野良猫女子高生と小さくて深い世界に来たものたちへ
夢野ヤマ
第1話 プロローグ
「どうして捨てられたの?」
僕は猫に聞いた。
「分からない」
と猫は応えた。
その猫は姿勢が良く、髪の毛もストレートで美しい美少女だ。
セーラー服を着こなし、現役女子高生であることが分かる。
もちろん猫は比喩である。
真っ白な空間でただ一人の女の子が蹲っており、まるで野良猫のようだから猫と呼んだ。
それでも彼女は捨てられた。人間としてなのか猫としてなのかは分からないが。
猫は自分が猫と呼ばれていることを知らない。
僕が勝手にそう呼んでいるだけにすぎないからだ。
ここは何もない真っ白な世界だ。
一見、真っ白で何もないような場所でも少しの努力をすれば簡単に道は切り開ける。
ボタンを探すことだ。
努力といっても大それたものではない。
ただ目の前にあるボタンを押せばいいのだ。
そうすればさっきまで白く見えなかった一部が実は扉だったと気づく。
一度その扉を抜ければ、もう此処には戻ってこれないのかと聞かれるとそういうわけでもない。
戻ってこれる。それもこっちの世界同様、多少の努力をするだけでだ。
扉の隣のボタンを押す。たったこれだけだ。
これだけでは努力とは言い難いのかもしれないが、本当にこの方法が一番効率のいい。
扉を壊す必要もないし力尽くで開ける必要もない。
こんなにも楽で効率のいいやり方を知ってるんだ。
これは努力と呼べるべき行為だろう。
時々、この世界に戻りたくなることがある。
向こうの世界が不満だとかそんなことではない。
ただ、一人になりたくなる時があるのだ。
僕がこの世界に来るときはいつも一人だ。
それもそうだ。
こんな何もなく退屈な世界、相当な物好きでないと来るはずがない。
あっちの世界の方が娯楽もありマシに決まってる。
それでも僕はここへ戻ってくる。
それが偶然、今日一人から二人になった。
いや、正しくは一人から一匹になったの方がいいのかも知れない。
どうして猫がこんなところにいるのかは分からない。
向こうの世界に行ったのかすらも分からない。
それほど認識もなく曖昧な存在だった。
猫はしゃがみ込み俯いていた。
僕が話しかけるとまるで猫のように目を細め、警戒心を持った話し方をした。
しかし、すぐに僕が無害な存在であることに気がついたのか目を丸め、ゆっくりと話し始めた。
「どこから来たの?」
僕は聞いた。
「分からない」
猫は応えた。
どうして捨てられたのか、どこから来たのか、それは本人も分かっていなかった。
念のため言っておくがここは現実の世界ではない。
正しくは『何かを持っていない人間が来る世界』と言った方がしっくりくる。
向こうの世界もまた同じだ。
この世には三つの世界がある。
一般的な人間が生活している現実世界。特に何もなく真っ白な空間。此処では無白の世界と呼ぼう。そして向こうの世界。
この世界の中で仲間ではないのは現実世界だ。
なぜか無白の世界と向こうの世界は繋がっている。
どうしてなのかは僕には分からない。
知ろうとも思わない。
いずれはきっと分かるんだ。そんなものは研究者か物好きに任せておけばいい。
一学生である、ましてや高校一年生が関与する問題ではない。
猫は立ち上がらずに座ったままだ。
「向こうの世界には行ったの?」
僕は聞いた。
「行ってない」
猫は応えた。
「いつからいるの?」
また僕は聞いた。
「分からない」
首を横に振りながら猫は応えた。
この世界に来る人間は様々な種がいる。
人との関わりを捨てた人。逆に一人の時間を捨てた人。
楽しむことを捨てた人。逆に悲しむことを捨てた人。
そんな人たちが大体この世界にやって来る。
現実世界で生き残るにはどれもバランスが重要なのだ。
そんな人たちを捨てた人と呼ぶ。
誰かに捨てられるのではなく、自分で自分を捨てるのだ。
稀に誰かに捨てられここに来る人もいる。
猫がどっちなのかは分からない。聞く気もない。
僕が何を捨てたかはあえて伏せておく。
それでも僕は自分で自分を捨てた。
それだけは言える。
同様に猫も何を捨てたのかは知らない。聞く気もない。
それにしても本当に此処の世界は何もない。
今いるのは僕と猫だけだ。
無駄に広いのが贅沢に思えるくらいだ。
かと言って、人数が増えるのも困る。
そんなことが起こり得たら一人が好きな僕にとって苦痛でしかない。
退屈。僕からすれば長所になるが他の人からすれば短所になる。
猫がどちらかは知らない。
見た感じ前者のような気がする。
僕は比較的口数が少ない。他人に関わるようなこともあまりしない。
それでも猫に関わったのは自分に似ていたからだ。
類は友を呼ぶと言う。別に友になるつもりはないけども。
それでも何かきっかけが欲しかった。
人と話すきっかけが。
僕は無白の世界でも向こうの世界でも基本的にやることは同じだ。
あまり人とは関わらない。それだけを意識して生きていた。
だったらずっとこの世界にいればいいと言う人もいるだろう。
だけど僕は行ってしまった。向こうの世界に。
この世界は居心地がいい。それは絶対だ。
しかしそれは最低条件として無になりたいときだ。
僕だって人間だ。人間がするべきことをしたい。
ただ無心になって生きている。そんなのは死んだのと同然だ。
少しの間だけならいい。一生そんなことをするのは無理がある。
だから、僕は向こうの世界へ行った。
そうすると一つの疑問が思い浮かぶ。
猫が此処にいた期間によってかなりリアクションが変わってしまうことだ。
一日二日ならまだいい。一週間もまだマシな方だ。
もっと怖いのは年だったらどうなっているのか。
仮に一年間としよう。一年間も無心になって生き続けるのだ。
大抵の人はできない。到底、僕にも無理な話だ。
それでも根本的な部分は僕と似ているのだから恐ろしいものだ。
別に深掘りするつもりなんてない。だから、どれだけそんなことを考えようが結局は時間の無駄なのだ。
この世界はある一定の時間になると扉が完全に閉まり、閉じ込められる。
その時はボタンを押しても反応しない。
そのサインは扉が微妙に揺れ出すのだ。普通の人なら分かるはずもない揺れ具合だが、常連である僕には分かる。
この時を帰るべき時間と呼んでいる。
そろそろ向こうの世界に帰るのだ。
猫は立ち上がらなかった。
「名前は?」
僕は聞いた。
「矢野真美雨」
猫は応えた。
「僕は村田春也」
僕も名前を伝えた。
そして、僕は向こうの世界へと帰った。
矢野真美雨との出会いが僕の人生を大きく左右することなんてこの時はまだ知らなかった。
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