31.

 胸がどきどきと鳴るのがうるさくて周りの音が入ってこなかったが、少し落ち着いてきたときに耳に水の落ちる音が聞こえた。

雨よりもずっと静かでしっとりとした音。

これは雪だ。今年初めての雪。

 隣に置いていたカメラを手に取って、俺はすぐに立ち上がった。

 窓の外を見ると空まで白んでいて、雪と混じり合っていた。

よく目を凝らすと白い塊が次々に降っている。

 その中の一粒がひらりとこちらに舞ってきて窓にその身体を密着させた。

なんらかの形を取っていた塊が、あっという間に丸いただの水滴に変わる。

 この瞬間を見るのが俺はあまり好きではなかった。

それまで形にしてきたものがあっという間に崩れてしまうさまに虚しさを感じるからだ。


「綺麗だけどなんだか虚しいよね。写真を創る仕事だからか、心に穴が空く気分だ。この白さのせいかな。そういえば君は何色が好き?」


 俺はそうやって1人で話しながら光穂の方に振り返る。

 そのとき彼女は座ったまま、こちらを向いて微笑んでいた。

 しまった。

 俺の頭に浮かんだのはその一言だった。

 光穂は目が見えない。だから雪を見たことはないし、色というもの自体知らない。

そのことをすっかり忘れて俺はぺらぺらと雪や色の話をしてしまったのだ。


「ごめん、俺……」


 言っている最中に光穂は立ち上がり、ふらつきながらも真っ直ぐ走り、手を壁に這わせて出口を探って外へ行ってしまった。


「私、帰りますね。今日はありがとうございました」


 光穂の姿が見える限界、というところでそれだけを言い残した。

最後の方はもう消え入りそうな声だった。

 走って行った道筋に、2粒の液体がこぼれた跡が残っていた。

その跡を指でそっと撫でた。指が湿った。


 俺はそのあとしばらくその場に留まった。

写真を1枚も撮ることなく。

時間だけが過ぎていき、すでに外には3センチメートルくらい雪が積もっていた。

 雨よりもずっと静かでしっとりとした音。

 窓に密着して、なんらかの形を取っていた塊があっという間に丸いただの水滴になる瞬間。

 先ほどとは変わらないこれらの音と時間が、俺にはすっかり変わって感じられた。

 雪が今の自分と重なって見えた。

 いまコンクリートの壁が、俺の体を突き刺すような冷たさを持っている。

 いま窓から伝わる空気が、息苦しいほど少量の酸素しか含んでいない。

 それは事実なのか、感情による錯覚なのか、曖昧だった。

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