第2章 ゴブリン・キングダム篇(メイン舞台国家:マルトリア神王国・グレゴール伯爵領)

第27話 首都・ライオネット(女神暦1567年4月28日/首都・ライオネット)

 街路樹として移植された常緑樹の葉が、白煉瓦が敷き詰められた大通りを風に流されて転がる。

 通りに面した店舗も白い石材で建築されており、長蛇の列を成すパン屋の木戸が開閉する度に、換気のために僅かに開けた馬車の窓から香ばしいパンのバターの香りが流れ込んでくる。

 その芳醇な香りが鼻腔をくすぐり、馬車の中に、グゥゥゥーという大きな腹の虫の音が響く。


「腹減ったなあ~」


「お腹すいたねえ~」


「まあまあ、それはいけません。旦那様、エルザ様、こちらに軽食を用意しておりますので、どうぞお召し上がりください」


 同乗しているセレスは、空腹でテンション低めな俺とエルザの様子に見かね、メイド服のロングスカートからスルスルと滑り出した銀鎖(バスケットが吊り下げられていた)を隣り合って座る俺達の前にかざす。

 バスケットには白い布が被さっているが、その隙間からは何やら香辛料が効いたスパイシーな刺激的な芳香が漏れ出していて、思わず俺とエルザは同時にゴクリと喉を鳴らす。


「何が入ってるんだ?」


「何が入っているの?」


「唐辛子や胡椒でピリ辛風味に焼き上げたカリカリのチキン、ロロ芋のホクホクと崩れる食感が楽しめるサクサクに揚がったフライドポテト、フローラ様が栽培されているオレンジを煮詰めて作ったマーマレードを絡めて焼いた鶏肉を新鮮シャキシャキのレタスで挟んだサンドイッチの詰め合わせでございます」


「「いただきます!!」」


「おい、アレン、エルザ! 城に到着したら、アリーシャ主催の晩餐会に出席することを忘れているのではないか!?」


 もう辛抱堪らんと弾かれたようにバスケットの中身に特攻し、ホクホク顔でセレスのご馳走に頬張る俺達を叱るゼルダ。

 だが、対面の席からチラチラとバスケットの中をしきりに気にしていて、あまり説得力はなかった。

 王城での晩餐会を前にして腹を満たしていく訳にはいかないという意識と、バスケットの布が外された時点で馬車内に充満してしまった殺人的に美味そうな香りの爆発に膝を屈しそうになる葛藤の間で激しいせめぎ合いが起こっているのだろう。律儀な彼女らしい反応だった。


「まあまあ、ゼルダも少しぐらいなら食べてもいいんじゃないか? 流石さすがに俺も一国の王に呼ばれた食事の席で、『あっ、外で食べてきたんで』なんて言う度胸なんて微塵もないし、軽く小腹を満たすだけだって」


「アレン様の言う通りだよ、ゼルダ様。ちょっとだけ、ちょっとだけだから」


「そう言いながら、既にバスケットの中身が半分にまで減っているじゃないか!? セレスも『あらあら、仕方ありませんねえ』みたいな顔で、スカートの中からおかわりを出さなくてもいい! ああもう、私も食べる!」






 アリーシャ騎士団領首都・ライオネット。

 白い煉瓦造りの建築物が立ち並び、人々の往来も激しい大通りが何本も都市内を走っていて、頑強な白亜の外壁の側の関所からは国内各地から訪れる商人や貴族達の荷馬車が列を成しており、門番の騎士達から簡単な検査を受けている。

 交易都市であるカザンも人口が多くてかなり活気に溢れた都市だったが、領主であるアリーシャのお膝元であるこの都市には精錬された秩序のような規律正しさがあった。

 カザンのように様々な業種の店が所狭しと雑多に軒を連ね、煽情的な衣装で客を呼び込む客寄せもおらず、通りを行き交う人々の衣装や歩き方も落ち着いている。

 せわしなく通りを走り回る鍛冶屋の徒弟も、大通りで堂々と豚や鶏を潰して焼き始める露店も見当たらず、目立ったしわや汚れもない学生服を着た学校帰りの少年が、日傘を差した上品なご婦人(母親なのだろう)と手を繋ぎながら歩く影が夕暮れの都市の道に細く伸びる。

 仕立ての良いスーツを着た青年が従者を連れて豪奢な屋敷の門を潜って行く姿や、ベンチで優雅にパイプを吹かす背筋の伸びた老人の姿、少年少女達で構成された聖歌隊が妙齢のシスターに見守られながら、広場で透き通った歌声を披露している光景もカザンではあまり見かけたことのないものだった。

 窓を流れていくそんな平穏な風景を横目に、マルガが手配してくれた広い客室付きの馬車は王城に向かって石畳の通りを闊歩していた。


「なんか、カザンとは随分とは雰囲気が違うんだな」


「カザンは商売で成り上がった者が多く暮らす商業都市だが、このライオネットは古くから王侯貴族が居を構え続けてきた由緒ある都市だ。住民も富裕層が多く、今のところは目立った争い事もなく治安も安定している」


「さっき目に入った大聖堂や広場の中央に置かれてたオブジェも随分と凝った装飾や彫刻がされてたし、カレンやドロシー達にも見せたかったな」


「それには同感だが、カレンが村に残っていてくれた方が有事の際には安心だ」


「ああ、ルイーゼやフローラも残して来たけれど、あの二人はセレスと違って戦闘向きじゃないからな。カレンが側にいてくれた方がこっちも精神的に大分楽になるよ」


 マルガの用意したカザン支部所有の来客用馬車に乗ったのは今日の早朝。

 それから半日程かけてカザンの西へと休憩を挟みながら進み続け、道中何事もなく陽が沈む前にこうして首都に来ることができた。

 だが、本来なら『従僕せし餓狼ヴァイ・スレール』の潜入調査をしていたという亜麻色の髪の少女が村に来訪する日だった。

 マルガから聴取を受け、シロと断定されてはいるものの、彼女が何かしらの敵意を持ってアルトの村に接触を図っていた場合を想定すると、少女を【神眼】スキルで解析する役目を買って出てくれたルイーゼや戦闘能力のないドロシー達だけだとどうにも不安が残る。

 そのため、少女との邂逅かいこうの席にカザン支部の騎士数名と俺達が村を留守にしている間の村の代表となるカレンが立ち会うことになり、首都へ出立する組と村に残留する組で分かれる運びとなった。


「ドロシーやシャーロットへのお土産とか早く探しにいきたいなあ」


「エルザ様、今回貴女が私達に同行することになった理由は、お土産探しではありませんよ」


「わ、分かってるよ。ちゃんとお姫様にこれを渡すんだもん。ゼルダ様、お姫さまってお花とか好きなのかな?」


「ああ。アリーシャはよく騎士団の執務の合間に息抜きと称して野原に抜け出して、自室に摘んできた野花を花瓶に挿すことも多かった。きっと、その花も気に入ってくれるだろう」


 愛おしそうな笑みを浮かべてそう言ったゼルダの言葉に背中を押されたのか、エルザはホッと安堵の息を吐いた。


「わあ~、それじゃあ大丈夫だね。私、本物のお姫様に会うのなんて初めてだから緊張するなあ。ガチガチにならないように深呼吸しておいた方がいいかな?」


 エルザが自分の腰元の近くに置いていた赤薔薇の花束を胸に抱き、気恥ずかしそうにモジモジと照れる。いつも元気にピンと立っていることの多い獅子の耳も、今はヒコヒコと可愛らしく揺れていて、感情が高ぶっていることが傍目からでも丸分かりだった。

 彼女が今回の旅に同行する事になった理由は、その胸に大事そうに抱えている花束をアリーシャに手渡すためだった。

 『従僕せし餓狼ヴァイ・スレール』の奴隷売買事件は幕を閉じた。

 だが、『従僕せし餓狼ヴァイ・スレール』が壊滅したからといって、彼らの商売の道具として各地から攫われてきた子供達が全員無事に家族の元へ元気よく帰って行ったという訳ではない。

 ゲルグの屋敷で保護された奴隷の子供達のほとんどは、騎士領内で『現地調達』されていたらしく、親元が判明していなかったり、両親や親戚が死別していたりする子供も予想以上に多く(恐らくはそういった家庭環境の子供をターゲットに拉致していたのだろう)、そういった子供の多くは首都の大規模な孤児院に集められることになったらしい。

 衣食住は完備されていて、教師や医師も常駐しているので最低限の教養を身に付けることもできるらしい。

 今回の一件で生活の場所を失った孤児達を一手に引き受けたのが、根絶やしにした筈の奴隷売買が残存していたことに心を痛めたアリーシャだった。

 そして、地方の赤字経営の孤児院の負担を考慮し、比較的定員に少しだけ余裕のあった国営の孤児院で引き取られた子供達の中には、エルザ達が親しくしていた者も多くいた。

 彼らを救ってくれたアリーシャにエルザ達は随分と恩を感じていたようで、フローラに手伝ってもらいながら庭の花壇で育てていた赤薔薇をフローラに花束にしてもらい、元奴隷の子供達を代表してエルザがそれを届けに行くことになった。

 フローラの魔力が込められているので、花弁には変色や萎れのような目立った変化もなく、この様子なら今夜の晩餐会までは十分綺麗な状態を保持したままだろう。

 きっと、喜んでくれるさ。こんなに優しい気持ちが込められているんだ。

 エルザの緊張で硬くなりがちになっている表情を見遣り、口元を綻ばせる。

 彼女のその眩しいぐらいの温かさはきっとアリーシャに届くだろう。

 そう思っているのは俺だけじゃないようだ。

 静かにエルザを優しく見詰めているゼルダも、こっそりと花束のラッピングの乱れを整えるセレスも、皆俺と同じ表情を浮かべていた。






「そろそろ城の敷地に入る頃合いだ。皆降りる準備をしておいてくれ」


「分かった」


「かしこまりました」


「うう、緊張するなあ」


 大通りを抜けきった馬車が暫く走り続けると、大きな堀の上に架けられた跳ね橋が視界に入り始め、白亜の尖塔が天に向かってそそり立つ姿や、城門の上で夜間用警衛の際に使用するのであろう篝火かがりびの薪を積み上げている兵士の後ろ姿もチラホラと見受けられるようになる。

 馬車は城門の側に併設している詰所の前で停車し、アルトの村からずっと手綱を握ってくれているカザン支部の騎士が近づいて来た城勤めの騎士に用向きを伝えると、その騎士は泡を食った表情に一変し、纏った鎧をガシャガシャと鳴らしながら城内に駆け込んでいった。

 数分後、別の騎士が息せき切ってこちらに駆け寄り、「あと十分ほど城門前でお待ちください」と言い残して、再び駆け足で城内に引っ込んでいった。


「随分な慌てようだな」


「そのようだな。事前に話は通ってある筈だが、何か問題でもあったのか?」


「まあ、別にめちゃくちゃ急いでる訳でもないし、気長に待つか」


「ああ、そうだな」


 別段火急の用件という訳でもないし、十分程度待つことは大して苦ではない。

 というかそれよりも、俺はこの後待ち構えている晩餐会の方が心配だ。

 俺、テーブルマナーとか全然知らないんだけど、大丈夫かな?

 元の世界では両親は既に亡くなり親戚もほとんどいなかったので、お高めのレストランに来店したことや親戚の結婚式の披露宴にも出席した経験はない。

 そのため、そういった畏まった場面での礼節だったりマナーだったりにはかなり疎い。

 ルイーゼからマナー本でも借りて来た方が良かったかもしれない。

 そう思ったが完全に後の祭りだ。

 ナイフとフォークの置き方とかも意味があったよな? 八の字に置くのが食べ終わりましたの合図だっけ? いや、あれは食事の合間に飲み物を飲んだりする時とか食事を中断する時だったけ? どっちだけな? というか異世界でもテーブルマナーとか共通なのか?

 そんな風に一人で煩悶していると、宣告されていた十分はあっという間に過ぎ去ったようで、馬車の側に重厚な鎧を纏った騎士がゆったりとした歩みで現れた。


「お待たせいたしました。準備が整いましたので、城門を開けさせて頂きたいと存じます」


「ああ、頼む。しかし、平時なら城門を開けるまでこれだけの時間は掛からないだろう? 何か城内でトラブルでもあったのか?」


「いえ、そういった問題は発生しておりませんが、少し準備に時間が掛かりまして」


「? 準備とは?」


「それはすぐにお分かりになると思います。お手数ではございますが、馬車の窓を開いた状態で入城してください。そうして頂ければ、彼らの声も車内に届きやすくなると思いますので」


 含んだ笑みを浮かべる重装鎧の騎士の意図の分からぬ質問に首を傾げる俺達だが、とりあえず指示に従い、車内の左右に取り付けられている窓の鍵を開けて開放する。

 外から吹き込む風が頬を撫でる爽快感に目を細めると、先程の騎士の男が城門の上で待機していた騎士に手旗信号で何かの合図を送ると、馬車の前で閉ざされていた重厚感のある巨大な鉄扉が徐々に左右に開き始める。


「いよいよだな」


「ああ、私も騎士団を辞してからは城を訪れる機会もなかったし、久々の帰郷になるのかもしれないな」


「ゼルダ様は、昔このお城にいたの?」


「ああ。その当時の部下達もこの城で今も働いている筈だが……彼らの引き留める声を振り払って城を出て行った私のことは快く思ってはいないだろうな」


「そ、そんなことないよ! だって、ゼルダ様は何の関係もない赤の他人だった私をアレン様と一緒に救ってくれたんだよ! きっと他の人達も、ゼルダ様のことを大切に想ってくれてるよ!」


「エ、エルザ……」


 胸に抱いた赤薔薇を傷付けないように配慮しているためか、少し不格好な姿勢で身を乗り出してゼルダにそう力説するエルザの頬は興奮で赤く上気していた。

 力強さに溢れたその言葉は、実際に彼女に救われた者の発したものだからこそ、大きな重みを感じさせる余韻が車内に残留したのを感じた。

 獣人の少女が心の底から発した言葉をゆっくりと噛み締めるように口元を一文字に結んでいたゼルダの肩を、俺は優しく叩く。


「? どうしたんだアレン?」


「いや、エルザ以外にもそう想ってくれている人間は、ゼルダが思っているよりもかなりいるみたいだぜ?」


 俺は馬車の窓の外へ軽く親指を向ける。


「それはどういう……」


 疑問符を浮かべながら不思議そうに小首を傾げるゼルダはビロード張りの椅子から腰を上げ、俺の指し示した窓に近づき、そこから少しだけ顔を外へ覗かせる。


「なっ!? こ、これは!?」


「なになに、何があるの?」


 ゼルダが外の光景を目の当たりにして大きく目を見開いて驚嘆した姿を見て、好奇心を刺激されたエルザも反対側の窓から顔を覗かせ、俺とセレスも邪魔にならないようエルザの肩越しから少しだけ首を伸ばす。

 完全に開き切った城門の奥に待っていたのは、大きく離れた城の正面玄関まで続く石畳の道の左右に大きく連なる列を成して敬礼する数百人以上の騎士達だった。

 直立不動の姿勢を保ち、呆然とするゼルダの姿に笑みを浮かべた彼らは、まるで事前に打ち合わせをしていたかのように揃った動きで一斉に拍手を始め、



「ゼルダ副団長、おかえりなさい!」

「副団長、また剣の鍛錬を付けてくださいよ! 若い連中が訓練をサボりがちなんで、以前のように喝を入れてやってください!」

「副団長、俺この前結婚したんです! 結婚式のスピーチお願いしますよ!」

「副団長ぉおおおおおお、副団長の執務室はしっかり残してあるので、いつでも騎士団に戻って来て下さいね!」

「ゼルダ副団長~、アルトの村のフルーツこの前食べましたよ! スゲー美味かったッス!」

「お~い、副団長! こんな老骨じゃが、またお前さんと手合わせしたいんもんじゃ! また修練所に顔を出しに来るんじゃぞ!」

「副団長、『従僕せし餓狼ヴァイ・スレール』との掃討戦の際の素晴らしいお手並みの噂、カザン支部だけじゃなくて、この城でも大人気の話題の種になってますよ!」

「副団長の好きな首都のケーキ屋さんのショートケーキ、昼の休憩時間の間に確保しておきました! また後でお持ちしますね!」

「副団長、またお会いできて光栄です! いつでも帰ってきてくださいね!」




 手が真っ赤に腫れあがりそうな勢いで手を打ち鳴らす者、孫が帰って来たかのような温もりに満ちた微笑を浮かべる者、目尻から滂沱の涙を流しながら大きく声を張り上げる者、何度も目元を袖で拭いながら顔を俯かせる者。

 十人十色の反応を示しながらも、かつてゼルダが築き上げてきた大切な絆は熱く熱を帯びて彼女を歓待していた。

 その中には誰一人として、馬車から顔を出したまま、両手で口を覆って肩を震わせている少女に恨みや憎しみのこもった視線を向ける者はいない。

 奴隷達を救おうと、腐敗し切った国を救おうと、そう誓いを立てたこの国の王の最も側に寄り添い続け、共に肩を並べて戦場に立ち続け、騎士達の砕けそうになる心を奮い立たせ支え続けてきた少女は、泣き崩れそうになる体を何とかなけなしの気力で支えると、塩辛い雫で濡れた顔で大切な仲間達に大きく腕を振り、


「ああ、ただいま!」


 その直後、割れんばかりの歓声と万雷の拍手が王城全体に響き渡り、この城の奥で座す少女と共に救国の英雄である少女を乗せた馬車は、ゆっくりと王城に向かって進み出した。

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