田から貰った『お小遣い』で膨らんで見えた。




「量の多い料理をこなすのが辛くなると、自分が歳を取ったと感じるな」

「何だ、勿体ねえ。いらないなら、俺が全部食ってやるぞ」

話しつつも手当たり次第に料理を食らう溝口に、山田は笑って肩を竦めた。

「食べるさ。ロシア料理は初めてだが、ここの料理は実に旨い」

「シェフの顔が見てみたくなったか?」

「もしかすると、本物のロシア人が作ってるかもな」

確か名前はイシドルと言った。祖国から逃げ出した男。今は何の関係も無い他人。

「当たりだ。つまんねえヤツ……このグリバーミはがな」

溝口がはグリバーミの壺に被さるパイ生地を割り、中身のキノコシチューに漬けて食べつつ言った。山田はボルシチを食べつつ、溝口の駄洒落に再び苦笑した。


――05――


やがて2人は料理を食べ尽くした。

「デザートと、ロシアンティーです」

青年が空の皿を次々と下げ、紅茶カップとアイスクリームを差し出した。

「あいつ、さっきからお前のことチラチラ見てるぞ」

溝口が言うも、山田は素知らぬ顔で小首を傾げる。山田は自分を強いて、彼と目を合わせず、言葉も交わさなかった。他人同士で居た方が彼のためになるからだ。

「知り合いか誰かと間違えてるんだろう」

「もしかすると、お前に気があるんじゃないか?」

「お前は気にならない性質タチかね。私は気になる」

「何が言いたい? 何だ藪から棒に、俺だって男相手は御免だぜ」

「鈍い奴め。彼は男だよ」

山田が言うと、溝口は目を剥いて紅茶を噎せ、手拭いでテーブルを拭いた。

「何でわかる!?」

「どこに目がついてるんだ。彼は男のウェイターの格好をしてるだろう」

「いや……待てよ。いや、言われて見りゃそうだな……そりゃそうだが……」

溝口が半分顔を赤らめ、肩越しに振り返って青年を盗み見た。




「そうだ、この前も喫茶店に行った時、に声をかけられたよ」

「おかしな男? お前、を惹きつける体質なんじゃねえか?」

「古いスポーツカー、それも緑のボルボに乗ってた男でね。私の隣に停めて、車を降りるなり突然話しかけて来た好事家フリークさ。頭は鳥の巣みたいにボサボサで……」

山田の話を聞いて、溝口の顔がピクリと強張るのを山田は見逃さなかった。

「どうした。知り合いか? お前の同僚か、それとも集金相手の誰かだったかな」

溝口は視線を逸らして頭を振り、意地悪い笑みを浮かべて向き直った。

「いや……いや。知り合いじゃねえが。おい、この先が聞きたきゃ『有料』だぜ」

「悪いが、持ち合わせが少なくてね。他を当たるとしよう」

山田はブラックベリーを取り出し、電話帳で『卜部ウラベ』をサーチした。

「アッ、お前キタねぇぞ!」

「どっちが汚いんだ。少し黙っていたまえ」




山田が卜部の番号をコールすると、1コール半で電話が繋がった。

「――オラ、セニョール! ハハハ、久しぶりじゃないか、山田ァ! なんだ! ハハハ、気が合うねぇ実に素晴らしい」

山田の脳裏に、ジョニーデップめいたアロハ男の姿が思い浮かんだ。

「その言葉は聞き捨てならないな。また私に厄介事を押し付ける気か」

「――ハッハハ、話が早くて助かる!」

「こっちも聞きたいことがある。ある男の情報が欲しい」

「――公安の情報網にタダ乗りたぁいい度胸だな! で、男ってどんなだ」

「緑色のボルボの古いスポーツカーに乗ってる。ボサボサ頭で髭の男だ。見たとこ私よりは若かったように思う……恐らく30代だ。心当たりはあるか」

「――はぁん成る程。そりゃだな。お前がどこでを知ったか知らんが、悪いこたぁ言わんから、手を出すのは止めとけ。暴れたら手が付けられんぞ」

、この前。喫茶店……『Zingaliジンガリ』の駐車場でな」

「――何だって、今の話はマジか!? 野郎この街に来てるのか!? その情報が本当なら大変だ! 計画を繰り上げんとマズいな……今すぐ会えるか、山田!?」

「今ちょうど、グルメ通りのロシア料理店で昼飯を食べ終わったところだ」

「――何だ、愛人スケと食事中に他の事を考えるたぁ、とんだ女泣かせだな!」

「友人だよ」

「――ハハハ、そういうことにしとこう、じゃすぐ行くぜ、アディオス!」


――06――


市街地の外れ、高架道路の橋脚下。タイヤの擦過音が響く薄暗い空き地に、銀色の車が二台。その間隙に、黒スーツ姿の男と灰スーツ姿の女が向き合って立つ。

一台の車は、ボルボ・S60 T6 ポールスター。ボサボサ頭の渋面で腕組みした男は、殺し屋・不破定。対するもう一台は、プジョー・508 グリフ。ボンネットの上に浅く腰掛けて褐色の長髪を靡かせ、ハーフ系の美貌に挑発的な笑みを浮かべる美女は、情報屋・黒川クロカワリュシエンヌ。

「黒川さんよ。オメーの仕事はもう受けねぇ、俺はそう言ったよな?」

「黒川さんだなんて余所余所しいわね。ルーシーって呼んでもいいのよ?」

黒川はおどけたように言って、ダンヒルの紙巻きに火を点け、紫煙を吐いた。

「魔女め。仕事を持ってくる時だけいい顔しやがって、騙されねえぞ」

「そうつれないこと言わないでよ。貴方がカレイドケミカルを潰したせいで、私の産業スパイ計画は台無し。『殺人ウィルス』も、水の泡になっちゃったのよ」

「あーあ、いい響きだ。俺ってば、まーた世界救っちゃったんだもんな」

不破は深々と頷き、ヴィンセント・マニルの手巻きを咥えて火を点けた。

「そんな救世主、日本一の殺し屋こと不破さんに頼みたい本日のお仕事は」

「やらねえよ。おだてたって無駄だ」

不破が素気無く言い切ると、黒川は肩を竦めて紫煙を吹かした。黒川は話のネタを探して視線を彷徨わせ、不破の車に目を留めると出し抜けに笑った。

「車、変えたのね。あの古臭くてダッサイ車より、少しは見栄えがするじゃない」

「あぁ? こいつはただのだ。車庫ガレージの中でお眠だよ」

? の間違いでしょ。好き好んで旧車に乗る人間の気が知れないわ」

「んだと、お前に何が分かる! いいか、真に心の通じる同志ってのは、ひょんな偶然で見つかるもんだ! そう、俺が最近出会ったワーゲン乗りのようにな!」

誇らしげに指を突きつける不破に、黒川は呆れ顔を返した。




VWフォルクスワーゲン……典型的ね。ビートル? ワーゲンバス? どちらにせよ、古ぼけてどうにか走る鉄屑みたいな車と、自由人ヒッピーみたいな持ち主が目に浮かぶようだわ」

黒川が咥えタバコで皮肉に笑うと、不破はしたり顔で鼻を鳴らした。

「ところがどっこい、持ち主は普通のオッサンだ! 車も鉄屑じゃない、光り輝くタイプ……1、2、じゃなくて3! 空冷のVWで、セダンだ! 珍しいだろう!」

不破が目を輝かせて三つ指を突き出すと、黒川の眉尻が僅かに上がった。

「確かに珍しいわね。そんな車を乗り回す好事家フリーク、滅多と見ないわ」

「フッフッフ、そうだろうそうだろう。だが居るところには居るものだよ、同志は。製造年も俺の車は1971年、奴さんは1969年と近い! オマケに使ってるケータイのメーカーまで同じ、ブラックベリー! 趣味が合い過ぎて少し気持ち悪いぜ」

不破が懐から取り出した『特徴的な形状の携帯電話』を見た瞬間、黒川の脳裏にはプジョーのミラーに映る男と、その男の使った携帯電話が鮮明に思い出された。

「……成る程ね、運命の出会いってワケ。ある意味ではそうかもね」

「あぁ? な、何だよ急に同調しやがって。気持ち悪いな」

黒川は紫煙を吐くと、紙巻きを弾いて灰を落とし、意地悪に笑った。

「あんたこそ、自分が誰とうっかり鉢合わせしたか、分かってないようね」

「あぁん? 何だその含みのある物言いは。お前、奴さんが誰だか――」

「教えなーい。仕事を選り好みする意地悪さんには言いたくありませーん」

不破が歩み寄ると、黒川はひょいと腰を上げ、軽やかな足取りで身を躱した。




紫煙と長髪を靡かせて、プジョーの周囲を歩き回る黒川の、タイトスカートの尻を凝視した不破が両手を広げ、ピッタリ後をついて追いかけ回した。

「何だよ! スゲー気になるじゃん! 教えろ! そいつは誰なんだ!」

「知りませーん」

「そいつは一般人なのか!? それともヤバいヤツ!? どっちだ!」

「わかりませーん」

「ちょっとだけ! ねえちょっとだけ、名字だけでもいいから教えて!」

「言いたくありませーん」

「ああーもう気になる、せめてイニシャル、イニシャルだけでも!」

中腰で黒川を追う不破の眼前で、張り詰めたスカートの尻が動きを止める。

「まぁイニシャルだけならいっか、特別に大サービスね。Y・Kさん」

「Y・K……イニシャルじゃわからん! どっちが苗字、どっちが名前!?」

「さあねー」

「クソ、半端に聞いたらますます気になる! 教えてくださいよ黒川様!」

殆ど懇願に近くなった不破の様子に、黒川がニヤリと笑って振り返った。

「教えて欲しい?」

「教えてくださいお願いします、誰か分からないと俺は夜も眠れねぇ!」

「教えて欲しかったら、やるべきことがあるんじゃないかなぁ?」

「何でもやります! 教えてもらえたら何でもやりますから!」

「フフ、いいこと聞いちゃった……今何でもするって言ったわね?」

しまった、と口元を押さえた不破に、黒川は勝ち誇った笑みを浮かべ顔を寄せた。見下ろす不破に、黒川のブラウスの胸元から素肌が覗いた。


――07――


繁華街の裏通り、ロシア料理店『ダーチャ』から筋二つと離れた場所にある、道路沿いの喫茶店『ハイランダーズ』。山田は卜部と共に店に歩み入る。

卜部はアロハ姿に日焼けした肌とウェーブがかった茶髪で、その胡散臭さはやはりジョニー・デップにそっくり。とても公安警察には見えなかった。

「いらっしゃい。お二人さんですか」

「そう、二人。二人ともホットコーヒーね。俺はミルクたっぷりで」

「私はブラックで」

「はいよ」

卜部は山田に店の奥を指で示し、カウンターの突き当りに2人は座った。

「それでだ。お前、本当に不破と……っと、奴さんと会ったのか?」

「フワ、と言うのか。お宅の口ぶりからすれば、一般人ではなさそうだが」

山田はシガレットケースから抜いたチュービングタバコを咥えつつ、頭を振る。

「会ったのか、会ってないのか、どっちなんだ?」

卜部がしつこく追及しつつ、皺くちゃのドラムの包みと巻紙をズボンのポケットから取り出す。巻紙に手巻き葉を乗せて整え、慣れた様子で手巻きタバコを作った。

「会ったさ。顔が解らなきゃ、そのフワってヤツかどうかも分からんがな」

二人は次々とライターで火を点した。彼らの頭上の壁では換気扇が忙しなく回り、紫煙を吐いた傍から次から次に、屋外へと掻き出していた。

卜部はフムンと唸って、ジェミニ・PDAを取り出した。一見ただのスマホに見える携帯電話は、本のように横二つに折れ、物理キーと画面が展開される。

「お前が見た男は、こいつか?」

卜部がノートPCめいたPDAをカチカチと操作し、画面をフリックしてカウンターを滑らした。山田の前に現れた画面に……不破の写真が映し出されていた。




サイフォンのコーヒーが沸き、店主はフラスコを外すと底部を撫ぜた。上下二層のフラスコ、水を入れて加熱した下層に真空状態で発生した負圧が、上層の開放部で豆の粉と混ぜ合わされ、コーヒーと化した褐色の水を、下層へと引き込んでいく。

店主はフラスコを傾け、30年前に流行ったような花柄のボーンチャイナのカップにコーヒーを並々と注いだ。口髭を蓄えた店主は無駄のない動きで、片方のカップにミルクを注ぐと、ミルク入りを山田に、ブラックを卜部に渡した。

「お待ちどうさま」

店主に上の空で店主に会釈を返す二人。卜部はPDAに視線を向けたまま、手にしたコーヒーを口に運びかけ、口に入れる寸前で気づいてカップを取り換えた。

「もうッ! 俺がミルク入りだって言ったじゃん!」

「そう怒るなよ。取り換えればいいだけだろう」

声を殺して怒る卜部に、山田はぞんざいな答えを返す。PDAの5.99インチ液晶に映る不破の写真を食い入るように見つめ、山田は溜め息と共に紫煙を吐いた。

「この男、何者だ?」

「殺し屋だよ。ヤツはフリーだから、金さえ出せば誰の仕事でもするがな」

「誰の仕事でもするって感じの顔じゃないな。癖の強そうなヤツだ」

「見た目はともかく、腕は確かだ。例えばカレイドケミカル強襲とかな」

山田は真意を質すように卜部を一瞥した。卜部はカップを手に頷いた。

「重武装の私設警備隊を突破して、誘拐された女を奪還。カレイドケミカル社は、襲撃後に生物兵器の製造計画が何者かにリークされ、株価が大暴落……」

「御伽噺みたいってか? まぁ噂と言えば噂だ。とはいえ、ヤツが襲撃に関与した状況証拠を、俺たち公安はある程度掴んでいるんだがな」

「なぜ逮捕しない?」

「危険だからな! 信管を繋がれた爆弾に、それと知ってて近づける肝の据わった人間は限られる。ヤツを捕らえるなら共倒れを覚悟せにゃならんからな!」




2人はコーヒーを半分ほど飲むと、新しい煙草に火を点けた。

「で、お前はヤツと話したんだろう。何か話を聞かなかったか?」

「特には。私の車について根掘り葉掘り聞いたぐらいだな。流石に初対面の人間に口を滑らせて裏稼業の話をするほど、ヤツも馬鹿じゃないだろう」

「同感だな。ともあれ、お互いに情報が手に入って良かったろう。持つべきものは何とやら、だな。おかげで、に躊躇する時間が無いことが良く分かった」

「やけに切羽詰まってるじゃないか。そのに私は入っているのか?」

「いいか、山田。、お前の力が必要なんだ」

「まだ受けるとは決めてないぜ。いやちょっと待て、今お前と言ったか?」

「そうだ。何せギャング狩りとはワケが違う、お前一人の力ではどうにもならん。というわけで『椛谷カバヤソーシャルコミュニケーションズ』に白羽の矢が立つわけだ。装備と頭数を揃えて、迅速かつ確実に、最優先で片付けてもらう必要がある」

「『ソーコム』まで巻き込む気か? 依頼人は誰だ? 公安? 警察上層部?」

卜部は煙草を挟んだ指を口元に立て、チッチッと舌を鳴らした。そしてウィンクを見せようとして、紫煙が目に染みて軽く噎せた。

「まあその辺は……な。非公式だから。ともかく、最近ちょっとヤバい噂がウチの情報網にかかってる。ネタの真偽を確かめる『調査』要員が欲しいんだ」

「それ、本当に『調査』で済むんだろうな?」

「婉曲表現さ、奥ゆかしいだろ。本当に済むなら自分らで踏み込んでる」

「回りくどいな、本題にさっさと入ったらどうなんだ」

うんざりした表情で山田が言うと、卜部は不敵に笑ってPDAを操作した。


――08――


「カレイドケミカルから流出した、殺人ウィルスの血液サンプル!?」

「声がデカイわよこのバカ!」

大声で喚いた不破の股間に、黒川が戒めの膝蹴りを入れた。

「アーッ!? ……な゛せ゛こ゛か゛ん゛を゛け゛っ゛た゛……」

股間を押さえて蹲って悶絶する不破を、黒川はゴミを見る目で見下ろした。

「サンプルは既にカレイドの手を離れているから、カレイドからの流出というのは少し違うけど……まあ結局、あんたの昔の仕事の延長みたいなもんでしょ」

「みたいって何!? 俺ちゃんと仕事したもん! 100%オールOK!」

不破はキレ気味に言葉を返し、顔を上げて黒川のスカートの中に燦然と輝く金色のショーツを直視して、目の眩むような顔で嘆息し頭を振った。

「オゥ、ゴールド……お前そんな派手なの穿いてるなんてちょっと引くぜ」

「み、見たわねッ! 下着は何をつけても自由だろうがキーック!」

「ゲボーッ!?」

顔面を蹴られて転がる不破、黒川は足元に吸い殻を放り、パンプスの靴底でタバコをもみ消し、腕組みして閻魔大王のように厳然と見下ろした。




「よぉーし、もう怒ったわ。あんたの仕事の尻拭いがちゃんと出来るまで、あんたの愛しの旧車友達のお名前は絶・対・に、教えてあげなーい」

「ハァ、ずりぃ! 本来は手前の仕事なんか絶・対・に受けねーんだぞ!」

「だって、あんたって言ったモーン。男に二言があるっての?」

「あるッ! でも、俺の旧車仲間が誰かってことも知りたい! 今すぐ!」

「あんたが嫌なら他に仕事を持ってくだけよ。どうする? やめる?」

黒川は運転席に乗り込む仕草をして、不破に手をヒラヒラと振って見せた。

「ぐぎぎッ何と卑劣なッ……やりますぅ、是非ともやらせてくださいぃ!」

黒川は会心の笑みを浮かべ、運転席のドアを閉じて不破の前に歩み出た。

「よろしい」




不破 the Desperado VS 山田 the Killer

【第3話:男の思惑、女の策略】終わり

【第4話:蘇る悪夢】に続く


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Written by 素浪汰 狩人 ~slaughtercult~


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