精霊とアップル
翌日、私が朝食を終えるとアンナが遠慮がちに声をかけてきた。
「あの、今日は特にご予定などはありませんか?」
「うん、特にない」
彼女は少し申し訳なさそうに私に向かって切り出す。
「実は昨日の菜園での件を見込んでシルアさんに頼みたいことがあるのです。ご客人にこんなこと頼むのも気が引けるのですが……」
「別にいいよ」
私が承諾すると、アンナは表情をぱっと輝かせる。
封印の儀に備えて魔法の練習をしておきたいと思っていたけど、野菜や果物を育てるのは精霊の力を使っておく練習としては悪くない。ただの練習よりも目標があった方がやる気も出る。
「私はご客人のお世話の他に王宮の菜園の管理も任されていて、たまに異国から珍しい野菜や果物が入ってくると種をもらえるのですが、どうしてもこの地ではうまく育てられずにいたものがあるんです」
「何の種?」
「アップルという果物です。苗木までは育てたのですが、土に植えるとうまく育たなくて」
アップルは赤くて丸い果物で、私は一度だけ食べたことがある。確か異国のフルーツ盛り合わせとして切って出されたけど、シャキシャキとした食感と濃厚な甘味がおいしかったのを覚えている。確かにこの辺の地域で育てているという話は聞いたことがない。
「あれって確か北国の方で育つ果物だったっけ」
「そうです。とはいえ、すでに育ちかけていたキャロットと違ってアップルは樹木になるのでそんなすぐにという訳にはいかないと思うのですが」
初めてワイバーンを倒した時はその辺の草を急成長させることも出来たし、出来ないことはなさそうだけど。
一応私はノームに訊いてみる。
「いけそう?」
(気候や土が整っていれば)
「どんな気候なら大丈夫かは分かる?」
ノームが再び頷く。
それならやってみる価値はあるか。
「分かった、うまくいくかは保証出来ないけどそれでも良ければやってみよう」
「はい、元々私だけではうまくいかなかったので、それでも十分ありがたいです」
そんな訳で私たちは昨日と同じ菜園に向かった。よく見ると、野菜が植えられている隣には果物の木が生えているエリアがあり、オレンジなどのなじみ深い果物が実っている。その一角に何も生えていないところがあった。きっとアップルを植えるためにスペースを残しておいたのだろう。
(少し暖かいし、じめじめしすぎている)
ノームがつぶやく。温度と湿度なら水の精霊が一番近いのだろうかと思い、私はウンディーネに声をかける。
「温度と湿度を調節することは出来る?」
(この周辺の水分を全て凍てつかせることは出来る)
極端だな。でもそうすれば湿度は下がって温度も下がるのだろうか? 確かアップルは雪国でも育っていたはずと思い、ノームの方をちらりと見る。
(アップルは水が凍るくらいの温度なら大丈夫)
「じゃあやってみよっか。アンナ、木を植えて。そしたらウンディーネは大気を凍らせて、あと一応シルフは冷気が他に漏れないように風をお願い」
(分かった)
すると急激に周囲の気温が下がっていき、辺りにうっすらと雪のようなものが積もる。突然周囲の気温が下がったので、私は思わず身震いする。本当にこの周辺だけの狭い空間の出来事だったが、それでも一瞬でここまで変化させることが出来るとは。
驚いていたアンナだったがすぐに苗木を植えると、周辺の雪を丁寧に取り除いた。日常的にこういう作業をしているからだろう、その手つきは慣れたものだった。というか、精霊の魔法(?)に慣れすぎではないだろうか。すごい適応力だ。
「植え終わりました」
「分かった。グロー・プラント」
そこで私はノームの魔力を借りて苗木に成長を促進させる魔法をかける。すると苗木はゆっくりと成長していく。いや、本来の速度と比べればゆっくりどころか何千倍もの速さなんだろうけど。何度見てもまるで時の流れが速くなったかのように植物が伸びていくのはすごい。
そこでふと傍らのイフリートが寂しそうにこちらを見てくるのに気が付く。ノーム・シルフ・ウンディーネはそれぞれ出番があったから一人だけ出番がないのが寂しいのだろうか。
「それなら私たちの周囲を温めてくれるとうれしい」
(分かった)
イフリートはちょっと嬉しそうな顔をして、私とアンナに近づいて来る。すると凍えそうになっていた私たちの周りだけ少し温かくなる。作業に夢中で気にしてなかったけど、このままだったら風邪でもひいてしまっていたかもしれない。
目の前の木が育っていくのを見るのも楽しいが、精霊の力を使うことに少しずつ慣れていくことが出来たのもうれしかった。
そしてしばらく時間が経ったあと。
「すごいです、今まで苗木を植えるとすぐ枯れてしまっていたのですが、今回はちゃんと成長しています!」
木はすくすくと伸びていき、青々とした葉っぱを枝につけている。それを見てアンナは目を輝かせながら言う。
「本当だ、精霊って何でも出来るんだね」
一方、それを見てノームが私にささやく。
(そろそろ育ってきたので周囲の気候は元に戻して大丈夫)
それを聞いたウンディーネが力を使うのをやめる。ある程度育てば幼木ほど周囲の気候には左右されないということなのだろうか。
ようやく周囲の気候が元に戻り、うっすらと地面を白く染めていた雪も溶けていく。
その後も木は緩やかに(本当は何百倍か何千倍の速度で成長してるけど、目に見える速度はゆっくり)成長していき、やがて立派なアップルの実をつける。ノームの力で育ったからか、実は鮮やかな赤色だ。
「こんな立派な木が半日で育つなんてことあるんですね」
「正直私もここまでとは思わなかった」
ある程度まで育てて、残りは明日とかにしようと思ってたのに、まさか数時間で実をつけるなんて。
「ではお待ちかねのアップルパイです」
その日の夕食後、アンナは満を持してアップルパイを持ってきてくれた。アップルの甘いかおりが室内に漂い、夕飯を食べたばかりなので食欲がそそられる。見た目もこんがりと焼けた薄い茶色になっていて、とてもおいしそうだ。
「すごい、いいにおい」
「はい、今日も自信作なんですよ」
そう言ってアンナがパイを切り分けてくれる。
フォークを入れると、パイはさくっと一口分に切ることが出来た。
口に入れると、パイ生地はさくっとした食感で中のアップルはとろとろになっていた。噛みしめると口の中いっぱいに甘味が広がり、本当にほっぺたが落ちそうな気分になる。
「すごい……」
「はい、こんなに甘いアップルは私も初めてです」
口に入れるたびにパイ生地はさくさくと砕けていき、アップルの甘味が広がっていく。
私たちはしばらくうっとりとしながら無言でフォークを動かし、気が付くと目の前のパイはなくなっていた。それを見てアンナが少しだけ後悔したような表情になる。
「だめだ、全部食べてしまった……」
「うまく出来たので他のメイドにもおすそ分けしようと思ったのに……こんなはずではなかったのですが」
私たちは昨日と同じあやまちを繰り返してしまっていたのであった。
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