34. 〜光穂〜
私は生まれたときから“普通じゃない子”として扱われた。
母と一緒に公園や児童館に行っても、みんなと一緒に折り紙をすることも鬼ごっこをすることはできなかった。
ただできないのならまだ良い。
しかし同じくらいの歳の子と仲良くなれそうだ、というときに彼らの母親が彼らに言うのだ。
「あの子は目が見えないから怪我をさせないように気を付けてね」
と。
それから彼らは私に気を遣ってくれた。
けれどそれは私にとっては壁を感じてしまう要因でしかなかったし、彼ら子供にとって気を遣うというのは大人が思うより遥かに労力を使うことであり、私と関わるのを避け始める要因にもなった。
こういったことが続き、私はどちらかというと家で遊ぶことを好んだ。
ボタンを押すと音が鳴るようなおもちゃをたくさん買ってもらって毎日それを叩いて遊んだ。
それからさらに成長すると、親は私に子供には高級すぎるくらいのレコードプレーヤーを買ってくれて、それからは音楽鑑賞に1日を費やした。
両親が好きな絵画について意見を交わしているのを聞くたびに私の心は少し痛んだが、音楽はいとも簡単にその穴を埋めてくれた。
クラシック音楽が好きな子供も少ないし、私に気を遣わないか、気を遣っていても疲れない子供も少ない。
だからお互いに障害を持つ理人とは気を遣わない関係なので私たちはどんどん仲良くなっていった。
小学校、中学校と進学していっても私には理人を超える友達はできなかった。
その理由は、障害を持つ子供が集まる特別学校だから小さい頃とはまた違う。
なぜか突然縁を切られることが続いたのだ。
「私、違う子と一緒に遊ぶから光穂ちゃんとはもう遊ばないね」
笑顔でそんなことを言われたら怒るにも怒れなかった。
理由を尋ねても彼女らは「理由はないよ」と口を揃えて言った。
それはたぶん嘘ではない。
本当に私を嫌いになったのではなくて、ただ私よりも大切な友達ができたというほうが正しいと思う。
それくらいの年齢の女子は、2人で遊ぶことを好んだ。
だから私より大切な友達と2人でグループを作っていってしまったのだ。
小学生の頃にはすでに私はあまり人を信頼できなくなっていたし、“ずっと仲良し”なんてすぐに壊れるのだと知ってしまった。
私は、私が普通ではないことを確認しなくても良い日々を好んだ。
私よりずっと勉強が、もしくは運動ができないのに、私が目が見えないというだけで“普通じゃない”と判断する世の中に嫌気が差していた。
小さい頃はそう判断されるごとに嫌だ嫌だと抗議したが、今の私は笑顔で受け流すスキルを身につけた。
私は目が見えないことを除けば平均以上になんでもできるほうだと思う。
それをそのまま評価してくれる人や環境にずっといたいと思っていた。
だが今はどうだろう。
いわゆる健常者である清也に恋をしたがゆえに、私は自分が普通ではないのではないかと思い知ることになってしまっている。
つい清也は私と同じだと思っていた。
しかし彼は少なくとも世間で言われる障害は持っていないのだ。
もちろんこの間の撮影のときの言葉も特別深い意味があったわけではないとわかっている。
けれど「お前は障害者だ」と、私が“同じだと思っていた人”に言われたような気がしてつい悲しみが溢れてしまった。
そしてその溢れた悲しみが怒りとなって、それを彼にぶつけてしまった。
「私も清也さんと同じ、健常者に生まれたかった……」
私は部屋でそんなことをひとりつぶやいた。
健常者に生まれたかった、なんて思ったのは初めてかもしれない。
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