少年の名は


「――月影降牙ゲツエイコウガ


 突如声が割り込み、少女は目を見張った。

 草生い茂る地面の中から、少女とビヨンドの間を遮るように、身長を超えるほどの巨大な三日月状の幻影の刃がせり上がった。


「ひゃあ!」


 そのインパクトに腕で顔を守りながら驚く少女と同様に、ビヨンドも目の前に現れた攻撃エフェクトに驚き急停止。その隙に、少女の横からひとつの影が近付いた。

 茂みの中から出てきたその影は、軽装鎧を身に着けた黒髪の、そして煌々と光る赤目の少年だった。左右の手にそれぞれ赤と青、色の異なる刃を持つダガーを握り、交叉させて構え、ビヨンドを見据えたまま少女に告げる。


「動くなよ。こいつは角を傷つけずに狩るのが面倒なんだ」

「へぇっ!?」


 少女は杖にしがみつきながら、聞こえてきた声への返答に悲鳴を混ぜる。

 威嚇なのか苛立ちなのか、ビヨンドは激しく頭を振り回し地面を前肢で蹴り上げる。牛さながらの興奮を見せ、少年にターゲット変更。

 自らの体温で蒸気と化した白煙の息を口から吐いて、突進を再開。加減を知らない獣の乱暴な踏み込みが、地面を捲り返らせ空気中には土が舞う。


 少年はビヨンドが自分に向かってきていることを確認すると、軽いサイドステップで少女から距離を取った。ビヨンドは突進しながらわずかに方向を変え、少年を追う。

 衝突する寸前に少年はバク転で回避。少年と少女の間、一メートルも離れていない場所を、風を巻き起こしながら勢いよく通り過ぎるビヨンドに、少女はもはや悲鳴も出ない。


影玉シヤドウ・バウンド


 少年はバク転の勢いに身を任せたまま斜めの体勢で右手の人差し指と中指を揃えて立て、短く言い放つ。

 すると指先から黒い光弾が三つ射出され、緩やかに弧を描いてビヨンドに向かう。


 彼の遠隔攻撃スキルなのだろう。だがビヨンドに直撃はしなかった。突進の慣性を殺し、見失った得物を振り返って探すビヨンドの周囲に光弾は落ち、小さな破裂音を響かせる。

 さらに逆上し空気を震わす咆哮をあげるビヨンド。心なしか、纏っていた黒いオーラが濃さを増しているようにも見える。


 少年は挑発の意味でさきほどの光弾を撃ったらしい。ビヨンドは完全に少年に標的を定め、少女は気にも留めていない。我を忘れた突進で、少年を繰り返し猛追する。

 少年が少女に「動くな」と告げたのは、少女が余計な動きをしてビヨンドの注意を惹かないようにするためと、彼自身の攻撃に巻き込まないためだろう。

 下手にあちこち逃げて動かれるよりは、その場に突っ立っていた方がマシ。という判断だったのだ。


「ひっ、ひぃぃ……」


 言われた通り、というより、足が竦んで動けない少女の周りで繰り広げられる激しい戦闘。

 少年は何度ビヨンドの突進を避けただろうか。完全にモンスターの挙動を把握し、翻弄しているように見えるのに、彼は光弾を飛ばして挑発するだけで有効な攻撃を加えようとはしない。

 その謎が解けたのは疑問を持ったわずか数秒後だ。


 ビヨンドの挙動が変化しはじめた。少年に突進を避けられ、すぐに自分の身体を反転させようとするが、足がもつれて転びかける。

 倒れこそしなかったものの、明らかに動きが鈍っていることが見て取れた。それでもなおビヨンドの少年に向ける敵意に褪色はなく、踏んだ石を砕く勢いで突進。そしてそれが最後となった。

 少年は身体を滑らせるわずかな身体移動でそれを回避。


 諦めを知らぬ獣は蹄を地面に突き立て方向転換。が、自分の体重を支えるだけの踏ん張りが足りていなかった。勢いを殺しきれずにその先にあった大木に真横から激突した。その衝撃にビヨンドはついに体勢を崩して足を折る。

 彼はビヨンドを疲れさせ、動きを完全に止めるために動き回っていたのだ。

 これで腹部はガラ空きだ。


「月影――降牙!」


 少年が、割り込んだときと同じスキルを放つ。

 今度は動きを抑止するためではない。仕留めるために狙いを定められた致死の一撃。

 地面からせり上がり、一瞬のみ実体化する幻影の刃を作り出す彼の攻撃スキルは、なんら抵抗なくビヨンドの身体の中心を貫通。大きな身体をびくりと震わせ、地に伏して絶命した。


「い、いっぱつで……」


 その圧倒的な威力に唖然とする少女。腰が抜けてぱふんと地面に座り込んだ。

 少年がモンスターの死体を通り過ぎ、へたり込んだ少女に声をかける。


「おい、大丈夫か?」

「あ、ああああ、あの――」


 少女はなんとか返事をしようとするが、うまく言葉にならない。

 少年は少女が恐慌状態に陥っているとみたのか、答えを催促するようなことはせず、代わりに少女をじっと凝視しはじめた。

 すると少年の右目の前に、赤い円が幾重も浮かび上がる。


「……あ、また忘れるとこでした。わたしも」


 少女もそれが何を意味するのかに気づいて、挨拶を返すようにオーグアイを起動。

 少年の名前と装備等のデータが少女にも飛び込んでくる。やはりレベルが高い。現状での上限レベルに達している。装備もなんだか強そうなものばかりだ。

 と、ふと気づく。彼の名前の横に多くの人が持っているものがない。少女が欲し、幾度も手を伸ばしては届かなかったもの。

 彼もまた、少女と同じようにリーグには所属していないようだ。

 そこまで彼の情報を把握したところで、少女はきちんと挨拶を口にした。


「クロノさん、って言うんですね。危ないところを助けていただいて――」


 立ち上がって勢いよく深くお辞儀する少女に、少年クロノはついと顔を逸らす。


「お、おう。まあ無事でよかった、な」


 その態度に、少女は違和感を感じ取る。

 照れているわけではないようだ。なんだか変に歯切れが悪くよそよそしい。


「あの、お強いんですね。こんなところにこんな高レベルの人がいるなんてびっくりしちゃいました」

「いや、ま、まあな」


 助けてくれたくせに、なんだか変な態度だった。

 こんなに格好良く危機を救ってくれたのだから、もっと得意気になってもよさそうなものなのに。

 不思議に思っていると彼はくるりと身を翻し、片手を上げて何事もなかったかのように去ろうとした。


「じゃ、俺はこれで……」

「あっ、待って、待ってください」


 道もわからぬまま進んできた中でようやく会えた親切なプレイヤーだ。せめてもう少し話がしたいと少女は必死に追い縋るが、クロノは歩く速度をどんどん上げていく。


「いや、俺まだ用事あるから。それじゃ……」

「お礼をさせてください! おれいをぉ!」

「いらないから! そういうのいらないから!」

「なんで! いいでしょお礼くらい! というか話を聞いて!」


 歩く速度を上げていくクロノ。少女はなんとか追いつきわずかな隙をついて彼の腕を掴む。


「俺! ラトオリ行かなきゃいけないから! すぐ行くから! だから腕を放せええ!」

「ラトオリならわたしも行きたいので! 旅の道連れでええ!」

「ざけんなそこまで面倒見れるかさっさと離せええ!」

「お礼をさせてくれるまで放しませんんん!」

「なんじゃそりゃああ! ……って、おわあっ!」


 と、いきなり腕が離れてその瞬間に勢いよく前のめりに倒れるクロノ。

 そして少女も。


「も、限界、ですぅ……」


 白目を剥いて少女は地面に倒れ込んだ。





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