第54話 撮影地の人たちとの交流

 こんにちは。カメラマンの沖原です。改めてよろしくお願いいたします。

 

 私はね、カメラマンになった頃は、一人で動くことが多かったですね。しかも、人と話したり、まして知り合いになっていったり、そういうことはしませんでした。というのも、私自身があまり社交的な性分ではなくてね、それがために、サラリーマンはできないし、したくもないなと思っていました。ですので、高校を出てすぐにカメラマンとして修業をはじめ、30代近くになってようやく独立して、あれこれ仕事をいただきながら、これまで生きてきました。両親の出身ともかく、私自身は生まれも育ちも大阪ですが、仕事を始めてからずっと東京です。大阪が嫌いなわけではありませんけど、ともかく、それまでのしがらみから脱出したいという思いが強くてね。

 カメラマンの修行時は、いろいろありましたけど、あまり、友達はいませんでした。写真関係者と、仕事で出会う人、あとは高校までの同級生や先輩と後輩ぐらいですか。本当に、出会いって、なかったですねぇ。女性ばかりか、男性についても。


 もっとも、不幸中の幸いというわけではありませんけど、妻とは、25歳のときに取材の帰りの「瀬戸」号で偶然出会って、そのまま結婚に至ってしまいました。これは しかし、私があまり社交的でないところにポンと入ってきてくれたからこその出会いかもしれません。もし私が社交的な人間なら、まして、女性にもてるような性分なら、おそらく、彼女とは結婚していなかったでしょう。それはともかく、大体、カメラを持った、いい年の大人が、ラフな格好をしてうろうろしていたわけですからね。たとえ列車に乗っていても、人からはそんなに話しかけられませんでした。

 何か、近づかないでくれというオーラでも出していたのかな?

 そんな人間の割には、ブルートレイン時代の「瀬戸」号に乗っていて、たまたま出会った若い女性、と言っても私より2歳ほど年上ですけど、そういう人とあっという間に一緒になるというのは、意外といえば、意外ですね。我ながら。


 そんなわけで、結婚して、というか、するかしないかの間に子どももできて、念願かなってプロのカメラマンになって、それなりに生計が成り立つようになってくるにつれて、果たしてこれでよかったのだろうか、これからも、こんな調子で本当にいいのだろうかという思いも湧き上がってきました。もともと鉄道が好きでしたから、必然的に、鉄道写真の撮影を仕事の中心に据えて、好きなものを追いかけることが仕事になったわけで、とりあえずはメデタシということですが、最初の頃は、とにかく、自分のクルマであちこち、撮影に行っていましたね。クルマに乗って一人旅。自分の好きなところに、一人で、思い立った時に、好きなルートをたどって、好きな音楽を聴きながら、誰に遠慮することもなく移動できます。だけどね、好きな鉄道の写真を撮るために、ほぼ誰とも接触することなく、ひたすら、被写体として鉄道に向かうスタイルに、ある時ふと、疑問を持ってしまいましてね。それでも、私の場合、言い訳はできます。

 

 「仕事ですから」

 

 身も蓋もないが、そう答えてしまえばそれまでです。それ以上は誰も、何も言えませんよね。これで済ませられたら、確かに、楽。でもそれ、思考停止じゃないかと言われれば、確かにそうです。大体ね、鉄道の写真を撮影していながら、好きな鉄道に1円もお金を払っていないとまでは言わないにしても、ましてや、不正乗車をして運賃をごまかしているわけでもないにしても、鉄道そのものに、ひょっとすれば関連施設にさえも、ろくにお金を払っているわけではない、ってことになります。

鉄道から離れたところで、鉄道を見て記録する、それが無意味だとは言わないけれども、何かが、違う気がする。

 しつこいけど、本当に、これで、いいのかな、と。


 転機になったのは、カメラマンとして独立して事務所を構えて数年後でした。33歳の年の夏、まとまった休みをとりましてね、ふと思い立って、ひとりで、青春18きっぷで西日本のあちこちを巡ってみることにしました。妻は子育てに忙しかったけど、そのときはどういうわけか、ぜひ行ってらっしゃいと、むしろ背中を押されたような感じでした。せっかくですから、写真の「撮り置き」も兼ねて行くことにしました。カメラがあるからこその出会いも、ひょっとあるのではないかと、そんな気持ちで、ね。その予感は、いい方に的中しました。

 朝、東京を出て、快速や普通列車を乗り継いで、京都から、ムーンライト九州に乗って博多まで行きました。職業が職業ですから、というより、先ほど言った「撮り置き」も意識して、一応、数台のカメラも持って乗っていました。


 京都駅のホームに少し早めに並んで、列車がホームに入線すると同時に、6号車の指定席に荷物を置いて、カメラを出して「展望スペース」のある方向から撮影していたらね、色付きのガラスの向こう側には、何人か、旅慣れたような人たちが、と言ってもほとんど男性でしたけど(一同苦笑)、三々五々、集まっているではありませんか。面白そうなので、撮影が終わるとすぐ、私もその「展望スペース」に行ってみました。


 確かにそこは、鉄道ファンのたまり場のようになっていましてね、初対面の人もおれば、何度か同じ列車に乗り合わせていたという人もいて、会話が弾んでいました。気が付けば、私もその場に居合わせた皆さんとの会話に加わっていました。皆さん、日付が変わって、岡山を過ぎるころまで、いろいろ、話し込まれていました。私も、話の輪にすっかり溶け込んでいました。そりゃあ、鉄道カメラマンということで、いろいろ聞かれましたね。皆さん、興味を持って、話を聞いてくれました。中には、私が撮影地で食べている「鍋」の話に興味を持ってね、早速それを帰って実践してみたという人もいました。写真付きで手紙をくださってね。彼とは今も、交流があります。先日は、こんな鍋どうだとか言うので、早速、彼のおすすめを撮影地で試してみました。なかなかうまかったですよ。そんな調子でね、その日お会いした人たちには、写真を撮って、後日、送ってあげましたけど、たいそう喜ばれました。

 その夜、リクライニングシートでうとうとしながら、ふと、思いました。これまで随分、もったいないことをしてきたな、と。確かに、カメラマンですから、写真を撮りさえすれば仕事は成り立ちます。その写真を撮るために、クルマで移動しようが、列車で移動しようが、そんなことは問題ではありません。プロの撮影した写真を見る人は、その写真を見て、評価します。その写真を撮るまでのカメラマンの弁など、わざわざ聞きたいとも思わないでしょう。もちろん、聞かれれば、語ってもいいとは思います。仕事と言われたら、文章だって書きますよ。だけど、もっと大事なことを、私は忘れていたのではないかな。もっと、出会った人たちの中へ、自分から出ていった方がいいのではないか。一人の空間を大事にすることは大切だが、もっと、人とのつながりを持った方がいいのではないか。ひょっとすると、そのほうが、今までよりもむしろ、いい写真が撮れるのではないだろうか、とね。


 それまでの私と、その後の私の、どちらの写真がうまいか下手かは、私が決めることではありませんし、何とも申し上げようがない。それでもね、確かに、それまでとその後では、私の写真に向かう姿勢もそうですが、単に技術なんてものではなく、私自身の「人生観」は、がらりと変わりました。自分の「クルマ」であちこち行くこともなくはありませんが、できるだけ、列車に「乗る」ようにしました。どうしてものときは、レンタカーを借りて移動することもあります。

 とにかく「クルマ」よりも「列車」での移動にシフトできる体制を、それから心掛けていくようになりました。自家用車は、数年前に売って処分しました。東京に住んでいれば、駐車場にはじまって維持費が馬鹿になりませんからね。どうしてもクルマがいるときは、レンタカーを使います。場合によっては、撮影地の近くの知り合いのクルマに乗せてもらうことだってありますよ。

 それまでなら、撮影地に行っても、人と話すことなどほとんどなく、まして地元の人にあいさつなど、こちらからしたこともなかったのですが、地元の人がおられたら、できるだけ挨拶するようにしました。冷たくあしらわれることは、あまりありません。他の「撮り鉄」の皆さんへの不満をお聞きすることは、たびたびありますけれども、これは、しょうがない。でもね、私自身は嫌なことはほとんどなくて、逆に、いいことはたくさんありましたし、今もあります。クルマを運転しなければ、酒も飲めます。撮影した後、地元の人と近くの居酒屋に行って飲むこともしばしばありますしね。若い頃はそう飲めませんでしたが、お付き合いが増えるにつれ、それなりに飲めるようになりました。とはいえ、米河さんと酒の量で勝負しても、おそらく勝てないでしょうけどね。

 ここで、皆さん大爆笑。

 マニア氏は、いつでも受けて立ちます、何なら明日でも、とか何とか。

 実際、翌日このお二人は一緒に飲んでいたそうな(あとで少し述べます)。

 沖原氏は、さらに話を続けられる。


 一緒に飲み食いするだけじゃなくて、その人の家に泊めてもらうことだってあります。逆に、その人が上京して来られたら、うちに泊まっていただいたりもしていますし。まあ、あまり図々しいのも難だってことで、いろいろお土産をお持ちするようにしましたが、そのおかげで、全国の名産のことがいろいろわかりましたし、その話だけでもね、酒の席のいいネタになります。例えばね、ある地域の名産のお菓子のメーカーの親族同士の争いとか、それにまつわるこぼれ話とか。つまらないゴシップかもしれないけど、それはそれで、話のネタとしては重宝しますし、その場も盛り上がりますからね。


 私はね、「人間関係」なんて言葉は、使いたくない。なんかね、言いようのない嫌らしさというのか、「ためにする」のが見え透いたような小賢しさというのか、言いようのない嫌味さが感じられて、どうも好きになれない。その代わりね、「人とのつながり」という言葉を使っています。そうすると、どうでしょう。具体的な、自分と誰か他人、そのつながりに、意識が行きますからね。たくさんの「人とのつながり」があって、そこで自分が生かされている、そして、行くべきところに「行かされて」、そして「活かされて」いるのだ、という「実感」が湧きますね。

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