コミュニティ崩壊属性


 クロノとヒメリは喉をごく、と鳴らし同時にアリスの不穏な言葉を繰り返した。


「「人間関係、リセット症候群……?」」


 アリスは白い口髭の前に人差し指を立て神妙な面持ちで言う。


「あなたたちの周りにもこんな子いなかったかしら? 今まで仲良く遊んで連絡もしあってたのに、急に音信不通になって、グループから抜けてしまう子」


 アリスの出した喩えに、ヒメリは思い当たるものがあった。


「あ、いますいます。私の学校でも仲良かったのにいきなりいなくなっちゃう子いました。みんなでご飯行ったりもしてたのに、なんでだろうってみんな不思議がってて」

「げえっ、めり子。お前リア充だったのかよ……」

「リア充って言葉ももうなんか古いですよね」

「…………」


 カウンターを受けてクロノは静かになる。話を続けた。


「そういう子はね。一度に人間関係を全部清算したがるの。元々気を遣いすぎる傾向があって、それに疲れて自分に繋がってる全ての糸を切り離してしまいたくなるのね」

「気を遣いすぎる……確かに、その子はよく周りを気に掛けて声をかけてたりしましたけど……わたしはよく気がつく良い子だなって思ってました」

「そ。嫌われないようにって気張って、細かいことにも気がついて。でも結局疲れちゃうのね。ある日その緊張の糸がぷつんと切れて、リセットしてしまいたくなる」


「なんとなく、言いたいことはわかりますけど……」

「そういう傾向を持った人は、特にオンラインゲーム、MMOとか人間関係が長期化しやすい世界でそれが顕著になりやすいの。リアルほどのしがらみはないし、関係性はシステムで縛られる程度だから、関係を切りやすいって側面があるのね」

「はー、なるほど……」

「つまり、クロノくんはそれってことよ。言うなれば、オンライン型人間関係リセット症候群ってとこかしら。名前を変えてしまえば自分を知っている人はいない。見つかる不安を払拭して新鮮な気持ちに簡単になれてしまうのね。クロノくんくらいになると、まあ、精神疾患とまで言ってしまうと大袈裟かもしれないけれど、百回も名前を変えるのはやり過ぎね」


 アリスの説明が終わると、クロノはよろ、とふらつきながらカウンターから離れ、天を仰ぐ。


「お、……俺が……名前……はは、俺がそんな……精神、疾患……?」


 神を見上げるような体勢でクロノはなんかショックを受けていた。


「まあ、クロノくんの場合はメンタルがちょっとあれなのもあるけど、悪い子じゃないし、本人に責任はないのよね。いざこざに巻き込まれることの方が多いっていうか」


 続けたアリスの言葉に、ヒメリはちょっと顔を顰めて眉を寄せる。


「でもそれって、勝手にいなくなられた方は悲しいです。急に嫌いになられたみたいで」


 俯くヒメリに、アリスは微笑みかける。


「貴女の気持ちはわかるわ。そして私は、消えてしまいたくなる気持ちの方も理解できる。私だって、そうしてしまえば楽だろうなって思ったのは一度や二度じゃない」

「そうなんですか?」

「私もね、一時期彼と一緒のリーグにいたのよ。コンクエストリーグだったんだけど」


 カップを傾けながら、アリスは物思いに馳せるように天井を見上げる。


「もちろん彼は今と違う名前だったんだけど、その時は仲間たちとも上手くいってて、一度は公式サイトにもリーグ名が載るほどの勢いがあったんだけど」

「クロノさんも実力はあるってことなんですね。メンタルはともかくとして」


 ヒメリの真顔の感想に、アリスは苦笑しながら続ける。


「あるとき、すごくレアな装備を一つ手に入れたの。でもそれをみんなが欲しがって、取り合いになりかけて空気がピリピリしはじめた。こんなとき、ヒメリちゃんならどうする?」

「う、うーん。順番に使っていく、とかですかね」


 安直な意見だと自分でも思ったが、アリスは頷いてくれた。


「そうよね。きっと誰もが最初にそれを提案すると思う。私たちもそうだった。でもね、それは一時的に所有権を放棄するということでもあるの。でもそれ自体は問題にならなかった。私たちのリーグは厚い信頼で成り立っているとみんなが信じていたし、今後も同じようにレアアイテムを取り続けていずれはみんなが手に入れる未来に疑いの余地はないと信じ切っていた」

「まさか……」

「そう、仲間の一人がアイテムを持ったまま忽然と姿を消したの」

「ひどい、ですね……」


 アリスはカップに残った飲料をころころと回すように動かしながら中身を覗き見る。おそらくそこには、悲哀の詰まった思い出が映っているのだろう。


「私たちのリーグは責任の所在を巡り会って、結局解散する道を選んだ。クロノくんがリーグを脱退したのはその少し前よ。私も最後までなんとか取り纏めようとはしたけれど、みんなの失望によるモチベーションダウンの方が大きかった」


 アリスはふいに視線を脇に向ける。そこでは若い男たちがせっせと働いていた。


「私は私を支えてくれる男の子たちがいたからこのままでいようと思うことができたしここまでやり直すこともできたけれど、中には完全に引退を決意してしまう子たちもいたわ」

「仲間としては辛いですね、それは……」

「まあね。それからしばらくしてからよ。クロノくんが名前を変えてゲームを続けているって知ったのは。私が話を聞いた限りじゃ、それ以降も、クロノくんは似たりよったりのトラブルに巻き込まれてリーグを抜けていったらしいけれど」


 アリスの俯いた両目には、悲しげな同情が湛えられていた。


「最初は抵抗もあっただろうけど、何回も繰り返す内に感覚が麻痺していっちゃうのよね。脱皮のように自分の名前を捨てて、新しい自分に生まれ変わる。名前を変えるだけなら育てたレベルや集めた装備やお金は無くならないから、心理的抵抗も少なくて済むでしょ?」

「なるほど、それが何度も繰り返されて、名前を変えることに一切抵抗がなくなってあんな回数になっていったってことですか」


 巻き込まれていることが多いとはいえ、それが九十九回も。


「つまりそれだけ、リーグを渡り歩いてきたってこと、ですね……」


 ヒメリはなんとなく感じ取っていた真実を突きつける。


「っていうかむしろクロノさんがリーグクラッシャーなのでは?」 


 たまにいる。組織や集団に入ると何もしてないのになぜかしょっちゅう壊滅していくコミュニティ崩壊属性を持つ人。

 会ったときの意趣返しのつもりでそんなことを冗談で言ってみると、


「俺が悪いんじゃねーし! あいつらが勝手に争って解散していってるだけだし!」


 そこはしっかり聞いていたクロノが反論してくる。


「まあそんなこんなで。クロノくんはリーグへの恐怖心から、大厄震(スパポジ)の後もソロで活動してるってわけ」

「なるほど」

「ちげーし! 厳選してっだけだし!」

「スパポジの後じゃソロでもできることは限られてるし、彼の資産状況なら別にここで働く必要はないと思うんだけど、結局寂しいのよね。昔を知ってる私を頼ってきちゃって」


 うふ、とアリスはごつい身体をくねらせる。


「ああ、それで高レベルなのにあんなとこいたんですね」


 納得ずくしのアリスの説明に、ヒメリはうんうん頷くばかりだった。


「ちげっし! 可哀想な初心者を助けてやってるだけだし!」

「まあでも、慎重になることは今では大事なことよ。特に大厄震(スーパーポジシヨン)のせいで、私たちは自由に元の現実世界に帰れないんだから」

「帰れない……」


 自分でも理解していたつもりではあったが、改めてベテランのプレイヤーに告げられると心に重くのし掛かってくる。

 ヒメリが俯き、ぼそりとそう呟いたときだった。


「アリス姫! 俺は諦めないぞ!」


 扉をぶち破るように飛び込んできたのは、これまた見覚えのある顔だった。


「確かあの人もさっき広場に……」

「まったく、しつこいわね」


 アリスも溜息を吐いて鬱陶しそうに手を払う。


「さあ、アリス姫! 俺と行こう! 夢の都、ブリューナへ!」


 男がずかずかと入ってきて、アリスの立つカウンターを乗り越えようと足をかけたそのときだった。





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