第7話

 この申し出に、「よろしいのですか? ええ……まあ、本来ならば図々しく上がり込むのはご法度なのですが、滝沢様と私の仲ならば――」と言いながら、すでに靴を脱ぎ始めている。

 靴下はやはり思ったとおり、黒の透け透けだ。

「どんな仲なんだよ。誰も居ないから何にも出せないけど」

「いえ、お構いなく。滝沢様は一人っ子でお父上は単身赴任、お母上は助産師として大活躍、勤務は夜勤ありの交代制、故に大抵はお一人で過ごしてらっしゃることは承知いたしております」

 どこで調べたのか、渡邉は家族構成と状況を完璧に把握していた。

「……はあ」

 彼はすっかり自信を取り戻し、俺の差し出した座布団を脇によけた後、畳に正座して話し始めた。

「それでは、具体的なご説明をさせていただきます」

 返事を待たずに、テーブルの上に契約書、そしてその隣に一枚の紙を並べた。それには『附則』という文字が書かれていた。

「附則とは附帯規則――いわゆる本則の補助的な規則のことでございます」

「契約書の補助規則ってこと?」

「さようでございます」

「ふーん……まだこっちのほうが分りやすそうだな」

 俺は二枚の紙を見比べながら言った。

 それを見た渡邉は、満足そうに頷き「それでは、第1条よりまいります」と、声も高らかに内容について説明を始めた。

「第1条は、人に言っちゃいけないんだったよね?」

「いかにも。そして附則はこのようになっております」



第1条 この制令及び契約内容を他人に話してはならない

万が一他言した場合には権利を履行していない者がこの者についてその権利を発動しなければならない



「これがさっきの――」

「……はい。私がつい漏らしてしまいました、例のことにかかるものでございます」

 口に手を添えてコソコソと話す。例のことは、具体的には言いたくないらしい。

「なるほど……って、あれ? ねえ、ちょっとこれっておかしくない?」

「はっ!? おかしい!?」

 鳩が豆鉄砲くらったような顔で渡邉が聞く。

「うん。おかしいってか、さっき小池とかいう人の名前出したとき、自分を殺してくれって言ったよね?」

「はい、申しました。こちらにございますとおり、他言してはならないことを私は口走ってしまったのでございます。本来ならば滝沢様か……小池様、お二人のうちどちらかに殺されなければならないのです」

 思い出したのか、言いながらだんだんと元気がなくなってきて、最後にはうなだれてしまった。

「でも俺、渡邉さんも三人のうちの一人って知ってるんだけど?」

「えっ? ええ、それは私自ら最初に申しあげましたので、もちろん滝沢様がご存じないはずはございませんけれども」

 渡邉は、何を当たり前のことをといった風に答えた。

「ってことは、小池って人の名前を言った言わないの前に、渡邉さんは自分が人殺し権の試験の権利持ってるって俺に言ったんだよね?」

「はい。ですから先ほども申しましたように、私はその権利を使――あっ!」

 俺の言いたいことが、ようやく分かったらしい。

「でしょ? だから、最初っから渡邉さんは、他言してるってこと。だから、残りの二人は渡邉さんが権利持ってること知ってるし、渡邉さんは俺たち二人が権利を持ってることをもちろん知ってる」

「なんと……!」

 わざとらしいほどに目を見開いている渡邉は放っておいて、俺は頭の中で関係図を描きながら続けた。

「ということは、三人の中に選ばれた渡邉さんが話しに来ること自体がもう矛盾してるし、自分が選ばれてるって俺に話さなきゃいけないなら、尚更だ」

「いっ、いかにも……おっしゃるとおりでございます」

 渡邉は俺の話を聞きながら、先ほど新しく出したチーフで汗を拭きはじめた。

「だよね? ってことは、この第1条は選ばれた三人の間では無効ってことになるんじゃない?」

「なるほど。たしかに滝沢様のおっしゃるとおりでございます。そうでないと話が合わなくなるような気がしてまいりました」

「気がするんじゃなくて、そうなんだよ。ってことで、俺は渡邉さんを殺さなくていいし、渡邉さんも二人から殺される必要がなくなった」

 この結論を聞いた途端、渡邉はみるみる機嫌がよくなり「さすがは滝沢様! 私は一目あなたを見たときから、凡人とは違う何かを感じておりました」と、まるっきりお世辞だと分かることを言ったりした。

「あ、ありがと。それから」

「おや、まだ何かおかしな点でも?」

 渡邉からは俺を訝しがる様子が消え、話を聞く体制に変わりつつある。

「おかしいというか、分からないことがあるんだけど」

「何でございましょう」

「うん。他言した人を残りの人が殺すなら、残った二人がなんか不利なんじゃないかと思って」

「不利、でございますか?」

「だって、それならさっさと誰か本当に殺したい人を殺しといたほうが――って、あれ?」

 言いながら何かに引っかかった。

「どうかなさいましたか?」

 あまり心配してない様子で渡邉が聞いた。

「えっと……先に二人がもう権利を使ってて、残りの一人が言い触らしたときは? その時はどうなるんだっけ?」

 この質問を聞いた瞬間、渡邉の眉がピクッと動いた。

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