第四夜 餞別
「ねぇ」
足元の藁。夜空を運ばれる振動で、私は今まで上手く立てていない。
それでも懸命に身を起して、ダスクに声をかけた。
「何だ」
眼下の町を見下ろしたまま、言葉が返ってくる。
「あなたは、いつからこんなことをやってるの」
「……少なくとも、君は生まれるよりずっと前だ」
その言葉がどんな意味を持つのか、今の私にはもう理解できていた。
そして、ダスクもまた分かっていたのだ。私が何を考えているのか。
「『神』に喰われた魂がどうなるのか、知りたいか」
ダスクの視線が私に向く。頷くと、固唾を呑んで答えを待った。
「その魂は取り込まれ、この世から消える。死者の国にも行かず、輪廻転生することもない」
予想してた答えだった。
夜界に来るのは死者と、睡眠中に魂が肉体から離れた生者だとダスクは言った。つまり、この夜界に居るのは魂だけ。
その魂が死者の国へ行かずにこの夜界で死んだなら、どうなるのかなんて明白だった。
「どれだけの魂を、犠牲にしてきたの」
「僕に道徳を説くのか?」
意図した以上に言葉が攻撃的になってしまったかもしれない。私を睨むダスクの眼は、物語っていた。これ以上の話は打ち切りだと。
だからそれ以上、何も言えない。
「……そろそろ誰か来ると、思ってた」
「……嘘」
あるマンションの一室。薄暗い部屋でその女の人は座っていた。
寝巻なのだろうか、ゆったりした服を着て、長い黒髪。意識しなくても視線が惹きつけられるような、そんな整った顔立ちをしていた。テーブルの上にグラスがあり、何も入っていない。
彼女は気怠そうに椅子に座り、私達に気づいても動揺しなかった。
私は、その人を知ってた。テレビや雑誌でだけど。
「さっきまで飲んでたブランデーと薬が消えてる。それに、さっきまで死ぬほど苦しかったのに、今は何ともない。頭痛も目の痛みも。いつからか覚えてないくらいずっと痛かった」
その独白の後、彼女は私とダスクを見つめる。
「お迎え?」
「それは、アンタの解釈による」
言いながら、ダスクは先の二人、いや私も含めて三人にしたように、両手で四角を作って女の人を眺めた。
しかしそんなやりとりも、驚愕で頭が真っ白になった私には知覚できていなかった。
「ナギ、彼女を知ってるのか?」
「うん……シンガーソングライター。何曲か出してて……でも最近活動してないなと思ってた……」
本人を前にして言うのが、少し怖かった。こんな状況だから猶更だ。
「私も……ファンだった」
その言葉を聞いて、彼女は私を見た。その目元には泣き腫らした跡がうっすら見える。
「あの……どう、して」
「病気か」
「そうみたい。医者に嫌な思い出があってね。結局それが最期まで祟っちゃった」
思わず頭を抱えて、その場を蹲った。
彼女の歌を覚えてる。彼女の声を覚えてる。人生の中で何度か、励まされた。そのおかげで行動できたことだってあった。
だから、そんな理由で死んでいい人じゃなかった、それだけは確かだ。
「何なの……何なの、今日」
「ナギ、ある意味運が良いな。今宵の死者は錚々たるメンバーだ」
「それで、アンタは私を連れに来たの?」
彼女の問いに、ダスクが笑みを浮かべるのが見える。
そうだ、驚き過ぎてて忘れてた。ダスクは、この人を――
「苦痛や苦悩を常時抱え、仕事仲間と衝突し、四六時中鬱に苦しみ……アンタ、ろくでもない人生だったみたいだな」
「分かるんだ。うん、その通り」
彼女はテーブルに頬杖をついて、私達を見ている。
ダスクはゆっくりと歩み寄った。
「何にも囚われず、ただ歌う。その時間だけが、それだけがアンタの幸福だった」
そこまで言って、やっと両手で作った四角を解くダスク。
「そう。その時間だけが、私にとっての自由だった。長く歌えない、病弱なこの身体が憎くて仕方なかった」
「……思った通り、極上の魂だ」
ダスクが、前の二人の時に浮かべたのと同じ笑みを、口元に浮かべるのが見えた。
それを目にした瞬間、私はもう駆け出していた。
「ねぇ!!」
息を切らせて呼びかける私に、彼女が視線を向ける。ダスクもまた、煩わしそうに私を見ていた。
「何で、そんな受け入れてるんですか……!?」
私が急にこんなことを言い出したので、呆気に取られたのかもしれない。彼女は黙ったままで、それでも私は言葉を振り絞った。
「歌うのが好きだったんですよね!?私もあなたの歌が好きだった!!なのに、どうして……!!」
その問いに、彼女は答えなかった。その代わりに、椅子から立ち上がって私に近づく。
「ありがとう」
「けど、ごめん。もう疲れたんだ」
「何で……あなたを好きな人、いっぱい居るのに……!!」
「うん。それについては感謝してる。私の歌を聞いてくれる人、歓声、笑顔……そういうのをライブで感じる度、どうしようもなく心が躍った。身体が、時間が許してくれるなら、いつまででも歌ってたかったよ」
「でもね、それだけじゃ駄目だったんだ。いつしか人と話すのが辛くなってね。歌う喜びより、苦しい時間の方が大きくなっていった。しんどくて、もうどうしようかと思ってた」
「だから、潮時だったんだよ」
ここまで言われては、引き下がるを得ない。普通なら。そもそも彼女はもう死んでいて、それを覆すことなんかできない。それは分かってた。分かってた筈だった。
「駄目です、あなたは、私なんかより恵まれて、才能もあって……」
「駄目なのは今の言葉だよ」
尚も言おうとする私の肩を掴んで、その人は押し留める。
「私はね、運命って言うと陳腐になっちゃうけど……人が今いる場所ってさ、その人が居なきゃならない理由があるんだと思うんだ」
「……それは、どういう……?」
「あなたがどうしてここに居るのかは知らないけど、私と違って何か理由があるってこと。勘だけどね。それに、きっとこうして出会ったのも縁って奴だ」
そう言うと、彼女はゆったりした服を脱ぎ、インナー姿になった。そして傍らに視線を移すと、そこにある棚を開ける。
中のハンガーには、ジャケットがかかっていた。彼女は微笑んで、それを羽織る。
「ねぇ、ここにあった筈のギターが無いんだけど、アンタ知らない?」
「夜界だからな。現世で誰かが持って行ったなら、ここには無いだろう」
「そっか。じゃ仕方ない」
そう言って息を吐くと、彼女は。
歌を口ずさみ始めた。
茫然とする私の耳に、その歌が木霊する。
歌いながら窓を開け、ベランダに行き。夜空に向かってどこまでも、空気を震わせる。
そのバラードが、私の耳から、心に沁み込んで行った。
人の命の儚さを想い。
一生の短さを憂い。
感情の発露を称え。
潜在する力を示す。
私が一番、好きだった曲。
まるで励ますように、彼女は最後に私と視線を交わしながら、歌い終えた。
歌が終わり、声が途切れても、私はその場から動けなかった。
その歌詞の一つ一つ、その言葉の一つ一つが私に向けられたように感じたのは、多分自惚れだろう。
「満足したか?」
彼女に、ダスクが問いかける。
今までで一番充実したような表情で、彼女はゆっくり頷く。
「待っ……!!」
その瞬間、彼女の足元の床が開いた。
いや、床じゃない。いつのまにか床から現れていた、『神』の顔だった。
急に開かれた口の中へと、彼女は落ちていく。
私が伸ばした手は、届く筈も無くて。
けれど、彼女のその眼はずっと私を見ていて、ただ微笑んでいた。
「さて、今日の収穫は以上だ」
その言葉を合図に、私とダスクはまた『神』の掌に持ち上げられる。
振動でその場に座り込む私に、ダスクは視線を向けた。
「さぁナギ、君の真相を暴きに行こう」
「……どうして、あの人を」
「価値があったからだ、その魂に」
私はダスクに目を向けた。多分彼からは、私の眼が敵意に満ちているように映ったのだろう。彼が顔をしかめるのが分かった。
「一体、あなたは何をしようとしてるの」
「君に教えて何か意味があるのか?」
「私が、知りたいだけ」
あからさまに面倒そうに、ダスクは私達を持つ『神』を見上げた。その『神』は相変わらず、どこかへと向けて歩き続けている。
「自由のため」
「自由?」
「今宵だけじゃ君には理解できまい」
それだけ言って押し黙ると、ダスクは再び眼下の町を見下ろす。私はそんな彼の横顔を見つめることしかできなかった。
やがて時間が経ち、彼がポツリと言う。
「そろそろ着くぞ」
「着くって……どこへ」
「君が死んだ場所だ」
その言葉に、私は生唾を呑み込んだ。恐る恐る、藁の隙間から下を見る。
そこにあったのは、記憶の中で私が通っていた、高校だった。
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