第6話 不穏の始まり

 異変に気付いたのはグレイルだった。

 祭りの終盤に差し掛かると、いつもレティリエは孤児院の子供達を集めて施設に戻る。 だが、今夜はまだ見知った小さい子供達が、ピョンピョンと走り回って遊んでいた。

 レティリエの性格上、祭りを堪能しすぎて自身の責務を忘れているということは絶対に無い。何か急用を頼まれたのだろうか。しかしそのような場合はグレイルに代役を頼むことが多い。

 いぶかしみながらも、とりあえず子供達は帰宅させねばと、グレイルは腰をあげて子供達を呼んだ。


「おい、お前らはもう寝る時間だぞ。送ってやるから来い」

「え~まだ遊びたいよ~!」

「だってまだレティリエのお姉ちゃんが迎えに来てないよ!」

「今日は俺が送ってやる。いいから来るんだ」


 子供達の尻を叩きながら、孤児院へ向かう。なんだか嫌な予感がした。

 孤児院へ戻る前に、嫌な予感が的中したことを悟った。マザーが門の前に立ち、蒼白な顔で辺りをきょろきょろと見渡している。グレイルと子供達の姿を見ると、慌てた様子で駆け寄ってきた。


「あぁグレイルや、レティリエを見なかったかい?」

「いや、姿は見かけていない。マザー、状況を教えてくれ」


 慌てふためくマザーを宥めるように、グレイルはマザーの肩を掴んだ。

 マザーはふうとため息をつき、心を落ち着かせるように胸の前で両手を握りしめた。


「あの子はいつも夕方には戻って子供達の寝かしつけをしてくれてるんだよ。こんな時間まで戻ってこなかったことは一度もなかった。もしかしたら、何か良からぬことに巻き込まれたのかもしれない……! あぁグレイルや、あの子を見つけておくれ」

「わかった。マザーは子供達を頼む」


 グレイルは狼の姿になると、踵を返して一目散に来た道を戻り始めた。人の姿より狼の姿の方が鼻が利く。

 グレイルは、レティリエがちょんと座っていた樹へ戻り、辺りの臭いを嗅ぎ始めた。

 レティリエの匂いはまだ強く残っている。ここを離れてからそれほど時間は経っていないようだ。

 ところが、匂いは村の中心ではなく外の森へ向かって続いていた。何かやむを得ない事情があったのだろうか。グレイルは眉を潜めると、匂いを辿って森の中へと駆け出していった。


 日はすっかり沈み、森の中は闇と同化していた。しかし、狼は夜目と鼻が利く。グレイルは臆することなく森の奥へと進んで行った。

 闇夜の中を飛ぶように走り抜け、村からかなり離れたある場所でグレイルは足を止めた。レティリエとはまた別の匂いが微かに漂う。グレイルは地面に鼻をつけ、辺りを丹念に嗅ぎ始めた。


 微かながらも存在感を放つこの匂いは……人間だ。それも複数いる。


 途端にグレイルの体に緊張が走った。レティリエと人間達の匂いは脇道へそれ、獣道へ続く。匂いを辿って更に進んでいくと、ある部分でレティリエと人間の匂いが強くなった。そして彼女の匂いだけがそこで途切れていた。

 グレイルの毛が怒りで総毛立つ。レティリエが人間に連れ去られたのは間違いない。金色の瞳を怒りで燃え上がらせると、グレイルは人間の匂いを辿って地面を駆った。


 持てる限りの力で走り続けていると、段々と人間達の匂いが濃くハッキリと感じられるようになってきた。近づいている。

 なおも走り続けると、カラカラという音が聞こえ、前方に小さな幌馬車が見えた。同時に、レティリエの匂いも微かだが感じられる。グレイルは地面を蹴って幌馬車に近づくと、馬車を牽いている二頭の馬に躍りかかった。

 まずは移動手段を潰す。グレイルの牙は一頭の馬の頸動脈を正確に捕らえ、馬はどうと地面に倒れて即死した。同時に幌馬車も凄まじい音をたてて地面に叩きつけられた。


「うわぁーーーーーーー!!」

「なんだ?! 何が起こった?!」


 幌馬車の中から次々に人間達が飛び出す。何が起こったのか瞬時に理解はできなかったが、怒りに震え全身の毛を逆立てている大きな狼が目の前にいることに気づき、幾人かはもんどりうちながら叫び声をあげて逃げて行った。


「んの野郎!! このクソ狼めが!!」


 一人の男が短剣をかざしてグレイルに襲いかかる。だが、グレイルはそれをヒラリとかわし、容赦なく腕に噛みついた。

 血が吹き出し、男は悲鳴をあげてその場から逃げ出した。

 間髪いれずに振り向き、後ろで矢をつがえている別の男につかみかかる。弓を鋭い牙で噛み砕き、体に爪を立てて引き裂くと、ぎゃぁぁぁぁぁと恐ろしい叫び声をあげ男は倒れた。


「ひぃぃぃぃぃ!!」


 倒れた男の側にいた別の男が悲鳴をあげ、激痛にのたうち回る男を背中に担ぐと一目散に逃げ出した。追いかけて噛み殺してやることもできるが、狼は無益な殺生は好まない。

 グレイルは人間を一瞥して見逃すと、周りをぐるっと見渡した。辺り一面に充満する人間達の体臭と濃い血の臭い。その中に、レティリエの匂いも微かにする。

 敵が去ったことを念入りに確認し、グレイルは幌馬車の中を覗いた。

 中には四肢を縛られ、猿轡を噛まされたレティリエの姿があった。グレイルの心にどす黒い怒りが渦巻いた。やはり苦痛を味わわせて殺すべきだったか。とにもかくにも早く楽にしてやろうと思い、グレイルは人の姿に戻るとレティリエに近づいていった。

 レティリエは真っ青な顔をして何かを叫んでいるが、声がくぐもっていて聞こえない。


「遅くなってすまない。今楽にしてやるからな」


 床に片膝を立て、グレイルはレティリエの頭に手を回す。レティリエはイヤイヤと首をふってポロポロと涙を溢した。


「どうした? 怖かったのか?」

「~~~~っ! 違うの! もう一人いる!!」

「なっ……!」


 轡を外された瞬間、レティリエは叫んだ。


 グレイルは慌てて振り返るが既に遅かった。隅に積まれていた荷の影から男が飛び出し、グレイルに目掛けて短剣を振りかざした。

 短剣がグレイルの腹に突き刺さり、鮮血がほとばしる。「グレイル!!」とレティリエの悲鳴が響き渡る。ぐぅ……とグレイルは呻き、腹を抱えるようにして膝をついた。

 短剣は柄まで深々と刺さっており、辺りを血の海に染めていく。怪我を負った衝撃で全身の神経が麻痺し、体が思うように動かせない。人間達の臭いが充満しすぎて隠れた人間に気付けなかった自分の愚かしさに、グレイルはギリリと歯を食いしばった。


 男ははぁはぁと息を切らしながら、止めをさそうと別の短剣を振りかざすが、未だ闘気を失っていない野生の狼の怒りに満ちた目を見て、ヒィィィ!とたじろいだ。

 これ以上近づけば死が待っていると悟った男は、慌てて荷から吹き矢を取り出し、グレイル目掛けて放つ。

 矢はグレイルの右肩に刺さり……今度こそグレイルは地面に倒れこんだ。


「はぁ……睡眠薬が……はあ……まだあって……助かった……」


 緊張の糸が切れたのか、男はへなへなと床に崩れ落ちた。


 


 雌の狼が泣きながら雄狼の名前を呼び続けているのが聞こえる。とにもかくにも、まずは作業小屋へ帰らなければ。

 泣きわめくうるさい雌狼にも睡眠薬を打ち込むと、ふっと意識を手放して床に転がった。これでひとまずは安心だ。

 男は幌馬車を立て直すと、荷を整え、死んだ馬を馬車から外した。御者台にのぼり、たずなを握ると残った馬に鞭をふるった。

 

 幌馬車はガタガタ音をたてながら、夜の闇の中へ消えていった。

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