おまけ

※彼らはお酒を飲んでいる為、多少キャラが変わっている場合がございます。

 本編のシリアスなイメージを壊したくない!という方はご注意ください。


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 狼の村に酒宴の火が灯る。


 今夜は祝いの宴だ。豊寿の祭りで晴れて夫婦になった者達を祝う為に、若者だけの宴会が設けられる。先だって夫婦になったレティリエとグレイルも、太い丸太を椅子がわりに、並んで座りながら少し離れた所で若者達の喧騒を眺めていた。


「たくさん人がいるのね」


 ご馳走を食べて笑い合う仲間達を見てレティリエが微笑んだ。嬉しそうに宴の様子を眺める彼女の姿を見て、グレイルの心もじわりとあたたかくなる。

 今までレティリエが皆と一緒にこのような宴に参加したことはない。幼い頃、酔った大人に一度だけ「お前は狩りができない癖にいっちょ前に物は食べるのか」と言われたことがあり、それ以来彼女はいつも木の上に登ってひっそりと祭りの様子を眺めていることが多かった。だからこそ、こうやって彼女が同じ空間で宴を楽しめていることは、グレイルにとっても喜ばしいことだった。


「レティリエ、寒くないか?」

「ううん、大丈夫よ」


 グレイルが問うと、レティリエがこちらを向いてにっこりと笑う。金色の瞳が焚き火に反射して宝石のように煌めき、グレイルはしばしその輝きに見とれた。胸のうちから熱いものが込み上げてきて、思わず彼女の肩へ手を伸ばす。


「お~いお前ら~食ってるか~?」


 二人を呼ぶ声に、慌てて伸ばした手を引っ込める。声がする方に顔を向けると、ローウェンがこちらに近づいてくるのが見えた。


「なんだよお前ら、随分大人しいじゃねぇか。今夜は俺達が主役なんだから、もっと楽しめよ」


 そう言って、ローウェンは両手に持っていた木のカップを二人へ差し出す。カップの中には、赤い液体が注がれていた。湯気と共に立ち上る仄かな酸味のある香りが鼻孔をくすぐる。


「ローウェン、これなあに?」

「葡萄酒だ。今日は祝いの酒も振る舞われてる。折角だから二人とも飲めよ」

「うん、ありがとう。ローウェン」


 レティリエがカップを受け取り、グレイルも同じものを受けとる。ローウェンがその場を去ると、二人してカップに口をつけた。


「すごい……!葡萄酒って初めて飲んだけど、とっても美味しいのね」

「確かに体があったまるな」


 グレイルも初めて飲むお酒の味に舌鼓を打ちながら返事をする。特にいつから飲める、というのは決まっていないが、大抵は豊寿の祭りの日に伴侶を決め、祝いの酒が振る舞われることで初めて酒を口にすることが多い。

 祭りの夜は必ず酔っ払った大人達が悪ふざけをするものだから、幼い頃からあまりお酒について良いイメージを持っていなかったが、今しがた口にしたお酒の味に、グレイルはその認識を改めた。


「なんだか体が熱くなってきたわ……」


 両手でカップを持ち、手のひらを温めながらレティリエがポツリと呟く。見ると、目がとろんとしており、頬がほんのりと紅潮していた。


「おい、あんまり飲みすぎるなよ」

「うん……」


 グレイルの言葉に、レティリエが呟くように返事をする。自分を見上げる目が微かに潤んでおり、少しだけ開かれた唇が薔薇色に染まっていた。いつもと違う、どこか色っぽい彼女の雰囲気にドキッとする。思わず唇を重ねたくなる衝動をぐっと堪え、グレイルはレティリエの手からカップをヒョイと取り上げた。


「これくらいにしておけ。もう十分飲んだだろう」

「あっ……」


 レティリエが目をパチクリさせながら空っぽになった両手を見つめる。グレイルからすれば、彼女の体を気遣った親切心のつもりだった。


 だが。


「だめーー! まだ飲むの!」

「わあっ!!」


 レティリエが突如グレイルにしがみついてきた。いや、グレイルの右手にあるカップを取り返そうとしているのだ。グレイルの膝の上に乗り、腕を一生懸命伸ばしてカップを取ろうとする。だが、もとより大きな体の自分に小柄な彼女では敵うはずもなく。グイグイと無防備に押し付けられる二つの蠱惑的な弾力が自分の理性を襲い、グレイルは目眩がした。


「どうしてまだ飲んでるのに取っちゃうの? ひどいわ!」

「わかった、わかったから。とりあえず離れてくれ」


 狼狽えながら言うも、酔った彼女に聞き入れてもらえるはずもなく。カップの中身を溢さないようにのけ反ったと同時にレティリエがグレイルの肩に右手を置いてぐっと反対側の手を伸ばした。


「待て、レティリ……わぷっ」


 自分の顔面に押し付けられているものの正体を、グレイルは考えないことにした。









「お酒って美味しいのね。なんだかふわふわした気持ちになるわ」


 無事に取り戻した、いや、グレイルが根負けして返したカップ──もちろん、返す時にぐっとあおって中身は大分減らしておいたが──を両手で持ちながらレティリエが嬉しそうに笑う。その屈託のない笑顔を見ながら、グレイルは大きなため息をついた。


「お前、酔うとそんな感じになるんだな」

「え? そんな感じってなあに?」

「……頼むから、他に男がいる時に一人で飲むなよ」

「えー……どうして?」

「どうしてもだ」


 子供のようにこてんと小首を傾げながらレティリエがこちらを向き、グレイルは苦笑した。普段真面目な彼女が、手のかかる……というか自分を心配させるような酔い方をするとは思ってもみなかったが、それすらも可愛いと思ってしまうのは、きっと惚れた弱みなのだろう。グレイルはぽわんとした顔でチビチビとお酒を飲んでいる幼馴染みの顔を見ながらくつくつと笑った。




★☆★




「……で、これは一体どういうことなんだ?」


 レティリエに水を飲ませてやろうと宴会の輪の中に戻ってきたグレイルは呆れ顔で呟いた。焚き火を中心にぐるっと輪を囲むように座っていた狼達が、ぐでんぐでんに酔っぱらって至るところで倒れている。グレイルの目の端にボロボロの茶色いものが映った。


「おお~~グレイルじゃねーの。どうだぁ宴、楽しんでるかぁ?」


 フラフラしながら立ち上がったのはローウェンだ。彼が立ち上がるまで、グレイルはそれが汚いボロ切れか何かだと思っていたことは忘れることにした。


「随分飲んだみたいだな。お前にしては珍しい」

「いや~それがさ、あいつが強ぇのなんのって」


 ローウェンが指差す方を見ると、一人だけピンピンとしながら酒を飲む狼がいた。 

 クルスだ。


「おーい! グレイルも飲む? あ、レティリエもいるんだね」


 クルスの言葉に、レティリエがグレイルの後ろからヒョイと顔を覗かせた。ほっておくとどこかへ行ってしまいそうなので手は繋いだままだ。


「これ、クルスがやったの?」

「ん~僕はただお酒を注いでただけなんだけど、気がついたらこうなっちゃってたね」


 にっこりと笑うクルスの膝の上では、ナタリアが丸くなって眠っている。クルスはいとおしそうに彼女の髪を撫でながら、お酒が入った樽を指差した。


「ほら、まだ飲み足りないんじゃない? ついであげるよ」


 そう言いながら、クルスが木のカップに並々とお酒を注ぎ、レティリエに差し出す。その常識はずれの量にグレイルは瞠目して慌ててカップを引ったくった。


「おい待て、クルス。さすがに限度を考えろ」

「え~じゃあグレイルが代わりに飲んであげなよ」

「いや、俺はもうい……ぶっ」


 手を前に出して辞退するも、クルスがケタケタと笑いながらカップをグレイルの口に押し付け、中の酒を流し込んできた。大量の酒が口腔を滑り落ち、胸がカッと熱くなる。溢れた酒を手の甲で拭いながらグレイルは空になった木のカップを鷲掴んだ。


「……おい、ローウェン。こいつを沈めるぞ」

「同感だ。今こいつをヤらなきゃ死人が出る」

「あっローウェンも飲む気になった?」


 臨戦態勢に入る二人を他所に、クルスがニコニコと笑いながらカップを掲げる。その悪魔のような笑みを顔から引き剥がそうと、ローウェンがクルスのカップに勢いよく酒を注ぐ。


「おらぁ! 飲めやぁ!」

「アハハッ、受けてたつよ! はいグレイルも飲んでねー」

「ぐふっ! くそ、コノヤロウ!!」

「はい次はローウェンだね」

「お前マジでふざけん……がふっ」

「おい早くこいつを殺れ!!」

「んぷっ……気持ち悪い……」

「あははははは!!」

「ふふっ皆楽しそうね」


 ぎゃあぎゃあと喚きながら酒を流し込み合う三人を見ながら、レティリエが嬉しそうに微笑んだ。




★☆★




「あんた達はバカなの?」


 惨憺たる光景を見ながらレベッカが呆れ顔でため息をつく。彼女の声を聞き、グレイルはフラフラの頭を手で支えながらヨロヨロと身を起こした。立ち上がろうとしてむにゅと柔らかいものを踏んだ感覚に、思わず足元に目をやる。


(なんだ、ローウェンか)


 大地を抱き締めながら眠っているローウェンを踏んづけたようだが、特に気にせず身を起こす。今は周囲を気遣う余裕がない。


「あー……今何時だ」

「もう丑三つ時よ。それより、この有り様は何?」

「やぁレベッカ。君も楽しんでるかい?」


 眉根を寄せているレベッカと対照的に、クルスがにこやかな顔で手を振る。というか、こいつはまだ元気なのか。その化け物じみた飲みっぷりに、グレイルは未来永劫クルスと二人だけで飲まないことを誓った。


「そろそろ帰るわよ。起きなさい、ローウェン」

「ふわ~? あ? レベッカ?」


 レベッカが揺さぶりながら起こすと、ローウェンがとろんとした目でレベッカを見る。


「何情けない顔してるのよ、行くわよ」


 レベッカがローウェンをグイグイと引っ張るも、彼はぼんやりしたままじっとレベッカを見つめていた。


「レベッカ~……お前やっぱり可愛いなぁ~」

「は、はあ?! 何言ってんの?」


 突然のローウェンの口説きにレベッカが顔を真っ赤にして狼狽える。だが、彼は構わずレベッカの頭をヨシヨシと撫でた。


「いや~間近で見ると俺の奥さん、やっぱ可愛いなって」

「な、何バカなこと言ってるのよこの酔っぱらい!」


 レベッカが怒りながらその手を払う。だが、照れ隠しなのがバレバレとでもいわんばかりにローウェンがにっこりと笑った。


「ほら~いつもみたいにお目覚めのキスはしてくれないのかよ~」

「あんたそろそろいい加減にしなさいよ!」

「ぶふっ」


 レベッカの鉄拳が彼の頬に炸裂し、ローウェンは再び悠然たる大地とひとつになった。

 

 そんな夫婦のやり取りをよそに、グレイルはキョロキョロと見回してレティリエを探す。彼女はナタリアと一緒に丸くなってスウスウと寝ていた。


「レティ、帰るぞ」

 

 屈んで彼女の肩をポンポンと叩くと、レティリエが重たげに目を開けた。


「おい大丈夫か。立てるか?」

「んん、グレイル……? うん、大丈夫……」


 頭を抱えながらレティリエがヨロヨロと身をおこした。言葉とは裏腹に、目はぼんやりと虚空を見つめている。


「今日はもう遅い。マザーや子供達を起こさないように、孤児院じゃなくてあっちの方に帰るぞ。少し遠いが歩けるか?」


「…………うん」

「…………。レティ、1+1は?」

「えっと…………はちみつ」


 その瞬間、グレイルは彼女をおぶって帰ることを決めた。




★☆★




 気持ち良さそうに眠るレティリエを背負い、グレイルは仲間たちに別れを告げる。

伸びているローウェンを送っていくよう申し出たが、家が遠いからとレベッカに断られた。その代わり、彼女は責任をとってクルスに運ばせることにしたようだ。

「ナタリアを家に連れて帰ったら、こっちのぼろ切れもちゃんと送っていきなさいよ」というレベッカの言葉が背後から聞こえた。ローウェンが聞いていたら涙を流しそうな言葉だ。主に悲しみの意味で。






 冬の夜風に当たりながらサクサクと森の中を進む。背中から感じる彼女の体温が心地好い。


「レティリエ、大丈夫か」

「うん……」


 背後に声をかけると、夢うつつの返事がある。いつもと違う、子供のようにあどけない彼女がなんとなく可愛くて、グレイルはふっと口許を緩める。


「あいつら、酔うと案外面倒くさいんだな」

「うん……でも、楽しかった」


 ポツリと呟かれた言葉に彼女の思いの全てが凝縮されているように感じて、グレイルはハッとした。

 目立たないように、ひっそりと遠くから仲間達の様子を見ているかつての彼女の姿が脳裏に浮かぶ。彼女が心から宴を楽しんだのは今夜が初めてなのだろう。今までどんな気持ちで祭りを眺めていたのかと思うと、息が詰まるのを感じた。


「レティリエ。俺は……昔から一番側にいながら、お前に何もしてやれなかった。本当に不甲斐ないよ」


 物心ついた時から一緒に育ってきた幼馴染み。彼女の笑った顔も、泣いた顔もたくさん見てきた。だが、大人になるに連れて彼女は泣き顔を見せなくなった。でもきっと、その裏で彼女はずっと泣いていたのだろう。孤独と共に。張り裂けそうな胸の痛みを一人で抱えて。彼女のことをずっと想っていたのは自分も同じなのに、それが恋だと気づいたのは随分と大人になってからだった。


 なぜもっと側にいてやらなかったのだろう。

 なぜもっと痛みを分かち合ってやれなかったのだろう。


「すまない、レティリエ。俺が不甲斐ないばかりに、お前一人にずっと辛い思いをさせてきたんだな」


 酒がまわっているからなのか。後悔の念が押し寄せてきてグレイルの胸中を満たす。後悔しても仕方ないのもわかっている。それでも、彼女に謝りたくて。


「レティ、俺は……」


 喉まででかかった懺悔は、背中に乗るレティリエがきゅっと自分の服を小さく掴んだことで遮られた。


「ううん。私ね、あなたのこと……」





 好きよ。


 風で吹いて飛んでいきそうなくらい微かな声。だが、それは確かにグレイルの耳に届いていた。








 家に着くと同時に寝台に倒れこむ。身を清めるのは起きてからでいいだろう。

レティリエを寝台に横たえ、自身も布団に潜り込む。横になろうとした瞬間、彼女の銀髪が月光に映えて煌めいた。その輝きにしばし見とれ、同時に彼女の顔に視線を落とす。


 好きよ。

 ポロリと呟くようにこぼれ落ちた言葉。その一言が、グレイルの胸中を温かく包み込む。彼女のたった一言がこんなにも自分の心を満たすなんて、恋を知るまでは思いもよらなかったことだ。


 ──俺もお前がいとおしくてたまらないよ


 耳元で囁き、白銀の眠り姫の唇に口づけを落とす。柔らかな感触と共に甘い熱情が体中を満たし、その熱を逃したくなくて、投げ出された小さな手に自身の指を絡ませて力強く握った。

 そっと唇を離して身を起こすと、いつになく感傷的な自分に呆れてふっと息を吐く。


「俺も、だいぶ酔ってるみたいだな」



 苦笑混じりに紡がれた言葉は、夜の空気に溶けて消えた。


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