調印の日に
〜3.調印の日に〜
──翌朝。
正装──それなりの、体面を繕うための衣装に着替えたジェイとアズロは、集落の入り口に立っていた。
風に流れる花吹雪、
集落の民が見守る中、普段着のアラマンダと、緊張した面持ちのアズロ、ジェイの二人は対面する──
「……気を、つけてね」
固く、揺るぎない決意を秘め微笑むアラマンダに、アズロは不安を隠しきれない──アズロにしては珍しい表情を見せた。
「──ねえ、やっぱりみんなと一緒に此処に残るのはアミィじゃなくて僕が」
思い詰めたように口を開いたアズロの額を、アラマンダは指先で軽く弾き。
「こーら、アズロ」
満面の笑みで、アズロを包み込む。
「もう、何度も話し合ったでしょ? 集落側の従者は一人だけ。一人きりでもジェイを守れるのは、攻撃しながら守護もできるアズロしかいないって。それに、私だってそう。──アズロ、あなたの結界能力はまだ未熟だわ。力が安定していないから、いろんな所に綻びができる。引き換え、私なら何人にも侵されない──どんな術にも耐えられる結界を張ることができる。ここのみんなを守るには、私が適任だわ。……だぁーいじょうぶよっ! いざという時はみんなに守ってもらっちゃうから! ね……あなたには劣っても、ここのみんなにもたくさんの力があることを忘れないで? だいじょうぶ、私は──」
死なないわ。
アラマンダは笑ってそう言うと、アズロとジェイを真っ直ぐに見据えた。
「──生きて帰って来ないと、許さないから」
「……ああ。勿論だ」
「はい!」
ジェイとアズロは顔を見合わせ首肯すると、アラマンダに不敵な笑みを見せる。
そして──
離るるは、二つの蹄の音。
はためいたセレスの蒼のマントは、次第に風下へと遠ざかり、消えていった──。
人里離れた……イグニスと隣国との国境付近に在るセレス集落から、一般の民が使う市道まで出るまでの間は、人の姿は全く見受けられなかった。
それもそうだろう。
これは、普段通りのこと。
異能という特殊な能力を怖れてか、はたまた国を──ディクタトルを怖れてか。
普段、セレス集落に近づく者はいない。
近づく者といったら、賞金目当てに異能者を狩る「異能狩り」か、国から命からがら逃れてきた「逃げ延びた民」のどちらかだ。
今日は、そのどちらも見受けられない。
さて──吉兆か否か。
──二人は市道まで出たところで一度馬を止め、辺りを見渡した。
伏兵はいない。
先遣隊の類も見当たらない。
これは本当に、調印式の行われる王都まで無事に行けるということなのだろうか。
……最も、王都街道に敷かれているらしい警備陣は敵か味方かはわからないが。
アズロは傍らのジェイに目配せすると、再び馬を駆った。
先ほどから鳴り止まない、警鐘を無視して──。
王都街道に差し掛かると、そこはまるで別世界だった。
広い街道の両脇には、イグニスの象徴である紅あかを基調にした軍服の警備兵が立ち並び。
携えられた槍に結ばれた焔≪ほむら≫の布は風にたなびき、遥かな紅のアーチは延々と、来訪者を王都へ導く。
「壮観だね……」
呟いたアズロに、ジェイは小さく首肯した。
「万事滞りなく招かるるか、或いは招かれざる者と化すか」
街道の先を見据えながら、二人は手綱を握り締める。
それからはただただ一直線に、炎のような紅を走り抜けていった。
──そして──
導かれるままに調印式の会場に辿り着いた二人は、金細工が施された豪奢な椅子に案内されると、式典の仲介役らしい初老の人物と対面する。
「ジェイ殿にアズロ殿ですな。遠路はるばるよくぞ参られた。此度の調印の儀は、歴史に残る日となりましょうぞ。貴殿の英断に、私からも御礼申し上げましょう」
「……王の姿が見当たらないが?」
「失礼、国王は不測の事故に足を取られました故、到着が遅れるとの伝達がございました。それまでは此方の席にて、ごゆるりとおくつろぎ下され。お二方とも、足労でしょう。今、飲み物をお持ちします」
初老の男は柔らかな笑顔で場を後にした。
アズロは顔を正面に向けたまま、極力小さな声でジェイに示唆する。
「……見たところ、会場に集まってるのは一般市民に扮した特務部隊だね。恐らく服の中に武器が仕込んである。気をつけよう、ジェイ」
ジェイは小さく溜め息を吐いて、目線をほんの少しだけ下に向けた。
「──わかった」
凛々しいその横顔が、どこか哀しげに陰っていた。
「──お待たせ致しました、こちら、シュロの実の紅茶でございます」
鮮やかな紅色の紅茶。
イグニスでは滋養にと飲用されている、一般的な紅茶だ。
だが──
目の前に差し出された紅茶を少し眺め口に含むと、アズロは軽く靴を二回鳴らした。
コツ、コツン──
ジェイの耳元だけに響いたそれは「退避」の合図。
──刹那。
ジェイとアズロの二人は、式場のテーブルを飛び越えて走り出した。
時を同じくして、式場に集まった「一般市民」たちの服の中から、数多の刃が剥き出しになる。
「罠だよジェイ! 紅茶に混入されてたのは猛毒。大丈夫? 口はつけてないね?」
「当前だ。お前は厩舎まで走れるか?」
「毒には慣れてるからね。こんなのはなんてことない」
「心強いな」
疾走する。
飛び交う弓の中を、二人は駆けた。
「……アズロ」
二人の馬の繋がれている厩舎に近い一角まで来た時。
ジェイは周囲を素早く見回して、眉間に皺を寄せた。
「……うん、囲まれたね」
「お前だけでも──」
「何言ってるの。僕はね、君を守りに付いて来たんだよ?」
アズロはにっこりと笑みを浮かべると、両腕に力を込める。
「──ジェイ、目を閉じてて」
「ああ?」
「光よ──!」
目も開けぬほどに輝いたのは、太陽か星か。
閃光は辺り一帯を隈無く照らし、周囲を取り巻いていた追っ手は一瞬怯む。
隙に、アズロはジェイの腕を掴んで上昇した。
高く高く、飛翔する──
───
……
「……っうわぎゃあぁあぁぁあーーー!!!」
「うるさいよ、見つかっちゃうじゃない」
「だ、だだだだがここここれは……」
「これ? ああ、空を飛んでるだけだけど、何か?」
「おおおお前、これ何がどうなって……っ」
「あんまり喋ると舌かむよ」
「……っだーー! だから何がどうなってるのか二十文字以内で説明しろ!!」
──飛んで、いた。
紛いようもない、それは事実で。
雲の間を突き抜けるように、一直線にセレス集落を目指すのは、平然とした顔をしたアズロ。
傍らには、失神寸前のジェイが居た──。
ラナンキュラス特有の飛翔能力。
長い間隠していたその能力を、アズロはここぞとばかりに使用していた。
敵を欺くには味方から。
それが、アズロの返答だった。
答えにならないその答えを巡らせながら、ジェイはようやく冷静になってきた頭でアズロに訊ねる。
「……セレスに向かって飛んでいるのか?」
「うん。調印の儀は罠だった。なら、向こうの狙いはきっと、“集落の中で一番能力の高い異能者がいない隙に集落を落とす”ことだよ。……ついでに、厄介な僕らの命もあの猛毒の紅茶でとろうってことかな」
「──急げるか?」
「急いでる」
速く、もっと速く、速く──。
渾身の祈りを胸に、二羽の鳥は集落へと駆けた。
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