大気の鳴動とともにその異変は始まった


 リーグ勧誘では断られるということも日常茶飯事だ。断る方も断られる方も逐一ショックを受けていてはリーグ運営は長続きしない。

 しかし今回ばかりは、断ったクロノの内心は幾何かの緊張で鼓動が早くなっていた。


「――っぶはぁ!」


 クロノは緊張から解き放たれた息を一度に大量に吐き、動悸に荒い呼吸を繰り返した。

 仮想現実だというのに、額に脂汗すら浮いていそうな気がする。


「あぶねえ……また名前を変えなきゃいけない状況になるところだった」


 ただ参加を断るだけなら問題なかった。緊張を生んだ原因は、勧誘の前にオークションでレアアイテムの入札を競い合っていたことにある。

 この世界のアイテム――薬品や素材などの消耗品から装備品、そして不動産まで、一つ一つのアイテムに、占有権というシステムが設けられている。


 この世界におけるアイテム入手に関わる占有権はシビアだ。

 どんなアイテムでも必ずプレイヤーに所有され、一度所有されたものはそのプレイヤーにしか使用することはできない。


 本来はアイテムの盗難や無断使用を防止するための安全策であるはずなのだが、この単純な仕組みが、プレイヤー間に様々な軋轢を生み出してきた。

 例えば、数少ないレア装備があったとする。占有権の委譲は可能なため、リーグ内でその装備を使い回す場合、各メンバー間でシステムを通して装備の譲渡を繰り返す必要がある。その中の欲深いメンバーが、自分に順番が回ってきた際に突然リーグから姿を消してしまうのだ。


 いわゆる、持ち逃げというやつだ。

 こっそり盗み出すことはできないから、自分に占有権が回ってくるまで待つ。あるいはそうなるように仕向け、いざ占有権を得たときにリーグから消えてしまう。

 見つけたとしても、占有権はそのプレイヤーが所有しているため、譲渡の意思がない限りアイテムは取り返すことができない。


 そんなことがあった。実際に起きていた。

 リーグ内で管理していた資産価値で言えば数千万通貨の装備が、一人によって奪われてしまうのだ。

 当然リーグメンバーは運営に持ち逃げされたことを訴える。

 しかし、運営のスタンスとしては、リーグ内ルールにはアンタッチャブルを貫いているため、よほど悪質でない限り、システム上可能なことに対して無くなったアイテムを保障するということはしていない。


 そして欲深いプレイヤーは、その「よほど」を巧妙に回避する。持ち逃げした後でも悠々とプレイしている輩というのが、度々報告されているくらいだ。

 資産価値の高いアイテムを突然失ったリーグメンバーたちの落胆と虚無感は凄まじい。犯人の処分は運営に任せることしか現状できないため、メンバーがその後陥るのはリーグ内部で発生する疑心暗鬼の惨禍に巻き込まれることだ。


 やれ、誰が最後に渡したのか、だの。

 やれ、自分は怪しいと思ってた、だの。

 やれ、これまでの時間が無駄になった、だの。


 犯人に向けるべきはずの怒りが、いつの間にか仲間であるはずのリーグメンバーに向けられてしまうようになる。

 そしてメンバーの誰かが責任を感じてログインしなくなると、今度はその人を巡り、残されたメンバーたちが誰々の言葉に棘があったからだ、だのと別の争いに発展していくことになる。

 そうなったリーグの行く末は、もはや解散以外に残されていない。


「こんなんで手が震えるとか、俺も腑抜けちまったな……」


 自分の手を見下ろして、自虐的に笑うクロノ。

 ともあれ、さきほど競売で競り落としたアイテムだ。


 レア素材を使ったもので、マーケットに出てくる数は少ない貴重なものだ。

 正当な方法でも、一度でもレアアイテムの入手を競い合った、という事実は今後の人間関係の構築に楔を打ち込みかねない。ましてや相手は名のあるリーグのメンバーの一人だ。そんな経験を引っ提げて参加でもすれば、将来何が起こるかわからない。


 あの美女の穏やかな笑顔に隠された心の裏。

 自分からレアアイテムを競り勝っていった輩はどれほどの者なのかと試すような視線。 


 問題が起きるのは持ち逃げだけじゃない。クロノは、内部で争って崩壊していくリーグをいくつも見てきた。

 一度争い始めたリーグが陥る人間関係の悪化。アイテムの占有権や指揮系統を巡り責任を押しつけ合うあの混沌とした空気。


 思い出しただけでクロノは身震いを起こしてしまう。

 メンバーとして当事者になった経験が、これまでどれほどあっただろうか。

 アイテムを失ったことよりも、信頼していたリーグがそんな状況に陥ることの方が、クロノには耐えられなかった。

 耐えきれなくなって。

 リーグを脱退し、人間関係を全て清算し、その度に名前を変えて再出発してきた。


 だからこそ。

 クロノは身体を震わせながら、自分に言い聞かせるように呟く。


「簡単に参加するわけにはいかない。リーグは慎重に選ばないと自分が破滅する」


 それが、クロノが下したこの世界で生きるための処世術だった。

 疑り深くなってしまったがそれでも辞められないのは、システムが起こす特有の人間関係問題を差し引いてもなお、このウルスラインの世界には辞められない魅力があるからだ。


 リアルでは絶対に不可能な人間の限界を超えた動きを可能にするマーシャルアーツ。 

 自分の裁量で威力や使い勝手をアレンジできるスキルと魔法の生成システム。

 もちろん戦闘だけに留まらない自由度の高い生活系コンテンツや生産システム。

 街の機能の受任や荒野の開拓まで可能な常に新鮮さを提供してくれる開闢システム。


 リアルでは決して味わえない爽快感の高いプレイフィールがクロノを捕らえて放さない。


「だから、だからあとはリーグさえ完璧なら問題はないんだ。リーグさえ……」


 そう呟いた直後、クロノは異変を感じ取った。



「――――――――――――――――――――――――――――」



 その違和感はすぐに消えたが、耳鳴りのような圧迫感がいまだ尾を引いたように残っていた。


「なんだ……? 今一瞬、動けなくなったような……ラグったかな」


 クロノに追随するように、広場の方にいたプレイヤーたちもが騒ぎだす。


「何か起きたぞ……!?」

「いま、おかしくならなかった?」

「ウルスラにしては珍しいな。バグか?」


 口々に自覚した異変を主張し出すプレイヤーたちに混じって、誰かが悲痛な叫びをあげた。


「おい、ログアウトができなくなってるぞ!」


 ざわめきがすぐに伝播し拡がっていく。


「ログアウトが、できない、だと……?」


 クロノはすぐにオーグアイから操作項目を選んでログアウトの欄を見た。

 確かに、プレイヤーが選べる操作一覧の中から、ログアウトの項目が消えている。


「――本当だっ!」


 驚きはしたが、クロノは慌てなかった。

 なぜなら知っていたからだ。こういうVRの世界では仮想現実の世界に閉じ込められ、その世界で生き続けなければいけなくなる現象が存在するということを。

 VRMMO界隈ではままある現象らしい。


「俺もとうとうそのステージに……感慨深いな」


 感動で一筋の涙さえ流れた。

 そこではたと気づく。


「待てよ」


 課金サービスの手続きは、ログアウトしてからインターネット上の公式ホームページからしか行えない。キャラクター名変更手続きも然りだ。


「ログアウトできないってことは…………つまり、もう二度と名前を変えられないってことじゃないか!」


 頭を抱えたクロノの見当違いな叫びは、周囲のプレイヤーたちの喧騒に掻き消された。




――後に大厄震スーパーポジシヨンと呼ばれる異変を機に、世界は新たな仮想リアルを進み始める。

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